ウサギさんのいきなりの怒号に、ミエはびっくりして体が固まる。よく怒鳴る上司がいたが、こんなストレートな悪口は言わなかった。声が高くて早口な分、弾丸のような勢いを感じる。
思わず後ずさりしてしまうと、黄昏さんがミエの背に手を回して支えた。目だけで大丈夫?と問うので、ミエは黙ったまま頷く。
悪口を叩かれた張本人は肩を縮めてしゅんと項垂れる。キツネおじさんの釣り目が悲しげに落ち込んだ。
「黙っていたって何の解決にもならないだろうが!この大間抜け!鼻っ面をぶん殴ってやろうか!」
「まあまあ、落ち着いて」
間に挟まれているタヌキさんがなだめる。だがウサギさんは怯まなかった。それどころか標的をタヌキさんに変えて、じろっと小さな目できつく睨みつけた。
「喧しいぞ!大体お前もお前だ!この阿呆に好き勝手させやがって。監督不行き届きじゃないのか?」
「私たちはお互いに干渉しすぎずにいこうって決めたじゃないか。悪いことをしようものなら止めないといけんが、悪気があってのことじゃないんだからそう怒るんじゃない」
「何が悪気があってのことじゃないだ。こいつのすること全部裏目に出ているだろうが。一体今まで、どれだけ俺たちが被害を被ったと思ってるんだ?どれだけこいつの尻ぬぐいをし続けてきたと思っているんだ?」
「それはお互い様だろうが。君だってお嫁さんに逃げられた時、散々みんなに慰めてもらっただろう」
「あれは俺じゃない。俺のいとこだ!耄碌爺め!またお前の背中に火をつけてやろうか!」
「私は婆汁なんぞ作りはせん!発言には気をつけたまえ!」
ばたんと椅子を後ろに倒して立ち上がると、二人は掴み合いになった。その様子を見て、めそめそと肩を震わせる一番端のキツネさん。
―――意味が、わからない……。
混沌に、ミエは何も言えなかった。目の前で繰り広げられる大の大人の取っ組み合いを止める術もなく、ただ茫然と見つめる。というか、割って入ろうものならウサギおじさんからあらぬ暴言を吐かれそうで嫌だ。無駄に傷つくだけで何も解決しない気がする。
助けを求めて黄昏さんに目を向けた。
カウンターの縁に寄りかかった体勢のまま。自分を見るミエの視線に気がついたのか、口元に僅かな微笑が浮かべた。
「全然楽しくない川辺って感じだね」
「え?」
「それか全然素敵じゃない三人組」
「何それ?」
「はいはい。落ち着いて」
ぱんぱんと手を叩く。お互いの襟を掴み合っていた二人のおじさんは、ぴたりと動きを止めた。タヌキさんは気恥ずかしげに椅子に座り直し、ウサギさんは渋々後に続いた。
「リニューアル初日にお店壊さないでよ。一体何のつもり?」
心持ち咎めるような口ぶりで、黄昏さんは両手を腰に当てる。真っ先にウサギさんが立ち上がり、キツネさんを指さした。
「元はと言えばこいつが……っ」
「それは聞いたよ。何があったのかって言ってるんだ」
「本人の口から、話させておやり」
タヌキさんは優しい穏やかな声でキツネさんを促す。まだ何か言いたげにしているウサギさんも、とりあえずは一旦席に着き直した。ふん、と鼻を鳴らして頬杖をついている。
みんなの視線がキツネさんに向く。ややあって、彼は口を開いた。
「まさかこんなことになるとは……。僕は全く、分別がない」
そう言うと、テーブルに突っ伏してすすり泣きしはじめた。
いい年した男の人の泣く姿に、ミエは目を丸くした。徐々に悲しみがうつり、ミエまで泣きそうになる。普段泣かないような人が泣いている姿というものは、哀愁を誘うというか。
ミエは箱のティッシュをキツネさんに渡そうとする。が、ウサギさんがそれを分捕って、あろうことかキツネさんの頭頂めがけてぶん投げた。
「いたっ」
見事につむじに角が当たる。
「ご、ごめんなさい」
悪くもないのに、ミエが思わず謝ってしまう。ウサギさんは他人に謝らせた罪悪感などどこ吹く風で、イライラした目で睨んだまま。
キツネさんは顔を上げる前にまず当たった頭頂を手で撫でさする。ミエははらはらと見守った。
やがてゆっくり顔を上げる。ミエはその顔に、目玉が飛び出るほど目を見張った。
―――とんがり鼻の、鋭い糸目……。
「き、きつ……」
「おいお前!化けの皮が剥がれてるぞ!」
怒りと狼狽の混じった声で、ウサギさんはがたっと立ち上がり指を指す。指摘されればされるほど、キツネみたいな顔つきをしたおじさんがどんどんキツネ化していく。人間の肌だったところが徐々に黄色と橙色の毛皮に変わり、耳だと思っていたところが毛でおおわれていく。頭上に二つのとんがった耳が生えていた。
ほとんど息ができないまま、ミエは口をあんぐりと開けた。
―――化けの皮が剥がれるって、そういう意味じゃないんじゃないかなあ。
悠長に考えている自分を遠くに、ミエは体が後転していくのを止められなかった。
「ミエさんっ」
黄昏さんに名前を呼ばれた気がする。けれど、もうミエの意識は驚きに包まれたままどこかへ飛んで行ってしまった。
思わず後ずさりしてしまうと、黄昏さんがミエの背に手を回して支えた。目だけで大丈夫?と問うので、ミエは黙ったまま頷く。
悪口を叩かれた張本人は肩を縮めてしゅんと項垂れる。キツネおじさんの釣り目が悲しげに落ち込んだ。
「黙っていたって何の解決にもならないだろうが!この大間抜け!鼻っ面をぶん殴ってやろうか!」
「まあまあ、落ち着いて」
間に挟まれているタヌキさんがなだめる。だがウサギさんは怯まなかった。それどころか標的をタヌキさんに変えて、じろっと小さな目できつく睨みつけた。
「喧しいぞ!大体お前もお前だ!この阿呆に好き勝手させやがって。監督不行き届きじゃないのか?」
「私たちはお互いに干渉しすぎずにいこうって決めたじゃないか。悪いことをしようものなら止めないといけんが、悪気があってのことじゃないんだからそう怒るんじゃない」
「何が悪気があってのことじゃないだ。こいつのすること全部裏目に出ているだろうが。一体今まで、どれだけ俺たちが被害を被ったと思ってるんだ?どれだけこいつの尻ぬぐいをし続けてきたと思っているんだ?」
「それはお互い様だろうが。君だってお嫁さんに逃げられた時、散々みんなに慰めてもらっただろう」
「あれは俺じゃない。俺のいとこだ!耄碌爺め!またお前の背中に火をつけてやろうか!」
「私は婆汁なんぞ作りはせん!発言には気をつけたまえ!」
ばたんと椅子を後ろに倒して立ち上がると、二人は掴み合いになった。その様子を見て、めそめそと肩を震わせる一番端のキツネさん。
―――意味が、わからない……。
混沌に、ミエは何も言えなかった。目の前で繰り広げられる大の大人の取っ組み合いを止める術もなく、ただ茫然と見つめる。というか、割って入ろうものならウサギおじさんからあらぬ暴言を吐かれそうで嫌だ。無駄に傷つくだけで何も解決しない気がする。
助けを求めて黄昏さんに目を向けた。
カウンターの縁に寄りかかった体勢のまま。自分を見るミエの視線に気がついたのか、口元に僅かな微笑が浮かべた。
「全然楽しくない川辺って感じだね」
「え?」
「それか全然素敵じゃない三人組」
「何それ?」
「はいはい。落ち着いて」
ぱんぱんと手を叩く。お互いの襟を掴み合っていた二人のおじさんは、ぴたりと動きを止めた。タヌキさんは気恥ずかしげに椅子に座り直し、ウサギさんは渋々後に続いた。
「リニューアル初日にお店壊さないでよ。一体何のつもり?」
心持ち咎めるような口ぶりで、黄昏さんは両手を腰に当てる。真っ先にウサギさんが立ち上がり、キツネさんを指さした。
「元はと言えばこいつが……っ」
「それは聞いたよ。何があったのかって言ってるんだ」
「本人の口から、話させておやり」
タヌキさんは優しい穏やかな声でキツネさんを促す。まだ何か言いたげにしているウサギさんも、とりあえずは一旦席に着き直した。ふん、と鼻を鳴らして頬杖をついている。
みんなの視線がキツネさんに向く。ややあって、彼は口を開いた。
「まさかこんなことになるとは……。僕は全く、分別がない」
そう言うと、テーブルに突っ伏してすすり泣きしはじめた。
いい年した男の人の泣く姿に、ミエは目を丸くした。徐々に悲しみがうつり、ミエまで泣きそうになる。普段泣かないような人が泣いている姿というものは、哀愁を誘うというか。
ミエは箱のティッシュをキツネさんに渡そうとする。が、ウサギさんがそれを分捕って、あろうことかキツネさんの頭頂めがけてぶん投げた。
「いたっ」
見事につむじに角が当たる。
「ご、ごめんなさい」
悪くもないのに、ミエが思わず謝ってしまう。ウサギさんは他人に謝らせた罪悪感などどこ吹く風で、イライラした目で睨んだまま。
キツネさんは顔を上げる前にまず当たった頭頂を手で撫でさする。ミエははらはらと見守った。
やがてゆっくり顔を上げる。ミエはその顔に、目玉が飛び出るほど目を見張った。
―――とんがり鼻の、鋭い糸目……。
「き、きつ……」
「おいお前!化けの皮が剥がれてるぞ!」
怒りと狼狽の混じった声で、ウサギさんはがたっと立ち上がり指を指す。指摘されればされるほど、キツネみたいな顔つきをしたおじさんがどんどんキツネ化していく。人間の肌だったところが徐々に黄色と橙色の毛皮に変わり、耳だと思っていたところが毛でおおわれていく。頭上に二つのとんがった耳が生えていた。
ほとんど息ができないまま、ミエは口をあんぐりと開けた。
―――化けの皮が剥がれるって、そういう意味じゃないんじゃないかなあ。
悠長に考えている自分を遠くに、ミエは体が後転していくのを止められなかった。
「ミエさんっ」
黄昏さんに名前を呼ばれた気がする。けれど、もうミエの意識は驚きに包まれたままどこかへ飛んで行ってしまった。