「……お願いだから、俺以外に触れさせないで」
「え?」
「誰のものにもならないでほしい……」
懇願するみたいに、ぽつりと溢れ落ちた言葉に耳を疑う。
「くるちゃんに好きな人がいるのは知ってるけど、……俺じゃ駄目かな」
だって、こんなの、まるで……。うまく言葉を返せなくて、固まることしかできない。思い浮かんでくる答えを必死に打ち消そうとする。期待して、間違っていたら傷付くのは自分だ。これ以上、三枝に振り回されたくない。
「そういうの、ずるい」
「え?」
「……お前だって、好きな人がいるんだろ。だったら、俺にそういうこと言うのやめろよ」
「まだ、わかんない?」
「…………」
ゆっくりと顔を上げて、やっと少し体を離した三枝と目が合う。澄んだ瞳に、なんとも言えない表情をした自分が映っていた。言葉にしなくたって、その瞳から三枝の気持ちが痛いほど伝わってくるから、期待と不安に胸が震える。その次の言葉を聞きたくて、でもやっぱり聞きたくない。
「くるちゃんのことが好きなんだ」
「……ッ」
「……ごめんね」
泣きそうな顔をしながらも笑って謝る三枝を真正面から受け止めたせいで、ぎゅっと胸を締め付けられる。そんなに苦しそうに謝られると、やっぱりこの恋は間違いだったんだって思ってしまうから、正直聞きたくなかった。
「全部話したら終わりにする。もう何も望まないから、俺の話、聞いてくれる?」
「……うん」
頷く俺を確認した三枝が、階段の最上段に腰掛ける。こっちと隣を示されれば、俺もそれに倣うしかなかった。少しでも動けば、肩がぶつかりそうな距離の近さに息が止まりそうだった。
今からこの恋の終わりを迎えに行く。三枝がもういいと言うのなら、わざわざ俺が引き止める必要はないんじゃないかって。三枝の隣は、俺みたいな男より、可愛らしい女の子が似合ってる。一時の気の迷いなら、ここでサヨナラをするのが正解だ。
何から話そうかなと逡巡を巡らせていた三枝は、やがて穏やかな声で昔を懐かしむように話し始めた。
「始まりは、入学式の日に通学電車でたまたまくるちゃんを見かけたこと。俺が同じ電車に乗って登校してたなんて、ずっとくるちゃん知らなかったでしょ」
「……うん」
「まだ入学したばかりで授業も始まってないのに、もう電車の中で勉強してるんだって、こんなに真面目な子が同級生なんだって、最初はただの興味だった。でも理由もなく、気づいたら目で追うようになって、同じ車両を選ぶようになって、今思えばストーカーだって通報されてもおかしくないことをしてた」
今、初めて知る事実。三枝の存在に全く気づいていなかったから、そんなに前から俺のことを知っていたんだと驚きを隠せない。三枝のように注目を集めるようなタイプでもないし、周りの視線なんて気にしたこともなかった。
せっかく入学できた進学校で勉強についていけなくて置いていかれるわけにはいかないと思ったから、とにかく必死だったのもあるかもしれない。たまに集中力が途切れることはあるけれど、電車の中では大抵単語帳と睨めっこしていたし、周りを見回す余裕もなかった。
そこで、ふと思い出す。三枝が問題児と言われるようになった所以を。
「じゃあ、前に言ってた授業をサボってたのも……」
「そう。くるちゃんを見てた。今頃何してるのかなって、試しに空き教室に入ってみたら、ちょうどそこからくるちゃんの教室が見えて……。知っちゃったら最後、あそこに入り浸ってばっかだったなぁ。絶対に近寄れない分、遠くから見ているだけなら、この気持ちを大切にしていても問題ないかなって思ってた」
三枝を問題児にしたのは俺だった。その事実に少なからずショックを受ける。そんなに気になっていたなら、声をかけてくれたらよかったのに。なんて、他でもない俺がそう思うのは、違う。軽々しく、そんなことを言うのは許されない。俺がその立場なら、三枝と同じことをしただろう。近づきたくても、近づけない。一方的な思いを抱くって、そういうことだ。