20歳すぎた頃の私は、街中を歩いている時のヘッドフォンの音が途切れる瞬間が好きだった。混雑するBluetoothが、孤独ではないことを教えてくれるから。その反対に、音量を耳が痛くなる手前まで上げて、一人の世界になることも好きだった。周りの音が聞こえない恐怖と、見えてくる人間の心理に、日々心を躍らせ、休みの日には一人散歩が頻繁に行われていた。

好きな食べ物はうどん。脂っこいものに弱くなり、ヘルシーな味を好むようになった。夏バテも昔より酷く、夏の間はほとんどうどんしか口にしなかったし、必要最低限の外出しかしなかった。体型は学生時代に培った筋肉が衰え、妙に女性らしくなったし、肌荒れも治りにくい。一気に大人の扉を潜ってしまったような気がして、納得がいかなかった。

手放せない物は、幼い頃に作ったオルゴールだった。不器用な見た目に反して、音はしっかりしている。ネジを巻くと、いつでも同じ音で同じ時間が流れる。それがまるで古い記憶を辿っているようで心地いい。でも壊れてしまったら、もう二度と同じ音は聞けない。触れようとすると破片が刺さって傷つくだけだ。見た目だってオシャレではないし、部屋の中で浮いている存在なのに、どうしても手放せない。なぜなら、簡単に捨てれてしまったら、大切にしてきた頃の私自身が否定されていることになる気がするからだ。昔の物なんて、持っていても仕方がないのに。

手放せない物と言えば、もう一つあった。それは数年前の自分自身。良く、卒業のタイミングで友達から手紙をもらったり、クラスメイトから寄せ書きをしてもらったりした。そのメッセージの中の自分が、自分の知っている自分自身とピッタリ重なる人は、いったいどれくらいいるのだろう。色んな人からの色んな言葉を読み、毎回頭をよぎる言葉は「誰のこと言ってるの?」だった。

みんなから見て私は、頼り甲斐のあるお姉さん。落ち着いていてしっかりしているから、一人でも生きていけそうとか、つい頼りたくなる、そんな存在だった。人間は歳を重ねる毎に悩みが増えていく生き物で、恋愛に進路、仕事に友情といった相談を良く受けていた。
ある日友達に、「白黒ハッキリつけるところが好き」そう言われた。確かに、好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。良いことは良いと褒めるし、悪いことはダメだと言う。でもそれは相手を観察して、言って欲しそうな言葉を言っているだけで、自分の意見かは別問題だった。
相手が自分に求めている物は何か判断して、私は私と言う人を演じることに、気がついたら長けていたのだ。だからこそ、頼り甲斐のあるお姉さんなどと言われてしまう。家族の中では決してそんなことはないし、末っ子感満載で自由奔放に生活しているのに、気がついたらこうなっていた。
 人生というものは身勝手で、自分ではない自分を演じていることに気がついた時には、私は既に壊れていた。

 ちょうどその頃、私には「諦められる」特殊能力が身についた。みんなからの手紙を読んで、「なんだこれ、」そう思い始めたからだと思う。そう思い始め、現実に気がついたら、何もかもがどうでも良くなった。物事、食べ物、洋服、そして人間。あんなに欲しかった洋服に対する物欲も、食べたいものが多かった私も、いなくなった。20年と言う浅い年月でも、私は多くのことを学び、そしてそれは間違いなく力になった。

 私の最大の学びは、期待は捨てろと言うこと。何かに期待し、そしてそれの雲行きが怪しくなった時に、不信感というものを抱いてしまうと、負のループに陥るからだ。これは一概に人間全てに当てはまることではない。私はそうだった、と言うまでにすぎない。
 負のループは一度ハマると鉛のように重く、安易に抜け出せない。まるで罠のある巣箱のようだ。私の場合、その先に待っているのは自己嫌悪だった。

 自分のことが嫌いだった。生きている価値という分野での問いが頭を巡り、私自身を苦しめた。
 「諦められるスキル」を手に入れてからは、世界がパッと明るくなった。相手を諦めることで、見えてきた綻びもある。それで自分を守ることができた。ただし、「大丈夫だ」と自分に言い聞かせることは日課になっていた。

 人は以外と他人に興味がない。誰かに見られている気がすると言う感覚は大抵勘違いだ。だから相手からの好意も、言葉がないと信じられない。恋愛はそう言うものだ。

 過去の恋愛が私を苦しめ、恋や愛から疎遠になっていた時、「今日は何してたの?」と聞いてくる男の子が現れた。あれはあまりにも突然で、動揺している余裕すらないくらいだった。
彼は私の一日がどうやら気になるようだ。友達と会っていたと返すと、それは男の子かと聞いてくる。一人で趣味の時間を過ごしていたと返すと素敵だと褒めてくる。
 彼は不思議な人だ。何を考えているのか、文面ですら分かってしまうくらい正直な人なのに、時にこの世の人間ではない宇宙人のように、全く読めないところがある。きっと何も考えていないのだろうけど、そんな所が私を惹きつけた要因だと思う。
 彼は私をずるい人だと言った。ふらふらとどこかへいってしまいそうで怖くなるらしい。そんなことを言われても、自分では分からないし、そんなこと言われたのは初めてだった。

 彼の名前は、高梨空。いつだって私たちの上に存在し、例え死んでもそこに行き経つ。そんな厄介な名前の持ち主だった。