映画が終わると、近くのファミリーレストランに入った。イタリアンが手頃な値段で食べられると評判のお店で、僕はラムステーキセットとピザを、六花はドリアを注文した。
 料理が運ばれてくると、僕の料理がテーブルの大半を占めた。いつものペースで次々と平らげていく僕を見て、六花は驚いたようだった。

「さすがは男の子。いっぱい食べるんだね~」
「男というか、僕は見ての通りのデブだからな。そっちこそ、それだけで足りるのか?」
「うん、これでも多いくらいかな」
 六花はスプーンでドリアを(すく)っては、ふうふうと息を吹きかけて冷まし、ゆっくりと少しずつ食べる。そして上目遣いで僕の顔を見つめた。

「ねえ、“そっち”じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでほしいな」
「ごめん。じゃあ、冬上(ふゆがみ)さん?」
「私は“空くん”って名前で呼んでるんだけど」
「六花さん?」
「男の子は呼び捨ての方がカッコいいよ」
「それ、いいのか……?」

 頭の中で想像しただけで、緊張して喉が渇いてきた。僕はグラスの水をゴクリと一口飲んで、肉を切りながら何気ない風を装って声をかける。

「その……もしかして、六花、は、デザートのためにお腹を()けてるのか?」
「あはは。固いよ、空くん。でも確かに甘い物は好きだけど。よ~し、じゃあケーキセットを注文しちゃおうかな」
 楽しそうにひとしきり笑ってから、六花は上機嫌でメニューに手を伸ばした。

 料理の皿が下げられてデザートが運ばれてくると、今度は僕が六花を見つめる番になった。六花は幸せそうな顔で、運ばれてきたティラミスを食べている。

 小さな手で小さなスプーンを使い、小さなケーキを小さな口に運ぶ。女の子と向かい合っての食事は初めてだが、まるで違う生き物のようだ。

「もう、そんなにじっと見られると食べにくいよ」
「さっきは六花が僕の食べるところを見てたんだから、おあいこだろ?」
「それはそうかもしれないけど、女の子には気を使うものでしょ?」
「それもそうか」
「だからって、よそ見されるのも嫌」
「どうしろって言うんだよ……」

 そこで六花がくすくすと笑い出す。どうやら本気で言っているのではなさそうだ。どこからどこまでが冗談なのか、まるでわからなかったけれど。

「映画、良かったね」
「そうだったかな」
「気に入らなかった?」
「いや、実はあんまり覚えてないんだ」

 正直に白状すると、六花はびっくりしたような顔で僕をまじまじと見つめた。その視線に非難の色はないようだが、ここは弁明が必要かもしれない。

「ごめん。デートなんて初めてで、ちょっと上の空だった」
「ふーん。じゃ、私のことばっかり考えてたとか?」
「否定はしない」
 そう言うと、六花はお腹を抱えて笑い転げた。あっけにとられる僕に向かって、小さくガッツポーズをして見せる。

「やった! デート作戦は大成功だね」
「何の作戦だって?」
「そりゃあもちろん、空くんを私の(とりこ)にしちゃう作戦だよ」
「僕なんかを虜にして、何のメリットがあるんだ?」

 わざと眉をしかめて見せる。そうでもしないと、恥ずかしさとこそばゆさでニヤけてしまいそうだった。僕がそんな表情をしたら、さぞかし気持ち悪いだろう。

「言ったでしょ? 私の目的は、空くんをうんと幸せにすることだって。そのためなら何だってするよ」
 六花は笑ってそう言ってから、ぺろりと小さな舌を出してこう付け足した。
「何しろ出会いが悪かったからね」

 出会いが悪かったとは、自殺を止められたことで僕が怒ったからだろうか。だが、六花に見つかったのは僕のミスだし、怒ったのはただの八つ当たりだ。それよりも……。

「だから僕なんかを幸せにして、六花に何の得があるんだ? 君の目的がわからない。恵まれてる人の余裕からくる(ほどこ)しなのか、とも思ったけど……」

 ずっと心に引っかかっていた疑問がそのまま口に出てしまい、何とも(とげ)のある言い方になってしまった。すぐに後悔して、どう言い訳しようかと考える。
 だが、六花は怒るでも反論するでもなく、沈んだ表情でボソリと言った。

「私は……恵まれてなんかないよ」
「ごめん、口が滑った。でも、本当に何で僕なんかに……」
「その“僕なんか”って言うの、もうやめようよ。空くんのクラスメイトと同じ評価を、空くん自身が下すことないでしょ?」
 それだけ言うと、六花はうつむいたまま黙り込んでしまった。

 失敗したと思った。せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊してしまった。
 最初からわかっていたことじゃないか。僕が六花と釣り合わないことも、誰よりもそう思っているのが僕自身だということも――。

「ごめんなさい。変なこと言っちゃて」
 しばらく沈黙が続いたあと、六花はペコリと頭を下げた。それを見て、僕は慌てて首を横に振る。
「いや、こちらこそごめん。僕が無神経だった。それに、今日が楽しいのは本当なんだ」
「ホント? よかった~。なら、映画の内容を思い出せるように、ネタバレ全開で話してあげるね」

 一瞬で笑顔に戻った六花が、さっき観た映画のストーリーを、まるで観たことがない人に伝えるかのように、身振り手振りを交えて語り始める。
 いや、僕だって登場人物に感情移入するような心の余裕がなかっただけで、あらすじくらいは掴んでいるんだけどな……。
 でも、そんな六花の様子が可愛くて、つい最後まで頷きながら聞いてしまった。

「空くんは、もしもあとひと月で人生が終わってしまうとしたら、どんなことがしたい?」
 映画のストーリーを語り終えた六花が、真面目な顔で問いかける。
「特にやりたいこともないから、死のうとしたんだけどな」
「あ、ごめんなさい……」
「いや僕の方こそ、また暗い話をしてごめん。六花はどうなんだ?」
「うーん……。私、思うんだけどね。何がやりたいかっていうのは、どんな未来が待ってるかによって変わるんじゃないかな」

 六花が言うにはこうだ。例えばお金を稼ぎたいのは、使える未来があるからだと。おしゃれな格好をしたいのは、見せたい相手がいるからだと。

「だからね。もし死という避けられない未来を突きつけられたら、その時に望むのは、きっと今やりたいことではないと思うんだ」
「なるほど。だったら僕への質問も無意味なんじゃないか?」
「あ、そっか。あはは、そうだね」
 六花が楽しそうにコロコロと笑う。

「そんなに面白いこと言ったか?」
「ああ、ごめん。面白いんじゃなくて、嬉しかったの。だって今聞いても無駄ってことは、空くんはもう死ぬつもりはないってことでしょ?」
「そんなのわからないけどな」
「空くんは私が死なせないよ。だからまず、やりたいことを見つけないとね」

 六花の最後の言葉には、不思議と重たい響きがあった。何だか誓いの言葉のように神妙で、僕に言ってるというよりも、自分に言い聞かせているようだった。
 その意味を、僕は初デートの最後に知ることになる。



「空くんは、ゲームとかやるの?」
 レストランを出て少し歩いたところで、六花が不意にそんなことを言った。ちょうど大きなゲームセンターの入り口に差し掛かったところだ。
「やるけど、ゲーセンにはほとんど入ったことないよ。ソシャゲか家庭用ゲーム機ばっかりだから」
 それだって別に得意なわけではない。
「入ってみようよ」
「いいけど、僕に期待しないでくれよ」

 入り口の近くには、一際(ひときわ)大きなダンスゲーム機が置かれていた。これは二人同時にプレイ可能なゲームだ。
 四つのスピーカーと一つのウーファーからは迫力ある音楽が流れており、タップすると床に敷かれたLEDランプが七色に光る。
 ダンスの指示は画面に表示されるが、基本的に自由に踊っていいらしい。

「これ一緒にやらない?」
「やらない」
 質問とほぼ同時に返した僕の答えに、六花が憮然(ぶぜん)とした顔をする。
「ちょっとは考えてよ!」
「僕を笑い者にしたいのか?」
「むぅ~。じゃあ諦める……」

 六花がショボンと肩を落とす。もしかしたら得意なゲームなのかもしれない。
「僕はここで見てるから、六花一人でやっておいでよ」
「それじゃ面白くないじゃない」
 つまらなさそうな六花の横顔を見つめて、僕はギュッと拳を握る。これだけ楽しい思いをさせてもらったのに、こんな顔をさせてはいけない。

「六花が踊っているところを僕は見たい。僕を虜にしてくれるんじゃなかったのか?」
「それ、今言うのズルいから」
 少し声が上擦(うわず)ってしまった気がするけど、思ったよりさらりと言えた。六花は文句を言いながらもまんざらでもない様子で、いそいそと硬貨を投入する。すぐにマシンは動き出した。

 その衝撃的な光景を、僕は一生忘れられないだろう。

 重低音が腹に響き、リズムが弾け、光が踊る。黒髪が花のように舞って、すらりとした手足が変幻自在なリズムを刻む。
 言葉の使い方がおかしいのはわかってる。それでも、僕にはそう見えた。
 意外と鍛えているのかもしれない――今朝チラリとそう思ったけど、どうやらその直感は正しかったらしい。

 やがて曲が終わりを迎え、六花が満面の笑みでポーズを決める。途端に歓声と拍手が沸き起こって、僕は驚いて辺りを見回した。
 僕には六花しか見えていなかったけど、いつの間にか彼女の周囲に数名の人だかりができていたんだ。
 少しも不思議なことではなかった。それだけ踊っている六花は、キラキラと輝いていた。

「お疲れさま、見事だったよ」
「ありがとう、楽しかった~。次に来た時は、空くんも一緒に踊ろうね」
「前向きに検討しておく」
「もう!」
 マシンを降りた六花が、当たり前のように腕を絡ませてくる。周囲の視線が気になったけど、もうここまできたら気にしないことにした。

 それから六花に誘われるままにいくつかのゲームをやったり、クレーンゲームでぬいぐるみを狙ったりした。結果はまあ、散々なものだったけれど。

「ねっ、空くん。最後にプリ機やろうよ」
「やらない」
「だから即答しないで!」
 六花がむぅっと頬を膨らませる。ちなみにプリ機とはプリントシール機の略称で、小さな写真シールを作るマシンだ。

「僕の顔を写真に残すなんて、どんな罰ゲームだよ」
 そっけなく答えて、プリ機の前を通り過ぎようとする。ただですら六花の横に僕が立っているのは不釣り合いなのに、わざわざ写真に残してどうするんだ。
 だが、六花はダンスゲーム機の時とは違って、なかなか諦めてくれなかった。

「大丈夫だって! シールなら小さくて目立たないし、初デートの記念に、ね?」
「記念は写真じゃなくてもいいだろ」
「そんなこと言わないで、ねっ?」
 とうとう六花は立ち止まって、頑として動かなくなってしまった。仕方がないので奥の手を使うことにする。

「それなら六花だけで撮ってきなよ。お金なら僕が出すから」
「空くんは、私の写真がほしいの?」
「そりゃあ、六花みたいに可愛い女の子の写真は誰でもほしいよ」
「えへへ、私って可愛いんだ。でも、それじゃ私の記念にはならないしな〜」
「そんなこと言われても」
「一緒に撮ったら私の写真も付いてくるんだから、ねっ?」
「僕の写真が邪魔なんだが……」

 そうは言いつつも最後には根負けして、僕は六花と一緒にしぶしぶプリ機に入った。
 六花はノリノリで可愛くデコレーションしたが、そうするほどに僕と彼女の不釣り合いさが浮き彫りになっていく。僕としてはスマホの写真以上に、プリ機の持つカップル感が嫌だった。

「黒歴史だ……」
 落ち込む僕に対して六花はニコニコと上機嫌で、その顔を見ていたら僕も諦めがついた。まあ、彼女が楽しいならそれでいい。

 ゲームセンターを最後に、僕と六花は帰りの電車に乗った。
 時刻はまだ午後二時を過ぎたばかり。そろそろ帰ろっか、と六花が言い出した時には早すぎると思ったが、電車に乗ってみると僕も疲れていることに気がついた。これは体の疲れというより、気疲れだろう。

 初めて女の子とこんなに長い時間を一緒に過ごした上に、ずっと周りからの視線を気にしていたのだから無理もない。
 その日一日、六花は常に僕と腕を組んだり手を繋いだりしていたが、電車に乗ってからは少し距離を取るようになった。ひょっとしたら、彼女も知り合いに見られるのを警戒していたのかもしれない。