福岡の夜、聡さんに指定されたホテルに行くと、彼はダブルベッドの部屋でバスローブ姿で待っていた。
私は喉の奥にひゅっと乾いた風が入ってきて、息が詰まるのを感じた。
私は彼と一緒にいたいなら、キスやそれ以上のことをしないといけないと認識した。
ものすごい抵抗意識があったけれど、私を大切に思ってくれる彼を手放せないと思い浴室に入った。
浴室から出ると、床にスーツ姿に着替えて寝ている聡さんがいた。
私はその姿を見て、彼が私に伝えようとしていることを感じ取った。
ここまで私を想ってくれる人を手放せないという思いと、彼は私から離れないと辛くなるという思いが交差した。
川上陽菜を追って札幌に行こうという時に、彼と別れる選択肢を用意して提案したが当然のように彼はついて来てくれた。
私はずっと彼の好意と優しさに甘えている自分に気がついていた。
彼は困っているマリアさんのことも放って置けなかった人だから、可哀想な子を放って置けないのかもしれない。
ススキノについた時、父が死んだ焼け落ちた店を見たが何も感じなかった。
普通ならば、実の父が死んだのだから葬式で泣き崩れたりするだろう。
それなのに葬式もあげることなく、淡々と復讐に心を燃やす私を聡さんが軽蔑しないかだけが気になった。
そんな時、突然、私の復讐相手である川上陽菜が現れた。
そして隣には、ここにいるはずのない雨くんがいた。
こんな偶然に出くわす訳がないから、雨くんが私のスマホに位地情報が確認できるものを仕込んだのだろう。
私は雨くんが自分が彼女からどんな扱いをされたかも知らずに、母親として慕っていると思い切なくなった。
しかし、私を敢えて「真希姉ちゃん」と呼んだ雨くんは全てを知っているようだった。
♢♢♢
川上陽菜は化け物のような女だった。
少しでも自分より目立つようなところがある人間をターゲットにし、徹底的に陥れた。
私の母親は他の母親に比べて若く、でしゃばったところもないので周りが親切にしてくれた。
「若さ」を煽てられることもあり、それが川上陽菜の気に触ったようだった。
彼女は私の父と不倫関係になることで、私の母親を傷つけ始めた。
私の父と母は対等な関係の夫婦ではなかった。
そのため、母が父に不倫について言及すると、「お前がブスだからだ」と逆ギレされた。
大学中退の母は働き始めるも、収入もわずかな上に自分に自信がなく父の言いなりだった。
家庭で地獄のような生活を送っていた母だが、保育園の先生やママたちは控えめな彼女を気にかけてくれた。
母は少しでも馴染めるようにと、よく仲良くなりたい相手に子供の名前を刺繍した巾着を作ってプレゼントしていた。
それもまた川上陽菜の気に触ったらしく、母がブログで保育園のママの悪口を言っているという評判がたてられた。
私の母はアナログな人間で、デジタル系にはめっぽう疎かった。
当然、彼女はブログ等書いてもいない。
恐らく川上陽菜が母を装って作ったサイトに周りは惑わされたと思った。
保育園内で孤立し始めた母に手を差し伸べたのも、川上陽菜だった。
母は自分の夫の浮気相手だと知りながらも、1人になるのが怖くて彼女の手を取った。
私の家と川上家は家族ぐるみで遊びに行ったりするようになった。
川上陽菜が妊娠してからは、母は晴香ちゃんをウチで預かるようになり私は急速に晴香ちゃんと仲良くなった。
仕事もでき、美しく慈悲深いと川上陽菜は称賛されていた。
そんな彼女の立場が危うくなったのは、雨くんが誕生してからだった。
0歳児で保育園に預けられた雨くんは、泣かない時がないくらい手のかかる子だった。
私は5歳児クラスから出張しては彼をあやして、先生たちのポイントを稼いだ。
すると私の母は「子育て」を先生方から称賛されるようになり、その一方で雨くんの母親である川上陽菜は虐待の疑いをかけられ始めた。
雨くんが生後6ヶ月の時に川上陽菜の作った社内管理システム『HARUTO』がリリースされて、一躍彼女は時の人となった。
しかし、女の世界とは不思議なもので今まで女優のようなルックスでもてはやされた彼女は保育園では嫉妬の対象となった。
「子供をほったらかして、仕事をしている。インタビューでは子育てやってるって言っているけれど、子育てしているのは保育園の先生だ」
「『HARUTO』なんて自分の子の名前をシステムにつける癖に、肝心の晴人くんは放ったらかし」
叩かれ始めた彼女を横目に見て、私は今こそ母親を傷つける彼女を追い払える時だと思った。
母に運動会用のカメラを置きっぱなしにしたら、父と川上陽菜の不倫現場が映っていたと伝えようと思ったのだ。
流石の母も幼い私が大人の濡れ場映像を持ってきたら、目が覚めて父と離婚すると考えた。
しかし、実際録画されたのは母と川上武彦の濡れ場だった。
川上武彦が常に母のことを「可愛い」と言いながら抱くので、私は父に母のことを「可愛い」と他の人は言っていると伝えるために映像を見せた。
今なら、その判断が間違っていると分かるのに、あの時の私は所詮子供の頭でしか考えられなかった。
父に映像を見せた翌日、母に連れられ保育園に預けられた私のお迎えは来なかった。
私は喉の奥にひゅっと乾いた風が入ってきて、息が詰まるのを感じた。
私は彼と一緒にいたいなら、キスやそれ以上のことをしないといけないと認識した。
ものすごい抵抗意識があったけれど、私を大切に思ってくれる彼を手放せないと思い浴室に入った。
浴室から出ると、床にスーツ姿に着替えて寝ている聡さんがいた。
私はその姿を見て、彼が私に伝えようとしていることを感じ取った。
ここまで私を想ってくれる人を手放せないという思いと、彼は私から離れないと辛くなるという思いが交差した。
川上陽菜を追って札幌に行こうという時に、彼と別れる選択肢を用意して提案したが当然のように彼はついて来てくれた。
私はずっと彼の好意と優しさに甘えている自分に気がついていた。
彼は困っているマリアさんのことも放って置けなかった人だから、可哀想な子を放って置けないのかもしれない。
ススキノについた時、父が死んだ焼け落ちた店を見たが何も感じなかった。
普通ならば、実の父が死んだのだから葬式で泣き崩れたりするだろう。
それなのに葬式もあげることなく、淡々と復讐に心を燃やす私を聡さんが軽蔑しないかだけが気になった。
そんな時、突然、私の復讐相手である川上陽菜が現れた。
そして隣には、ここにいるはずのない雨くんがいた。
こんな偶然に出くわす訳がないから、雨くんが私のスマホに位地情報が確認できるものを仕込んだのだろう。
私は雨くんが自分が彼女からどんな扱いをされたかも知らずに、母親として慕っていると思い切なくなった。
しかし、私を敢えて「真希姉ちゃん」と呼んだ雨くんは全てを知っているようだった。
♢♢♢
川上陽菜は化け物のような女だった。
少しでも自分より目立つようなところがある人間をターゲットにし、徹底的に陥れた。
私の母親は他の母親に比べて若く、でしゃばったところもないので周りが親切にしてくれた。
「若さ」を煽てられることもあり、それが川上陽菜の気に触ったようだった。
彼女は私の父と不倫関係になることで、私の母親を傷つけ始めた。
私の父と母は対等な関係の夫婦ではなかった。
そのため、母が父に不倫について言及すると、「お前がブスだからだ」と逆ギレされた。
大学中退の母は働き始めるも、収入もわずかな上に自分に自信がなく父の言いなりだった。
家庭で地獄のような生活を送っていた母だが、保育園の先生やママたちは控えめな彼女を気にかけてくれた。
母は少しでも馴染めるようにと、よく仲良くなりたい相手に子供の名前を刺繍した巾着を作ってプレゼントしていた。
それもまた川上陽菜の気に触ったらしく、母がブログで保育園のママの悪口を言っているという評判がたてられた。
私の母はアナログな人間で、デジタル系にはめっぽう疎かった。
当然、彼女はブログ等書いてもいない。
恐らく川上陽菜が母を装って作ったサイトに周りは惑わされたと思った。
保育園内で孤立し始めた母に手を差し伸べたのも、川上陽菜だった。
母は自分の夫の浮気相手だと知りながらも、1人になるのが怖くて彼女の手を取った。
私の家と川上家は家族ぐるみで遊びに行ったりするようになった。
川上陽菜が妊娠してからは、母は晴香ちゃんをウチで預かるようになり私は急速に晴香ちゃんと仲良くなった。
仕事もでき、美しく慈悲深いと川上陽菜は称賛されていた。
そんな彼女の立場が危うくなったのは、雨くんが誕生してからだった。
0歳児で保育園に預けられた雨くんは、泣かない時がないくらい手のかかる子だった。
私は5歳児クラスから出張しては彼をあやして、先生たちのポイントを稼いだ。
すると私の母は「子育て」を先生方から称賛されるようになり、その一方で雨くんの母親である川上陽菜は虐待の疑いをかけられ始めた。
雨くんが生後6ヶ月の時に川上陽菜の作った社内管理システム『HARUTO』がリリースされて、一躍彼女は時の人となった。
しかし、女の世界とは不思議なもので今まで女優のようなルックスでもてはやされた彼女は保育園では嫉妬の対象となった。
「子供をほったらかして、仕事をしている。インタビューでは子育てやってるって言っているけれど、子育てしているのは保育園の先生だ」
「『HARUTO』なんて自分の子の名前をシステムにつける癖に、肝心の晴人くんは放ったらかし」
叩かれ始めた彼女を横目に見て、私は今こそ母親を傷つける彼女を追い払える時だと思った。
母に運動会用のカメラを置きっぱなしにしたら、父と川上陽菜の不倫現場が映っていたと伝えようと思ったのだ。
流石の母も幼い私が大人の濡れ場映像を持ってきたら、目が覚めて父と離婚すると考えた。
しかし、実際録画されたのは母と川上武彦の濡れ場だった。
川上武彦が常に母のことを「可愛い」と言いながら抱くので、私は父に母のことを「可愛い」と他の人は言っていると伝えるために映像を見せた。
今なら、その判断が間違っていると分かるのに、あの時の私は所詮子供の頭でしか考えられなかった。
父に映像を見せた翌日、母に連れられ保育園に預けられた私のお迎えは来なかった。