翌日は始業式で、僕は高校二年生になった。
 始業式の日でも朝練はある。僕はクラス分けの掲示を眺めてから、いつものように体育館に向かった。成瀬とは今年も同じクラスだ。

 朝練を終えて校舎に入ろうとすると、今日から使う靴箱の中に、可愛らしい封筒が入っていた。
 表には丸っこい文字で僕の名前が、裏には差出人の名前が書かれている。それは、一年の時に同じクラスだった女子の名前だった。あらためてクラス分けを確認すると、彼女も同じクラスらしい。

「またか。今度はどういうつもりだ?」
 始業式からイタズラなんて仕掛けるだろうか? でも、今こうしている間にも、どこかから見られているかもしれない。
 だったらコソコソしないで堂々としていようと、あえてその場で封を切った。

――どんどんカッコよくなるあなたが好きになりました。よかったらお付き合いしてください。放課後、校舎の裏で待っています。

「いや、同じクラスだったんだから、彼女は僕が停学になったことも、その理由も知ってるはずだろ。これが本当にイタズラなら度が過ぎるぞ……」
 そうつぶやいたものの、不思議と怒りは湧いてこなかった。こんな手紙、この場で破り捨てたっておかしくはないのに。

 停学のきっかけとなったあの悪質なイタズラを、いつの間にか許してしまっている自分に驚く。あれからまだ半年も経っていないが、その後の生活がすっかり変わってしまったせいか、僕の中であの事件はもう過去の出来事になっていた。

 教室に入ると、ほとんどの生徒が席に着いていた。一年生の時に同じクラスだった人も結構いるな……そう思いながらぐるりと教室を見回すと、一人の女子と目が合った。靴箱に入っていた手紙の送り主だ。
 目が合った途端に彼女が真っ赤になって顔を伏せたので、僕も慌てて視線を逸らす。

 あの様子では、とてもイタズラとは思えない。でも一応、確認はしておこうか。
「ちょっといいか? 聞きたいことがある」
 僕は成瀬を見つけて小声で話しかけ、教室の外に連れ出した。

「何だ? 用があるなら朝練の時に言えばよかったのに」
 教室の前の廊下で、成瀬は怪訝(けげん)な顔で僕と向かい合った。始業のベルまで、あとわずかしかない。
「いや、ついさっきできた用件だ。お前、まさかまたドッキリとか考えてないだろうな?」
「あの時のことなら謝ったろう? もう二度としない」

 そう答えてから、「何かあったのか?」とばかりに成瀬が視線を向けてくる。ラブレターをもらった、と自分から言うのも恥ずかしくて、言葉を(にご)す。すると成瀬は何を思ったのか、妙に自信たっぷりの様子で言った。

「何があったのかは知らないが、今のお前にそんなことするヤツはいないと思うぞ?」

 お前が言うな、と思わなくもないが、そう言われてみれば、確かにあの頃とは色々と変わったと思う。
 バスケ部に正式に入部した頃からだろうか、クラスメイトからの嫌悪の視線を感じなくなった。コソコソとささやかれていた悪口も、いつの間にか聞こえなくなっていた。ずっとバスケのことばかり考えているから、気がついていないだけかもしれないけど。

「そうか、悪かった。それともう一つ話がある。部活が終わったあとに、ちょっといいか?」
「込み入った話か?」
「まあ、それなりにな」
「だったら帰りにどこか寄っていくか」
「そうだな。(おご)らせてもらうよ」
 いつの間にか、成瀬とはこんな風に話せる仲になっていた。

 放課後になると、僕は部活に行く前に校舎の裏に向かった。
 手紙の送り主は、どちらかと言うと地味な印象の子で、僕はこれまで彼女とほとんど口をきいたことがない。いや、彼女に限ったことじゃないな。クラスの女子とは、誰とも挨拶すらまともに交わしたことがないんだから。

 指定の場所に着くと、彼女は先に来て待っていた。念のため周囲を見回したが、誰かが隠れている様子はない。
「あの……来てくれてありがとう。手紙、読んでくれた?」
「ああ」
 そもそも読んでなければ、ここには来られない。読んだかどうかではなくて、考えてくれたのか、という意味だろう。

「悪いけど、僕には付き合ってる人がいるんだ。だから、君の気持ちには応えられない。ごめん」
「そうだったんだ。わかりました、ごめんなさい!」
 早口でそう言うと同時に、彼女はさっと頭を下げて回れ右をした。そのまま走り去ろうとする背中に向かって、僕は慌てて声をかける。

「ちょっと待って!」
「えっ?」
 立ち止まった彼女に、僕は手に持っていた封筒を見せた。
「この手紙、もらってもいいかな? だめなら返すけど」
「そんなもの、もらってどうするの? まさか、誰かに見せるつもりじゃ……」
「違う! これが生まれて初めてもらったラブレターだから、記念に持っておきたいんだ」

 不安そうな彼女の顔を見て、思わず叫ぶようにそう言ってしまった。我ながら恥ずかしいことを言ったと思ったが、どうやら悪くは受け取られなかったらしい。
 彼女は一瞬驚いた顔をしてから、フッと柔らかく微笑んだ。

「フフ……意外とロマンチストなんだ。彼女さんには見つからないようにね」
 少し悪戯っぽい口調でそう言って、彼女は今度こそ軽やかに走り去る。
「本当にイタズラじゃなかったんだな……」
 疑ったりして悪かったな、と反省する。せめてこの手紙は大切にしようと思った。

 さあ、急がないと部活に遅れる。校舎裏から体育館に向かって走りながら、僕は何だか不思議な気持ちになっていた。

 ほんの数ヶ月前まで、僕はクラスのみんなから嫌われていた。それは確かだ。
 それがいつの間にか、嫌悪の視線も悪口もなくなって、それどころかクラスメイトの女の子から告白までされてしまった。

 そういえば遊園地に行った時も、六花(りっか)の知り合いに容姿を()めてもらえたっけ。
 僕の人生でそんな経験ができるなんて思ってもみなかったけど、もともと身長は高い方だったし、体重が落ちて腹筋も割れつつあるから、見た目も前より良くなっているんだろう。私服も最近は六花に選んでもらっているから、格段にセンスが良くなっているんだろう。

 バスケ部では、成瀬が言うには、僕はレギュラー候補として期待されているらしい。毎日必死で練習しているのは個人的な理由だが、部内での評価もずいぶんと上がっているようだ。
 家では、家事を率先して行うようになったことで、以前はギスギスしていた母との関係も改善されつつある。
 全てが――異様なまでに順調だった。

――私は空くんに幸せになってほしいの。

 六花の言葉を思い出す。どうして僕にバスケをさせようと思ったのかと尋ねた時の、彼女の答えだ。
 もしかしたら今の状況が、あの時の六花の言葉の意味なのかもしれない。バスケが上手くなれば、僕を取り巻く全ての環境が変わる。それが、六花が僕にバスケをさせようとした最大の理由なんだろう。

「だけど……僕がバスケをやる理由は、そうじゃないんだ」
 勝負に負けて六花を失ってしまえば、それ以外の人との関係がどう変わろうと、僕にとっては何の意味もない。
「だから今は、とにかく上手くなることだ!」
 そうつぶやいて、より一層足を速めた。そのために必要な手は、もう考えてある。