――三枝のことが好きだ。
 いつからか、きっかけさえ分からない。

 俺はあいつの取り巻きのようにはならないって驕っていたはずなのに、知らず知らずのうちに恋に落ちていた。馬鹿だ。結局、同じ穴の狢になってしまった。

 だけど、この恋心は誰にも言わずに墓場まで持っていく。自分が振られるのは分かりきったことだから、告白して優しい三枝に気を遣わせて困らせたくない。

 そもそも、告白する権利って誰にでもあるものだろうか。答えは否。その常識は異性にしか通用しない。同性同士は適用外。その感情を抱いてしまったら最後、誰にも告げることなく、ただひとりで苦しみながら終わりを迎えるべきだろう。

 絵上さんだって何度も躊躇はしたんだろうけれど、それでも告白をするのに何の障害もない立場を羨ましく思う。だって、俺にはできないことだから。男が男を好きになるなんて、周りから白い目で見られるに決まってる。こんな感情を抱いてることすら罪で、時代が違えば裁きを受けていた。

 告白して、玉砕してしまえば前に進めるかもしれないけれど、そもそも資格を持っていないのだから一人で苦しみ続けるしかない。この愛の行き場なんてない。永遠に行方知らずなのだ。それが同性を好きになった罰だから、俺は決して抗えない。

 男同士、未来のない恋愛。認めたところで、この想いは駆除確定。大切にすることは許されていないから、早く消えてしまえと祈ることしかできない。こんなに苦しいなら、好きになんてなりたくなかったと強く思う。

 図書室に向かった時よりも足取りは重く、心はここに在らずの状態で教室に戻る。どうせ、もう誰も残っていないだろう。せっかくの午前授業の日だ、帰宅部は颯爽と遊びに行ったに違いない。

 力なく教室のドアを開けて、目を見開く。今どうしようもなく会いたくて、だけどやっぱり会いたくなかった姿を認めて、じんわりと熱いものが込み上げてくる。


 「……さえぐさ、」


 どうしてまだ教室にいるんだよ。とっくの昔に帰ったと思っていたのに。気を抜いていたせいで、じんわりと滲む涙を必死に拭う。

 恐る恐る息を殺して近づけば、彼は眠りについているようで、ほっとする。ぐしゃぐしゃな顔を見られなくてよかった。問い詰められれば、今の弱ったメンタルなら全部白状してしまいそうだった。

 席まで近づいて、無意識に手を伸ばす。その髪に触れそうになって、はっと我に返った。駄目、俺はこいつに触れられない。邪な感情を持っているくせに、触れていいわけがないだろう。三枝を汚してしまう。きゅと手のひらを握り締めて、自分の席に向き直る。カバンを手に取った俺は振り返ることなく、教室を後にした。

 明日からはちゃんとするから、今だけは泣いてもいいかな。静かな廊下に鼻を啜る音が響いていた。


 ◇◇

 夢を見た。泥濘に嵌って、どうにか抜け出そうと必死にもがくけれど、呆気なく底無しの泥の中にどんどん沈んでいく夢。ぱっと目が覚めて、一日の始まりを沈んだ気持ちで迎えるなんてついてない。びっしょりとかいた汗が不快感を増長させていた。

 学校に行きたくない。何にもやる気がしない。そう思っても根っこの真面目な部分がサボるのを許さなくて、いつも以上に時間をかけて準備をする。


 「ほら急いで、いつもの電車に間に合わないわよ」
 「大丈夫、一本遅い電車でも十分余裕あるから」


 朝のラッシュ時間なんて、どうせ五分もしないうちに次の電車がやってくるのだからそこまで心配しなくても平気。母さんが俺以上に焦っているから、逆に冷静になってきた。

 毎日のように同じ車両に乗っていれば、大体の人が顔馴染み。この人はここで降りるとか、分かるようになってきた。だけど今日はいつもと違うから、居心地が悪い。小さく燻っていたモヤモヤはどんどん勢力を増しているのに、どうにもできないのがもどかしい。


 「……おはよ」
 「おはよ」


 三枝の方が先に教室にいるなんて初めての出来事だ。以前までの俺なら「珍しいじゃん」って会話を始めるのに、今日は視線を逸らしたまま挨拶を返すだけ。

 ちゃんとこれまで通り接するって決めていたくせに、いざ三枝を前にするとうまく振る舞えない。ぎこちない会話すらできなくて、三枝もそれ以上絡んでくることはなかった。

 ……これでいい。元々望んでいたのはそれなりの関係だっただろ。自分から突き放したんだ。もう元には戻れないんだよ。唇をぎゅっと噛み締めたまま見上げた空は分厚い雲で覆われていて、今にも雨が降り出しそうだった。