部屋のドアを完全に閉めてから、ため息をひとつ吐いて通話ボタンを押す。

キレイな顔だと言われたくらいじゃ怒らない。でも、彼女を作らない理由に使われるのはごめんだ。

『言っとくけどこれは貸しだからね。あと! 9時くらいには帰るから、それまでには終わらせててよ』
「りょーかい」
『ぜぇーったいだからね!』

そこまで(●●●●)のつもりはなくても、電話を切ると、つい時間を確認してしまった。

スマホに表示された時刻から逆算して、あと3時間半。あいつが俺を突っぱねるまでは、あと何分だろうか。それまでに俺は、友情か恋かを選べるだろうか。

薄ピンク地に黒のレースがついたブラジャーを手に、何度目かのため息を吐く。

10月も半分を過ぎ、廊下の空気がヒンヤリと冷たい。冷静なつもりでいたが、上品に哀愁を匂わせる雨音も相まって、次第に頭も心も澄まされていく。

自分からお願いしておいてなんだが、あいつの姉ちゃんも大概だな。



「は――え、なにこれ」

部屋へ戻るやいなや、放るように渡した下着を見て、ただのアホが本格的なアホ面になった。

「お前の姉ちゃんの」
「はあぁぁ? バレたら瞬殺だって」
「本人が場所教えてくれたんだよ。ちゃんと新品」
「いや……本人がって、えっ、なんで?」

なんで、か。何も知らない弟からしてみれば、至極真っ当な疑問だろう。

――それは、夏休みの課題に飽きたアホが居眠りするから。
――それは、ひた隠しにしてきた初恋に魔が差したから。
――それは、“夏の日の過ち”に目撃者がいたから。

『キス見られたくらいでなんつー顔してんのよ。……お姉様が味方って、最強じゃない?』

あの勝ち気美人が微笑んでくれたおかげで、俺はこの2年間、何食わぬ顔でこいつの側にいれた。だからきょとん、と目を丸くされても、こいつに詳細を話す気はない。

「なぁ、まじでつけんの? オレが外したいんだけど?」
「俺が手本みせて、それからな」

渋々とストラップに腕を通す姿を見て、微かな罪悪感が音速で横切っていく。

「ストップ。Tシャツの上からつけてどうすんだよ」

大きな黒目が驚いたように瞬き、既に脱ぎ捨てられていた白スウェットの抜け殻に(あお)いTシャツが加わる。

好奇心が勝ったのか、真剣な悩みだったのか。もしくは頭がめでたいだけか。そのどれであろうと、少し心配になる。

「これホック見えないし無理じゃない? しかもなんで3つもあんの?」

ベッドの上で身悶えるさまは、まさに“かゆいところに手が届かない”それだった。延々とこの状態が続いてもお互いしんどいだけなので、笑いを堪えて、膝立ちのまま背を向けさせる。

「なー、これやっぱ恥ずかしーんだけど」
「言い出したのはそっち」

引き締まった背面に、くっきりと浮かび上がる肩甲骨。そのラインに沿って下着の端を引き寄せ、まずは1番上のホックを掛ける。

「キレイな顔って言ったの、まだ怒ってる?」
「怒ってない。でも……俺は男だよ」

耳元で囁いた瞬間、日焼けの痕跡すらない白い腰が弓なりにうねった。

「ちょっ、近い近いッ!」
「それくらいちゃんと背筋伸ばせっつの」