連休最終日、僕はおじさんの誕生日会を終えて上機嫌に家に戻った。
家に戻るともう家族のみんなは旅行から帰ってきていた。
「おかえりーお兄ちゃん」
「ただいま」
「旅行中シンイリ大丈夫だった?」
「ご飯もよく食べてたしお水も飲んでたしおやつも食べてた」
「トイレ見た?」
「立派なもんをしてたよ」
「よかった」
僕は着替えに自分の部屋に向かう。ついでにリビングに置きっぱなしだった参考書とノートを回収して部屋に持っていく。
「慶太、ご飯はちゃんと食べた?」
「うん、冷凍のやつもらったよ」
「そう、よかった」
「美味しかったよ、ありがとう」
そんな会話をしてその日は眠りについた。思えば僕たちの最後の幸せはこの日だったのかもしれない。カウントダウンが大詰めになるように日々はものすごいスピードで過ぎていく。
噛み合わなくなった歯車はいまだに噛み合わない、ギリリと音を立てて噛み合う日を心待ちにしている。
おじさんの遺体が発見されたのはそれから二日ほど経ったあと、誰にも気づかれずにひっそりと死んでいた。寂しかっただろう、苦しかっただろう、第一発見者は市役所の職員さんだった。
僕たちは警察署へ向かいおじさんたちに会いたいって言ったけどダメだった。おじさんの親族に連絡をとったがおじさんに親族はいないようだ。
当然僕たちはおじさんのことなんてなにも知らない。
「私のせいだ、私のせい」
あすみちゃんは取り乱すように膝から崩れ落ちて泣いた。
「そんなことないよ」
そう言って肩に手を置く。
「そんなことない」
モナはそう言ってあすみちゃんを抱きしめる。
「あの日、私はおじさんにあの話をしたの」
呼吸が戻ってきた頃、大きく深呼吸をしてあすみちゃんは話しだした。
「あの日、私ママの彼氏から追い出されちゃってモナちゃんだけはけいたくんに任せて、私は行くあてもなくておじさんのところに行ったの。そしてふたりでいろんな話をしてた時に私のお腹の赤ちゃんの話もした。そして……」そこから少し言いづらそうに言葉が詰まった。僕たちはゆっくりと次の言葉を待つ。「けいたくんの話をした」
「え?」それは予想外の言葉だった。「僕の話って?」
「もうすぐ死んじゃう話、誰かが代わりになれば死ななくていいって話、私はこの子の命と引き換えにけいたくんの命を繋ごうとしたって話した。そしたらうんうんとうなずいて聞いていたんだけど、今から思えば少し思い込んだような顔をしてたかもしれない」
覚悟を決めたんだ、その時に。
「僕は死の権利を譲渡なんてしないのに」
「それなんだけど、その部分はおじさんには言ってなかったんだ。そんな詳しい部分は混乱するだろうし、そもそもおじさんが死んじゃうなんて思わなかったから」
僕たちは泣いた、泣き崩れた。
おじさんは僕を生かすために死んだとわかったから。
「モナ、死神はおじさんのところに行ったのかな?」
「見習いが目を合わせたわけじゃないし、こういう突発的なのは事前に迎えには行ってない思うよ」
迎えか。
おじさん、独りのままいなくなっちゃったのか。
僕たちは公園に着いた。あの場所におじさんはもういない。それどころかもうおじさんがいた形跡すらすっかりなくなっていた。
まるでここには最初から誰もいなかったかのように――。
「君たち」
振り返ると中年くらいのおじさんが立っていた。
おじさんくらいの年齢の男の人に話しかけられて僕は頭では解っているはずなのに、なぜか期待に満ちた顔で振り返る。
だけど、そんなわけなくて瞳を伏せる。
「やっぱりあの時の子か」
「あ、市役所さん?」
「おお、警察の実況見分が終わったあと俺らが撤去をしたんだけどこんなの出てきたぞ、こういうのって警察が持っていきそうだけどもう全部ゴミとして処理してくれって。自殺ってのは明らかだし家族もいないみたいだし、いいと思ったのかな、ほらお兄ちゃんのどっちかのことだろ、これ」
おじさんが生活していたもの、おじさんの大切にしていたもの、おじさんが生きるためのもの、おじさんの最期の手紙、それらはもう「ゴミ」として捨てられるだけになっていた。
その髪には「お兄ちゃんへ」と書いてあった。
「僕宛てだ」
「全部捨てるところなんだ、貰っとけ」
「あの、ありがとうございます」
「お兄ちゃんたち家族ではないんだよな?」
「違います、友人です」
友人て言葉に職員さんは一瞬驚いたような顔をしたけどすぐに「そうか」と顔を緩ませた。
僕は手紙を受け取る。なかなか開く勇気はない。
「帰ってひとりで読むよ」
「ほんとにごめんなさい、私が余計なこと言ったから」
「あすみちゃんのせいじゃないよ」
僕たちは下を向き歩いた。最後別れたあの日からまだ何日も経っていないのにあの時の楽しかった思い出が嘘みたいだ。
僕はみんなと別れてひとりで手紙を広げた。家にはもうみんなが帰ってきているはずだから。
唾を飲み大きく深呼吸をして紙を広げる。手は震えている。視界が揺れる。大粒の涙が僕の視界を邪魔する。
兄ちゃんへ
この冒頭を見た瞬間、僕の目にはまた涙が溢れた。
あのおじさんの目を細めた笑顔が浮かんでくる。ひゃひゃと声を上げた笑い声、汚れた顔を雑に手の甲で拭いて僕のことを呼ぶ、あのおじさんの顔が鮮明に思い出される。
兄ちゃんへ
兄ちゃん、悲しんだらいけないよ。
兄ちゃん、こんなことしかしてあげられなくてごめんな、俺はもうどの道長くない。ここは追い出されるだろうし、だからって社会に戻れるとは思えねーんだ、坂崎くんには偉そうに外に出れてよかったな、偉かったなんて言っておきながら、俺にはそれができないんだよ。
しかしいい友達に恵まれたなー。それは兄ちゃんの人徳だよな。兄ちゃん、友達のこと悲しませちゃいけないよ、お父さん、お母さんのこと悲しませちゃいけないよ、子どもに先立たれるってのがいちばん親の心にくるんだ。
あすみちゃん、教えてくれてありがとな。
あすみちゃんは中絶を考えてたから俺が早く実行して間に合うことを願う。
だからあすみちゃんはゆっくりお腹の子のことを考えな。
坂崎くん、君はまだ若い。明るい未来が待ってる。生きるのが辛いかい? そうだよ。だけど生きることは楽しいよ。おじさんに言われても説得力ないだろうけど、おじさんみんなに会えてほんとうに嬉しかったよ。おじさん足も痛いしおじさん体も痛いし、おじさんはこれが寿命だったんだよ。
兄ちゃん、おじさんの代わりに生きてな。
間違っても自分のせいで俺が死んだなんて考えないことだ。
最後にモナちゃん、兄ちゃんを守ってやってな。
モナちゃんもつらい仕事だな。
仕事ってつらいもんだよな。
だけどどんな仕事も誰かの役に立っている。
無駄じゃない。
きっとモナちゃんの仕事もそうなんじゃないのかな?
じゃあ、これでお別れだ。
誕生日会、嬉しかったよ。
ありがとうな。
俺の年の離れた親友たちへ。
おじさんより。
死の譲渡をしていない状況でおじさんが死んでもなにも変わらない。なにも変わらないんだよ。
僕は悔しさをぶつける場所もなく、ただ手紙を握りしめて泣いた。嗚咽をあげて泣いた。人目も憚らずに泣いた。
おじさんが死んだ。
おじさんが死んじゃった。
僕のためにおじさんが死んじゃったんだ。
家に戻るともう家族のみんなは旅行から帰ってきていた。
「おかえりーお兄ちゃん」
「ただいま」
「旅行中シンイリ大丈夫だった?」
「ご飯もよく食べてたしお水も飲んでたしおやつも食べてた」
「トイレ見た?」
「立派なもんをしてたよ」
「よかった」
僕は着替えに自分の部屋に向かう。ついでにリビングに置きっぱなしだった参考書とノートを回収して部屋に持っていく。
「慶太、ご飯はちゃんと食べた?」
「うん、冷凍のやつもらったよ」
「そう、よかった」
「美味しかったよ、ありがとう」
そんな会話をしてその日は眠りについた。思えば僕たちの最後の幸せはこの日だったのかもしれない。カウントダウンが大詰めになるように日々はものすごいスピードで過ぎていく。
噛み合わなくなった歯車はいまだに噛み合わない、ギリリと音を立てて噛み合う日を心待ちにしている。
おじさんの遺体が発見されたのはそれから二日ほど経ったあと、誰にも気づかれずにひっそりと死んでいた。寂しかっただろう、苦しかっただろう、第一発見者は市役所の職員さんだった。
僕たちは警察署へ向かいおじさんたちに会いたいって言ったけどダメだった。おじさんの親族に連絡をとったがおじさんに親族はいないようだ。
当然僕たちはおじさんのことなんてなにも知らない。
「私のせいだ、私のせい」
あすみちゃんは取り乱すように膝から崩れ落ちて泣いた。
「そんなことないよ」
そう言って肩に手を置く。
「そんなことない」
モナはそう言ってあすみちゃんを抱きしめる。
「あの日、私はおじさんにあの話をしたの」
呼吸が戻ってきた頃、大きく深呼吸をしてあすみちゃんは話しだした。
「あの日、私ママの彼氏から追い出されちゃってモナちゃんだけはけいたくんに任せて、私は行くあてもなくておじさんのところに行ったの。そしてふたりでいろんな話をしてた時に私のお腹の赤ちゃんの話もした。そして……」そこから少し言いづらそうに言葉が詰まった。僕たちはゆっくりと次の言葉を待つ。「けいたくんの話をした」
「え?」それは予想外の言葉だった。「僕の話って?」
「もうすぐ死んじゃう話、誰かが代わりになれば死ななくていいって話、私はこの子の命と引き換えにけいたくんの命を繋ごうとしたって話した。そしたらうんうんとうなずいて聞いていたんだけど、今から思えば少し思い込んだような顔をしてたかもしれない」
覚悟を決めたんだ、その時に。
「僕は死の権利を譲渡なんてしないのに」
「それなんだけど、その部分はおじさんには言ってなかったんだ。そんな詳しい部分は混乱するだろうし、そもそもおじさんが死んじゃうなんて思わなかったから」
僕たちは泣いた、泣き崩れた。
おじさんは僕を生かすために死んだとわかったから。
「モナ、死神はおじさんのところに行ったのかな?」
「見習いが目を合わせたわけじゃないし、こういう突発的なのは事前に迎えには行ってない思うよ」
迎えか。
おじさん、独りのままいなくなっちゃったのか。
僕たちは公園に着いた。あの場所におじさんはもういない。それどころかもうおじさんがいた形跡すらすっかりなくなっていた。
まるでここには最初から誰もいなかったかのように――。
「君たち」
振り返ると中年くらいのおじさんが立っていた。
おじさんくらいの年齢の男の人に話しかけられて僕は頭では解っているはずなのに、なぜか期待に満ちた顔で振り返る。
だけど、そんなわけなくて瞳を伏せる。
「やっぱりあの時の子か」
「あ、市役所さん?」
「おお、警察の実況見分が終わったあと俺らが撤去をしたんだけどこんなの出てきたぞ、こういうのって警察が持っていきそうだけどもう全部ゴミとして処理してくれって。自殺ってのは明らかだし家族もいないみたいだし、いいと思ったのかな、ほらお兄ちゃんのどっちかのことだろ、これ」
おじさんが生活していたもの、おじさんの大切にしていたもの、おじさんが生きるためのもの、おじさんの最期の手紙、それらはもう「ゴミ」として捨てられるだけになっていた。
その髪には「お兄ちゃんへ」と書いてあった。
「僕宛てだ」
「全部捨てるところなんだ、貰っとけ」
「あの、ありがとうございます」
「お兄ちゃんたち家族ではないんだよな?」
「違います、友人です」
友人て言葉に職員さんは一瞬驚いたような顔をしたけどすぐに「そうか」と顔を緩ませた。
僕は手紙を受け取る。なかなか開く勇気はない。
「帰ってひとりで読むよ」
「ほんとにごめんなさい、私が余計なこと言ったから」
「あすみちゃんのせいじゃないよ」
僕たちは下を向き歩いた。最後別れたあの日からまだ何日も経っていないのにあの時の楽しかった思い出が嘘みたいだ。
僕はみんなと別れてひとりで手紙を広げた。家にはもうみんなが帰ってきているはずだから。
唾を飲み大きく深呼吸をして紙を広げる。手は震えている。視界が揺れる。大粒の涙が僕の視界を邪魔する。
兄ちゃんへ
この冒頭を見た瞬間、僕の目にはまた涙が溢れた。
あのおじさんの目を細めた笑顔が浮かんでくる。ひゃひゃと声を上げた笑い声、汚れた顔を雑に手の甲で拭いて僕のことを呼ぶ、あのおじさんの顔が鮮明に思い出される。
兄ちゃんへ
兄ちゃん、悲しんだらいけないよ。
兄ちゃん、こんなことしかしてあげられなくてごめんな、俺はもうどの道長くない。ここは追い出されるだろうし、だからって社会に戻れるとは思えねーんだ、坂崎くんには偉そうに外に出れてよかったな、偉かったなんて言っておきながら、俺にはそれができないんだよ。
しかしいい友達に恵まれたなー。それは兄ちゃんの人徳だよな。兄ちゃん、友達のこと悲しませちゃいけないよ、お父さん、お母さんのこと悲しませちゃいけないよ、子どもに先立たれるってのがいちばん親の心にくるんだ。
あすみちゃん、教えてくれてありがとな。
あすみちゃんは中絶を考えてたから俺が早く実行して間に合うことを願う。
だからあすみちゃんはゆっくりお腹の子のことを考えな。
坂崎くん、君はまだ若い。明るい未来が待ってる。生きるのが辛いかい? そうだよ。だけど生きることは楽しいよ。おじさんに言われても説得力ないだろうけど、おじさんみんなに会えてほんとうに嬉しかったよ。おじさん足も痛いしおじさん体も痛いし、おじさんはこれが寿命だったんだよ。
兄ちゃん、おじさんの代わりに生きてな。
間違っても自分のせいで俺が死んだなんて考えないことだ。
最後にモナちゃん、兄ちゃんを守ってやってな。
モナちゃんもつらい仕事だな。
仕事ってつらいもんだよな。
だけどどんな仕事も誰かの役に立っている。
無駄じゃない。
きっとモナちゃんの仕事もそうなんじゃないのかな?
じゃあ、これでお別れだ。
誕生日会、嬉しかったよ。
ありがとうな。
俺の年の離れた親友たちへ。
おじさんより。
死の譲渡をしていない状況でおじさんが死んでもなにも変わらない。なにも変わらないんだよ。
僕は悔しさをぶつける場所もなく、ただ手紙を握りしめて泣いた。嗚咽をあげて泣いた。人目も憚らずに泣いた。
おじさんが死んだ。
おじさんが死んじゃった。
僕のためにおじさんが死んじゃったんだ。