私は岩崎さんから預かった合鍵で彼のマンションの部屋に入り、食事の準備をしながら彼の帰宅を待った。
(雨くんも一緒に住んでいると言っていたけれど、それはどういう経緯で?)
タワーマンションの最上階に位置するこの部屋は7LDKで使っていない余分な部屋が沢山ある。
このような部屋に住めるということは、岩崎さんは『別れさせ屋』以外の本業があるのは確実だ。
(資産家の息子である可能性もあるけれど、話してみた感じ仕事ができる実業家のイメージ)
玄関の扉を開ける音がして、聡さんが入ってきた。
相変わらず隠しきれない、エリート坊ちゃんオーラを放っている。
そして、私と目が合うとそっと胸元に手を当てた。
(今、何か外したわ? バッチ? 気が付かなかったふりをしておくか⋯⋯)
「お帰りなさい、聡さん。食事作っておきました。それから明日からSSR東京銀行の新宿支店で働く予定です」
「ただいまって、おいおい、新宿支店って、丸川美由紀がいるところだぞ」
丸川美由紀33歳、私の婚約者である原裕司の浮気相手だ。
SSR東京銀行といえば、都市銀行最大手だけあって窓口勤務の女も美人が多い。
美由紀も当然美人だったが、運悪く売れ残ったのだろう。
(おそらく原因は、佐々木英樹とダラダラ関係を続けてしまったことだ⋯⋯)
彼女は付き合いで合コンに参加した裕司を、ホテルに連れ込み関係を持ったように見せかけ妊娠したと主張した。
私がなぜそれを知っているかというと、裕司のスマホには位置情報共有アプリが入っているからだ。
彼は合コンに行った後、潔癖症の彼では行く可能性が極めて低いラブホに入ったことが確認できた。
プロポーズされた後、私は裕司に自分が幼少期に親の不倫現場を目撃したことから性行為自体に嫌悪感があると告白した。
すると、彼は自分自身も今そういう行為をできる状態じゃないと告白してくれたのだ。
彼は大学時代彼女と別れる際に暴言を吐かれたらしい。
「短小、下手くそ」といった彼女の言葉は、それまで自信家だった彼をED(イーディー)にさせるに十分だった。
銀行でいわゆるお嫁さん要員とも言えるポジションで33歳まで残った美由紀から見て、彼は商社マンらしいチャラさもなく優良物件に見えたのだろう。
33歳という年齢からして、おそらく最近は合コンの機会も少なくなかっただろうから必死だったのかもしれない。
元々、全く酒が飲めない裕司に酒を飲ましたか、一服盛って酒を飲してホテルに連れ込んだ。
そして朝を迎えて、2か月後に「妊娠した」と裕司に報告した。
私は裕司が美由紀と一晩の接触があったことを感知して以来、美由紀を追った。
彼女は産婦人科には寄っていないが、ネットで超音波画像と妊娠検査薬を購入していた。
そして、駅で妊婦マークを貰っていたことまで確認できた。
彼女の妊娠が偽装だと裕司に明かしても良かったが、私は他人の子供も受け入れる器の大きい女を気取りたかった。
私自身の価値観が他とはかけ離れているのは自覚していたが、裕司は他人の子供を育てると言った私に違和感を感じて避け始めた。
そして、連絡も無視されるようになり、私と裕司はまともに会話もできていない。
運命の人である彼の前では物分かりよくしてたから、あっさりと別れてくれると思われていたのだろう。
結局、別れようとせず縋る私を引き剥がすために裕司がしたことは対話ではなく『別れさせ屋』を雇うことだった。
(私の良き理解者で、ソウルメイトだと思ったんだけどな。裕司はE D(イーディー)でも奇跡的に子供が作れたと信じているのだろうか⋯⋯)
「丸川美由紀、そろそろ、流産したーとか裕司に言ってきそうですね」
私が言った言葉に「知っていたのか」と岩崎さんが呟く。
私はどこまで無能な人間と彼に思われていたのだ。
彼がここに私を住まわせてくれるのも、私を無能で女とも思ってないからだ。
彼は優しいから、全てを失っている私を捨て猫を守るように保護しているつもりなんだろう。
私は同情されている自分が惨めになり、泣いてたまるかと目に力を込めた。
苦しいことや、悲しいことを経験する度に強くなれれば良いのに、私のガラスのハートはその度にヒビが入って弱くなっていく。
「ブスで無能な女を2週間も必死に口説くのって、プライドがある人間ならしないと思います。岩崎さんは愚かな女の心を奪ってバカにすることでストレス発散しているつもりですか? そのようなあなたが一番愚かですよ」
2週間も岩崎さんが私に惚れ込んでいるように口説いてきた日々を思い出して居心地が悪くなった。
私は自分は幼い頃のトラウマからか、生まれつきからか分からないが自分をアセクシャルだと思っている。
それでも、岩崎さんの気遣いや優しさといったものを感じ人間的に惹かれていた。
(無料で住まわせてもらえるとしても、ここに住むのはやめようかな⋯⋯ストレスが凄いわ)
「真希、俺はお前をバカにしていないし、お前ほど賢い女はいないと思っている。しかも、行動力もあって本当に魅力的だ。目的はどうあれすぐに保育士で働いたり、次は最大手の都市銀行でも働くことができるなんて普通できない」
慰めるように、私の頭に手を伸ばしてくる岩崎さんの手を私は引っ叩いた。
2週間、彼は私に偶然を装って出会い恋に落とそうとしてきた。
私は彼に対して、外用に社交的に明るく大らかに対応したつもりだった。
しかし、早い段階から彼には私が傷つきやすい繊細でネガティブな性格だとバレていたと思う。
だから、彼は傷つきやすい私が傷つかない言葉だけを使って接触してきた。
その気遣いに惹かれると同時に、気を遣いながら使われている言葉に真実味を感じず惨めになった。
彼といる時間は心地良いようで、居心地の悪い時間だった。
住まい、振る舞い、着ているスーツ全てが彼が私とは別世界の人間だと告げている。
「保育士ではなく、保育補助です。銀行での仕事も立ちっぱなしのご案内係ですよ。いずれも人手不足で猫の手も借りたい状況です。日本語が話せて身だしなみを整えれば誰でも採用されるんじゃないでしょうか。岩崎さんは下々の仕事を知らない世間知らずのお坊ちゃんっぽいところが隠せていませんよ。私のことをバカにしていないというけれど、偽名を使っている時点で十分バカにしていますよ」
私の言葉に岩崎さんがハッとした顔をする。
偽名を使っているのではないかというのは確信がなかったのに、今確信をしてしまった。
彼の人間的魅力に惹かれた時もあったし、彼の好意に甘えて部屋に住まわせてもらおうとも思った。
(名前さえ嘘なんて、表向き優しくしてきてもバカにしすぎだよ⋯⋯)
「やっぱり、私、ここには住めません。もう、放っておいてください」
私は自分でも頭に血がのぼっていると理解していた。
明日には祖父から譲り受けた家の賃貸借契約も予定している。
無料で住まわせてくれるとはいえ、気を遣って疲れることは予想していた。
しかし、腹の中ではバカにされているのに、表向きだけ気を遣われながら過ごすのは一番惨めだ。
彼が私をここに置く理由は同情だ。
私は仕事も失い、男も失い、お金もない。
「待ってくれ、ちゃんと話すから」
部屋を出ようとする私をの手首を岩崎さんが引き留めてくる。
私は同情に甘えてしまいたくなるが、プライドが許さず振り切って部屋を出た。
玄関に向かった時に、扉が開く。
そこには18歳になった雨くんがいた。
保育園でも美人と評判だった母親の面影が確かにある。
「雨くん」
0歳8か月だった彼は私のことなど覚えてもいないだろう。
だけど、5歳の私は赤ちゃんポストに入れられた彼をずっと気にしていた。
(雨くんも一緒に住んでいると言っていたけれど、それはどういう経緯で?)
タワーマンションの最上階に位置するこの部屋は7LDKで使っていない余分な部屋が沢山ある。
このような部屋に住めるということは、岩崎さんは『別れさせ屋』以外の本業があるのは確実だ。
(資産家の息子である可能性もあるけれど、話してみた感じ仕事ができる実業家のイメージ)
玄関の扉を開ける音がして、聡さんが入ってきた。
相変わらず隠しきれない、エリート坊ちゃんオーラを放っている。
そして、私と目が合うとそっと胸元に手を当てた。
(今、何か外したわ? バッチ? 気が付かなかったふりをしておくか⋯⋯)
「お帰りなさい、聡さん。食事作っておきました。それから明日からSSR東京銀行の新宿支店で働く予定です」
「ただいまって、おいおい、新宿支店って、丸川美由紀がいるところだぞ」
丸川美由紀33歳、私の婚約者である原裕司の浮気相手だ。
SSR東京銀行といえば、都市銀行最大手だけあって窓口勤務の女も美人が多い。
美由紀も当然美人だったが、運悪く売れ残ったのだろう。
(おそらく原因は、佐々木英樹とダラダラ関係を続けてしまったことだ⋯⋯)
彼女は付き合いで合コンに参加した裕司を、ホテルに連れ込み関係を持ったように見せかけ妊娠したと主張した。
私がなぜそれを知っているかというと、裕司のスマホには位置情報共有アプリが入っているからだ。
彼は合コンに行った後、潔癖症の彼では行く可能性が極めて低いラブホに入ったことが確認できた。
プロポーズされた後、私は裕司に自分が幼少期に親の不倫現場を目撃したことから性行為自体に嫌悪感があると告白した。
すると、彼は自分自身も今そういう行為をできる状態じゃないと告白してくれたのだ。
彼は大学時代彼女と別れる際に暴言を吐かれたらしい。
「短小、下手くそ」といった彼女の言葉は、それまで自信家だった彼をED(イーディー)にさせるに十分だった。
銀行でいわゆるお嫁さん要員とも言えるポジションで33歳まで残った美由紀から見て、彼は商社マンらしいチャラさもなく優良物件に見えたのだろう。
33歳という年齢からして、おそらく最近は合コンの機会も少なくなかっただろうから必死だったのかもしれない。
元々、全く酒が飲めない裕司に酒を飲ましたか、一服盛って酒を飲してホテルに連れ込んだ。
そして朝を迎えて、2か月後に「妊娠した」と裕司に報告した。
私は裕司が美由紀と一晩の接触があったことを感知して以来、美由紀を追った。
彼女は産婦人科には寄っていないが、ネットで超音波画像と妊娠検査薬を購入していた。
そして、駅で妊婦マークを貰っていたことまで確認できた。
彼女の妊娠が偽装だと裕司に明かしても良かったが、私は他人の子供も受け入れる器の大きい女を気取りたかった。
私自身の価値観が他とはかけ離れているのは自覚していたが、裕司は他人の子供を育てると言った私に違和感を感じて避け始めた。
そして、連絡も無視されるようになり、私と裕司はまともに会話もできていない。
運命の人である彼の前では物分かりよくしてたから、あっさりと別れてくれると思われていたのだろう。
結局、別れようとせず縋る私を引き剥がすために裕司がしたことは対話ではなく『別れさせ屋』を雇うことだった。
(私の良き理解者で、ソウルメイトだと思ったんだけどな。裕司はE D(イーディー)でも奇跡的に子供が作れたと信じているのだろうか⋯⋯)
「丸川美由紀、そろそろ、流産したーとか裕司に言ってきそうですね」
私が言った言葉に「知っていたのか」と岩崎さんが呟く。
私はどこまで無能な人間と彼に思われていたのだ。
彼がここに私を住まわせてくれるのも、私を無能で女とも思ってないからだ。
彼は優しいから、全てを失っている私を捨て猫を守るように保護しているつもりなんだろう。
私は同情されている自分が惨めになり、泣いてたまるかと目に力を込めた。
苦しいことや、悲しいことを経験する度に強くなれれば良いのに、私のガラスのハートはその度にヒビが入って弱くなっていく。
「ブスで無能な女を2週間も必死に口説くのって、プライドがある人間ならしないと思います。岩崎さんは愚かな女の心を奪ってバカにすることでストレス発散しているつもりですか? そのようなあなたが一番愚かですよ」
2週間も岩崎さんが私に惚れ込んでいるように口説いてきた日々を思い出して居心地が悪くなった。
私は自分は幼い頃のトラウマからか、生まれつきからか分からないが自分をアセクシャルだと思っている。
それでも、岩崎さんの気遣いや優しさといったものを感じ人間的に惹かれていた。
(無料で住まわせてもらえるとしても、ここに住むのはやめようかな⋯⋯ストレスが凄いわ)
「真希、俺はお前をバカにしていないし、お前ほど賢い女はいないと思っている。しかも、行動力もあって本当に魅力的だ。目的はどうあれすぐに保育士で働いたり、次は最大手の都市銀行でも働くことができるなんて普通できない」
慰めるように、私の頭に手を伸ばしてくる岩崎さんの手を私は引っ叩いた。
2週間、彼は私に偶然を装って出会い恋に落とそうとしてきた。
私は彼に対して、外用に社交的に明るく大らかに対応したつもりだった。
しかし、早い段階から彼には私が傷つきやすい繊細でネガティブな性格だとバレていたと思う。
だから、彼は傷つきやすい私が傷つかない言葉だけを使って接触してきた。
その気遣いに惹かれると同時に、気を遣いながら使われている言葉に真実味を感じず惨めになった。
彼といる時間は心地良いようで、居心地の悪い時間だった。
住まい、振る舞い、着ているスーツ全てが彼が私とは別世界の人間だと告げている。
「保育士ではなく、保育補助です。銀行での仕事も立ちっぱなしのご案内係ですよ。いずれも人手不足で猫の手も借りたい状況です。日本語が話せて身だしなみを整えれば誰でも採用されるんじゃないでしょうか。岩崎さんは下々の仕事を知らない世間知らずのお坊ちゃんっぽいところが隠せていませんよ。私のことをバカにしていないというけれど、偽名を使っている時点で十分バカにしていますよ」
私の言葉に岩崎さんがハッとした顔をする。
偽名を使っているのではないかというのは確信がなかったのに、今確信をしてしまった。
彼の人間的魅力に惹かれた時もあったし、彼の好意に甘えて部屋に住まわせてもらおうとも思った。
(名前さえ嘘なんて、表向き優しくしてきてもバカにしすぎだよ⋯⋯)
「やっぱり、私、ここには住めません。もう、放っておいてください」
私は自分でも頭に血がのぼっていると理解していた。
明日には祖父から譲り受けた家の賃貸借契約も予定している。
無料で住まわせてくれるとはいえ、気を遣って疲れることは予想していた。
しかし、腹の中ではバカにされているのに、表向きだけ気を遣われながら過ごすのは一番惨めだ。
彼が私をここに置く理由は同情だ。
私は仕事も失い、男も失い、お金もない。
「待ってくれ、ちゃんと話すから」
部屋を出ようとする私をの手首を岩崎さんが引き留めてくる。
私は同情に甘えてしまいたくなるが、プライドが許さず振り切って部屋を出た。
玄関に向かった時に、扉が開く。
そこには18歳になった雨くんがいた。
保育園でも美人と評判だった母親の面影が確かにある。
「雨くん」
0歳8か月だった彼は私のことなど覚えてもいないだろう。
だけど、5歳の私は赤ちゃんポストに入れられた彼をずっと気にしていた。