関口南、31歳。
 私は全てを思い通りに進めて手に入れた女だ。

 私は他の人間より取り分けて見た目がよかった。
 女で見た目が良いというのは最重要項目だ。

 メーカーに就職して半年で、高嶺の花と皆が崇めていた男からプロポーズされた。

 私は迷わず寿退社をした。

 しばらくは夫も私に心酔しているように見えた。
 しかし、このところ私の金遣いに文句を言うようになってきた。

「今日はネイルサロンとエステに行ってたの? 7万円も1日で使われると流石に⋯⋯月15万円くらいのお小遣い制にしてくれないか?」
 言いづらそうにしながらも、図々しい要求を私に伝えようとしてくる夫にゲンナリした。
(ケチくさい男⋯⋯大手メーカーのエースがこの程度だったなんて)

「あなたの為に綺麗になりたいからしたことなのに⋯⋯」

 昔は目を潤ませながら訴えれば、夫はイチコロだった。

 最近の彼は何でも言うことを聞く男ではなくなっている。

(浮気でもしてる? 私みたいな美人妻を抱けるのに、道端の汚物に手をつけないか⋯⋯)

 夫との交渉の末、私は月20万円のお小遣い制になった。

 今まで自由に家族カードで彼の口座から使えていたのに、窮屈過ぎる。

(そもそも、私がいくら使ったとか逐一調べてんじゃねーよ。ストーカーかよ)

 私は学生時代からモテモテで、夫の誠実な人柄と稼ぎに惹かれて早すぎる結婚をしたことを後悔していた。
(やっぱりエリートでも会社員じゃなくて、士業の男を狙えばよかった⋯⋯)

 私が結婚したのは女盛りの23歳。
 31歳になった今でも周りの友達は結婚さえしていなくて女を謳歌している。

 そんな話を聞くだけで自分は損をした気分になっていた。
 夫は出世頭で私が働かなくても良いくらいの稼ぎがあった。

 それでも、私は自分の女としてのプライドを取り戻すために働きに出たかった。
(私は夫専属の風俗嬢じゃないのよ。私はモテるし、みんな私を取り合ってきたんだから)

 夫に所有物のように扱われる生活に嫌気がさしていた。
 夫婦生活もちゃんとあり、よく言えば愛されていると言う生活だ。

 でも、私は大学時代にサークルクラッシャーとまで呼ばれた自分の存在で狂っていく男を見る快感が忘れられなかった。

 料理教室、フラワーアレンジメント、ピラティスなど主婦の定番の習い事は女ばかりで男がいない。
 だからこそ、外にパートという名の狩りに出かけた。

♢♢♢

「今日から、1週間だけスーパー助っ人にに来てもらいます。山田さんは、うちのライバル会社で1週間の売り上げを1日であげたレジェンドだ。みんな彼女から学んでね」

 コールセンターの取りまとめ役は井川長老とも呼ばれる、面倒なアラフィフババアだ。

 誰のことも認めずいつも更年期障害でイライラしている彼女が、手放しで称えて紹介したのが山田真希だった。

「山田真希です。若輩者で至らぬことばかりだと思いますが宜しくお願いします」
ぺこりとあざとく頭を下げた山田真希に周りが湧き立った。

 可愛くて若いのに実力があるらしい謎の彼女の存在は、皆気になって仕方がないようだった。
 いつもは自分より可愛い子が現れると足を引っ張る同僚も、彼女のことは別格にみなしたように見えた。

「山田さん、午前中だけでそんなに契約をとったんですか? 一緒にランチ行きませんか? 実は隠れ家的な店があるんですよ」

 私は山田真希が8割のくらいの成功率で契約をとっていることに気がついた。

 ほぼ断られること前提で電話をかけ続ける発信業務ではありえないことだ。

「ありがたいお誘いなんですけど、私、智也くんと約束があって、お弁当作ってきてるんです」

 突然、彼女から発せられた聞き慣れた名前に私は驚いた。
「皆本智也? 付き合っているの?」

 皆本智也は私のことが好きでしょうがない世間知らずの大学生だ。
 Fラン大に通いながらコールセンターでバイトする将来性のない男だ。

 しかし、純情で単純で私に惚れ込んでいるのが面白い存在だった。

「皆本くんと付き合ってなんかいないですよ。私、プロポーズされて同棲している彼がいますし」
可愛らしい仕草と表情で、山田真希が私に語ってくる。
(特別美人ってわけじゃないのに、男が放っておかない女って感じ⋯⋯)

「そうなんだ、同棲してる彼ってどんな人?」
「弁護士さんなんですけど、私に飽きてきたのかセックスレスなんです。そんな感じなので智也くんみたいな年下の男の子に癒されたくなっちゃってます。やっぱり女なんだから、チヤホヤされてなんぼですよね」

 悪気ないように話してくる山田真希に私は苛立った。
 純情で惚れっぽい皆本智也がこんな毒針を持った女に引っ掛かったらどうなることか。

「セックスレスって⋯⋯そんなこと智也くんに言ったら期待しちゃうわよ。あんな将来性のない男の子じゃなくて、ちゃんとした彼氏がいるならしっかりしなきゃ」
私は彼女を説き伏せるように語った。
 しかし、それを彼女は受け止めるわけでもなく不敵に笑った。

「私が求める将来性は経済的なことではないんです。一生私を愛し続けてくれる将来性を期待しているんです」
そう一言くすぐるような声で彼女は囁くと、手作り弁当を皆本智也のもとに持っていった。

 私を夢中で目で追っていたはずの皆本智也は、もう山田真希しか見ていないようだった。

♢♢♢

「南! お前、最近化粧濃くないか? ニューハーフみたいになっているぞ」

 私の前に山田真希が出現してから1週間、心無い夫の言葉に傷ついている。

 山田真希の存在は私の職場環境を一変させた。
 私を慕ってくれた皆本くんは、すっかり彼女の虜だ。
 周りの男性社員も若いだけの彼女をチヤホヤしている。

 その上、彼女は私のように美人すぎないから女から嫉妬されることもない。
 仕事ができるだけで、中の上くらいのルックスの彼女がチヤホヤされているのに苛立っていた。

 私は満たされない毎日を送っていた。

「働きに出たのだから、きっちりメイクするのはマナーとして当然のことでしょ」

 私の言葉にも夫は首を傾げた。
それ程、籠の中の鳥にした私が着飾って外に出るのが気に食わないのだろうか。

「働かなくても、十分なお小遣いはやっているはずだけど」

 夫が私の頬を撫で回す仕草と、私を自分の所有物のように語る言葉にゾッとする。

「月20万円が私の値段なんだ⋯⋯」
私はわざと含みを持たせるような言い方をして、家を出た。
(会社で一番の美人を嫁にしといて、この扱いはないわ! 反省しろ!)

 週3回のコールセンターのバイトを選んだのはお金を稼ぐ為ではない。

 習い事やエステ通いをして散財しても私の心は満たされなかった。

 そんな所で会う女は私に嫉妬ばかりして、人間関係が疲れるだけだ。
 また、昔のように男からチヤホヤされたいと思った。