キーン、と耳馴染みのよい金属音があっちから飛んできて葉山の山間に消えていった。

 隣町の私立高校が創立百周年にして初めて夏の甲子園出場、九回の裏に逆転満塁ホームランで初戦敗退、目指せ日本一と意気込むあだち充世代の母達がテレビの前で、あっけないねえ、と夢と現実の間に立って一喜一憂する姿は記憶に新しい。飛んでいく白球を目で追ってみると、いつかは夕日で見えなくなった。



「椛《もみじ》せんぱい、帰んの?」

 校庭のフェンスごしに呼び止められてくるっと反転したら反射する汗が眩しくて目を細めた。ぼやけた視界から形の良い坊主頭が見えて、灼熱の夏を名残を懐かしく思ったりする。

「豆ちゃんまた背伸びたね」

「こやさの婆ちゃんに同じこと言われた」

 五軒隣に住む豆腐屋の豆ちゃん。根っからの野球少年の彼、中学ではシニアチームに所属していたのに何故か高校は強豪とは程遠く弱小とは縁のあるこの高校に入学してきた。理由は知らない。ニ個下の彼を市民球場のスタンドから眺めていた時は今よりとても大人びて見えたのに、一年生らしい線の細さと私のことを せんぱい と拙く呼ぶ目の前の彼はやっぱりまだまだ可愛い。

「椛ねえちゃ、じゃくて椛せんぱい、東京の大学行くって聞いた」

 使い込まれて柔らかくなったグローブに収まるボールを見つけながら遠慮ぎみにそう切り出した。学校にいるからってわざわざ呼び方変えなくてもいいのに、そういうところは案外律儀だ。

「うん。ピアノ続けたくて」

「推薦で受かったってうちの母ちゃんが自慢げに話してたぞ」

「花織さんにはたくさん教わったから」

 七歳の頃にこの大石田町《おおいしだまち》に引っ越してきて以来、私にピアノを教えてくれたのは豆ちゃんの母親でもある花織さんだった。こんなドがニ、三個がつくほどの田舎じゃ片道一時間半かけてピアノを習いに行かなくちゃいけない。お母さんが体調を崩してこっちに引っ越してきたのにそんな苦労を強いるわけにもいかず、唯一我が儘を言って持ってきたピアノが埃をかぶりそうな時に救いの手を差し伸べてくれたのが花織さんだった。
 名の知れた音楽大学のピアノ専攻を出て花織さんの地元だった仙台で十年ピアノ講師をしていたらしい。確かに穏やかな声色とは反比例するスパルタ具合に最初は面食らってしまったこともあった。

 そんな人がどのタイミングで豆腐屋の息子である豆ちゃん父と出会い、恋に落ち、このピアノの音より鈴虫の音色が馴染む土地へ嫁いだのかは気になるところ。

「もう椛せんぱいのピアノが窓の外から聞こえることも無くなるのか」

「煩かったでしょ?ごめんね」

 この土地はよく音が響く。空気も澄んでいて声も音色も、それら一切を邪魔をするものがないからだ。

「ぜんぜん、風呂入ってる時に聞こえてくるとリッチなホテルにいる気分だったしな」

 リッチなホテルに行ったこともないであろう豆ちゃんだけど、花織さんに似て芸術肌なところがある。野球の才能もあるし大石田町の将来有望株なのだ。