綾人と林ちゃんと並んで私は歩いている。
「またしっかり食べましたねえ。()()さんいつも太らないから、サンドイッチがどこに無くなるか気になってしょうがないですよ」
「そりゃあ、筋肉に付けておかないとさ。少し身体つきの良いラインの方が魅力的なのだから」
 林ちゃんの質問に、あっはっはと腰に手をついて笑って答えた。別に食べたものが筋肉に変わるわけではないのだが。
 ここだけの話、ラインが一番美しいのは私だと自負している。
 林ちゃんは幾つもの年下を思わせる少女らしい体形だし高月さんはアイドルみたいにスリムだし。ちょっと肉付きのある方が美しいんだと思っている。
 
 外を歩いていると、冷たい北風が体温を奪っていく。先ほど飲んでいたカフェオレは体を温めてくれたのに、あまり意味を成していなかった。
 私の頭の中に少しずつ立ち込めてくるものがあった。
 なんだろうと考えを巡らせていると、なんだかうっすらと香りがしてくる。その醤油の香り、スパイスの香ばしさ......。
 なぜかラーメンの湯気が頭の中に上がってくる。ここはファミレスではなくてラーメン屋に行くべきだったと考え直していた。
「ラーメン食べたいなあ」
 シンパシーを感じ取った綾人が言うものだから、もうその気分になっていた。私の胃が無尽蔵だったら今すぐ食べに行くのに......、と思ったところだった。
 少し先を歩いていた林ちゃんがこちらを見て合図している。
「何か新しいお店みたいだよ! 見てみたい」
 その店は小さなアクセサリーショップだった。
 店の前には小さくても胡蝶蘭が置かれているところを見ると、オープンしたての店舗だろう。
 ドアの脇には腰の高さほどの水晶が鎮座している。
 綾人はそれらの大きな置物ばかり見ていた。男の子はこういう迫力のあるものに興味があるのだろう。
 やはりこっちだよね、と女子ふたりは目を輝かせてショーウィンドウを覗いている。私たちの視線の先にあるのは宝石がついた指輪だ。ああ、綺麗。
 すると、グレーのエプロンを着けた女性の店員が扉を開けて中に招き入れてくれた。
「あら、高校生ですね。青春真っただ中! やはりアクセサリーをおすすめした方がよろしいでしょうか」
 などとにこにこ笑っている。同じくらいの背丈なのにセールスアピールが上手い。
 私は店内をくるりと一瞬巡ってみた。すると、あるものの前で私の目は吸い寄せられた。
 その様子をふたりが覗く。
「あら、咲良さんそういうものが欲しいんですか? もっとお洒落なものの方がよろしいかと」
「もしかして俺のために?」
 まさか、そんなことはない。特に綾人のために使うお金なんて一銭たりともないのは強調して言える。
「クリスマスだからね、友だちにプレゼントあげるのよー」
 私は目の前にあるキーホルダーを手に取って、何食わぬ顔でレジを済ませた。

 私は買ったばかりのキーホルダーを袋の上から眺めていた。
 金具の中には小さな水晶が埋め込まれている。袋の中には小さなカードが納められていて、そこには豆知識が書かれていた。<完全・純粋>という宝石言葉。あらゆるものを清めて浄化する力があるという。
 これは私の願掛けだ。
「あの、咲良さん......。
だいじょうぶですか?」
 後ろから声をかけられた。林ちゃんが何かを言いたげに、こちらを覗き込んでいた。その表情はいかにも心配しているものだった。
「......あ、えっとさ」
 私は自分で我に返った。こう口にしてみると、自分で心配をしていることに気付くものだ。そして、それを口に出したいと思っていたことに。
「ごめん、なんでもない、よ......」
「そうですか? 考え込んでいるの、似合わないですよ」
 慌てて笑顔を作って、その場を解散することにした。
 
 私は自分で私のことを責めたくなっていた。
 バニーガールのことを、高月さんのことを、人に説明しようとしていたなんて。
 
 友だちを売ることなんで、絶対にできない。
 だから、君に願いを託すんだよ。
 高月さんを救いだしてほしい。水晶の輝きがふたりのところまで届いてくれたら良いなと思っているんだ。君は彼女のところに行って......。

 朝倉くんなら、絶対にできると思うんだ。

 ・・・

 リツ花と僕は、どこまで走っただろうか。
 すでに降りている夜の帳。
 住宅街の静かな音が、冬の澄んだ空気が、次第に心を落ち着かせていく。
 いつしか、ふたり手をつないでゆっくり歩いていた。脇を走る電車のヘッドライトが僕たちの姿を照らし出す。
 すれ違ったコンビニ帰りの男性がこちらをチラッと見た。だけども、僕たちはまったく気にしなかった。
「......ありがとう」
 リツ花は小さい声で口にした。僕は照れくさくなって、つい顔を背けてしまう。
「いや、動かないといけないと思っただけだよ。......君の叫びが聞こえたような気がして」
「嬉しかったよ。いつも気にかけてくれるのは、クラスの中で君だけだから」
 それを聞いて、クラスの雰囲気を思い出してみた。
 リツ花の大人びた印象に釘付けになったのは、正直な話僕だって同じだ。消極的な自分と違って、男女問わず彼女と話したいだけな気がした。
 事情も、か細い気持ちも受け入れてこその距離感だと思う。
 僕が知ったのは偶然だったけど、彼女のためを思って隠し続けてきた。他のクラスメイトだとどうなっているか分からない。
 お互いに勇気のいることかもしれない。
 だけども、その一線を受け入れることが何よりも大事なんだ。
 実のところ、今が何時かここがどこだか分かっていなかった。逃げるのに必死すぎたんだ。
 
 ふたりでいるならだいじょうぶ。
 僕が握りしめているのはリツ花の右手。その手の温かさから不思議な勇気が湧いてくる。
 


 僕たちは小さな公園で休憩することにした。
 彼女はお花を摘みに行っていて、僕はベンチに腰を下ろして夜空を見ていた。ちなみに、<お花摘み>の意味が分からなかったのは秘密だ。
 星空に満月が浮かんでいる。
 こんなにもきれいに見えることがあっただろうか。住宅街の灯りは少しずつ消えていて、それが一層夜空を目立たせていた。
 つい嬉しくなって、戻ってきたリツ花に声を掛けた。
「見てみてよ、空がキレイだよ」
 彼女は隣に座って、顔を上げた。
「うーん、星は見えなくて......。でも、お月様の輝きなら分かるよ」
 リツ花の視力が悪いことを忘れていた、お互いに笑い合ってしまう。
 それからしばらく静寂が包み込んだ。だけど、ふたりでいることが心地よくてそれでも嬉しかった。
 この星空はまるで僕たちの行方を示しているような気がした。リツ花への想いが瞬いて、目の前にそびえ立つ月の階段へ進む道標だ。
 少しずつ届く雨の匂いには気づかなった。それにつられるように、彼女の表情は少しずつ変わっていった。

 リツ花はいつの間にか肩を震わせて苦しそうにしていた。
 その格好じゃ寒いだろう。僕は慌てて自分のコートを脱いで彼女の肩に掛けようとするも、手で制されて意味なく終わってしまう。
「......ねえ」
 リツ花の呼びかけに、僕は彼女の方を見る。
 冷たい夜風が彼女の長い髪をとかすように揺らしていた。
 リツ花は真っ直ぐ天に腕を上げた。見上げた瞳は満月に照らされて、虹彩さえロマンチックに輝いていた。
「うさぎって月に住むっていうよね」
「うん」
「いつか行けるようになるよね」
「うん」
 現実世界ではもちろん月に行けるわけがないけど構わない。
 一緒に逃げること、リツ花を解放するために僕が何よりもやらないといけないことだから。
「これが君の言う、"駆け落ち"なんだよね」
「うん。でもさ、いつか本当に旅行できるくらいのお金を稼いでみせるよ」
「ありがとう」
 ......それはまるでいつか見た夢のようだった。
 
 少しずつ、月のしずくが空を染めていく。雨が降ってきたんだ。