私は鈴木佳奈の職場である『月の光こども園』に保育補助として潜入することに成功した。
 驚くべきことに大切な子供を預かる保育補助の仕事は無資格未経験で採用された。

 その上、東京都の最低賃金だ。
(ヤバい匂いのする職場には、ヤバい女が巣食うものね⋯⋯)

 私はこれから地獄に落とす鈴木佳奈のことを思うと血が激った。

「鈴木佳奈です。よろしくね、山田真希ちゃん。まあ、仲良くやろう私たち同類っぽいし」
 私のTPOをわきまえないミニスカートと偽のおっぱいを強調するファッションに、ターゲット鈴木佳奈のガードが弱まる。

「佳奈さんは、保育士免許を持ったちゃんとした保育士なんですよね」
「まあね、今の時代、子供を自分で見ようとしないバカ親が多いからこの職は食いっぱぐれないし⋯⋯」
 佳奈の遠慮のない物言いに、私をすっかりいい加減な同類と見てるのが分かった。

「私は子供より素敵なパパさんたちの方が興味があるかも⋯⋯さっきも、かっこいいパパさんとすれ違っちゃいました」
 私は早速、鈴木佳奈に探りを入れてみた。

「パパさんたち? まあ、遊び相手にちょうど良いよ」

「佳奈さんのおすすめのパパさんの話聞きたいです」
「漆原美羽ちゃんのパパとか、エッチ上手いよ。私、思うんだけど独身の男より既婚の男と浮気する方が良いよ。あっちが隠さなければならない立場だから、立場強いし奉仕してもらえるしね」

 頭の悪い鈴木佳奈の発言に、私はほくそ笑んだ。

「え、いいなー。佳奈さんは本命の恋人とかいないんですか?」

 正直、極力性行為をしたくない私からすれば心にもない言葉ばかりを言ってストレスが溜まる。

(はあ、ここまで真逆な相手の同士のふりは精神的にキツイ⋯⋯)

「もちろん。ちゃんとした本命はいるよ。でも、自分の子供もろくに見ないくせに保育士見下してるママさん見るとムカつくんだわ。女としての魅力も枯れ果ててるくせにさ。寝取ってストレス発散でも、しなきゃやってられないよ」

 男というのは、若くてピチピチした見た目に飛びついく愚かな生き物だ。
 そして今、自分の子の為、生活のために働く母親をバカにする鈴木佳奈が憎い。

 私怨を挟みすぎなのは分かっていた。

 私の父親が私と同じ年の雨くんの姉に乗り換えて結婚までした事に私は深く傷ついた。

 それ以来、私の恨みはとにかく若さを求め浮気に走る男に向かいやすくなっている。
 自覚はしていても、今、ほぼ他人と言える漆原俊哉に父を重ねて殺したい程の気持ちを感じた。

「佳奈さんレベルを満足させられるような人はなかなかいないんじゃないですか?」
「いや、前の保育園ではいたんだよね、不倫がバレて辞めさせられたんだけど⋯⋯でもこの仕事はマジですぐ次決まるから。慰謝料もばっくれちゃえばいいし」

 同類に見える私には、話を大きめに言っているのかもしれない。
 どうやら鈴木佳奈は罪悪感なく、不倫をし続けるビッチ女のようだ。

「あ、あの子、顔が赤い」
 私は明らかに具合が悪そうな女の子を見つけて駆け寄った。
 認可がおりている園にも関わらず、子供を見ている保育士の人数が少ない。

 雇っている人数自体は規定通りだが、事務仕事をしていたり、お喋りをしている保育士ばかりだ。

「熱が出たんだろうね。発熱自体は朝からあったんだろうけれど、解熱剤を尻から突っ込まれたんでしょ。大体、朝突っ込むとこの時間くらいには効き目が切れるから。そういう風に誤魔化す親ばっかりだよ、2号さんは。でも、うちの1号さんは選び抜かれた子達だから具合悪い子の面倒も見てくれるよ」

 認定こども園は1号認定と2号、3号認定がある。
 2号、3号は従来のの保育園と同じでで親が共働きの子。
 従来通り区役所でポイント制で選ばれている。

 1号は幼稚園と同じで、園が面接や行動観察などの試験をして子供を選ぶことができる。
 なんと『月の光こども園』の1号認定の倍率は7倍だ。
 つまり選りすぐりの手が掛からない子と、口うるさくない保護者を集められるのだ。

 『月の光こども園』は施設が新しい事と、ホームページの作り方が抜群に上手い。

 『安心、安全な場所で最高の教育を我が子に』などという心に響くキャッチフレーズで、引き付けている。

 毎日のブログの更新も盛んだが、どうやら保育は厳かにしてそちらに力を入れているだけのようだ。

 私が顔が赤い女の子に近づくと、佳奈がついてきた。
「美羽ちゃん、死にはしないからとにかく寝てな」
 言い捨てるような佳奈の声に諦めたように美羽ちゃんが目を瞑った。

 熱を出してしまったのは漆原美羽ちゃんだ。
 茜さんは今フライト中で迎えに来られないから、浮気夫の漆原俊哉に連絡しなければならない。

 私が美羽ちゃんの熱を測ると、38.7度あった。
「かなり高い熱があるけれど、保護者に連絡しないんですか?」
 私が聞く言葉を佳奈は心底面倒そうに聞いた。

「美羽ちゃんママはキャビンアテンダントで、ドイツから今晩帰ってくるんだわ。美羽ちゃん、まじ親ガチャ大外れだよね。私、美羽ちゃんママが大嫌いなんだ。たまに来ると低賃金の私らを見下したような態度をとってくる。自分の子もそっちのけで仕事してるくせに偉そうに⋯⋯お高く止まってるから、旦那寝取られてることにも気づいてないんだもん」
得意げにいう佳奈に寒気がする。

 そして、茜さんは保育士を見下しているのではなく、不倫するような人種である佳奈を軽蔑しているだけだ。

(キャビンアテンダントだって今の時代、高待遇じゃない、でも茜さんはやり甲斐を持って仕事をしているわ⋯⋯)

 3歳で高熱で朦朧としていても美羽ちゃんには全ての会話が聞こえているだろう。
 美羽ちゃんは多分親にこの会話を報告しない。
 それは彼女が会話の内容が理解できないからではない。

 3歳の美羽ちゃんはきっとママが大好きで悲しませないように色々な言葉を飲み込んでいる。
(私がそうだったから⋯⋯きっと美羽ちゃんもそうだ)

「パパに電話したらどうですか? 高熱で後遺症とか残ったら後々面倒だし。もし、美羽ちゃんに何かあったら佳奈さんが訴えられちゃうかもしれませんよ」

「ええ、まじ? それはないわ」
 佳奈は漆原俊哉に連絡をとった。

♢♢♢

「美羽が具合が悪いって聞いて、仕事を切り上げてきました」
 しばらくすると、少し不満げでグレーのパーカーを着た男が現れた。

 漆原茜さんとのヒアリングで知っている、彼が漆原俊哉だ。

 正直、見た目はイケメンではないけれど、良い人そうな細目だ。
(男は細目でも不細工じゃなくて、良い人そうって言われるから羨ましいわ)

 多忙を気取る彼は隙間時間には保育士と不倫をしているのだから憎らしい。
(こいつが、不倫する最低男か⋯⋯)

「はい、お迎えありがとうございます」
 佳奈は俊哉とアイコンタクトを取ると、怠そうな美羽ちゃんを起こして連れてきた。

「パパ、お迎え来てくれてありがとう」
美羽ちゃんが舌ったらずな声で弱々しく言う。
「全く、具合悪かったら朝から言えよ」

 熱の冷めてない美羽ちゃんの頭をどつきながら言う漆原俊哉に殺意が湧いた。
 おそらく美羽ちゃんは朝から発熱があったのに、解熱剤を使われている。

 その疑惑を払拭するように、全ての罪を子供に着せている。

 美羽ちゃんがゆっくりと佳奈を見る。

 私は何とも言えない美羽ちゃんの表情に、彼女が父親と佳奈先生の不貞に気がついていると確信した。

 彼らは漆原の自宅で美羽ちゃんがいる時に堂々と不貞行為を繰り返しているのだから当然だろう。
 彼らは子供に行為を見られても何をしているか分からないと思っているのかもしれない。

 でも、私は自分の体験からそれが裏切り行為だと幼児でも気がつくと知っていた。
 そして、その行為の意味を知るとき救いようのない苦しい気持ちになるのも知っている。
(全く、子供を子供でいさせなさいよ。バカ親が!)

「俊哉さん、かっこよく見える時とおっさんに見える時があるんだよなー。今は、まじ、おっさん無理って見た目に見えたわ」

 佳奈が偉そうに言って、給湯室に入りタバコを吸い出す。
 周りの保育士もだるそうに給湯室でお茶を飲んだり、事務室でパソコンを見ている。
 今はお昼後のお休みの時間とはいえ、保育室には誰もいない状態だ。

「佳奈さんの彼氏さんはお若いんですか?」
「28歳よ。やっぱ、20代だわ。あっちの方も元気だしね。彼氏、忙しくてなかなか会えないんだけど、エリートだから仕方ないかな。SSR東京銀行に勤めてるんだ」
下品に笑う佳奈に寒気がする。

 どうして茜さんのような素敵な方を傷つけてまで、このような下品な女と関係を持つのか私には理解不能だ。
(若さってそんなに重要? 神戸牛と大豆ミート以上の差があると思うけど)

 そして、どうやら私はSSR東京銀行に余程の縁があるようだ。
 裕司の浮気相手もSSR東京銀行の新宿支店で窓口勤務をしている。

「えーすごい都市銀行の最大手じゃないですか。今度お友達とか紹介してください」

「もちろん。保育士って結構モテる職業だよね。仕事はクソだけど、その点では美味しいと思うわ。じゃあ、私が銀行合コン開くから、真希ちゃん別業種で合コン開いてね」

「いいですよ。では、弁護士合コンを開きます。実は私は佳奈さんの彼氏の友達より、佳奈さんみたいな美女を射止めた彼を見てみたいです」

「こんな感じよ」
 佳奈が得意げに見せてきたスマホには私がすでに知っている人間が写っていた。
(ああ、こいつか⋯⋯)

 画像の男は裕司の浮気相手が7年間、不倫をしてきた佐々木英樹だった。
 イッツアスモールワールド、本当に世界は狭い。
 佐々木英樹は既婚だが、鈴木佳奈には独身だと偽っているということだ。

「ちょっと、佳奈、ガキのお昼寝時間の間にホームページ更新しなきゃでしょ」

 他の保育士が給湯室に顔を出した。
 佳奈がタバコを吸っていることはスルーしている。
(ということは、普段から佳奈は給湯室で喫煙しているということね)

「めんどくさ。それって保育士の仕事じゃなくね」
 佳奈はグチを言っているが、彼女は本業である保育士の仕事もまともにやっているようには見えない。

「今の時代、保育の現場までマルチタスクなんですね。WEBは得意なんで、私がやりますよ」
 私は、ホームページの管理を申し出た。
(サービスを追加して、業務がしっかり行われているかを保護者の方々が監視できるようにしなきゃね)

「そういえば、真希ちゃん手慣れた感じだけど今日が初日だもんね。実はこのお昼寝時間に連絡帳の返信欄も書かなきゃいけないんだよ。適当に子供褒めときゃいいから。お歌を楽しそうに歌ってましたとか書いてさ」
 佳奈が私に先輩づらして仕事を押し付けてくるが都合が良い。

「私、元事務職なんですよ。こういう雑用は得意なので私に任せてください」
 私の言葉に佳奈と他の保育士が顔を見合わせてほくそ笑んだ。
 便利な家来を手に入れた気持ちなのだろう。

「それにしても、保育士の人数って厳格に決められているのですね。0歳児には3人もつけなきゃいけないって厳しいですね」

 私はわざとおどけたように言ってみた。
 私怨から来るものだとわかっていても、私は子供を粗末にする人間を許せない。

「そういう決まりだけど、実際そうではないのは分かるでしょ。明日は消防の防災チェックくるし後でちょっと片付けないとね」
 佳奈は私が燃え上がるような殺意を必死で抑えていることなど知らない。

「保育士って実は美味しい仕事ですね。私も佳奈さんみたいに正規の保育士になれるように頑張ろっかな」
想いとは逆の言葉を述べながら私は佳奈の表情を覗き見た。

(私が一番殺したいのは自分の父親。私の母親は自殺したけど、佳奈にも死んでほしい⋯⋯)

 心の中で暴れまくる殺意を必死で抑えていると、佳奈はそんな私の想いも知らず笑っていた。

「えー、給料はもっと良くていいと思うけどね。私は英樹と早いとこ結婚して専業主婦になるんだ」

 これから自分が破滅するとも知らず、能天気なことを言う佳奈の言葉に笑いを堪えるのが大変だった。