「雨には風呂を覗くなって言っておいたから、今日からは安心してくれ」

「別に雨くんは話をしに来ただけでお風呂を覗きに来たなんて私も思ってませんよ。私の裸なんか見て気分を害されたのではないかと謝りたいくらいです」

 あの時は慌ててしまったが、施設育ちの雨くんは他人と距離感が近い生活を送ってたのかもしれない。

 私は自分と同じように捨てられた雨くんが、天真爛漫な明るい子で気が動転し闇に囚われやらかしてしまっただけだ。

(雨くんが不幸で暗い顔をしてたら私は安心していた? 不自然な距離感も違う環境で生きてきたのだから当たり前よ⋯⋯)

「真希、お前はすごい魅力的な女だよ」
 急に私の頬を撫でながら愛おしそうに語りかけてくる聡さんに私は恐怖を感じた。

「やめてください。聡さんはこういう風な扱いを女はみんな好きだと思っているのかもしれないけど、私は嫌いなんです。ダメなんです。本当に」
 私の過去を知っているのなら、察してくれないだろうか。

 女として扱われる度に寒気がしてしまう。

 私は聡さんに理解して欲しくて、理解できないという彼の顔を見るのが怖くて下を向いた。

「真希、そういえば、どうして原裕司と会っていたんだ?」
「裕司と付き合っているときに、位置情報共有アプリを入れて貰っていたんです。私がいつどこにいるか知りたいって、その時は言ってくれていて⋯⋯」
 話題を変えてくれる聡さんに安心した。

「位置情報共有アプリ? それって、束縛強すぎないか? よく我慢できたな」

「私は嬉しかったです。裕司が私のことを常に気にかけているというのが。でも、実際はそうでもなかったみたいですね。私って自意識過剰かも」

 私の居場所を常に知りたいという裕司に私は喜びを感じた。
(何だか、子供が心配でGPSを持たせる親みたいだと思った⋯⋯)

 私は子供扱いされて大切にされると特別扱いされたと感じる病んだ女だ。
 そんなことは自分自身が一番最初に気がついていた。

「俺も真希がいつどこにいるか知りたくて、常に感じたくて真希のカバンにGPS仕込ませてたよ」

 聡さんが私の心を察するように言ってくる。

 最近、彼が過剰なまでに私の心情を気遣ってくれるのが申し訳なく苦しくなる。

 常に明るく振る舞っていても、死にたくてしょうがない自分がバレているようだ。
(聡さんは私のような醜い女にも優しいのね⋯⋯)

「知ってます。私、明日、漆原茜さんと会ったら、北海道に行きます。今までお世話になりました」
「今までお世話になりましたって、まだたったの2日だろ。俺から逃げるなよ」

「聡さんから逃げたい訳ではありません。私はただ北海道職員の試験を受けに行きたいだけです。毎年定員割れみたいなので、私みたいのでも受かるかもしれません」

 私が北海道に行きたい本当の理由は父に会いたいからだ。

 でも、父が恋しくて会いたいんじゃない、私のこの積年の恨みを果たしたくて彼に会いに行きたいだけだ。
 この人しかいないと思った裕司に見放されてから、私は諸悪の根源である父への恨みを余計に強めた。

「守屋健斗に会いに行くのか? ダメだ許さない。真希は絶対に傷つく」

 聡さんが父の名前を出したことに、私は自分の思惑が彼に露見してしまっていることに気がついた。

「もう、とっくに傷つき過ぎて崩れ落ちそうなんです。最後のトドメを刺してもらいに行くんですよ。別に何か悪いことをするわけではないし、聡さんに関係ないでしょ」

 私の心は既にズタズタだ。
 苦しい思いをしてきて、打ち勝つように強くなりたかった。
 でも、私の心は人から拒絶される度にヒビ割れ今は少しの刺激で崩れ落ちでしまいそうだ。

「関係ある。俺は真希が好きだから。愛しているから、関係ある」

 私を思いっきり愛おしそうに抱きしめてくる聡さんに微塵もときめかない自分を異常だと思った。

 イケメンで何もかも持った男が演技でも「愛している」と縋ってきている。

「離してください。私が昨日言ったこと忘れましたか? 私のことは子供かマネキン扱いしてくれって言いましたよね」

 誰もがときめくだろう彼にときめかない私は、きっと女ではない。
 ただ、毎日息をして、ご飯を食べて生き延びていくのが精一杯の生物だ。

「ごめん。真希。俺、忘れてた。年かもしれないな? そろそろ禿げてくる?」

「禿げ始めたら潔くスキンヘッドにするのがオススメです」

 無理しておどけて言ってくる聡さんに私は必死におどけて返した。
 私は自分が傷つかないために聡さんを傷つけたと彼の表情を見て理解した。

 彼が私を愛していると思うのは、彼が落とせなかった初めての相手で特別に感じていることによる錯覚だろう。

(私には彼のような特別に素敵な人を惹きつける魅力はないわ)

 それに彼は私の育ちがあまりにも悲惨で、同情してしまっているかもしれない。
 彼は優しいから同情を愛情に置き換えて、誰からも捨てられた私を拾おうとしている。

 でも、私が求めているのは男からの愛情ではなく、包み込んでくれる家族の愛情だ。
 自分でもクリアーな程に自分の欲求がわかっているから、家族で私を受け入れてくれた原裕司に縋ってしまった。

「さあ、早く帰りましょ。雨くんが待ってますよ」
「今日は雨が食事を作ってるぞ。あいつの料理濃いけど癖になるから真希もハマるかもしれないな」

 私は過剰なまでに私が傷つかない言動を聡さんが意識しているのがわかって苦しくなった。
(明日、聡さんともお別れして北海道に行こう)
 私は優し過ぎる完璧な王子様、五十嵐聡との別れを決意した。