デートから帰るなり、僕は六花からもらったバスケットボールを部屋の隅に転がして、ベッドの上に体を投げ出した。
気疲れの上に体力も削られてヘトヘトだ。そのまま少し眠ろうかと思ったが、頭が冴えてとても眠れそうにない。
一昨日からの目まぐるしい展開に、頭と心がついていけない。それらは全て、冬上六花という謎の女の子によってもたらされたものだ。
――もしも空くんが私に勝てたら、何でも一つだけ、空くんの言うことを聞く。私にできることなら、どんなことでもすると誓うよ。
さっきの六花の言葉が何度も頭をよぎる。あんなことを言うなんて、正気の沙汰ではないと思った。どう考えても女の子が男の子に、それも出会って間もない相手に言っていい言葉ではない。
「まあ、どう頑張っても僕じゃ六花に勝てるわけがないからな。だから六花もあんなことを……」
実際、六花がその約束を口にしたのは、僕とバスケをしたあとだった。大方、僕に運動神経がないとわかったから、安心してそんな約束をしたんだろう。
そう思った瞬間、何だか無性に腹が立った。六花に対してではない。
「くそっ!」
起き上がりざま、拳で自分の頭を一発殴り、そのまま髪をかきむしる。
今日ずっと一緒に居たんだ。六花がそんな計算高い子じゃないってことは、知り合って間もないとはいえ、よくわかっているじゃないか。
ああ、そうとも。僕は彼女を疑っているんじゃない。この期に及んでまだ、やらない理由を探しているんだ……。
今日一日の出来事を、もう一度順を追って思い返す。いや、出来事というよりも、頭に浮かんだのは間近で見ていた六花の姿ばかりだった。
僕の顔を覗き込んで笑った顔。不満そうに口を尖らせた顔。映画館で感じた彼女の手のぬくもり。ダンスゲームで活発に踊る姿と、信じられないほどキレのある動きでバスケットボールを操る姿。
「今日という日が、僕のこれまでの人生で一番楽しかった。それだけは間違いないと断言できる」
さっきの言葉を取り消すように、声に出して言いきってみる。
こんなに楽しい一日を過ごせたのは、間違いなく六花のおかげだ。そして彼女は、きっと僕が勝負に勝つことを望んでいる。
いや、僕だって勝って願いを聞いてもらいたい。その内容はまだ決めてないけど、そうすることで、まずは自分の力で彼女と並んで立ちたい。
だったらうだうだ悩んでないで、勝負に挑むんだ。
これまで競争というものを極力避けてきた人生だったが、一度くらいは全力で挑戦してみたい。たとえ結果がどうであれ……いや、最初から負けを前提に考えているなら、そんなものは全力じゃない。
「頭で考えていたって上手くなるかよ。やると決めたら行動あるのみ。練習だ!」
もう一度声に出して自分に言い聞かせ、ベッドから飛び起きる。僕はバスケットボールを手に取り、陽が沈みかけた外へと飛び出した。
*
練習場所として思い浮かんだのは、河川敷にある広場だった。少し遠いので自転車にしようかと思ったが、いや、ここは走るべきだと思い直した。
スマホの地図で調べてみると、家から川まではおよそ2㎞の道のりだ。バスケットボールと水筒をリュックに入れて、それを背負って走り出す。
しかし、まだそれほどの距離を走っていないのに息が上がり始めた。50mも走らないうちに心臓が激しく脈打って、スピードもがくんと落ちる。
体が重い……。運動神経が悪いとか筋力がないとか以前に、まず自分の体重が邪魔だ。減量が必要だと痛感しながら、歩くようなペースでどうにか河川敷までたどり着き、着いて早々に水筒の水をがぶ飲みした。
河川敷にはいくつものグラウンドや広場があり、週末には野球やサッカーを練習する子供たちで賑わっている。
だが、夕闇の迫るこの時間帯は人影もまばらになっていた。僕は中でも誰もいない高架下の広場を選び、ドリブルの練習から始めることにした。
まず、インターネットでドリブルのコツを調べる。基本は腰を低く落とし、重心を低く保つことだ。これにより手が自然と地面に近くなり、ボールを奪われにくくなる。また、前傾姿勢になることで足に力が入り、方向転換がスムーズに行えるらしい。
あとはボールを強く打つことと、ドリブル中は決して地面を見ないことが重要らしい。これらを心がけながら、まずは動かずにその場でボールを突いてみる。
始めはボールを斜めに打ってしまい、たびたびバウンドを取り損ねたが、次第に慣れてきてドリブルが安定してきた。
もしかしたら、意外と早く上達するかもしれない。気を良くして、次は広場の端から端までドリブルしながら走ってみることにした。しかし、頭の中では簡単に思えるこの動作が、実際にやってみるとなかなか上手くいかなかった。
ネットで調べたコツは把握しているつもりなのに、思い通りに体が動いてくれない。ボールが思いがけない方向に転がったり、下を見ずに走ってつまずいて転んだりと、失敗が続く。大して長い距離じゃないのに、まともに走りきることができない。
ドリブルが途切れたらスタート地点からやり直し、と決めていたので、結局、十回以上もやり直した。そしてようやく端から端までを走りきることができた時は、思わず「よしっ!」と叫んでガッツポーズを決めてしまった。
今度はゴールからスタート地点へと折り返す。さらに練習を何度も繰り返していると、走りきれる回数は次第に増えていき、最後には三回に一回くらいしか失敗しなくなった。
「これは……思ったよりも楽しいな」
すっかり暗くなった河川敷で、草の上に仰向けに寝転がりながらそう感じた。
体は疲れきっているが、心はいつになく躍っている。今まで運動は苦手だと思い込んで避けてきたから、小さくても確かな手ごたえを感じられたことが、想像以上に嬉しかった。
わかっている。こんなものは初歩の初歩で、果てしない道のりのほんの小さな一歩に過ぎないということも。これから挑もうとしていることが、どれほど無謀で困難な挑戦なのかということも。
おそらく六花は、中学の三年間をバスケに捧げてきたんだろう。バスケのことはよくわからないが、あの見事な動きからして相当な選手だったに違いない。
そんな六花に、生まれてこのかた運動なんてしたこともない僕が挑んで、たった半年で勝利しようというのだから。
今までの僕だったら、練習なんてするまでもなく、どうせ無理だと諦めていただろう。でも今は、この厳しくて無様で無謀な挑戦を、心から楽しいと思っている。練習を始める前の「負けてもともと」なんて考えも、不思議なことに今は頭から綺麗に消えていた。
二時間ほど練習したあと、来た時と同じように走って帰ることにした。
行きと同じく途中からは歩くのと変わらないスピードになったが、何とか家まで走りきる。
家に帰ると、母はすでに夜の仕事に出かけていた。
僕は冷蔵庫の中にあったジュースを全て流し台に捨てた。カップ麺も捨てようかと思ったが、母が食べるかもしれないと考え、結局そのままにした。
とにかく早急に体重を落とし、体を絞らなければ。
ダイエットについてネットで検索すると、ちょっと調べただけで膨大な情報が出てきた。
食事のポイントは高タンパク、低脂肪、低糖質であることが共通していた。それなら、これからは自分で食事を作る方がよさそうだ。
ネットのメニューを参考にしながら、冷蔵庫の中にある食材を使って夕食を作った。
明日からは買い物も自分で行こう。いや、家事全般を僕が引き受けた方がいいかもしれない。
停学が解けても学校に戻るかどうかは決めていないし、今は六花との勝負の方がずっと大事だ。練習に文句を言われないためにも、母の機嫌を取っておいて損はないだろう。
シャワーを浴びてから風呂場を掃除し、部屋にも掃除機をかけてから、母の分の夕食にラップをかけて書き置きをした。
――心を入れ替えて、これからは頑張ります。家事も全部、任せてください。
半分は心にもない言葉だが、半分は本気だ。こうしてやるべきことを全て終えると、すぐにベッドに潜り込んだ。明日から早朝練習も始めるから、これからは早く寝なくては。
*
スマホのアラームで目を覚ます。時刻は午前六時。これまで起きたことのない時間だ。予想通り筋肉痛はあったが、動けないほどではない。
さっそくジャージに着替え、入念な準備運動とストレッチをしてから、朝のランニングに出かけた。
もちろん、今日も背中にはバスケットボールが入ったリュックを背負っている。
走っていると、ピロンとポケットのスマホが鳴って、六花からメッセージが届いた。
――空くん、おはよう。昨日は楽しかったね。公園では勝手なことを言ってごめんなさい。でも本気です。今日も夕方に公園で会えるかな? バスケのコーチをしてあげる。
時間は任せると書いてあったので、夕方の五時に公園に行くと返信した。どうやら六花は、本当に毎日付き合ってくれるらしい。
一時間ほど走ったあと、家に戻って朝食の準備をした。
これまで見たこともなかったが、ネットには様々なレシピが溢れている。おかげで料理なんてしたこともない僕でも、三十分足らずで二人分の食事を作ることができた。
「おはよう、空」
「おはよう、母さん」
ちょうど食卓に朝食を並べ終えたところで、母が起きてきた。テーブルに並んだ料理を見て目を丸くしている。
「これ、本当に空が作ったの?」
「ああ。慣れてきたらもう少しまともなものを作るから、今日はこれで辛抱してくれ」
目玉焼き、インスタントの味噌汁、焼いたメザシ、そして千切ったレタスの上にツナを乗せただけのサラダという、簡単なメニューだ。料理と呼ぶのもおこがましいかもしれないが、母は美味しそうに食べてくれた。
「朝ご飯にもびっくりしたけど、ずいぶん明るい顔になったじゃない。何かあったの?」
「何もないよ。ただ心を入れ替えただけだ」
母の機嫌が良いのはありがたいが、面倒なのでその場は適当に誤魔化しておいた。
朝食を終えると、母は仕事に出かけて行った。
「それじゃ、行ってきます。勉強もしておくのよ」
「ああ、わかってる」
そう言って母を送り出したが、中退するかもしれない高校の勉強をする気なんてなかった。
それよりも、今日はやらなければならないことがたくさんある。
午前中に洗濯と買い物を済ませておきたい。食材だけでなく、新しいジャージとランニングシューズも買いに行きたい。特にシューズは重要だ。古い靴を履き続けて膝を痛めたら、練習ができなくなってしまう。
まず洗濯機を回してから家を出た。店が開くまでしばらく時間があるので、先に河川敷までランニングすることにした。そのまま昼前まで練習し、買い物をして帰宅する。
家に戻ると正午を過ぎていたが、すでに体力の限界だったので、少し昼寝をしてから遅い昼食をとった。
昨日の今日で体力なんてつくはずもない。ランニングのペースは相変わらず歩いているのと大差ないし、ドリブルも失敗ばかりだ。
それでも確かな手応えを感じるし、やっていて楽しいと思える。
午後からも練習したかったが、洗濯物を干して掃除をすると、六花との約束の時間が迫っていた。
家事に思いのほか時間がかかってしまった。まあ、これも毎日やっていれば、効率よくこなせるようになるだろう。
急いでシャワーを浴び、新しいジャージの上からジーンズを履いてジャケットを羽織り、バスケットボールが入ったリュックを持って、駆け足で家を出た。
気疲れの上に体力も削られてヘトヘトだ。そのまま少し眠ろうかと思ったが、頭が冴えてとても眠れそうにない。
一昨日からの目まぐるしい展開に、頭と心がついていけない。それらは全て、冬上六花という謎の女の子によってもたらされたものだ。
――もしも空くんが私に勝てたら、何でも一つだけ、空くんの言うことを聞く。私にできることなら、どんなことでもすると誓うよ。
さっきの六花の言葉が何度も頭をよぎる。あんなことを言うなんて、正気の沙汰ではないと思った。どう考えても女の子が男の子に、それも出会って間もない相手に言っていい言葉ではない。
「まあ、どう頑張っても僕じゃ六花に勝てるわけがないからな。だから六花もあんなことを……」
実際、六花がその約束を口にしたのは、僕とバスケをしたあとだった。大方、僕に運動神経がないとわかったから、安心してそんな約束をしたんだろう。
そう思った瞬間、何だか無性に腹が立った。六花に対してではない。
「くそっ!」
起き上がりざま、拳で自分の頭を一発殴り、そのまま髪をかきむしる。
今日ずっと一緒に居たんだ。六花がそんな計算高い子じゃないってことは、知り合って間もないとはいえ、よくわかっているじゃないか。
ああ、そうとも。僕は彼女を疑っているんじゃない。この期に及んでまだ、やらない理由を探しているんだ……。
今日一日の出来事を、もう一度順を追って思い返す。いや、出来事というよりも、頭に浮かんだのは間近で見ていた六花の姿ばかりだった。
僕の顔を覗き込んで笑った顔。不満そうに口を尖らせた顔。映画館で感じた彼女の手のぬくもり。ダンスゲームで活発に踊る姿と、信じられないほどキレのある動きでバスケットボールを操る姿。
「今日という日が、僕のこれまでの人生で一番楽しかった。それだけは間違いないと断言できる」
さっきの言葉を取り消すように、声に出して言いきってみる。
こんなに楽しい一日を過ごせたのは、間違いなく六花のおかげだ。そして彼女は、きっと僕が勝負に勝つことを望んでいる。
いや、僕だって勝って願いを聞いてもらいたい。その内容はまだ決めてないけど、そうすることで、まずは自分の力で彼女と並んで立ちたい。
だったらうだうだ悩んでないで、勝負に挑むんだ。
これまで競争というものを極力避けてきた人生だったが、一度くらいは全力で挑戦してみたい。たとえ結果がどうであれ……いや、最初から負けを前提に考えているなら、そんなものは全力じゃない。
「頭で考えていたって上手くなるかよ。やると決めたら行動あるのみ。練習だ!」
もう一度声に出して自分に言い聞かせ、ベッドから飛び起きる。僕はバスケットボールを手に取り、陽が沈みかけた外へと飛び出した。
*
練習場所として思い浮かんだのは、河川敷にある広場だった。少し遠いので自転車にしようかと思ったが、いや、ここは走るべきだと思い直した。
スマホの地図で調べてみると、家から川まではおよそ2㎞の道のりだ。バスケットボールと水筒をリュックに入れて、それを背負って走り出す。
しかし、まだそれほどの距離を走っていないのに息が上がり始めた。50mも走らないうちに心臓が激しく脈打って、スピードもがくんと落ちる。
体が重い……。運動神経が悪いとか筋力がないとか以前に、まず自分の体重が邪魔だ。減量が必要だと痛感しながら、歩くようなペースでどうにか河川敷までたどり着き、着いて早々に水筒の水をがぶ飲みした。
河川敷にはいくつものグラウンドや広場があり、週末には野球やサッカーを練習する子供たちで賑わっている。
だが、夕闇の迫るこの時間帯は人影もまばらになっていた。僕は中でも誰もいない高架下の広場を選び、ドリブルの練習から始めることにした。
まず、インターネットでドリブルのコツを調べる。基本は腰を低く落とし、重心を低く保つことだ。これにより手が自然と地面に近くなり、ボールを奪われにくくなる。また、前傾姿勢になることで足に力が入り、方向転換がスムーズに行えるらしい。
あとはボールを強く打つことと、ドリブル中は決して地面を見ないことが重要らしい。これらを心がけながら、まずは動かずにその場でボールを突いてみる。
始めはボールを斜めに打ってしまい、たびたびバウンドを取り損ねたが、次第に慣れてきてドリブルが安定してきた。
もしかしたら、意外と早く上達するかもしれない。気を良くして、次は広場の端から端までドリブルしながら走ってみることにした。しかし、頭の中では簡単に思えるこの動作が、実際にやってみるとなかなか上手くいかなかった。
ネットで調べたコツは把握しているつもりなのに、思い通りに体が動いてくれない。ボールが思いがけない方向に転がったり、下を見ずに走ってつまずいて転んだりと、失敗が続く。大して長い距離じゃないのに、まともに走りきることができない。
ドリブルが途切れたらスタート地点からやり直し、と決めていたので、結局、十回以上もやり直した。そしてようやく端から端までを走りきることができた時は、思わず「よしっ!」と叫んでガッツポーズを決めてしまった。
今度はゴールからスタート地点へと折り返す。さらに練習を何度も繰り返していると、走りきれる回数は次第に増えていき、最後には三回に一回くらいしか失敗しなくなった。
「これは……思ったよりも楽しいな」
すっかり暗くなった河川敷で、草の上に仰向けに寝転がりながらそう感じた。
体は疲れきっているが、心はいつになく躍っている。今まで運動は苦手だと思い込んで避けてきたから、小さくても確かな手ごたえを感じられたことが、想像以上に嬉しかった。
わかっている。こんなものは初歩の初歩で、果てしない道のりのほんの小さな一歩に過ぎないということも。これから挑もうとしていることが、どれほど無謀で困難な挑戦なのかということも。
おそらく六花は、中学の三年間をバスケに捧げてきたんだろう。バスケのことはよくわからないが、あの見事な動きからして相当な選手だったに違いない。
そんな六花に、生まれてこのかた運動なんてしたこともない僕が挑んで、たった半年で勝利しようというのだから。
今までの僕だったら、練習なんてするまでもなく、どうせ無理だと諦めていただろう。でも今は、この厳しくて無様で無謀な挑戦を、心から楽しいと思っている。練習を始める前の「負けてもともと」なんて考えも、不思議なことに今は頭から綺麗に消えていた。
二時間ほど練習したあと、来た時と同じように走って帰ることにした。
行きと同じく途中からは歩くのと変わらないスピードになったが、何とか家まで走りきる。
家に帰ると、母はすでに夜の仕事に出かけていた。
僕は冷蔵庫の中にあったジュースを全て流し台に捨てた。カップ麺も捨てようかと思ったが、母が食べるかもしれないと考え、結局そのままにした。
とにかく早急に体重を落とし、体を絞らなければ。
ダイエットについてネットで検索すると、ちょっと調べただけで膨大な情報が出てきた。
食事のポイントは高タンパク、低脂肪、低糖質であることが共通していた。それなら、これからは自分で食事を作る方がよさそうだ。
ネットのメニューを参考にしながら、冷蔵庫の中にある食材を使って夕食を作った。
明日からは買い物も自分で行こう。いや、家事全般を僕が引き受けた方がいいかもしれない。
停学が解けても学校に戻るかどうかは決めていないし、今は六花との勝負の方がずっと大事だ。練習に文句を言われないためにも、母の機嫌を取っておいて損はないだろう。
シャワーを浴びてから風呂場を掃除し、部屋にも掃除機をかけてから、母の分の夕食にラップをかけて書き置きをした。
――心を入れ替えて、これからは頑張ります。家事も全部、任せてください。
半分は心にもない言葉だが、半分は本気だ。こうしてやるべきことを全て終えると、すぐにベッドに潜り込んだ。明日から早朝練習も始めるから、これからは早く寝なくては。
*
スマホのアラームで目を覚ます。時刻は午前六時。これまで起きたことのない時間だ。予想通り筋肉痛はあったが、動けないほどではない。
さっそくジャージに着替え、入念な準備運動とストレッチをしてから、朝のランニングに出かけた。
もちろん、今日も背中にはバスケットボールが入ったリュックを背負っている。
走っていると、ピロンとポケットのスマホが鳴って、六花からメッセージが届いた。
――空くん、おはよう。昨日は楽しかったね。公園では勝手なことを言ってごめんなさい。でも本気です。今日も夕方に公園で会えるかな? バスケのコーチをしてあげる。
時間は任せると書いてあったので、夕方の五時に公園に行くと返信した。どうやら六花は、本当に毎日付き合ってくれるらしい。
一時間ほど走ったあと、家に戻って朝食の準備をした。
これまで見たこともなかったが、ネットには様々なレシピが溢れている。おかげで料理なんてしたこともない僕でも、三十分足らずで二人分の食事を作ることができた。
「おはよう、空」
「おはよう、母さん」
ちょうど食卓に朝食を並べ終えたところで、母が起きてきた。テーブルに並んだ料理を見て目を丸くしている。
「これ、本当に空が作ったの?」
「ああ。慣れてきたらもう少しまともなものを作るから、今日はこれで辛抱してくれ」
目玉焼き、インスタントの味噌汁、焼いたメザシ、そして千切ったレタスの上にツナを乗せただけのサラダという、簡単なメニューだ。料理と呼ぶのもおこがましいかもしれないが、母は美味しそうに食べてくれた。
「朝ご飯にもびっくりしたけど、ずいぶん明るい顔になったじゃない。何かあったの?」
「何もないよ。ただ心を入れ替えただけだ」
母の機嫌が良いのはありがたいが、面倒なのでその場は適当に誤魔化しておいた。
朝食を終えると、母は仕事に出かけて行った。
「それじゃ、行ってきます。勉強もしておくのよ」
「ああ、わかってる」
そう言って母を送り出したが、中退するかもしれない高校の勉強をする気なんてなかった。
それよりも、今日はやらなければならないことがたくさんある。
午前中に洗濯と買い物を済ませておきたい。食材だけでなく、新しいジャージとランニングシューズも買いに行きたい。特にシューズは重要だ。古い靴を履き続けて膝を痛めたら、練習ができなくなってしまう。
まず洗濯機を回してから家を出た。店が開くまでしばらく時間があるので、先に河川敷までランニングすることにした。そのまま昼前まで練習し、買い物をして帰宅する。
家に戻ると正午を過ぎていたが、すでに体力の限界だったので、少し昼寝をしてから遅い昼食をとった。
昨日の今日で体力なんてつくはずもない。ランニングのペースは相変わらず歩いているのと大差ないし、ドリブルも失敗ばかりだ。
それでも確かな手応えを感じるし、やっていて楽しいと思える。
午後からも練習したかったが、洗濯物を干して掃除をすると、六花との約束の時間が迫っていた。
家事に思いのほか時間がかかってしまった。まあ、これも毎日やっていれば、効率よくこなせるようになるだろう。
急いでシャワーを浴び、新しいジャージの上からジーンズを履いてジャケットを羽織り、バスケットボールが入ったリュックを持って、駆け足で家を出た。