ストレスにならない程度に、パートに出ようと思ったが職歴が半年しかなかったので人手不足のコールセンターしか受からなかった。
(本当は、大手企業の受付嬢とかやりたかったんだけどな⋯⋯)

「やっぱり、電話の先の相手を生身の人間だと思うようになってから契約が取れるようになってきました。真希さんのお陰です」
「そんなことないよ。智也くんのことなら信頼できるって、お客様が思ってくれたからだよ」

「真希さんに言われた通り、自分で教材を使ってみてネガティブな意見も言うようにしたら上手くいくようになってきました。マニュアル通りの定型文句じゃ、信頼は得られませんよね」
 出勤するなり、皆本くんと山田真希がイチャイチャしているのが見えた。

 皆本くんが羨望の眼差しで彼女を見つめている。
(なんなの? あの女、エリート彼氏がいるくせに!)

「南さん! 今日のお昼なんですけど、真希さんの送別会ランチをやろうと思っているんです」
 皆本くんの提案を聞いて、周りも是非やりたいと乗ってくる。
(何よ、山田真希なんて1週間しか仕事してないじゃない! 今まで誰が辞めようと送別会ランチなんてやらなかった癖に⋯⋯)

 みんな山田真希を慕っていて、気分が悪い。

「私も、是非参加させてもらうわ」
 私はこのランチ会で山田真希を陥れてやることに決めた。

「たった、1週間でしたけれど皆さんとお仕事できて楽しかったです」
ペコリとあざとく頭を下げる山田真希に苛立った。

 控えめな女を演じているが、彼女はかなり計算高い女だ。
 言動だけでなく、仕草や振る舞いまでも周りに媚びているように見える。
(媚びて人気取りするなんて、安っぽい女⋯⋯)

 送別会ランチはオフィス街のフレンチで行われた。

 支払いは山田真希以外で割り勘するらしい。
 皆本くんは彼女の隣を陣取っている。

 そして、彼女のことを嫌いなのは私だけのようで他の人間も彼女に好意的な視線を送っていた。

「真希ちゃん、また来てよ。いなくなると寂しくなるなー」
「私も井川さんと会えなくなるのが寂しいです。色々勉強させて頂きありがとうございました」

 纏め役の井川ババアが、自分の娘を見るように優しい顔をしている。
 前例のない結果を出した山田真希が、彼女から学ぶことなどないはずだ。

 いつもイライラして怒鳴ってばっかりだった彼女まで落とすとは、山田真希は相当な人たらしだ。
 しかし、私はこんな若くて仕事ができるだけの女に負けたくはない。
 私の心を散々乱しておいて、私の楽しみを奪ったまま去るなんて納得がいかない。

「そういえば、山田さんって同棲している彼氏がいるんでしょ。それなのに別の男に手作り弁当とか作って彼氏は怒ったりしないの?」
 私は皆本くんの前で、山田真希に同棲している彼氏がいるのを暴露してやった。

 そんなステディーな相手がいるのに、他の男にちょっかいを出していると聞いたらウブそうに見える彼女の株も暴落するだろう。

「南さんは、俺に弁当作ってきて旦那さんに叱られたりしたんですか?」

 突然、驚いたような顔をして皆本くんが言ってくる。

 私はまっすぐに自分を見つめてくる彼を久しぶりに見た気がする。
 彼は山田真希が現れてからは、私への気持ちがなくなったようにそっけなかった。

「大丈夫よ。それよりも、1人暮らしでコンビニ飯ばっかりだった智也くんが心配だったから⋯⋯」
私は初めて皆本くんの事を名前で呼び、優しく微笑んだ。
 
 山田真希にマウントを取るためだ。

 彼は元々私のことが純粋に好きで堪らなかった子だ。
 私がちょっと本気を出せば、あっという間に私に戻ってくるはずだ。

「なんで、俺の弁当は作らないのに、他所の男の弁当は作っているんだ? 突然働きに出たと思ったら、浮気かよ」
その時、毎日のように聞き慣れた夫の声がして振り向いた。

「えっ!? ちょっとあなた何でここに⋯⋯」
「お前が今日は一緒に会社近くのフレンチでランチしたいって連絡寄越したんじゃないか。朝、変な感じで別れたから仲直りしようと思ったのに、これかよ⋯⋯」

 私は混乱していた。

 私は夫に今日一緒にランチしたいなんて連絡はしていない。

「南さんの旦那さんですね。僕、皆本智也って言います。南さんから旦那さんのモラハラや浮気について相談されてました。彼女はセックスレスでも悩んでいます。旦那さんが抱かないなら、僕が彼女を抱きます」

 私はまっすぐに夫を見据えて、私のナイト気取りで言い放った皆本くんの言葉に震撼した。
「待って、あなた! 違うの! この子とはそんな関係じゃないのよ」
 私は皆本くんの言葉を聞いて呆れた顔をして、その場を立ち去ろうとした夫に縋った。
(不倫していると誤解された? 誤解を解かないと)

「モラハラってお小遣い制にしたことをいってる? 浮気なんて俺がいつしたんだよ。お前を満たす為に必死に毎日仕事して稼いできているよ。セックスレスって? なんだよそれ⋯⋯年下の男をそんな風に誘惑してたんだな」

 夫は私に今もベタ惚れでよく求めてくる。
したがって、セックスレスの事実はない。

 でも、夫は結婚前は散々貢いでくれた。
 今ではプレゼントは誕生日と結婚記念日くらいしかくれない。
 その上、お小遣い制ときたら私がストレスをためるのは当然だ。

「お小遣い制は確かにモラハラだと思う。反省して欲しい。彼とは何でもないけれど、このまま今の状況が続いたら浮気しちゃうかもしれない」

 私は自分らしく、下手に出ることなく高飛車に対応することにした。

 それだけ周りが欲している女を妻にしたことを、改めて分からせた方が良い気がしたからだ。

「どうぞ、勝手に浮気でも本気でもその年下くんとはじめててくれよ。俺はもうお前とは別れるから」

 てっきり夫は謝ってくると思ったのに返ってきた言葉は予想外だった。

「え? 待って? 本当にそれで良いの? まさか、外に女でもいるの?」

 私に惚れ込んで私の為ならなんでもすると誓った夫が、私と別れたいと言っている。
私は思いっきり彼の腕にしがみついた。

「自分が浮気心があるからって、一緒にしないでくれ」
 夫は私を振り払うと立ち去ってしまった。
 私はその場に崩れ落ちた。

「南さん。大丈夫ですよ。僕が南さんを受け入れます」
 この1週間で、私のことをほとんど見なかった皆本くんが私を抱きしめてきた。

「智也くん。関口さんは、まだ結婚しているんだから抱きしめたりしちゃダメだよ。君にとって純愛でも、それは不倫だから」

 山田真希が冷ややかな視線をおくりながら、皆本くんを諭している。

 周りの同僚が私を軽蔑の視線で見てくる。
 チヤホヤされ続けて、羨まれ続けた人生で、初めて地獄を見た。