そして、紗依が矢斗へと少しぎこちない笑みではなく、自然にはにかむようになった頃。
 矢斗は正しく己のあるべき姿と力を取り戻す。
 時嗣は吉日を選び、北家当主の名において正式に祭神の帰還を公表した。


 帝都の西に位置する、西家の屋敷にて。
 線の細い、一見して女性にも見える物腰穏やかな男性は、側近からその報せを聞いて驚きに目を見張った。

「北家に破邪の弓が戻られたと……」
「間違いないな。……今でははっきりあいつの気配を感じる」

 戸惑い交じりの声に答えたのはもう一つの人影。流麗な容貌を誇る人ならざる美貌の主だった。
 その言葉を聞いて男性は漸く納得した様子で一つ頷くと、側近に祝いの手配をするようにと命じる。
 しばし慌ただしく采配をしていたものの、やがて残されたのは男性と美貌の主のみ。
 目を一度伏せると、一つ息を吐きながら男性はしみじみと呟いた

「これで始まりの武具が全て元の通りに。めでたいことです……」


 処は変わり、こちらは南家の本拠地である屋敷にて。
 同じように側近から北家祭神帰還の報せを受けた人物は、きょとんとした表情を浮かべながら首を緩く傾けた。

「あら……。北家に祭神がお戻りになったですって?」

 鈴を鳴らすような声でおっとりと呟いたのは女性だった。
 傍らでは女人にしては背の高い美貌の主が、口元を押さえながら目を丸くしている。
 報せをもたらした者達は皆彼女達に対して跪き、改めて問いを肯定した。
 華麗にして美しい衣で装いながら、その絢爛さにけしてまけない華やかな……心から楽しそうな笑みを浮かべて女性は北家の方角へと視線を向ける。
 鮮やかな紅を刷いた唇を緩く吊り上げて、女性は言う。

「時嗣さんも大喜びでしょうね。暫くは大わらわでしょうけれど……面白くなりそう」


 そして、帝都の中枢ともいえ尊き存在の住まう御所にて。
 奥つ城とも言える場所にて、唯一人のみ許された衣を許された人物……この国を統べる帝は驚愕の声をあげた。

「北家の……。矢斗が戻ってきたということか?」
「そのように報告が参っております」

 目を見張り次なる言葉がなかなか続かない様子の帝へと、精悍な印象を与える男性が頷きながら答える。
 近侍のように傍に控える武人とも見える男性が肯定したのを聞いて、ややあって帝は溜息と共に口を開く。

「よくもまあ、今の今まで外に隠していたものよ」
「それも、理由あってのことかと。詳細については、直にご下問なさるのがよろしいかと」

 実直な声音で為される進言に、呆れた風にも感心した風にもとれる表情をしていた帝は頷く。

「近く、参内するように申し付けよ」
「御意」


 長らく祭神不在であった北家に、祭神が帰還したという知らせに帝都は大いに驚きに揺れ、人々は最初こそ真偽を問う戸惑いの声をあげていた。
 だが、それが北家として公式の触れであること、他の三家、更には帝がそれぞれに祝いの意思を明らかにしたことで事実だと広まっていく。
 人々は徐々に受け入れ、欠けていた始まりの帝の武具が四つのあるべき形に戻ったこと寿ぐものは徐々に増えていった。
 だが、それをめでたいことと受け入れぬ者達もいた。

「北家が祭神を取り戻した、だと……?」

 玖瑶家の屋敷にて、紗依の父である現当主は震えかける声を必死に抑えながら、絞りだすようにして呻いていた。
 傍らには、美苑と苑香の姿がある。未だ学校より戻っていないためか、亘の姿はない。
 いずれも蒼褪めた顔で唇を噛み、あるいは苛立った様子で爪を噛んでいる。

「それならあの申し出にあった『神嫁』とは、その、祭神の妻のことだったの……⁉」

 認めたくないと言う様子で言ったのは美苑だった。
 それが本当ならば、あれだけ疎んじ虐げていた紗依を、尊い存在の妻として差し出してしまったことになる。
 北家を、四家とは名ばかりと蔑んでいた。神嫁などといっても、戯言だと嘲笑っていた。
その家で日陰の立場になればいいと送り出したものが、栄光を取り戻した名家にて貴人として扱われる立場になってしまったということ。
 不幸を笑ってやるはずだったのに。そんなはずではなかったと苛立ち何度も溜息を吐く母の傍らで、苑香は顔を歪める。

「やたら幸せそうなのは虚しい作り話だと思っていたけど、本当だったというの……?」

 何かに思いを巡らせるようにして思案しながら、苑香は更なる苛立ちに爪を噛む。
 身代わりに差し出してやったというのに、貶められるどころか尊ばれているらしい姉。
 もたらされるとある報せを虚しい夢想と嘲笑っていたというのに、それはどうやら真実だったのかと忌々しげに独白している。
 三者はそれぞれに、かつて虐げていた相手が貴人となったことに対して狼狽えていた。
 だが。

「お父様、お母様。今からでも遅くないわ」

 重苦しい沈黙が満ちかけたが、不意に苑香が不思議なほど明るい声をあげたのだ。
 両親が驚いて娘へ視線を向けると、そこには無邪気なほどの微笑みがあった。
 苑香は良い事を思いついた、と呟いてから実に楽しそうに二人へと続ける。

「異能を持たない役立たずの呪い子なんて、神の妻には相応しくないもの」

 そう告げる苑香は、人々に称えられる美貌にて花のように微笑んでいた。
 それは、どこか毒花めいた危うさと恐ろしさを秘めたものだった――。