若い軍人二人と向き合って座り、遥香の祖父はうさんくさげな表情を隠さなかった。

「この稲荷をあずかっとります、篠田(しのだ)弘道(ひろみち)です。遥香の祖父です」
「留守中に失礼しました。帝国陸軍で準特務機関に所属する吾妻(あがつま)と、こちらは芳川(よしかわ)です」
「特務機関――」

 喜之助に名乗られて弘道の顔色が変わった。それはそうなるだろう。軍というだけで庶民には恐ろしいものなのに、内情のわからない特務機関となればなおさらだ。

()、ですよ。念のため訂正します」

 年長者に対してだからか、先ほどまでよりやや丁寧に喜之助がしゃべる。だが得体の知れない男ににこやかにされ、弘道は黙り込んだ。

「まあ手短に言いますと遥香さんの出生に関するうわさが軍に届きまして、怪異への対処に協力をという要請です」

 出生と言われた瞬間、弘道はこぶしを強く握った。それに気づいて隣の遥香の息がとまる。妖狐の血を引く孫など欲しくなかったろうに申し訳ない――と思ったら、弘道はキッと客人をにらみつけた。

「――遥香に何をさせるつもりだ」
「おじいちゃん?」

 語気が強くなっただけでなく、ずいと前に膝を進める。遥香をななめ後ろに隠す弘道に、遥香はおろおろした。

「この子には何もできやせん。お引き取り願おう」
「いえいえ、怪異と意思を通じられると本人がもう申告しましたんで」
「何を――遥香ッ!」

 怒声が飛び、遥香は身をすくめた。

「そんなでたらめを言ったのか!」
「ごめ、ごめんなさいおじいちゃん」
「何故でたらめだと決めつける」

 彰良の鋭い声に弘道はふり向いた。彰良は不機嫌な目で遥香と弘道をにらんでいた。

「半妖だというのなら何らかの異能があってもおかしくない。その力を治安の維持に役立てられないかと期待して俺たちは派遣されて来た。本人ができると言っているものを頭ごなしに無能呼ばわりするとはどういうことだ?」
「……この子は狐じゃない」
「確かに人に見えるな。だが見た目と力は一致しない」
「遥香には、どんな力もないわッ」
「はいはいはい、篠田さん」

 険悪なやり取りに喜之助が割り込む。

「遥香さんには危険のないよう配慮しますから。幽霊なんかのうわさがある所に出向いて、お祓いができないか試してもらいたいだけなんですよ。そのためにひとまず横浜の官舎でお預かりできないかと思いましてね」

 丁寧に説明されて弘道が黙る。
 遥香に対しては高圧的だが、軍の呼び出しからは守ろうとしたようにも思えた。この祖父の真意が読めなくて彰良は目を鋭くした。
 弘道の帰宅で豆腐小僧が姿を消したのを見るに、遥香は妖怪の友人がいると祖父に話していないのだろう。怪異の心を感じ取れることも隠しているのかもしれない。
 祖父に対してビクビクする遥香。孫に冷たい弘道。それらを合わせて推測できるのは、遥香が狐の血を引く半妖である事実に弘道が抱く嫌悪感なのか――。

「――もう決まったことなら、勝手にしろ」

 吐き捨てて、弘道は立ち上がった。顔をそらされて、遥香は泣きそうだ。どうしよう、こんなに機嫌をそこねてしまうなんて。

「おじいちゃん」
「うるさい。とっとと荷物をまとめて出ていけ」

 弘道はむっつりと唇を引き結び、台所におりていった。そこには遥香が買ってきた野菜や油揚げが置いてある。煮炊きを始めようとする弘道に遥香はあわてた。

「そんなの私がやるから」
「――」

 無言のまま手を止めない弘道を見て、彰良は遥香の肩をつかんだ。

「さっさとしろ。行くぞ」
「では、お孫さんをお借りしますね」

 喜之助もにこにこと挨拶する。すぐにも出立しろという圧力を全員からかけられ、遥香は半泣きで奥の部屋に行った。
 とりあえずの着替えと身の回りの物を風呂敷に包む。荷物をかかえてそっと頭を下げる遥香のことをチラリと見ても、弘道は何も言ってくれなかった。


 稲荷を出ると、夕暮れの涼しい風が吹いた。
 深い夏の空にカラスが鳴いたが、遥香はしょんぼりしている。親に捨てられたうえ、とうとう祖父にまで追い出されてしまった。

「さあて日が沈む前に急いで帰ろっか。あ、布団とかはそろえてきたけど、飯はどうする? どっかで食っていかないとな」
「布団……」
 
 そうか、このまま他所(よそ)で眠ることになるんだ。家無し子の気分がますます高まり悲しくなったが、眠る場所がもらえるだけ幸せだと思い直す。
 しかし黙ってしまった遥香に、喜之助がハッとなり頭を下げた。

「ごめん! 家一軒しか押さえられなかったんで、俺たちも同じ官舎にいるんだ! でも不埒なこととか絶対しないし、部屋はしっかり離すから!」

 遥香はきょとんとした――そういう心配もあるのか。未婚の娘が男性二人の仮住まいにお邪魔するのは、たしかに外聞がよろしくない。でもそんなの下女奉公だと思えば当たり前だ。

「とんでもありません。屋根の下に入れていただけるなんてありがたいことです」
「……遥香さん、卑屈すぎないか?」
「そんなことは」

 今まで捨てられたり売られたりしなかったのを幸せに思うのは卑屈だろうか。
 祖父にしてみれば、遥香は息子をだました女狐の娘。育ててくれただけでも御の字だ。だが苛立った口調で彰良は言った。

「おまえのその考え方は、うっとうしい」
「……すみません」
「すぐに謝るのはやめろ。さっきは怪異を滅するなと言い返してきたくせに、自分のことになると何も言えないのか」
「すみま……」

 かろうじて謝罪をのみ込んだが、遥香は言葉に詰まってしまう。

「彰良ぁ、肩身のせまい思いしてきたんだろうから、あまり追い詰めるなよ。ところで豆腐小僧くんて、ついてきてるの?」

 取りなしてくれた喜之助がキョロキョロあたりを見回すが、可愛い子どもの姿はどこにもなかった。

「あの子が外を歩くと目立ちますから……私がどこかで落ち着けば、訪ねてきてくれると思います」
「ふうん。あ、帰る前に牛鍋でも食ってこうぜ。やっぱり牛鍋は横浜だろ? 楽しみにしてたんだ」
「この三人でか? どんな目で見られると思う」

 彰良があきれて言う。肉食が普及してきた今でも牛鍋は高級品だ。店に入るには遥香の格好は貧相で、軍人に連行されているように思われかねない。

「ああ……すまん、配慮が足りなくて」
「今日はせいぜい一膳飯屋だ。おまえもそれでいいな」

 突然確認を取られて、遥香はビクンとした。ああしろこうしろと言われ従うだけだと思っていたのに、意見を聞かれるらしい。

「はい、なんでもけっこうです」

 あわててうなずきながら、遥香は早足で二人についていった。
 これからどうなってしまうのか、まったくわからなくて不安ばかり。だけど意外にも気づかってくれる彰良と喜之助に、やや安堵した。

「……あら?」

 暮れていく空からパラパラと水が降ってきたような気がした。上を向いても目立った雲があるわけでもない。
 天気雨?
 飛んでくるまばらな雨粒に見送られ、三人は丘をおりていった。