「雨には会いに行かないのか?」

 聡さんに尋ねられたが、私は首を振った。

 私はパソコンを解析し、雨くんと川上陽菜とのやりとりを見た。

 川上陽菜は、雨くんに施設から出る1年前に接触している。

 まるで、自分が悲劇のヒロインになったようなストーリーを彼に伝えていた。

 彼女が雨くんに伝えたストーリーでは、はじめに不倫したのは私の母と彼女の夫ということになっていた。
 そして、彼女はその事実に苦しみながらも、子供の為に我慢し続けたということになっている。

 気持ちが限界を迎えた時に、私の父に寄りかかってしまい2人の子供を連れて誰も知らないところで暮らそうということにしたというストーリー。
 雨くんを連れて行こうとしたが、夫の妨害にあって叶わなかったという。

 かなり、無理のある話だということは、地頭の良さそうな雨くんなら気が付きそうだ。
 気が付いたとしても、やっと現れた唯一の身内に縋ってしまったのだろう。
(彼も結局、私と同じで家族が欲しいんだ⋯⋯)

 施設から出た後、雨くんは年を誤魔化しラブホテルで勤務している。

 川上陽菜は彼にラブホテルに隠しカメラを設置して脅してお金を稼ぐ方法を教えていた。
 その被害者になったのが、マリアさんだ。

「雨くんとは、会いません。彼は、私を選ばないだろうから⋯⋯」
 私は雨くんに自分が血の繋がった姉だと伝えるつもりはない。
 彼が川上陽菜から聞かされた事実よりも、真実は残酷だからだ。

 どちらにしろ私の言葉よりも彼は川上陽菜の言葉を信じるだろう。
 子供にとって母親は1番だということは、私が身をもって知っている。
(私もいつも母親を助けようと動いていた⋯⋯)

 私は川上陽菜の罪を暴き、彼女を社会的に抹殺する予定だ。
 幸運なことに、施設育ちの雨くんは彼女が犯罪者となっても犯罪者の子としての人生を送る必要はない。

 問題は雨くんが盗撮に加担していることだ。
 だから、私はラブホテルの盗撮のことは闇に葬る。
 そして、殺害容疑の件だけで川上陽菜を追い詰める予定だ。

「聡さん。私、福岡に行ったらモツ鍋を食べたいです。せっかくなので楽しみましょう」
 私は笑顔を作って聡さんの腕に自分の腕を絡めた。

 彼だって仕事があるのに、私の用事に付き合ってくれている。
 それは彼が私に好意を持っているからで、私は彼の好意に応えるつもりはない。
 でも、私を大切にしてくれている彼を手放す勇気もない。

「モツ鍋も水炊きも、豚骨ラーメンも食べよう。せっかくだから福岡城でも行くか?」
「福岡城は天守閣もないですけどね」

 私の気持ちを和らげるように観光の提案をしてくれる彼が愛しい。
 それでも自分がキスやそれ以上のことを、彼としたいとは全く思えない。

「そうなんだ。じゃあ、野球観戦でも行くか?」
「もう、シーズンオフですよ。小倉城なら天守閣もあり、博多から新幹線で15分程度で行けますが城が見たいですか?」
 私は自分でも彼の好意に甘えて調子に乗ってると思う。

 彼が見たいのは城ではなく、私だと分かっている。
 それでも私の言葉に一喜一憂し、思い悩む彼を見て気持ちよくなるからやめられない。

「別に城にこだわってるわけじゃないけど⋯⋯」
「福岡に行く目的は中洲に行くことです」
 中洲はいわゆる福岡の歓楽街で東京でいえば歌舞伎町、北海道だとススキノに相当する。

 川上陽菜はそこでアラフィフでも年を誤魔化してキャバ嬢として働いている。
 よっぽど娘に男を取られたことで、自分の女としてのプライドが傷つけられたのだろう。

「中洲に行きたいって、屋台とか?」
「夜の街に行きたいんです。そこに私の会いたい人がいるから⋯⋯」
私の発言に戸惑っている聡さんを可哀想に思った。

 彼が私を心配そうな目で見るのは、私が性的なものが苦手だと知っているからだ。

 性の欲望が渦巻く街に行っても、私はきっと何も感じないことを彼に教えてあげたい。
 私は自分が本当に傷つきそうになった時は、亀が甲羅の中に潜るように自分を守ることができる。

 私はその方法を5歳の時に学んだ。

 私が熱で寝ている横で、川上陽菜は背徳感に興奮したいと父に言って行為をはじめた。
 彼女は必要以上に乱れて喘ぎ声をあげて私を苦しめた。

 彼女は人の苦しみに高揚感を覚える女だった。
 そして、私が実は起きていた事実を知っているかのように翌日私の様子を覗き見ていた。
 5歳の私ができることは何も見なかったふりをすることだけだった。

 空港に着いてチェックインカウンターに着く。
 聡さんが航空機のチケットを取ってくれている横で、私は深い闇に落ちてく感覚に襲われていた。

「真希、飛行機の座席は窓側と廊下側どっちが良い?」

「窓側がいいです。空が見たいから」
 ふと見ると眩しいくらい美しい聡さんの顔があった。
 ほっぺにキスくらいした方が良いだろうか。

 何の見返りもなく、彼が私に寄り添ってくれている褒賞を与えなければいけない。
 私は彼が私のことを好きで、本当は普通の男女の触れ合いがしたいことを知っている。

「真希。美味しいもの食べてぶくぶく太って帰ってこよう」
聡さんが私の葛藤を見透かすように言ってきた。

「ご期待に添えず申し訳ありませんが、私、胃下垂なんで太りませんよ」
 私は彼のとってくれたチケットを受け取りながら、彼の腕にしがみついた。

 彼に女として見られるのは嫌なのに、彼に甘えずにはいられない。
 私はずっと誰か甘えさせてくれる人を求めていた。

 だから常に甘えたように母親と手を繋ぐ子供を羨んだ。
 常に子供を甘えさせられる専業主婦になれれば、自分の最悪な人生を上書きできるのではと期待した。
 こんな病的な私を好きになるなんて、神様は聡さんに大変な試練を与えたものだ。

「機内食楽しみだな」
「スーパーシートでは機内食がでますが、国内線の普通のエコノミー席はドリンクだけですよ」
 私は意外と世間知らずな聡さんを可愛いと思った。