残念ながら雪ではなかった。雪より少し大きくて、ふわふわした白い毛が顔の横で羽のように広がっている。
 雪は、大きな丸い目が可愛い子だが、この猫はもう少しシャープな印象を与える顔立ちだ。猫ちゃんって千差万別、一匹一匹が唯一無二の顔をしてるな、と葵は思った。
 ぼんやりその猫を見ているうちに、猫の眼に吸い込まれるような変な気持ちになってくる。
(何も食べてないからかな? 貧血みたい)
 玄関まで三歩、四歩。ゆっくり歩いてドアを開けた葵は、そこで倒れ込んでしまった。
 猫はそんな彼女の姿をじっと見ていたが、葵が家に入ったのを見届けると、どこかへ走って行ってしまった。
「葵! 葵ちゃん、大丈夫?」
 母の声で目を開けると、母が心配そうに顔を覗き込んでいる。葵は玄関の上り框に横になっていた。
「あれ? 私どうしたんだろ?」
「さあ? 顔を洗ってるのかと思ったら、ここで寝てたのよ」
「そうなの?」
 葵は、自分の行動が思い出せない。
「起き上がれそう? ご飯食べられそう?」
「うん」
 葵は立ち上がり、母と一緒にキッチンに行った。キッチンのペールの横には、チャミのトイレが置いてある。
「チャーちゃんのトイレ、捨てられないね」
 約一年前に、老衰で亡くなった飼い猫のトイレは綺麗に掃除され、猫砂は片付けられている。しかし、トイレやキャットタワーといった物は捨てることができず、そのままである。
 チャミは保護猫で、葵の家に引き取られた時、既に四歳は過ぎていた。葵と同い年だった。
 それから十三年。葵はチャミと一緒に育った。
「チャーちゃんみたいな子と暮らせる日は、また来るのかな」
 葵が寂しそうに言うと、母が微笑んだ。
「なんとなくだけど、猫ちゃんのほうから来てくれる気がしてるの。さ、早くご飯食べて。学校には遅刻する、って連絡しておいたから」