カナタは楽しいことしかしたくない。
 部活はどれも興味をひかれないから入らない。
 それよりも、放課後は友達と遊び回っている方が楽しい。

 カナタが通う男子校は寮も併設された学校である。
 だが、寮生活を送っているのは全校生徒の半分ほど。
 残り半分は、カナタのような通い組だ。
 
 基本カナタは寮に入っている生徒とは親しくない。
 放課後の予定が合わないから。

 だから、アイツとも同じクラスだけど、ほとんど話したことはなかった。

「おおい、どういう事だ!?」

 普段からヘラヘラしているカナタが、机を叩いて怒るしぐさに、周りの友達が驚いていた。

「なんでグループ研究の班が、小田(おだ)とオレの二人だけなんだよ!」

 ちょっと朝までゲームしていて寝坊したから、もういっそ学校をサボった昨日。
 現代国語のグループ研究班が勝手に振り分けられてしまっていた。

 それぞれ三人ほどで固まって班を作った結果、休んだカナタとあぶれたアイツが組まされたのは自然の摂理。

 カナタの相手は、小田エイト。名前しか知らない。
 頭は良いらしくてテストではいつも上位のようだ。
 寮生だから交流もない。席だって離れている。

 派手な見た目と行動で、クラスの中心にいるカナタ。
 休み時間すらも勉強して、常に一人きりの小田エイト。
 二人は完全に陽と陰のようだった。

「なんで誰もオレを入れといてくんなかったんだよお!」

 カナタが憤慨に憤慨を重ね、悪友たちがちょっと引き始めた時、後ろで低い声がした。

高倉(たかくら)

「ああ!?」

 怒りに任せて振り返ると、そこには小田エイトが立っていた。
 背、でか! 眼鏡が威圧してくる!
 目の前でぬぼっと立っているエイトに抱いたカナタの感想は、そんな感じだった。

「早速だが、今日の放課後時間はあるか」

「何の用だよ?」

 苛立ちながら聞き返すカナタに向けて、エイトはさらに威圧するようにカナタを見下ろして言った。

「現国の件に決まっているだろう。お前が休んだせいで俺は話し合いが昨日全く出来なかった」

「そうかよ」

「俺達はクラスで一番進行が遅れている。放課後、それを取り戻すぞ」

「イヤだね、オレは放課後は忙し……あれ?」

 ふと周りを見ると、カナタがいつも遊んでいるメンバーが誰一人として残っていなかった。
 おそらくカナタの怒りと、エイトの威圧に逃げ出したのだろう。

「いつもの奴らは、今日はいないようだな」

「ぬぬぬ……」

「遊びに行くのはいつでも出来る。さっさとグループ課題を終わらせるぞ」

 エイトの淡々とした物言いは、何故かカナタを押さえつけるような雰囲気だった。

「くそぉ……」

 こうして、カナタは放課後エイトと共に図書室に向かう羽目になった。


 ◇ ◇ ◇


 放課後、問答無用で図書室に連れて来られたカナタは、エイトによって課題図書を読まされている。
 戦前の文豪が書いた作品だったが、高校生でも読みやすいように編集されていた。
 文章量も長くはなかったので、カナタはエイトに監督されながらも三十分程で読み終わった。

「読み終わったか?」

 数学の問題集を解きながらエイトがそう確認したので、カナタは本を机に置いてふんぞり返った。

「……読んだよ」

「どうだった」

 問題を解く手を止めずにエイトが尋ねる。試すような口調に腹が立ったが、カナタは思ったことを言った。

「訳アリ未亡人が学生に恋するなんて、いつの時代の昼ドラだよ。学生も、未亡人にまんまと欲情しててウケる」

 わざとバカにしたように言ってやったが、思いの外エイトは怒っていなかった。

「うん、ちゃんと要旨を理解出来ているようだ。良かった」

「はあ!? お前は、何様だ?」

 逆にバカにされたような気がして、カナタが声を上げると、図書室にいる全ての人間がカナタを振り向いて睨んだ。

「……」

 その雰囲気に居た堪れないカナタは、罰が悪くなって黙る。
 エイトは溜息を一つ吐いて、問題集をパタンと閉じてから言った。

「図書室はここまでだ、移動するぞ」

「どこに行くんだよ?」

「寮の、俺の部屋だ」

 言われた瞬間、カナタはギクリと肩を震わせる。
 何故か急に緊張してきていた。

「い、一般生って入ってもいいのかよ……?」

 カナタの問いに、エイトは表情を崩さずに、相変わらず淡々と答える。

「入室許可は取ってある。問題ない」

「そうかよ……」

 なんて首尾のいいヤツだ。昨日の今日で、こうなることまで想定してたって言うのか。
 なんとなく有無を言わせないエイトの雰囲気に、カナタは大人しくついて行った。


 ◇ ◇ ◇


 初めて入った学生寮は、知らない匂いが立ち込めていて、カナタの緊張を更に煽る。
 エイトの部屋は二階の角だった。二人部屋のはずだが、ネームプレートには「小田エイト」という文字しかなかった。

「お前、同室のヤツは?」

 カナタが聞くと、エイトはドアノブを握りながら短く答える。

「今は空きだ」

「マジで!? え、寮で一人部屋なんて天国じゃね?」

「そうか?」

 よくわからないと言ったような顔でエイトは首を傾げている。
 だって、一人だったらオ◯ニー出来るじゃん! オレが絶対寮に入りたくない理由の一位!
 そんなカナタの思考に気づくはずもないエイトは、扉を開けてカナタを促した。

「入れ」

 カナタは部屋に入ってまず一回り見回した。
 二人部屋なだけあって、結構広い。両端にベッド。その横にそれぞれの机とタンスが線対象に置かれている。
 片方はフレームだけなので、エイトのベッドはすぐに分かった。
 まるで店に並んでいるかのように、綺麗に整えられていて、人が寝る姿が想像出来なかった。

「適当に座れ」

 部屋の中央には小さな丸テーブルが置いてあった。クッションなどはない。
 カナタはそのままカーペットの上に胡座をかいた。エイトもその対面に腰を下ろす。

「早速だが、俺はお政はお糸なのではないかと思うんだ」

「は?」

 カナタに読ませた本をいつの間にか借りていたエイトは、それをパラパラとめくりながらそんな事を言った。
 言われたカナタは面食らう。「お政」は作品に出てくるからわかる。「お糸」とは誰だ。

「お糸って誰だよ」

「この作者が、これより前に書いた作品に出てくるヒロインの名前だ。やはり未亡人で幸薄い女性だった」

「ええ? 別の作品のキャラは関係ないだろ?」

 何を言ってるんだ、こいつは。頭が良すぎるのも困る。
 カナタが眉をひそめていると、エイトはそれを意にも介さず続けた。

「お糸もある書生に恋をするのだが、課題の作品と違って全く相手にされず、こっぴどく振られた上に自殺してしまう」

「げ。お前、よくそんなの読んだな」

 ハッピーな結末のアニメやドラマが好きなカナタは、それを聞いただけで気分が悪くなった。
 しかしカナタの様子を気遣うそぶりもなく、エイトは淡々と己の意見を述べた。

「お政も結局は学生とは結ばれない。だが、一応気持ちは互いに通じているし、ラストも自立した女性として描かれている」

「だから?」

「つまり、俺は作者がお糸を幸せに書いてやれなかった後悔を、お政で晴らしたのではないかと考える。それくらい、二つの作品は根幹が似ているんだ」

「へえ……」

 ものすごいことを考えるなあと、カナタは思わず感心してしまった。
 作者に対する深い洞察と、別の作品を持ち出せる知識の豊富さに、素直に凄いと思ってしまったのだ。

「そういう方向でいきたいのだが、いいだろうか」

「いいんじゃねえの、なんかすげえな」

 カナタがそう言うと、エイトは少し照れて俯いた。
 大きな背中が丸くなって、少し可愛いと思ってしまった。

「よし。じゃあ、原稿は俺が作るから、授業での発表はお前がやれ」

「マジで? いいの? オッケーオッケー!」

 楽が出来そうで、カナタは二つ返事で喜んだ。なかなかわかってるな、こいつ、とも思った。
 しかし、そんな楽観視したカナタを軽く睨んでエイトは付け足した。

「発表する前に、原稿をしっかり読んで理解した上でやれよ。リハーサルするからな」

「ええー? めんどくせえな」

「お前なら出来る」

 ……ん?

 今のセリフ、カナタは聞き覚えがあった。
 何か、遠い記憶が呼び覚まされるような気がする。

「……」

 少しだけ意識が飛んでいた。
 カナタが気づくと、エイトは丸テーブルの上にノートを広げて、一心にペンを走らせていた。

 取り残されて暇になってしまったカナタは、ふとエイトの机を覗き込んだ。
 奥の方に写真立てがある。何故か、それがとても気になった。

 夢中で書いているエイトに気づかれないように、カナタはそっと立ち上がって机の前に向かった。
 写真立てを手にとる。小学生くらいの少年が二人、仲良さそうに笑って写っていた。

 一人は当然エイトだろう。
 そしてもう一人は……

 オレ?

 カナタはもう一度写真の少年を見た。
 急に、記憶が波のように押し寄せた。

「はっちゃん!?」

 思わずその名を呼ぶと、エイトが目を丸くしてこちらを向いた。
 覚えている。その瞳。

「お前、転校してったはっちゃんだったのか!?」

 カナタにとって、一番仲が良かったのは後にも先にもはっちゃんだけだ。
 中学、高校に進んでも、軽く遊んで浅い付き合いの友達ばかり。だから、肝心な場面ではカナタはいつも一人ぼっち。

「思い出した! エイトでハチだから、はっちゃんだ! だよな?」

 カナタはすっかり興奮していて、エイトが立ち上がって接近していたことに気付かなかった。

「遅い……」

 大きな影が、カナタの顔にかかる。
 エイトは少し苛立ったような表情でカナタを見つめていた。

「お前は、気付くのが遅すぎる……」

 エイトの大きな手がカナタの頬に触れた。
 その熱が伝わって、カナタの心臓は跳ね上がる。

「はっちゃん……?」

「俺は、いつもお前を見ていたのに」

 そういえば、エイトはカナタがいつもつるんでいるメンバーを知っているようだった。
 二年から同じクラスになったし、話したこともなかったのに。

「本当に、馬鹿なヤツだ……」

 エイトが頬を撫でながら、カナタの唇を覆った。

「んう……ッ!」

 呼吸をなぞるエイトの唇は、手よりも熱かった。
 やば……
 全部、溶けそう……

「思い出したなら、もう容赦はしない」

「う、うえ……?」

 眼鏡の奥の、懐かしい瞳に、カナタは一瞬で囚われた。

「覚悟しろよ、かな……」

「あ──」

 カナタの視界は全てエイトで埋め尽くされて。
 蕩けてひとつになりそうだった。