「真希、さっきの話だけど、俺は本気で真希と結婚したいと思っているから」

 聡さんが私を強く抱きしめながら言ってくる言葉に、思わず私は彼から離れた。

 彼は何を言っているのだろう。
 私が落とせなかったのが悔しくて、「結婚」を餌にして再チャレンジしているのだろうか。

 それとも私が雨くんとの関係を知っているから、私と結婚してカモフラージュにしようとしているのかもしれない。

「結婚したいなら、マリアさんに頼んだらいかがですか? 家柄も釣り合っているだろうし」
 彼はイガラシフーズの御曹司なのだから、私のような人間と結婚など反対されるに決まっている。

「何で、マリアなんだよ。俺は真希が良いんだ」
「聡さんはED(イーディー)だったりしますか? ED(イーディー)ってわかりますか? 勃起不全のことです」

「はあ? ED(イーディー)? 違うけど」
 聡さんは私の問いの意味が分からないらしい。
 聡さんがゲイかバイかは分からないけれど、ED(イーディー)だったら気まぐれでも身体を求められずに済むと思っただけだ。

 私は彼のことは人間としては惹かれているし、ED(イーディー)だったら私も引け目を感じず一緒にいられそうだと考えた。

 でも、彼の父親は禿げているから男性ホルモンの強い家系な気がする。
(危険だわ。やっぱり、聡さんと結婚は考えられない)

「それにしても、さっきから俺の頭を見てるのは俺が将来禿げると思っているんだろ」
「はあ、凄いですね。聡さんは心の読めるリーディングの能力をお持ちでしたか。ここに来たのはどうしてですか?」

 本当は私は聡さんが私のカバンの底にGPSを仕込んでいるのを知っている。
 それは彼が私をロミオトラップにかけようとしていた時からで、私はその存在に気がついてもそのままにしている。

 裕司と別れて以来、ふと消えたくなるくらいの気持ちに襲われることが多かった。

 私は痛いことが苦手だから自殺する勇気はないが、ふとした瞬間に痛くない自殺方法を見つけて実行しそうだ。
(私が死んで困る人も悲しむ人も、もういない⋯⋯)

 万が一私が自死を選択してしまったら、死体が虫に食われる前に聡さんに見つけて欲しくてGPSはそのままにしておいた。

「そういえば、真希の勤めていた認定こども園大変がなことになっているぞ。今日は朝からずっと騒ぎになってる。それを知らせに来たんだ」
「知ってます。私が昨日のうちにそうなるように仕組んだので。あの悪質なこども園は閉鎖になるでしょうね。鈴木佳奈の悪事もネットあたりに晒されていると良いんですが」

 佐々木夫人には、鈴木佳奈と佐々木英樹の関係も伝えておいた。

 こども園の立地が風俗街の近くだから、英樹は無料の風俗嬢のように鈴木佳奈を使っていたんだろう。
 鈴木佳奈には独身と偽っていたのだから極めて悪質な男だ。
 しかし、私は彼女に全く同情をしていない。

 鈴木佳奈も子供の父親を奪うようなことを平気でするビッチ女だから破滅して当然だ。
 イッツアスモールワールド、本当に世界は狭い。

 だから、悪いことはできないと私は幼少期に気がついた。
 そんなことにも気がつかない馬鹿な男女は破滅してしまえば良い。

「真希は、相手を破滅させることで、『別れさせ屋』の仕事をしてるということか? でも、何をしたらあんなことに」

「ウェブカメラを、給湯室と保育室に設置してネットで保護者が見られるようにしました。鈴木佳奈が給湯室で喫煙しながら、保護者との不倫を喋っている模様と保育室に規定の人数の保育士が配置されていない映像がネットで確認できると思います」

「そんなことをして、こども園の職場の連中に恨まれるんじゃないか」

「昨日は沢山仕事を勝手出たので感謝されましたけどね。連絡帳を書く仕事も任されました。私は連絡帳に保育の状況を見て頂きたくウェブカメラの設置をしたから、大切なお子様の様子を見てあげてくださいと書きましたよ」
 私は子供を粗末に扱う人が許せない。

 完全に私怨だとわかっているが、あのような悪質な認定こども園は閉鎖してしまえば良いと思う。
(公的に認定されても、私は絶対認定しないわ)

「真希、俺がお前にできることはないのか?」
 聡さんがなぜそのようなことを言ってくるのか、彼の意図が分からない。

 彼は優しい人間だから、私が病んでいるのではないかと心配しているのかもしれない。

 確かに私は浮気男とビッチ女が殺したい程憎い。

「漆原茜さんが、しっかり慰謝料と養育費を受け取れるようにできますか?」

「漆原俊哉はフリーランスのウェブデザイナーだったな。確かに、給与を差し押さえたりのやり方はできないかもしれないが、そちらは俺の方で対処する」

 私は美羽ちゃんがお金の苦労をしないで済みそうでホッとする。

 美羽ちゃんには、私のような苦労をして欲しくない。
 私は祖父が倒れてしまってからは、貯金を崩し勉学の合間にバイトをしてギリギリの生活をしていた。

 私にとって仕事はお金を稼ぐ手段でしかない。
 だから、仕事に生きがいを感じている茜さんに憧れた。
 そして目の前のいかにも仕事ができそうな聡さんにも人として惹かれた。

「聡さんは、どうして『別れさせ屋』を? 雨くんの将来を考えたら他の仕事を与えた方が良いんじゃないですか? ホストとか」
 彼とマリアさんに関しては、明らかに金銭目的ではなく『別れさせ屋』をしている。

 その目的は聞いたところで、真実が返ってくるかも解らないので聞く気はない。

 もしかしたら、行き場のない雨くんの為に『別れさせ屋』をやっているのかもしれない。

「雨はまだ18歳で、酒も飲めないだろう。それに、何でホストが将来を考えた仕事なんだよ。思いっきり夜職じゃないか」

 夜職より、昼職に就くのがまともだという考えを持ち、弁護士でもある彼が『別れさせ屋』をやっているのがどうも腑に落ちない。

「システム開発とか手に職をつけさせてみてはどうですか?」

 雨くんの母親は有名なシステム開発者だ。
 優秀で女優のような美人だった彼女は、私と同じで何の取り柄もなかった母のメンタルを大いに削った。

「真希、もしかして雨のことを何か知っているのか?」
 私が何気なくした提案は聡さんを動揺させていた。

 雨くんの身元など調べて分かるものではない。
 私が子捨てW不倫事件の当事者だったから知っていることだ。

「知りませんよ。ただ、最近の若い子はパソコンとか得意そうだなと思っただけです」
「お前も負けずに若いだろう」
 私を撫でながら言ってくる聡さんの態度にホッとした。
 私と雨くんの関係なんて絶対に知られたくない。