長いいちにちが終わろうとしていた。僕のカウントダウンも確実に減っている。僕の大好きな人がひとりいなくなっただけで、この世はまるで人口の半分がいなくなったかのように寂しく感じる。


 家に帰る。重い足取り、おじさんはもういない。何度も何度もその現実が頭の中で暴れている。


 大好きだったおじさんが僕のためにいなくなった。だけど僕はおじさんの願いを叶えられない。僕はおじさんの分も生きるということができない。


 こんなの詐欺だ。ごめんおじさん。
 こんな詐欺をしてしまってほんとうにごめん。


 家に着くとやっぱり家族がいた。ドアを開けた瞬間、もうすでに家は温かく、蛍光灯の光が僕の心を幾分か落ち着かせた。


 こんな時だからこそ家族の温もりがいつもよりいっそ強く感じられた。


 僕はベッドに横になりまたじんわりと涙がこぼれてきた。


 ――けいたくん


 あすみちゃんからのメッセージにスマホを開く。


 ――比嘉


 ――けいた大丈夫?←モナちゃんから


 そこはグループになっていた。みんなひとりが辛いんだ。ひとりが辛くてみんながみんなを求めている。モナだけはスマホがないからあすみちゃんのを借りている。


 ――みんな、週末おじさんに線香あげにいかないか?


 線香花火で遊んでいたはずなのに、数日後にはこんなことになるなんて。


 ――いいね

 ――おじさんどこにいるんだろ?

 ――無縁仏っぽいよな

 ――おじさんのお墓を作ろう←モナちゃんから

 

 公園の端っこにスペースを決める。少しだけ土を盛り上げる。もちろんその中におじさんはいない。線香だって花だって行った時だけ置いて、すぐに持ち帰る。他の人からはなにも見えない。おじさんのこともおじさんがいた形跡もなにもわからない。


 だけど僕らだけがわかるように僕らが小さく印をつける。そこをお墓ってことにする。もちろん、心の中のお墓だ。そこでみんな待ち合わせする。


 誰にも迷惑かけないように僕らはおじさんを弔う。おじさん、それくらいはいいよね。


 週末になると僕は線香と花を飼っておじさんの元へ向かった。


「よお」
「おはよ」
「おお」
「なんだか久しぶりな気がするね」


 一週間近く会っていなかった、たったそれだけなのにそんな気がする。


 おじさんのお墓と決めた場所を小さく囲う。そこに線香をあげて手を合わせる。お花も置いて缶ジュースを置いた。


「おじさん、見てるかな?」
「どうだろうな、見てたらこの缶ジュースの缶でも蹴ってほしいけどな」


 そう言ってしばらく缶ジュースの缶を見つめた。
 心のどこかでほんとうに缶が倒れるかもしれないと期待した。


 だけど、缶が倒れることはなかった。


「じゃあ片付けて行きますか」
「うん」
「しかしちょっと寒くなってきたよな」
「モナ、その格好寒くないの?」
「私、あと少しで上に帰る」


 その言葉にみんなは視線を伏した。


「そっか、そろそろ約束の時間だもんね」
「まだ諦めてないよ」
「僕もだよ」


 モナの言った「まだ諦めてないよ」の言葉。僕はもう諦めかけていたけど「僕もだよ」と、そう返した。モナが悲しい顔をしないように。


「けいたくんがいなくなったらモナちゃんもいなくなるんだよね」
「そうだよ」
「けいたくんが生き残った場合は? 誰かに死の権利を譲渡できたとして」
「それでも私はいなくなるよ」


 別れは近づいている。


 五人で会っていた僕たちは確実に三人にはなる、そして僕もほぼ確実だから残りはふたり。


「俺らいなくなってもお前ら会ったりしろよ?」


 そう言うと坂崎は少しムッとしたように語気を強めた。


「それはどうかな、そんなことは期待しない方がいいよ、みんなを繋げたのは比嘉なんだからやっぱり比嘉がいないとまとまりが悪いよ」
「そんなこと言わないでくれよ」


 僕は苦笑した。

 今回は坂崎はつられて笑ってはくれなかった。



 そして、とうとう僕の命のカウントダウンは最後の大詰めに入る時が来た。ラスト一週間に突入したんだ。


 いつも通り起きていつも通り学校へ行き、いつも通り塾に行き、いつも通り勉強をする。
 もうそんなことはできなかった。
 全てそうやっているような「フリ」をした。


 学校は体調不良で休みがちになり塾にも行っていない。そりゃ親にバレたら大変だけど一週間ならバレる前に死ぬような気がする。


 最後くらい頑張らなくても、いいよね?


 僕は朝は制服を着て家を出て、私服に着替えて公園に行く。そしておじさんと話をする。


「おじさん、もうすぐ僕も行くよ、おじさんいるから怖さ半減だよ、でも僕行ったらおじさん怒るかな? そしたら怖さ倍増だよ」


 そんなことを話して帰る。
 塾の日は夜までそこにいる。


 補導されないようにたまに場所を変える。


 そうして日々は過ぎていく。


 最後のカウントがゼロになった時、僕はどこにいるんだろう、なにをしているんだろう、病気はなさそうだから事故か自殺だろう。事故は選ばない。加害者ができてしまうからね。



 僕はもう自分の最期をあらかた決めていた。




 なのに



 その予定だったのに




 大きくそれが狂うことになる。




 家に戻り作り笑いを浮かべて「ただいま」と挨拶をする。いつもこの瞬間何かがバレてしまわないかと不安になる。


 何事もなくそこを突破するのはいつも検問を突破したような気分になる。


 いつものようにご飯を食べて、お風呂に入り、シンイリと遊ぶ。これが僕の帰ってからのルーティンだ。


 ほんとうはシンイリともっとずっといたいけど部屋に閉じこもり勉強をする振りをしないと不自然だから渋々部屋に入る。



「シンイリ連れてっちゃダメ? 膝に乗せてると集中力上がる気がするんだ」


 そんな提案をしたけど「ダメ」と一蹴された。


 シンイリは妹がガッチリと膝の上でロックをしてきた。


 そんな時ピンポンとチャイムがなった。
 時計を見る。もう二十二時過ぎだ。


 こんな時間に誰か来るはずなんてない。僕は妙な胸騒ぎを覚えた。
 スマホを確認する。なんの連絡もない。


 父さんへの用事かな?
 家族の全員がそう思ったようで父さんがインターホンのボタンを押した。


「はい」


「はぁはぁはぁはぁ」


 向こうでは切れた息、よっぽど急いで走ってきたのか両膝に両手をついて頭を下げている、モニターに顔は映らず誰なのかわからない。


「えっと、どちらさまですか?」


「はぁはぁはぁ、け、いた」


 か細い声が聞こえた。僕は立ち上がってすぐにモニターの方へ行く。


「けい……たさん、はぁはぁお願いします、私の名前は……モナです」


「わお、お兄ちゃん彼女? やるぅ」


 妹の冷やかしの声を無視してすぐに玄関に走りドアを開ける。


「モナ、どうしたの?」


「はぁはぁはぁ」


 肩で息をしている、そしてそれはしだいに胸で息をして随分苦しそうだ。


「あすみちゃんが……はぁはぁはぁ」
「あすみちゃんが? どうしたの?」
「中絶した」


 僕は絶望した。


「それと同時に」


「何まだあるの? あすみちゃんは? 無事なんだよね?」


「あすみちゃんは大丈夫」


「よかった、で、それと同時にどうしたの?」







 
「坂崎くんが飛び降りた」





 はっ、はぁ、はぁ




 息が、息ができない、苦しい、息の仕方がわからない。



 僕は膝から崩れ落ちた。



「ちょっと慶太、どうしたの、落ち着いて」


 母さんが僕の背を撫でる。


「あなたも落ち着いて」


 頬にたくさんの涙をこぼしたモナの顔がまぶたの裏にこびりつく。


「はぁ、はぁ、なんで、なんで、なんで、なんでーーーーーーーーーーーあぁーーーーーーーーーーーーーーー」


 僕は床に転がり雄叫びを上げる。


 父さんが僕を抱きしめた。強く強く抱きしめた。



「大丈夫だ、大丈夫、落ち着け慶太、大丈夫だ」



 だけど僕は呼吸ができなくなった。



「ああああああ」



 声にならない声を出し、身体中から涙が吹き出すような感覚を覚えた。