ザワザワと木の葉を鳴らし、降ってきたのは蛇だった。ため池の水面を泳ぎ陸に上がり、蝦蟇の消えたあたりまでシュルシュルとやって来る。
 長さは十尺(3m)ほどもあろうか。大蛇というほどでもないが、普通の生きた蛇というには長いし太かった。喜之助が面食らって叫ぶ。

「なんだよ! これも魔物か!?」
「たぶんそうです!」

 シャアと三人を威嚇する蛇。遥香と蛇の間に彰良が割り込んだ。彰良は無言で剣をかまえる。それを見て息をのんだ遥香は、蝦蟇から読んだことを伝えた。

「この子は蝦蟇の友だちです。とても仲よしで」

 でも遥香にもおぼろげにしかわからない。言葉を持たない蝦蟇の感じていたことは、あいまいな感情としてしか遥香に伝わらなかった。

「蝦蟇がいなくなって怒ったのかと」
「どうでもいい。向かってくるのなら祓う」

 言い切る彰良の剣が、(あか)い炎をまとった。蛇はシュルと身をちぢめる。逃げられぬよう喜之助が後ろに回り呪符をかまえた。
 いきなりのことに遥香は戸惑っている。それを守るためなら滅するのも仕方ないと彰良は切っ先を蛇に向けた。
 怒った蛇が彰良に向かう。間一髪で薙ぐ剣。蛇もギリギリでかわした。だが逃げた蛇を呪符が捕らえた。

「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん!」

 ふたたび光明真言(こうみょうしんごん)を唱える喜之助。蛇は嫌がるように鎌首を振り、暴れる。
 捕らえはしたが、のたうつ蛇に遥香が触れることなどできない。滅するしかないとみて、彰良は剣をかまえ近づいた。

「だめ!」

 遥香があわてて制止するのは蛇のためではない。彰良に魔物を斬らせたくなかった。
 きっと彰良は、魔物である父と対峙する日のために剣をふるい続けている。目の前の魔物にまだ見ぬ狼の姿を重ねていると遥香には思えた。
 昼日中でもくっきり燃える緋い炎が痛々しい。斬れば斬るほどに彰良自身も傷だらけになっているような気がした。
 剣を握る腕に遥香は夢中ですがりついた。彰良も引きはがそうとするが、乱暴にはできない。

「危ない、放せ!」
「やめてください、待って!」

 遥香は彰良の腕に体ごとしがみつき、もみ合う。と。
 ふわり。
 緋炎が色を変えた。

「――何!?」

 緋に蒼を加えた炎は、紫。
 見たことのないおのれの剣に、彰良は目を疑った。遥香も何があったかわからずに腕をゆるめる。
 シィィッ!
 その隙をついて蛇が二人に向かう!

「危ねえッ!」

 向こうで喜之助が叫んだ。
 ギィィャァッ!
 投げられた呪符が蛇に貼りつきシュウウと煙になる。彰良はハッとして紫炎の剣を蛇に振り下ろした。

「いやっ――!」

 遥香が遅れて悲鳴を上げる。だが彰良の剣は蛇を両断した後だった。
 蛇は斬られ、黒く燃え崩れ――ることはなかった。
 白く輝き、ホロホロと形をなくしていく。

「え――」

 斬った彰良も、見守る遥香も喜之助も目を見開いた。
 蛇が白い光になり、散る。
 それがゆっくり見えなくなるまで、三人は神妙に見送った。

「――今の、は?」

 あたりが静まって、彰良はボソッとつぶやいた。何が起こったのだろう。遥香もぼうぜんと首をかしげるばかり。喜之助が眉根を寄せ考え込んだ。

「……もしかして、彰良が清めたのか?」
「どうして俺が。俺は斬っただけだ」
「遥香さんの力と合わさったとか」

 喜之助の指摘はもっともらしいが、そんなことができるのか。だが考えた末に彰良もうなずいた。

「……そんな感じだった、な」
「だよ」
「そんな、私は何もしていません」

 遥香はうろたえたが、彰良にはひとつ心当たりがある。だが少々口にしづらいことなので、ひとまず結論だけ言い切った。

「……いや。おまえだ」
「え」

 確信ありげに言われ遥香は困ってしまった。彰良は怒ったような顔で、そんな遥香から視線をそらした。



 紫の炎に気を取られて忘れかけたが、中森家の佳乃が蝦蟇に倒されていたのだった。確認したら生きていたので人を呼び、泥だらけの佳乃を運ばせる。

「蝦蟇に向かって遥香さんを突き飛ばしたのを、しかと見ました。殺そうとしたとみなすべきですね。追って沙汰があると思って下さい」

 中森の家の前で、喜之助はいつもの笑顔を引っ込め人々に向けて宣言した。佳乃の蛮行を聞き、集まった人々がざわついた。
 だが嘘ではない。九字の破邪がなければ遥香は蝦蟇の舌に貫かれていたかもしれないのだ。やや遠くにいた佳乃ですら、蝦蟇に吹っ飛ばされて骨が折れ、顔も傷だらけになっていた。
 佳乃にどんな恨みをかっていたのか遥香は知らない。ずっと前から憎まれていたのかと思うとつらくなった。でももう佳乃はボロボロなのだし、許してあげればと思う。

「私はなんともありませんでしたから……」
「結界がなかったら、おまえは死んでいたんだぞ。そのせいで蝦蟇を清められず、あのまま人家に暴れ込んだらどうなっていたと思う。度しがたい馬鹿女だ」

 彰良は憎々しげに吐き捨てた。本当は遥香がいなくても彰良が斬り祓っていただろうが、それは言わない。
 危険が集落に及ぶこともあったかもと聞き、人々の視線が中森の当主に向いた。非難の声が上がるのを、喜之助は制止した。

「まあ、遥香さんをさんざん貶めてきたという点で、みなさん同罪なんですけどね。篠田家を村八分にという扱いが、佳乃さんを増長させた。中森家だけを責めていいと思うのは大間違いなので」

 冷静な指摘に誰もが黙り込んだ。言われたことは当たっている。軍にそんな調べがついているのなら、稲荷ヶ岡ごと罰せられるのか。皆の背すじがこおった。

「それじゃ、こちらの任務は完了しましたので失礼」

 有無を言わせずに喜之助はきびすを返した。彰良にうながされ、遥香も後ろ髪引かれながら歩き出す。残っても何を言えばいいのかわからないが、なんとなく申し訳ない気分だった。
 人々の目も耳も届かなくなってから、フ、と彰良が肩をふるわせた。遥香は驚いて隣を見上げる。吹き出す彰良なんて、めずらしすぎる。

「……喜之助のくせに、辛辣だったな」
「だーってさあ。くっそ腹立ったわ、さすがに」

 喜之助も腹が立ったと言いつつ笑い出した。きょとんとする遥香に、二人はやさしい目を向ける。

「まさか蝦蟇とやり合ってるところに乱入する女がいると思わないよ。遥香さんのことは守れたけどさ、ちょっとあれは」
「まあ処分が下るかどうかはともかく、おどしておくべきなのは確かだ」
「おど、おどし……だったんですか?」
「まあいいじゃん、いいじゃーん!」

 混乱する遥香を連れて、機嫌を直した彰良と喜之助は丘を下った。
 遥香のふるさとの連中に釘を刺し、遥香が魔物を清め――そして不思議な紫の炎が発現した。
 今回はなかなかに実り多い任務だった。