連続で得点しているので、今回も六花の攻撃だ。まずは――この流れを断ち切る！
六花がドリブルを開始する。さっきとはまるで違う高速ドリブルだ。僕が進路を遮ると、彼女は一瞬の迷いもなく、右前方に大きくボールを押し出した。これは……プッシュクロスか？
僕は六花の右側に踏み込み、ボールを奪いにかかる。しかし、それは罠だった。彼女は僕を引きつけてから、右に投げたボールを左手で素早く引き寄せ、一瞬で進路を変える。そしてガラ空きとなった左側を、高速のドリブルで駆け抜けた。
この動き……会得には至らなかったが、何度か成瀬に見せてもらったことがある。アメリカの天才ボールハンドラーが得意とする技――シャムゴッド！ プッシュクロスと似ているが、あれが方向転換と加速で抜く技ならば、シャムゴッドは絶妙なボール捌きでディフェンダーを翻弄するテクニックだ。
六花は、僕の反対側からゴールを目指す。ならば――！
「これで三点目……」
「させるかよ！」
ゴールめがけてシュートを放つ六花の手に、僕の手が重なるように伸びる。指先がボールにギリギリ届いて、その軌道をゴールポストからわずかに逸らした。
「えっ？ 確かに抜いたのに……」
「ああ、見事に抜かれた。だから六花を追うんじゃなくて、そのままゴールに向かったんだ」
シャムゴッドを成功させた六花は、左回りにゴールを目指した。その反対側に飛び出した僕は、六花とは逆のルート、つまり右回りでゴールに駆けつけたというわけだ。
簡単そうに聞こえるが、一度抜かれた以上、普通ならば間に合わない。もし相手が成瀬だったら、とても追いつけなかっただろう。僕と六花とのフィジカルの差、つまり圧倒的なリーチと身体能力の差に助けられた。
こうして攻撃権が僕に戻ってきた。ここで流れを変えるために、まずは一点返しておきたい。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら深呼吸する。反撃ののろしを上げるのに、うってつけの技があるんだ。
スタートラインに戻り、ドリブルを始める。その瞬間、僕の世界はゴールと六花、ただ二つだけになった。
六花のディフェンスが迫ってくる。この変幻自在なハードルを超えて、僕はただひたすらにゴールを目指す！
一歩目、左に素早くステップを踏む。二歩目で右へ行くと見せかけてさらに左、六花の脇を抜けられる位置へ。そして次の瞬間、左に意識の向いた彼女を置き去りにして、一気に右へと進路を切り替える。逆を突いた二歩目のステップに六花の反応がわずかに遅れ、その体が左に流れた。
「今だ！」
ここぞとばかりに加速する。六花が追いすがるも、もう止められない。僕はゴールまで一直線に駆け抜け、高々とジャンプした。空中でボールを構えたまま、時間が止まったかのような感覚。その一瞬後、そっと置くように放ったボールがリングを通過し、ネットが揺れる。
「今のって、ユーロステップ？」
「ああ、これで二対二だ！ ここから巻き返す」
次はもう一度クロスジャブを仕掛けるが、今度は六花に読まれて潰された。
今日のために必死で覚えた高等テクニックなんだが……二度とは通じないって厳しすぎないか？ 仕方なく、すぐにジェイルに切り替えてボールをキープする。
六花の進路に足を置いて動きを封じ、ボールを持っていない方の手、オフハンドで彼女が動こうとする方向を遮って、その動きを牽制する。相手を囲い込んでボールから完全に遮断するこの技だが、今では成瀬が相手でも通用するくらいに上達している。
「足……ながっ」
時には体当たりするように、時には背中に乗りかかるように、六花が状況を打破しようと、ファウル寸前のプレッシャーをかけてくる。
それらを跳ね除けながら、ジェイルを崩さずに少しずつ前進する。するとゴール下に到達する前に、彼女が足を滑らせてバランスを崩した。
すかさずスリーポイントシュートを放つ。ボールは大きく弧を描いて、ゴールネットを揺らした。
「どうだ！ これで四対二、勝ち越しだ」
「お見事、空くん！」
そう言った六花の呼吸がわずかに乱れている。いつの間にか額には大粒の汗も浮かんでいた。
成瀬の読み通り、大柄な選手との激しい攻防は、彼女にとっては大きく体力を消耗するらしい。
その後は一進一退の攻防が続いた。
次の一点は僕が取り、六花がスリーポイントシュートで巻き返す。続けて六花が二点取って、僕がレイアップで追いつく。これでスコアは六対六。
「はあ、はあ、はあ……強くなったね、空くん」
「一応聞いておくが、まだ手加減してるなんて言わないよな？」
「とっくに全開だよ……。でも、見せてない技ならあるかな？」
次も僕の攻撃だ。このまま一気に勝負を決めたかったが、突然、六花の動きに鋭さが戻った。一瞬の隙を突いたスティールで僕からボールを奪い、リスタートとなる。
攻撃に転じた六花が、素早くドリブルで駆け上がる。僕がその前に立ちはだかると、彼女はさらに加速し、体当たりするかのように急接近してきた。僕はとっさに足を止め、その直後、今の動きが罠だったことを悟る。
「しまった……！」
六花は一切減速せずに足を止め、次の瞬間には軽やかにバックステップで下がり、そしてまた突如、高速で前進する。慣性を感じさせないほどスムーズな縦方向のフェイントだ。僕は予期しない急な動きについていけず、体勢を崩して前のめりになる。
六花がその一瞬を逃すはずがない。彼女は軽やかなステップで二歩下がると、流れるようなスリーポイントシュートを放った。僕は必死で腕を伸ばして軌道を塞ごうとしたが、間に合わない。ボールは高々と弧を描き、ストンとゴールに吸い込まれた。
「今のはステップ・バック・ショットね。これで八対六。あとスリーポイント一つで終わりだよ」
驚愕のあまり、僕は言葉も出せなかった。
もちろん、知識としては知っている。だが、この技をここで目の当たりにするなんて。あの成瀬でさえ実戦ではまだ使ったことがない、プロでも難しい超高等技術なのに。
あらためて、目の前にいる相手が誰なのかを思い出す。
かつて「雪の女王」と恐れられ、中学女子バスケで日本の頂点に立った天才プレーヤー、冬上六花。彼女は今でも女王のごとき、絶対的な力を持っているんだ。
「チェックメイトか……」
もうあとがない。再びドリブルを始めた彼女の前に立ちはだかり、頭をフル回転させながら反射神経を研ぎ澄ます。
この二か月間、成瀬に何十種類もの技の対策を教わってきたが、やればやるほど、彼女の技のレパートリーには底がないように思えてくる。
これがバスケを辞めて二年も経つ選手の動きなのか？ 高校男子強豪チームのレギュラーの中でも上位クラス。そんな成瀬ですら、ついて行けないレベルの女子中学選手なんてあり得るのか？
十分な対策を立ててきたつもりなのに――甘かったのか。
六花が動く。右にジャブを振ったあと、左にクロスステップを踏む。一瞬の停止を見計らってボールを奪いに向かうが、それは緩急の罠だった。
彼女の絶妙なタイミングでの急停止と加速に、僕はついていけず、足が止まってしまった。六花は素早く方向を変えて、左から一気に抜き去る。
「せめて、スリーポイントシュートは打たせない！」
もつれた足を無理やり立て直し、六花を追いかけようとしたその時だった。
遥か前を駆けていたはずの六花の背中が、突然大きくなったと思ったら、その華奢な体が僕の胸に飛び込んできた。慌てて彼女を支えると、手から離れたボールが小さな土埃を立ててコートの上を転がった。
「六花！ 大丈夫かっ？」
「ごめん、足が滑っちゃった」
六花はすぐに起き上がると、恥ずかしそうにぺろりと舌を出した。
「怪我をしたわけじゃないんだな？」
「うん、大丈夫。これでまた、空くんがオフェンスだね」
そう、彼女の不運を喜ぶのは悪いけど、これで攻撃権がこちらに回ってきた。このチャンスを活かせなければ、僕の勝利は絶望的だ。
六花が転んだのは、足に疲労がきているからだろう。だとすれば、あの技が有効なはず。
スタートラインに戻るや否や、僕は全力で切り込んだ。クロスオーバーで右から左、そしてすぐに左から右前方へボールを押し出す。六花の左脇をすり抜けたボールに瞬時に追いつき、右手でキャッチする。チラリと彼女に視線を向けるが、やはり付いて来られないらしく、反応が遅れている。
「抜いた！」
今のは、六花が得意としているプッシュクロスを真似たものだ。そのままゴール下まで一気に突っきり、レイアップシュートを決める。これでスコアは七対八だ。
疲労で六花の動きが単調になってきている。今がチャンスだ。
最初にステップでリズムを作ってから、一気に加速して直線的にゴールに向かう。
六花は僕がドリブルで突破してくると踏んで、後退しながらゴール下を守る。そうだよな、走る距離を減らすにはそれしかない。
だが、僕はスリーポイントラインの手前で急ブレーキをかけた。全速力から急に止まったので体のバランスが崩れているが、僕は構わずシュートの体勢に入る。これも成瀬から教わった切り札の一つ――速攻からのスリーポイントシュート。途方もない練習の日々の成果を、この一投に懸ける。
「入れ……！」
歯を食いしばり、ぐらつく足元に懸命に力を入れて堪える。この状態で成功する確率は果たして何割か……。しかし、幸運にもそのシュートはゴールに吸い込まれた。
「よし！ これで九対八」
「今度は私がチェックメイトかぁ……。よし、次は止めなきゃ」
六花がスタートラインまでゆっくりと戻りながら、不敵な笑みを浮かべる。疲労は見えるが、彼女はまだ実力の底を見せていない。このまま攻撃権を渡せば、もう止められる自信はない。だからこそ、ここで決めるしかない――僕が今まで一度も使っていない、そして一度は使いたいと思っていた、とっておきの技で。
何度目かわからないリスタート。僕はあえてゆっくりと六花に近づき、ドリブルのリズムを乱して彼女の注意を引きつける。六花が注意力を総動員して、僕の次の動きを読み取ろうとしているのがわかる。よし、これで準備は整った。
成瀬から口酸っぱく言われてきたコツを、もう一度思い起こす。
重心は低く、モーションは大きく、動きは速く。そして常にテンポを変化させる！
右手でドリブルを続けながら、瞬時に加速する。六花が反応すると同時に、ボールを右手で大きく前に押し出した。これは右へドライブすると思わせるフェイントだ。狙い通り、六花は反射的に右へ体重を移した。
「今だ！」
即座にボールを左手にスイッチし、足を踏み込み、体全体で一気に左へ切り返す。
右から左へ――これがあの、ジ・アンサーと呼ばれた伝説のプレイヤーが編み出した、クロスオーバーの進化形。その名もアイバーソン・クロスオーバーだ！
六花が得意としているクロスオーバーを、自分でも上手く使えるようになりたくて、僕は成瀬に指導を頼んだ。成瀬は基本を叩き込んでくれてから、せっかくならこの決戦の切り札の一つにと、その上位技を教えてくれた。
この技を生み出したのは、NBA史上最も偉大なボールハンドラーと称えられた選手。彼は小柄というハンデを跳ね除けNBAシーズンMVPを受賞し、得点王に四度輝いた。もしかしたら、六花も彼のような選手になりたいと思ってクロスオーバーを磨いたのかもしれない。そんな彼女への敬意を込めて、僕はあえてこの技で六花に勝つ！
「もらった！」
六花の体重が完全に右に寄っている隙を見逃さず、僕は一気に彼女を抜き去った。無人のゴールが目の前に広がる。冷静にレイアップシュートを放ち、最後の得点を決めた。
「勝った……！」
声に出しても、まだ信じられない。現実感は足下からやってきて、じわじわと体を満たしていく。
僕が勝った――その喜びを抑えきれず、思わず大きくジャンプした。着地すると同時に、僕はどかっとコートに座り込み、そのまま仰向けに寝転がった。
これまでコートしか見えていなかった視界に、様々な色が飛び込んでくる。
公園の木々やベンチ、フェンス。澄みきった空と真っ白な雲。そして――。
「おめでとう、空くん」
ひょい、と六花が真上から僕の顔を覗き込んだ。まだ荒い息を吐き、タオルで汗を拭っているその顔は、僕が見たかった嬉しそうな笑顔だ。
「ありがとう、六花」
僕は立ち上がって彼女の手を取ると、二人でゆっくりといつものベンチへと向かった。
これから――大事な話があるんだ。
六花がドリブルを開始する。さっきとはまるで違う高速ドリブルだ。僕が進路を遮ると、彼女は一瞬の迷いもなく、右前方に大きくボールを押し出した。これは……プッシュクロスか？
僕は六花の右側に踏み込み、ボールを奪いにかかる。しかし、それは罠だった。彼女は僕を引きつけてから、右に投げたボールを左手で素早く引き寄せ、一瞬で進路を変える。そしてガラ空きとなった左側を、高速のドリブルで駆け抜けた。
この動き……会得には至らなかったが、何度か成瀬に見せてもらったことがある。アメリカの天才ボールハンドラーが得意とする技――シャムゴッド！ プッシュクロスと似ているが、あれが方向転換と加速で抜く技ならば、シャムゴッドは絶妙なボール捌きでディフェンダーを翻弄するテクニックだ。
六花は、僕の反対側からゴールを目指す。ならば――！
「これで三点目……」
「させるかよ！」
ゴールめがけてシュートを放つ六花の手に、僕の手が重なるように伸びる。指先がボールにギリギリ届いて、その軌道をゴールポストからわずかに逸らした。
「えっ？ 確かに抜いたのに……」
「ああ、見事に抜かれた。だから六花を追うんじゃなくて、そのままゴールに向かったんだ」
シャムゴッドを成功させた六花は、左回りにゴールを目指した。その反対側に飛び出した僕は、六花とは逆のルート、つまり右回りでゴールに駆けつけたというわけだ。
簡単そうに聞こえるが、一度抜かれた以上、普通ならば間に合わない。もし相手が成瀬だったら、とても追いつけなかっただろう。僕と六花とのフィジカルの差、つまり圧倒的なリーチと身体能力の差に助けられた。
こうして攻撃権が僕に戻ってきた。ここで流れを変えるために、まずは一点返しておきたい。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら深呼吸する。反撃ののろしを上げるのに、うってつけの技があるんだ。
スタートラインに戻り、ドリブルを始める。その瞬間、僕の世界はゴールと六花、ただ二つだけになった。
六花のディフェンスが迫ってくる。この変幻自在なハードルを超えて、僕はただひたすらにゴールを目指す！
一歩目、左に素早くステップを踏む。二歩目で右へ行くと見せかけてさらに左、六花の脇を抜けられる位置へ。そして次の瞬間、左に意識の向いた彼女を置き去りにして、一気に右へと進路を切り替える。逆を突いた二歩目のステップに六花の反応がわずかに遅れ、その体が左に流れた。
「今だ！」
ここぞとばかりに加速する。六花が追いすがるも、もう止められない。僕はゴールまで一直線に駆け抜け、高々とジャンプした。空中でボールを構えたまま、時間が止まったかのような感覚。その一瞬後、そっと置くように放ったボールがリングを通過し、ネットが揺れる。
「今のって、ユーロステップ？」
「ああ、これで二対二だ！ ここから巻き返す」
次はもう一度クロスジャブを仕掛けるが、今度は六花に読まれて潰された。
今日のために必死で覚えた高等テクニックなんだが……二度とは通じないって厳しすぎないか？ 仕方なく、すぐにジェイルに切り替えてボールをキープする。
六花の進路に足を置いて動きを封じ、ボールを持っていない方の手、オフハンドで彼女が動こうとする方向を遮って、その動きを牽制する。相手を囲い込んでボールから完全に遮断するこの技だが、今では成瀬が相手でも通用するくらいに上達している。
「足……ながっ」
時には体当たりするように、時には背中に乗りかかるように、六花が状況を打破しようと、ファウル寸前のプレッシャーをかけてくる。
それらを跳ね除けながら、ジェイルを崩さずに少しずつ前進する。するとゴール下に到達する前に、彼女が足を滑らせてバランスを崩した。
すかさずスリーポイントシュートを放つ。ボールは大きく弧を描いて、ゴールネットを揺らした。
「どうだ！ これで四対二、勝ち越しだ」
「お見事、空くん！」
そう言った六花の呼吸がわずかに乱れている。いつの間にか額には大粒の汗も浮かんでいた。
成瀬の読み通り、大柄な選手との激しい攻防は、彼女にとっては大きく体力を消耗するらしい。
その後は一進一退の攻防が続いた。
次の一点は僕が取り、六花がスリーポイントシュートで巻き返す。続けて六花が二点取って、僕がレイアップで追いつく。これでスコアは六対六。
「はあ、はあ、はあ……強くなったね、空くん」
「一応聞いておくが、まだ手加減してるなんて言わないよな？」
「とっくに全開だよ……。でも、見せてない技ならあるかな？」
次も僕の攻撃だ。このまま一気に勝負を決めたかったが、突然、六花の動きに鋭さが戻った。一瞬の隙を突いたスティールで僕からボールを奪い、リスタートとなる。
攻撃に転じた六花が、素早くドリブルで駆け上がる。僕がその前に立ちはだかると、彼女はさらに加速し、体当たりするかのように急接近してきた。僕はとっさに足を止め、その直後、今の動きが罠だったことを悟る。
「しまった……！」
六花は一切減速せずに足を止め、次の瞬間には軽やかにバックステップで下がり、そしてまた突如、高速で前進する。慣性を感じさせないほどスムーズな縦方向のフェイントだ。僕は予期しない急な動きについていけず、体勢を崩して前のめりになる。
六花がその一瞬を逃すはずがない。彼女は軽やかなステップで二歩下がると、流れるようなスリーポイントシュートを放った。僕は必死で腕を伸ばして軌道を塞ごうとしたが、間に合わない。ボールは高々と弧を描き、ストンとゴールに吸い込まれた。
「今のはステップ・バック・ショットね。これで八対六。あとスリーポイント一つで終わりだよ」
驚愕のあまり、僕は言葉も出せなかった。
もちろん、知識としては知っている。だが、この技をここで目の当たりにするなんて。あの成瀬でさえ実戦ではまだ使ったことがない、プロでも難しい超高等技術なのに。
あらためて、目の前にいる相手が誰なのかを思い出す。
かつて「雪の女王」と恐れられ、中学女子バスケで日本の頂点に立った天才プレーヤー、冬上六花。彼女は今でも女王のごとき、絶対的な力を持っているんだ。
「チェックメイトか……」
もうあとがない。再びドリブルを始めた彼女の前に立ちはだかり、頭をフル回転させながら反射神経を研ぎ澄ます。
この二か月間、成瀬に何十種類もの技の対策を教わってきたが、やればやるほど、彼女の技のレパートリーには底がないように思えてくる。
これがバスケを辞めて二年も経つ選手の動きなのか？ 高校男子強豪チームのレギュラーの中でも上位クラス。そんな成瀬ですら、ついて行けないレベルの女子中学選手なんてあり得るのか？
十分な対策を立ててきたつもりなのに――甘かったのか。
六花が動く。右にジャブを振ったあと、左にクロスステップを踏む。一瞬の停止を見計らってボールを奪いに向かうが、それは緩急の罠だった。
彼女の絶妙なタイミングでの急停止と加速に、僕はついていけず、足が止まってしまった。六花は素早く方向を変えて、左から一気に抜き去る。
「せめて、スリーポイントシュートは打たせない！」
もつれた足を無理やり立て直し、六花を追いかけようとしたその時だった。
遥か前を駆けていたはずの六花の背中が、突然大きくなったと思ったら、その華奢な体が僕の胸に飛び込んできた。慌てて彼女を支えると、手から離れたボールが小さな土埃を立ててコートの上を転がった。
「六花！ 大丈夫かっ？」
「ごめん、足が滑っちゃった」
六花はすぐに起き上がると、恥ずかしそうにぺろりと舌を出した。
「怪我をしたわけじゃないんだな？」
「うん、大丈夫。これでまた、空くんがオフェンスだね」
そう、彼女の不運を喜ぶのは悪いけど、これで攻撃権がこちらに回ってきた。このチャンスを活かせなければ、僕の勝利は絶望的だ。
六花が転んだのは、足に疲労がきているからだろう。だとすれば、あの技が有効なはず。
スタートラインに戻るや否や、僕は全力で切り込んだ。クロスオーバーで右から左、そしてすぐに左から右前方へボールを押し出す。六花の左脇をすり抜けたボールに瞬時に追いつき、右手でキャッチする。チラリと彼女に視線を向けるが、やはり付いて来られないらしく、反応が遅れている。
「抜いた！」
今のは、六花が得意としているプッシュクロスを真似たものだ。そのままゴール下まで一気に突っきり、レイアップシュートを決める。これでスコアは七対八だ。
疲労で六花の動きが単調になってきている。今がチャンスだ。
最初にステップでリズムを作ってから、一気に加速して直線的にゴールに向かう。
六花は僕がドリブルで突破してくると踏んで、後退しながらゴール下を守る。そうだよな、走る距離を減らすにはそれしかない。
だが、僕はスリーポイントラインの手前で急ブレーキをかけた。全速力から急に止まったので体のバランスが崩れているが、僕は構わずシュートの体勢に入る。これも成瀬から教わった切り札の一つ――速攻からのスリーポイントシュート。途方もない練習の日々の成果を、この一投に懸ける。
「入れ……！」
歯を食いしばり、ぐらつく足元に懸命に力を入れて堪える。この状態で成功する確率は果たして何割か……。しかし、幸運にもそのシュートはゴールに吸い込まれた。
「よし！ これで九対八」
「今度は私がチェックメイトかぁ……。よし、次は止めなきゃ」
六花がスタートラインまでゆっくりと戻りながら、不敵な笑みを浮かべる。疲労は見えるが、彼女はまだ実力の底を見せていない。このまま攻撃権を渡せば、もう止められる自信はない。だからこそ、ここで決めるしかない――僕が今まで一度も使っていない、そして一度は使いたいと思っていた、とっておきの技で。
何度目かわからないリスタート。僕はあえてゆっくりと六花に近づき、ドリブルのリズムを乱して彼女の注意を引きつける。六花が注意力を総動員して、僕の次の動きを読み取ろうとしているのがわかる。よし、これで準備は整った。
成瀬から口酸っぱく言われてきたコツを、もう一度思い起こす。
重心は低く、モーションは大きく、動きは速く。そして常にテンポを変化させる！
右手でドリブルを続けながら、瞬時に加速する。六花が反応すると同時に、ボールを右手で大きく前に押し出した。これは右へドライブすると思わせるフェイントだ。狙い通り、六花は反射的に右へ体重を移した。
「今だ！」
即座にボールを左手にスイッチし、足を踏み込み、体全体で一気に左へ切り返す。
右から左へ――これがあの、ジ・アンサーと呼ばれた伝説のプレイヤーが編み出した、クロスオーバーの進化形。その名もアイバーソン・クロスオーバーだ！
六花が得意としているクロスオーバーを、自分でも上手く使えるようになりたくて、僕は成瀬に指導を頼んだ。成瀬は基本を叩き込んでくれてから、せっかくならこの決戦の切り札の一つにと、その上位技を教えてくれた。
この技を生み出したのは、NBA史上最も偉大なボールハンドラーと称えられた選手。彼は小柄というハンデを跳ね除けNBAシーズンMVPを受賞し、得点王に四度輝いた。もしかしたら、六花も彼のような選手になりたいと思ってクロスオーバーを磨いたのかもしれない。そんな彼女への敬意を込めて、僕はあえてこの技で六花に勝つ！
「もらった！」
六花の体重が完全に右に寄っている隙を見逃さず、僕は一気に彼女を抜き去った。無人のゴールが目の前に広がる。冷静にレイアップシュートを放ち、最後の得点を決めた。
「勝った……！」
声に出しても、まだ信じられない。現実感は足下からやってきて、じわじわと体を満たしていく。
僕が勝った――その喜びを抑えきれず、思わず大きくジャンプした。着地すると同時に、僕はどかっとコートに座り込み、そのまま仰向けに寝転がった。
これまでコートしか見えていなかった視界に、様々な色が飛び込んでくる。
公園の木々やベンチ、フェンス。澄みきった空と真っ白な雲。そして――。
「おめでとう、空くん」
ひょい、と六花が真上から僕の顔を覗き込んだ。まだ荒い息を吐き、タオルで汗を拭っているその顔は、僕が見たかった嬉しそうな笑顔だ。
「ありがとう、六花」
僕は立ち上がって彼女の手を取ると、二人でゆっくりといつものベンチへと向かった。
これから――大事な話があるんだ。
