「……くるちゃんは女子と約束してるんだ」
 「何でそうなるんだよ」
 「…………絵上さんと、付き合ってるんでしょ」


 口にするのも嫌だと言いたげな苦々しい表情で、三枝が俺を睨むように見据える。その圧が強すぎて、蛇に睨まれた蛙のようにぴくりとも動けない。

 突然出てきた名前に驚くと同時に、なぜ彼女が名指しされているのか分からなくて眉根を寄せる。博愛主義な三枝が、特定の女子に対してこんなに敵意剥き出しなのも珍しい。


 「言ってることが意味分かんないんだけど」
 「はぐらかさなくても知ってるから」
 「は?」
 「だって、……泣くほど、好きなんでしょ」
 「泣くほど……?」


 聞いたこともないほどの低い声。責めるように言われるけれど、その内容に全く身に覚えがなくて困惑している間に、三枝は淡々と話を続ける。


 「絵上さんに呼び出された日、教室に戻ってきて泣いてたじゃん」
 「な、んで、それ……」


 お前、あの時起きてたのかよ。寝ていると思っていたのに、バレていたことが恥ずかしい。それと同時に、あの日の涙の理由を誤解されていることが悔しかった。

 違うんだ、三枝。あれはお前のことを思って、この恋にさよならするって決心した証だったんだよ。
 そう言ってしまえたらよかったのに、それだけは絶対に許されない。何て答えようか悩んでいるうちに、更に誤解を深めた三枝が口を開く。


 「俺のことを避けるようになったのも、絵上さんが理由?」
 「ちがう」
 「だったら、どうして……?」
 「それは言えない。けど、……俺が好きなのは、絵上さんじゃない」
 「その言い方だと、他に好きな人がいるって聞こえるけど」
 「ああ、そうだよ」


 ほとんど売り言葉に買い言葉だった。まさか俺が肯定するとは思っていなかったのか、目を丸くした三枝はその言葉をゆっくりと噛み砕き、何かを諦めたように力なく笑った。


 「……くるちゃんはその子と文化祭回りたいんだ」
 「そんなこと、考えてもなかった」
 「え?」
 「こんな気持ち、早く捨ててしまいたいって思ってたから」
 「好きなのに?」
 「好きだから、相手を困らせたくない」
 「…………」
 「俺なんかが好きになったら駄目な人だから」


 そんなことまで言うつもりはなかったのに、勝手に口が動いていた。何でお前の方が泣きそうなんだよと、そう言ってしまいたいぐらい、随分と酷い顔をしている三枝に失敗したなと後悔ばかりが募る。


 「諦めるって決めたから、この話はもう忘れろよ」


 きっと、何と声をかければいいのか分からないのだろう。何も言葉を発さなくなった三枝に「戻るぞ」と声をかける。以前とは立場が逆転しているのが、なんだかおかしかった。


 「          」


 先に歩き出すと、後ろから声が聞こえた気がして振り返る。校舎の周りを走っている外練中のバレー部の声が邪魔をして、何を言ったかまでは聞き取れなかった。下を向いた三枝の表情はよく見えない。


 「何か言った?」
 「……ううん」
 「そ」


 少し悩んで首を横に振る三枝に、そういうことにしておいてやろうと素直に受け入れる。藪をつついて蛇を出すなんて趣味は持っていなかった。


 「ねぇ、くるちゃん。やっぱり駄目?」
 「何が?」


 パッと顔を上げて、俺の隣に並んだ三枝が強請るように見つめながら聞いてくる。


 「文化祭、一緒に回ろうよ」
 「……しかたないな」
 「ふふ、ありがとう」


 その顔に俺が弱いって分かってやってるなら、相当策士だよ。けれど、分かっていて丸め込まれてしまう俺も大概だ。断れない俺が悪い。

 大袈裟にため息を吐き出してやれやれ感を演出してみるけれど、そんなことをしている自分が馬鹿に思えるぐらい素直に喜ぶものだから、ほんの少し恥ずかしくなった。

 嬉しそうに笑う三枝を見ていると、釣られて頬が緩む。だって、心の奥底ではじんわりと喜びが湧き上がってきているから。また一緒にいられるんだという事実が、今は何よりも嬉しいから。でも、それを三枝にだけは悟られてはいけない。平静を装いながら、文化祭の日が早く来ないかなと密かに待ち遠しくしていた。