坂崎のお母さんに声をかけられて遺体安置所の前に立つ。そこには坂崎のお父さんもいて、お姉さんもいた。
「どうぞ、入って」
か細い坂崎のおばさんの声に僕たちはゆっくりと中に足を踏み入れる。
「ぐっ、坂崎……どうして」
無機質で寒い部屋だ。
僕は駆け足で近づき坂崎の体にもたれ号泣する。顔はきれいだった、それは奇跡的だったのかもしれない。
僕とおばさんの慟哭が部屋に響きわたる。モナは震える声で「坂崎くん」と何度も何度も名前を呼んでいた。
身体中の水分が涙として排出されて、もう立っている気力すらない。「そろそろ」の言葉と共に坂崎は運ばれていく。
黒いスーツの男性が立っている。霊柩車の運転手だろう。
だけど、その先に黒いスーツの男の人がもうひとりいた。僕は不思議に思い首を傾げる。
坂崎の家族は僕に深くお辞儀をして車に乗り込む。おばさんが思い出したかのようにこちらに駆け寄ってきた。
「これ、息子からあなたへの手紙です」
受け取る手が震える。
またこんな手紙を書かせてしまった。
「ありがとうございます」
奥にいた黒いスーツの男の人が丁寧に車へと案内する。おばさんはもう一度お辞儀をして車に向かう。
目の前の黒いスーツの人と目が合う。
「ったくよ、予定外の仕事増やすなっつうの、何回目よ」
「えっ?」
僕は驚いて瞬きをする。
「おい、シンイリ、お前死神ってより疫病神だな」
踵を返し霊柩車の方へ向かう。大きなカマが背中にある。
「別の上司?」
モナに小声で聞くとモナは「センパイ。あのジョウシと友達」と言った。
「センパイ! 聞いてください、勘違いでこれ全部間違いなんです、どうにかなりませんか? お願いします、お願いします」
モナはその男性の足元にすがりついてお願いをする。男性が動く度にカマが揺れてモナに当たりそうで怖い。
「シンイリ、よく聞け」
死神は歩くのをやめてしゃがみこみ、モナと同じ視線になった。
「はい」
「これは異例の事態だ」
「はい」
「お前は誰かと目を合わせて一ヶ月見守る、それだけでよかったんだ、だけどなんだこの状態は」
「すみません」
「あとちょっとだな、くれぐれもこれ以上増やさないでくれよ、なんであいつも譲渡システムとか生ぬるい救済システム教えたのかなー、とっとと終わらせればよかったのに」
「ジョウシは?」
「そこにいる兄ちゃんを連れていく時には来るだろ、今日は忙しいんだ、なんせイレギュラーな仕事なんでね」
嫌味のようにゆっくりとそう言うと踵を返し今度こそほんとうにその場から去っていきかけて再び振り向いた。
「今度こそ、大丈夫だよな? その人とか」
そう言って父さんのことを顎でしゃくる。
「そ、それはさせない」
僕はムキになってそう答えた。
もう誰も失わない。
「そう? ならいいけど」
待っているだけじゃ物事は悪い方へと進んでいく。この不幸の連鎖を断ち切らなければいけない。
そう、それは僕の手で。
もう誰も巻き込まず、僕がやらなければ。
「モナちゃん? 大丈夫?」
モナはぐったりと座り込んだ。
廊下でずっと待っていた父さんがうずくまるモナを心配して駆け寄る。父さんには死神が見えないからセンパイのことは見えずモナがひとりでうずくまって泣いているように見えていたんだろう。
「大丈夫です、すみません」
「なにか飲むものを買ってくるよ、ふたりはここに座ってな」
ベンチに座りモナの隣でいろんなことを考える。モナとはもうお別れだね。
身体中の水分がまだ残っていたようで瞳から溢れ出てくる。
もう夜明けが近い。病院は閉まっている、慌ただしくお医者さんたちがたまに行き来するくらいだ。
モナは僕の背後に立った。
そして、モナは僕を後ろから抱きしめた。
「ポンコツでごめんね、何もかも悪くなってばかり、私のせいだよ、ごめんね、けいた」
「モナのせいじゃない」
僕は僕の胸の前で組まれているモナの手を掴んだ。じんわりと温かかった。
僕は覚悟を決める。
しばらくして父さんが飲み物を持って戻ってきた。それを飲みながら三人に会話はなかった。
そろそろ本格的に夜が明けようとしている。
「父さん、僕は午前中は学校休んであすみちゃんのところに行くよ。あすみちゃんも家に戻って来てると思う」
「ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫だよ」僕はわざと大きく口角を上げた。「で、一回家に帰って支度してから学校行くね」
「休んでもいいんだぞ」
「大丈夫だって」
「じゃあ俺はこのまま仕事に行く、遥菜は学校だし母さんも今日はパートの日かな?」
「うん、そうだよ」
「出る時鍵閉めるの忘れずに、シンイリのことも様子みといてな」
「わかってるって」
病院から空を見る。青でも灰でもない、僕の心みたいだ。
父さんに最寄りの駅まで送ってもらい別れてモナとあすみちゃんの家へ向かう。
「まだあすみちゃん帰ってないだろうな」
「まだ朝だからね」
「少しだけ公園に寄ろっか」
僕とモナはいつもの公園のいつものベンチに向かう。いつもはおじさんがいた場所。
いつもおじさんがいた場所、元からなにもなかったかのようにきれいになっている。
だけどベンチに座っていると後ろからおじさんがふっと現れそうで、また前みたいに顔を崩して笑ってくれそうで、そんな期待をしてしまう。
「けいた、大丈夫?」
「ん? うん、モナは?」
「私があの日顔を上げなければこんなことにならなかったのにって思う。けいた、ごめんね」
「違う、モナのせいじゃないよ」
モナのことも苦しめている。
僕はまた自責の念に苛まれる。
謝るのは僕の方だ。
「モナ、ごめんね」
「どうしてけいたが謝るの?」
「うーん、なんでだろ、僕がもっとうまくやれればよかったのにって後悔ばかりだ」
モナは俯く。
僕たちはあと少ししか一緒にいられない。
だけど僕たちは俯いてばかりで残り少ない時間を大事にしない。
ただ時間が過ぎていく。
太陽が昇っていく。
いちにちが始まる。
僕の今日は終わりに向かう。
人通りが激しくなってきた。
「そろそろ行こっか」
「うん」
あすみちゃんの家まで着くとあすみちゃんが中から出てきた。
「あすみちゃん、どう? すぐ退院できたんだね」
「日帰り退院もできるんだけど、ちょっと泊まってきちゃった」
「体つらい?」
その質問にあすみちゃんは首を横に振り珍しく弱気なことを言った。
「どっちかっていうと、こっちかな」
そうして胸をトンとこついた。
「そっか、一緒にいてあげたいけど僕行かなきゃいけないとこあって、ごめん。あすみちゃん、体に気をつけてね、僕のせいでいろいろごめんね」
「え? ううん、けいたくんのせいじゃないよ」
「とりあえず今日はゆっくり休もう」
「そうだね」
あすみちゃんは家の中に入る。モナがゆっくりと振り返りこちらに駆けてきた。そして小さい声で僕に聞く。
「けいた? 私もそっち行っちゃダメ?」
「何言ってんの、僕は今から学校に行くんだよ」
「ほんとに?」
「そうさっき父さんと話してたじゃないか」
「うん」
モナは納得いかないように下を向く。
「モナ」
「ん?」
「出会えてよかった」
「けいた?」
「昇格試験、こんな奴でごめん」
「シンイリじゃなくなったらなんて呼ばれるんだろ? ほんとの名前? だとしたら僕、知りたかったな」
手を挙げた、そして左右に揺らす。
「バイバイ」と呟く。
モナは泣く。
「バイバイ、モナ」
「いや」
踵を返し走りだす。
「けいたー、けいたー、好きだよ、けいたー」
後ろでモナの声がする。
ピタッと止まり振り返る。
「僕だって好きだ、初めて会った時からずっとモナのことが大好きだ」
そして次の瞬間、僕はもう一度も振り返ることなく家まで走った。
家にはもう誰もいなかった。
父さんは仕事、母さんはパート、妹は学校に行った後だ。
「シンイリ、おやつ食べよう」
いつもと違うおやつタイムにシンイリは嬉しそうに尻尾を立てる。プルプルと震えて感情を抑えることができないようだ。
おやつの後シンイリを僕の部屋に連れていき、僕はあぐらをかいて坂崎の手紙を開いた。
手紙には僕宛てのメッセージと、死の権利の譲渡書が入っていた。見た感じただの紙切れだ。こんなものにそんな効力があるのかはわからない。
小さく舌打ちをしてその紙を丸めた。
そして手紙を開いた。
「どうぞ、入って」
か細い坂崎のおばさんの声に僕たちはゆっくりと中に足を踏み入れる。
「ぐっ、坂崎……どうして」
無機質で寒い部屋だ。
僕は駆け足で近づき坂崎の体にもたれ号泣する。顔はきれいだった、それは奇跡的だったのかもしれない。
僕とおばさんの慟哭が部屋に響きわたる。モナは震える声で「坂崎くん」と何度も何度も名前を呼んでいた。
身体中の水分が涙として排出されて、もう立っている気力すらない。「そろそろ」の言葉と共に坂崎は運ばれていく。
黒いスーツの男性が立っている。霊柩車の運転手だろう。
だけど、その先に黒いスーツの男の人がもうひとりいた。僕は不思議に思い首を傾げる。
坂崎の家族は僕に深くお辞儀をして車に乗り込む。おばさんが思い出したかのようにこちらに駆け寄ってきた。
「これ、息子からあなたへの手紙です」
受け取る手が震える。
またこんな手紙を書かせてしまった。
「ありがとうございます」
奥にいた黒いスーツの男の人が丁寧に車へと案内する。おばさんはもう一度お辞儀をして車に向かう。
目の前の黒いスーツの人と目が合う。
「ったくよ、予定外の仕事増やすなっつうの、何回目よ」
「えっ?」
僕は驚いて瞬きをする。
「おい、シンイリ、お前死神ってより疫病神だな」
踵を返し霊柩車の方へ向かう。大きなカマが背中にある。
「別の上司?」
モナに小声で聞くとモナは「センパイ。あのジョウシと友達」と言った。
「センパイ! 聞いてください、勘違いでこれ全部間違いなんです、どうにかなりませんか? お願いします、お願いします」
モナはその男性の足元にすがりついてお願いをする。男性が動く度にカマが揺れてモナに当たりそうで怖い。
「シンイリ、よく聞け」
死神は歩くのをやめてしゃがみこみ、モナと同じ視線になった。
「はい」
「これは異例の事態だ」
「はい」
「お前は誰かと目を合わせて一ヶ月見守る、それだけでよかったんだ、だけどなんだこの状態は」
「すみません」
「あとちょっとだな、くれぐれもこれ以上増やさないでくれよ、なんであいつも譲渡システムとか生ぬるい救済システム教えたのかなー、とっとと終わらせればよかったのに」
「ジョウシは?」
「そこにいる兄ちゃんを連れていく時には来るだろ、今日は忙しいんだ、なんせイレギュラーな仕事なんでね」
嫌味のようにゆっくりとそう言うと踵を返し今度こそほんとうにその場から去っていきかけて再び振り向いた。
「今度こそ、大丈夫だよな? その人とか」
そう言って父さんのことを顎でしゃくる。
「そ、それはさせない」
僕はムキになってそう答えた。
もう誰も失わない。
「そう? ならいいけど」
待っているだけじゃ物事は悪い方へと進んでいく。この不幸の連鎖を断ち切らなければいけない。
そう、それは僕の手で。
もう誰も巻き込まず、僕がやらなければ。
「モナちゃん? 大丈夫?」
モナはぐったりと座り込んだ。
廊下でずっと待っていた父さんがうずくまるモナを心配して駆け寄る。父さんには死神が見えないからセンパイのことは見えずモナがひとりでうずくまって泣いているように見えていたんだろう。
「大丈夫です、すみません」
「なにか飲むものを買ってくるよ、ふたりはここに座ってな」
ベンチに座りモナの隣でいろんなことを考える。モナとはもうお別れだね。
身体中の水分がまだ残っていたようで瞳から溢れ出てくる。
もう夜明けが近い。病院は閉まっている、慌ただしくお医者さんたちがたまに行き来するくらいだ。
モナは僕の背後に立った。
そして、モナは僕を後ろから抱きしめた。
「ポンコツでごめんね、何もかも悪くなってばかり、私のせいだよ、ごめんね、けいた」
「モナのせいじゃない」
僕は僕の胸の前で組まれているモナの手を掴んだ。じんわりと温かかった。
僕は覚悟を決める。
しばらくして父さんが飲み物を持って戻ってきた。それを飲みながら三人に会話はなかった。
そろそろ本格的に夜が明けようとしている。
「父さん、僕は午前中は学校休んであすみちゃんのところに行くよ。あすみちゃんも家に戻って来てると思う」
「ひとりで大丈夫か?」
「大丈夫だよ」僕はわざと大きく口角を上げた。「で、一回家に帰って支度してから学校行くね」
「休んでもいいんだぞ」
「大丈夫だって」
「じゃあ俺はこのまま仕事に行く、遥菜は学校だし母さんも今日はパートの日かな?」
「うん、そうだよ」
「出る時鍵閉めるの忘れずに、シンイリのことも様子みといてな」
「わかってるって」
病院から空を見る。青でも灰でもない、僕の心みたいだ。
父さんに最寄りの駅まで送ってもらい別れてモナとあすみちゃんの家へ向かう。
「まだあすみちゃん帰ってないだろうな」
「まだ朝だからね」
「少しだけ公園に寄ろっか」
僕とモナはいつもの公園のいつものベンチに向かう。いつもはおじさんがいた場所。
いつもおじさんがいた場所、元からなにもなかったかのようにきれいになっている。
だけどベンチに座っていると後ろからおじさんがふっと現れそうで、また前みたいに顔を崩して笑ってくれそうで、そんな期待をしてしまう。
「けいた、大丈夫?」
「ん? うん、モナは?」
「私があの日顔を上げなければこんなことにならなかったのにって思う。けいた、ごめんね」
「違う、モナのせいじゃないよ」
モナのことも苦しめている。
僕はまた自責の念に苛まれる。
謝るのは僕の方だ。
「モナ、ごめんね」
「どうしてけいたが謝るの?」
「うーん、なんでだろ、僕がもっとうまくやれればよかったのにって後悔ばかりだ」
モナは俯く。
僕たちはあと少ししか一緒にいられない。
だけど僕たちは俯いてばかりで残り少ない時間を大事にしない。
ただ時間が過ぎていく。
太陽が昇っていく。
いちにちが始まる。
僕の今日は終わりに向かう。
人通りが激しくなってきた。
「そろそろ行こっか」
「うん」
あすみちゃんの家まで着くとあすみちゃんが中から出てきた。
「あすみちゃん、どう? すぐ退院できたんだね」
「日帰り退院もできるんだけど、ちょっと泊まってきちゃった」
「体つらい?」
その質問にあすみちゃんは首を横に振り珍しく弱気なことを言った。
「どっちかっていうと、こっちかな」
そうして胸をトンとこついた。
「そっか、一緒にいてあげたいけど僕行かなきゃいけないとこあって、ごめん。あすみちゃん、体に気をつけてね、僕のせいでいろいろごめんね」
「え? ううん、けいたくんのせいじゃないよ」
「とりあえず今日はゆっくり休もう」
「そうだね」
あすみちゃんは家の中に入る。モナがゆっくりと振り返りこちらに駆けてきた。そして小さい声で僕に聞く。
「けいた? 私もそっち行っちゃダメ?」
「何言ってんの、僕は今から学校に行くんだよ」
「ほんとに?」
「そうさっき父さんと話してたじゃないか」
「うん」
モナは納得いかないように下を向く。
「モナ」
「ん?」
「出会えてよかった」
「けいた?」
「昇格試験、こんな奴でごめん」
「シンイリじゃなくなったらなんて呼ばれるんだろ? ほんとの名前? だとしたら僕、知りたかったな」
手を挙げた、そして左右に揺らす。
「バイバイ」と呟く。
モナは泣く。
「バイバイ、モナ」
「いや」
踵を返し走りだす。
「けいたー、けいたー、好きだよ、けいたー」
後ろでモナの声がする。
ピタッと止まり振り返る。
「僕だって好きだ、初めて会った時からずっとモナのことが大好きだ」
そして次の瞬間、僕はもう一度も振り返ることなく家まで走った。
家にはもう誰もいなかった。
父さんは仕事、母さんはパート、妹は学校に行った後だ。
「シンイリ、おやつ食べよう」
いつもと違うおやつタイムにシンイリは嬉しそうに尻尾を立てる。プルプルと震えて感情を抑えることができないようだ。
おやつの後シンイリを僕の部屋に連れていき、僕はあぐらをかいて坂崎の手紙を開いた。
手紙には僕宛てのメッセージと、死の権利の譲渡書が入っていた。見た感じただの紙切れだ。こんなものにそんな効力があるのかはわからない。
小さく舌打ちをしてその紙を丸めた。
そして手紙を開いた。