幼い頃から言葉を紡ぐことは好きだった。作文や日記、感想文。言葉はいつも自由で、楽しい。私が書いたもので、誰かの心が動く瞬間は何にも代え難い喜びだった。それに気付いたのは、母が私の読書感想文を読んだ時だ。「朔の書く文章大好き。うちの娘天才なのかな」と誇らしげに笑ってくれたのが嬉しかった。
 
 小三の時、持病が悪化した母との別れはあまりにも突然で。私は泣くことも怒ることもできなかった。感情の起伏を上手く出せないところは父親譲りなのだと、同じように誰にも涙を見せない男を見て思った。

『お母さんに手紙書いた。私、口で伝えるの下手だけどほんとは、いっぱい思ってることあるの。お父さんもそうでしょ?』

 技巧を凝らしたと言えない言葉たち。寂しい、悲しい、会いたい。お母さんが大好き。ぐちゃぐちゃに心の中で混ざる全てをぶつけた手紙を読んだ父は、その時初めて私の前で泣いた。「朔の言葉が好きだ」と、いつもなら喜ぶ筈の感想を受け取って、私もやっと大泣きした。

 好奇心から応募した小説が受賞した時、私は高校卒業を控えていた。父は進学を進めたけれど小説の道一本で生きることを選んだ。「自立」を早く示すことが、父に出来る最大の恩返しだと思った。春になって、一人暮らしに選んだアパートの周囲を彩る満開の桜は、これからの自分の道を祝福してくれているようだった。「有名な小説家になる」なんて抱いた眩しい夢に手が届くことを疑いようもなく信じていた。




『なんかパンチに欠けるんですよね、春乃先生。処女作ほどのインパクトが無いというか』

『あの作品は、母親亡くしてる実体験も含んでるんだろ。あれ超えるのは無理なんじゃ無いの』

『えーじゃあ、なんか更なる不幸が無いともうダメっすね』


 いくらプロットを提出しても、担当さんに受け入れられない日々が永遠と続いた。「言葉や展開が綺麗すぎる」と言われて直せば今度は「こんな主人公、誰も共感しない」と真逆のことを言われる。それでも作品に対する有難い意見だからと受け止めてきた。編集部でこっそり聞こえた会話は、私の心臓を貫いた。

期待されてるのは、私の言葉なんかじゃない――「不幸体験」なのだと。愕然として、その場から逃げ出した。