横浜方面支部をという話はどんどん進んでいるようだ。
遥香たちの官舎にも、帝都と往き来する山代少尉がよく顔を出す。いろいろな手続きを進めているそうなのだが、今日はついでに仕事も一件指示された。
「夜になったら末吉町に行ってくれ。お座敷と小料理屋の並んでるところだ。町役からの通報で、料亭の台所が荒らされて困ってるらしい」
山代の指示に、彰良が片方の眉を上げる。喜之助も合点のいかない顔をした。
「台所? ネズミとかじゃないんですか」
「ネズミだとしたら大物の魔物だぞ。店の食い物が根こそぎ消えるんだからな」
「根こそぎィ?」
町のあちこちの店に出没するんだとか。夜毎に料理屋一軒分の台所を空にする、そんなネズミは嫌だ。
「大食いの魔物ですかね」
「いや、店が壊されるわけでもないんで、怨霊だと俺は踏んでる」
人としての知性が残っているのだろうというのだ。
うずくまる姿が目撃されているのだが人間並みの大きさだったとか。そんな魔物ならば壁もかまどもうっかり壊しかねないのに、建物の被害はないそうだ。
「食い物のうらみを残して死んだのかもな。ところで遥香さん、そんな任務にどう対処する?」
「え、は、はい」
突然の質問に遥香はあわてた。
そうか、傍観していてはいけない。胸を張って特殊方技部にいるために、彰良や喜之助がいなくとも怨霊を清められるようにならなくては。
「誰か妖怪を呼ぶかい?」
山代の声が心なしかワクワクしていた。まだ豆腐小僧にも水乞にも会ったことがないので、ひそかに楽しみにしているのだ。四十近い大人が何をと言われるかもしれないが、やはり興味深い。
「お店の台所……」
遥香は悩んだ。たぶんそんなに広くはない。そして遥香の逃げ場もないのだろう。相手が怨霊でも魔物でも、動きを止めなくては触れられない遥香が打てる手は何があるのか。
「ハールカ!」
「とうふちゃん!?」
にじむように部屋のすみからあらわれたのは豆腐小僧だった。
「はなしはきいた! ぼくにおまかせあれ!」
シュタッと仁王立ちすると手に持つ豆腐がふるふるゆれる。初お目見えの愛らしい妖怪を、山代は手を叩いて迎えた。
「やあやあ、豆腐小僧くんだね? 初めまして、遥香さんの上官になった山代だよ。やっと会えて嬉しいな」
「ふうん、やましろくん、ぼくにあいたかったんだ?」
「山代くん!」
喜之助が大笑いし、ずっと黙っていた彰良もさすがにグラリと動いた。肩がふるえているのは笑いをこらえているらしい。それに気づいた山代は目を疑ったが、そっとしておくことにした。大人の配慮だ。
「ああ会いたかったよ、うわさを聞いていたからね。すごく強いんだって? お任せ、てどうするつもりか教えてくれるかい」
「えー? ないしょだよう」
ふふーんとじらす豆腐小僧は甘えん坊のいたずらっ子で、山代は目を細めてしまった。
「ウチの子の小さいころを思い出すなあ」
「山代さんの子、いくつでしたっけ」
「ん? 下の息子は八つだ」
「あまり変わらないじゃないすか!」
ずっこける喜之助と「変わるよー」とすねる山代は緊張感のかけらもなくて、心配になる。
だけど遥香がそっと視線を彰良に向けたら、わちゃわちゃする同僚たちをながめる顔がおだやかだった。それだけで不安が消える。
「ハルカ、おしごとはみんなといっしょ?」
ぴょんと遥香の膝にやってきて、豆腐小僧はにっこり笑った。
「――そうよ」
遥香はふふ、とほほえみ返した。
彰良と喜之助と力を合わせて働いたり、一緒に暮らしたりできる自分は幸せだ。そのうえ悲しみ苦しむ怪異たちを助けてあげられるなら、もっと嬉しい。
「遥香さんは私の部下なんだよ。だから豆腐小僧くんに作戦を任せるにしても、何をやるかは共有しておかないとダメだぞ」
「しょーがないなあ。やましろくんにめんじて、さくをさずけるよ!」
何故か偉そうな豆腐小僧に、また彰良の肩がふるえる。それに気づいて、遥香の頬はほころんだ。
そして出かけたのは夜も更けてからだった。暗い中とはいえ笠をかぶった子どもは目立つので、豆腐小僧には闇にひそんでいてもらう。現地で呼べば、またスルリとあらわれるはずだ。
作戦を訊かれた豆腐小僧は、
「ぼくのおとうふ、おいしそうでしょ?」
ニヤリと悪い顔をしてみせた。その活躍を見たがる山代だったが、仕事の都合で帝都にとんぼ返りとなって今はいつもの三人だった。
「でも豆腐小僧くん、怪異にかじられちゃわない?」
「とうふちゃんは豆腐では……」
「あ、本体は豆腐で出来てるわけじゃないんだった」
いないと思って失礼なことを言いながら待機しているのは、店々の裏口に面する小路の端だ。怪異が出たら呼んでもらえるようにしてあったのだが、しばらくして一軒の店から人間の男が飛び出してくる。
「来たか」
駆けつけると、番頭とおぼしき男はブルブル震えながら建物の中を指さした。
三人そろってのぞきこむ。台所からガサガサ、グチャグチャと音がした。
「――怨霊だな」
闇に座り込む影。あらかじめ残してあった小さな灯りに照らされるそれは、人間だが生きてはいない。
だって口が大きく開くのだ。ありえないほど伸びる唇。真っ暗な口の中に食べ物が吸い込まれるように消えていく。
「うわあ気持ち悪っ。遥香さん、アレさわれる?」
「が、がんばります」
身を低くして小声でささやき合った。豆腐小僧の言う通りにすれば清められるとは思うのだけど、さわらなければならないのが遥香の苦しいところ。
「とうふちゃん」
小声で呼ぶと、うずうずしていた豆腐小僧がポワンとあらわれる。
「――ひゃあ、あのひとだね」
「そう。口がとっても大きいんだけど」
「でも〈だい〉だと、だいどころいっぱいかなあ」
ふむ、と考え深げにする豆腐小僧の後ろで、彰良は念のため剣を抜いた。
「あ、待て。うっかり店を崩されたら俺たちが死ぬ」
大立ち回りはしないでくれと釘を刺されて彰良は渋い顔だ。
「だいじょうぶ、ぼくがちゃんとやる!」
すちゃ、と豆腐小僧は台所に踏み込んだ。怨霊の視線がそちらに向く。邪魔者を嫌うようにグリンと回った目が、手にした豆腐にとまった。
盆を床に置き、豆腐小僧は叫んだ。
「ちゅうッ!」
ぽよんと大きくなった豆腐は、前回より小さめだ。だが怨霊にとっては美味しそうな食材だったらしく、よだれを垂らしながら突進してきた。豆腐小僧はさらに叫ぶ!
「こッ!」
ゴィン――ッ!
いきなりカチコチになった豆腐に激突し、怨霊はひっくり返った。動かない。
ややビクビクしながら、遥香は静かに怨霊に触れ、清めた。
遥香たちの官舎にも、帝都と往き来する山代少尉がよく顔を出す。いろいろな手続きを進めているそうなのだが、今日はついでに仕事も一件指示された。
「夜になったら末吉町に行ってくれ。お座敷と小料理屋の並んでるところだ。町役からの通報で、料亭の台所が荒らされて困ってるらしい」
山代の指示に、彰良が片方の眉を上げる。喜之助も合点のいかない顔をした。
「台所? ネズミとかじゃないんですか」
「ネズミだとしたら大物の魔物だぞ。店の食い物が根こそぎ消えるんだからな」
「根こそぎィ?」
町のあちこちの店に出没するんだとか。夜毎に料理屋一軒分の台所を空にする、そんなネズミは嫌だ。
「大食いの魔物ですかね」
「いや、店が壊されるわけでもないんで、怨霊だと俺は踏んでる」
人としての知性が残っているのだろうというのだ。
うずくまる姿が目撃されているのだが人間並みの大きさだったとか。そんな魔物ならば壁もかまどもうっかり壊しかねないのに、建物の被害はないそうだ。
「食い物のうらみを残して死んだのかもな。ところで遥香さん、そんな任務にどう対処する?」
「え、は、はい」
突然の質問に遥香はあわてた。
そうか、傍観していてはいけない。胸を張って特殊方技部にいるために、彰良や喜之助がいなくとも怨霊を清められるようにならなくては。
「誰か妖怪を呼ぶかい?」
山代の声が心なしかワクワクしていた。まだ豆腐小僧にも水乞にも会ったことがないので、ひそかに楽しみにしているのだ。四十近い大人が何をと言われるかもしれないが、やはり興味深い。
「お店の台所……」
遥香は悩んだ。たぶんそんなに広くはない。そして遥香の逃げ場もないのだろう。相手が怨霊でも魔物でも、動きを止めなくては触れられない遥香が打てる手は何があるのか。
「ハールカ!」
「とうふちゃん!?」
にじむように部屋のすみからあらわれたのは豆腐小僧だった。
「はなしはきいた! ぼくにおまかせあれ!」
シュタッと仁王立ちすると手に持つ豆腐がふるふるゆれる。初お目見えの愛らしい妖怪を、山代は手を叩いて迎えた。
「やあやあ、豆腐小僧くんだね? 初めまして、遥香さんの上官になった山代だよ。やっと会えて嬉しいな」
「ふうん、やましろくん、ぼくにあいたかったんだ?」
「山代くん!」
喜之助が大笑いし、ずっと黙っていた彰良もさすがにグラリと動いた。肩がふるえているのは笑いをこらえているらしい。それに気づいた山代は目を疑ったが、そっとしておくことにした。大人の配慮だ。
「ああ会いたかったよ、うわさを聞いていたからね。すごく強いんだって? お任せ、てどうするつもりか教えてくれるかい」
「えー? ないしょだよう」
ふふーんとじらす豆腐小僧は甘えん坊のいたずらっ子で、山代は目を細めてしまった。
「ウチの子の小さいころを思い出すなあ」
「山代さんの子、いくつでしたっけ」
「ん? 下の息子は八つだ」
「あまり変わらないじゃないすか!」
ずっこける喜之助と「変わるよー」とすねる山代は緊張感のかけらもなくて、心配になる。
だけど遥香がそっと視線を彰良に向けたら、わちゃわちゃする同僚たちをながめる顔がおだやかだった。それだけで不安が消える。
「ハルカ、おしごとはみんなといっしょ?」
ぴょんと遥香の膝にやってきて、豆腐小僧はにっこり笑った。
「――そうよ」
遥香はふふ、とほほえみ返した。
彰良と喜之助と力を合わせて働いたり、一緒に暮らしたりできる自分は幸せだ。そのうえ悲しみ苦しむ怪異たちを助けてあげられるなら、もっと嬉しい。
「遥香さんは私の部下なんだよ。だから豆腐小僧くんに作戦を任せるにしても、何をやるかは共有しておかないとダメだぞ」
「しょーがないなあ。やましろくんにめんじて、さくをさずけるよ!」
何故か偉そうな豆腐小僧に、また彰良の肩がふるえる。それに気づいて、遥香の頬はほころんだ。
そして出かけたのは夜も更けてからだった。暗い中とはいえ笠をかぶった子どもは目立つので、豆腐小僧には闇にひそんでいてもらう。現地で呼べば、またスルリとあらわれるはずだ。
作戦を訊かれた豆腐小僧は、
「ぼくのおとうふ、おいしそうでしょ?」
ニヤリと悪い顔をしてみせた。その活躍を見たがる山代だったが、仕事の都合で帝都にとんぼ返りとなって今はいつもの三人だった。
「でも豆腐小僧くん、怪異にかじられちゃわない?」
「とうふちゃんは豆腐では……」
「あ、本体は豆腐で出来てるわけじゃないんだった」
いないと思って失礼なことを言いながら待機しているのは、店々の裏口に面する小路の端だ。怪異が出たら呼んでもらえるようにしてあったのだが、しばらくして一軒の店から人間の男が飛び出してくる。
「来たか」
駆けつけると、番頭とおぼしき男はブルブル震えながら建物の中を指さした。
三人そろってのぞきこむ。台所からガサガサ、グチャグチャと音がした。
「――怨霊だな」
闇に座り込む影。あらかじめ残してあった小さな灯りに照らされるそれは、人間だが生きてはいない。
だって口が大きく開くのだ。ありえないほど伸びる唇。真っ暗な口の中に食べ物が吸い込まれるように消えていく。
「うわあ気持ち悪っ。遥香さん、アレさわれる?」
「が、がんばります」
身を低くして小声でささやき合った。豆腐小僧の言う通りにすれば清められるとは思うのだけど、さわらなければならないのが遥香の苦しいところ。
「とうふちゃん」
小声で呼ぶと、うずうずしていた豆腐小僧がポワンとあらわれる。
「――ひゃあ、あのひとだね」
「そう。口がとっても大きいんだけど」
「でも〈だい〉だと、だいどころいっぱいかなあ」
ふむ、と考え深げにする豆腐小僧の後ろで、彰良は念のため剣を抜いた。
「あ、待て。うっかり店を崩されたら俺たちが死ぬ」
大立ち回りはしないでくれと釘を刺されて彰良は渋い顔だ。
「だいじょうぶ、ぼくがちゃんとやる!」
すちゃ、と豆腐小僧は台所に踏み込んだ。怨霊の視線がそちらに向く。邪魔者を嫌うようにグリンと回った目が、手にした豆腐にとまった。
盆を床に置き、豆腐小僧は叫んだ。
「ちゅうッ!」
ぽよんと大きくなった豆腐は、前回より小さめだ。だが怨霊にとっては美味しそうな食材だったらしく、よだれを垂らしながら突進してきた。豆腐小僧はさらに叫ぶ!
「こッ!」
ゴィン――ッ!
いきなりカチコチになった豆腐に激突し、怨霊はひっくり返った。動かない。
ややビクビクしながら、遥香は静かに怨霊に触れ、清めた。