真希の住んでいた家に行くと、もう見知らぬ家族が楽しそうに生活していた。

「原裕司、お前はあれだけのことをして、真希にあって何を言うつもりだったんだ?」
俺は自分に自問自答した。

 美由紀に子供ができたと聞いて、俺は真希と別れねばという思いに囚われた。

 真希からの連絡を全て無視して、『別れさせ屋』を雇い別れを彼女の有責にしようとした。

「どの面下げて会うのかと思われても会いたいよ、真希⋯⋯」
 真希は家まで人に貸して、どこに行ったのだろうか。
 彼女に出会って、初めて人を愛おしく感じて守りたいと思った。

 それなのにワンナイトした浮気相手に子供ができたと聞いてテンパってしまった。
 子供に不自由をさせてはいけない、子供ができたのであれば結婚せねばという思いに駆られた。

 だからと言って、なんの罪もなく俺を大切に思ってくれてた真希を傷つけてしまって良い理由にはならない。

「あっ! 位置情報共有アプリ」
 彼女を束縛したくて入れたアプリの存在を思い出した。
 彼女が他の人間にとられるのが怖くて、仕事も入社して早々辞めさせた。

 俺はまだ真希の居場所が分かることに安堵した。
 俺は彼女を運命の人だと思っていたし、彼女もそう思ってくれていると確信していた。

 しかし、再会した真希は見たこともないような悲しそうな表情をしていた。

 美由紀と一緒になることを決意してから、真希のことを徹底的に避けていたから気が付かなかった。
 今まで生きてきて幸せにしたい、守りたいと唯一思えた彼女を俺自身が苦しめていた。

 美由紀は不倫をしていたらしく、不倫相手に連行されると俺と真希は2人きりになった。
 周りに通行人がたくさんいるのに、俺には真希しか見えなかった。

「裕司、本当は社会的にあなたのことも抹殺したかったけど、お母様の顔が浮かんでできなかったよ。でも、本当のことは職場の人に伝えたから」
真希が涙を堪えながら言ってくる言葉に息をのむ。

 俺は真希が職場にいないのを良いことに自分と真希は円満に別れて、その後に美由紀と付き合ったということにした。

 真希と職場の人間は繋がっていたけれど、彼女ならば話を合わせてくれると思った。
(真希は俺のことを大切に思っているから、俺のマイナスになることは言わない)

 俺の予想通り、真希は真実を言わず職場で浮気男と罵られることもなかった。

「当然の権利だよ。真希⋯⋯」
 俺は「やり直そう」と彼女に言いたいのに、自分でも図々しすぎる要望で喉をつかえてその言葉が出てこなかった。

「美由紀さんのことは、予約のとりずらいフランス料理店とかも連れて行ってあげているんだね。でも、だめだよ恋人との食事代を会社の経費で落としちゃ」

 真希の言葉にすっと胸に冷たい空気が入ってくる気がした。
 美由紀は高級店に連れてけと煩いから連れて行っていた。

 真希は俺が疲れているだろうからと、いつも家で手料理を振る舞ってくれた。
 俺は外で食べるよりも、その料理の方が温かくて美味しかった。

 それにレストランに行くよりも、真希とくつろげる空間の方が良いと思っていた。
(真希は本当は高級料理店に行きたかった? 俺が真希より美由紀を大切にしたと勘違いされている?)

 弁明したいのに言葉が出てこない。

 俺のやっていることは真希の優しさに甘えていて、彼女のことを1番に考えられていない。

「それから、残業もやり過ぎ。月に100時間越えすると人事からチェックが入るよ。残業するのは仕事ができると思われるんじゃなくて、時間内に仕事ができないと見做されちゃうからね。仕事を振られた時も良い顔して請け負ってばかりじゃだめだよ」

 真希はこんな時でも、明らかに俺のことを考える発言をしてきた。

 どうして、彼女はこんなに良い女なんだろう。
 別れてもなお、真希は俺の心を捉えて離さない。

 美由紀との関係は一夜の過ちで、心のない体だけの関係だと弁明したかった。

 でも、そんな言葉が出せないくらい俺は真希を傷つけてしまった。

 いつも笑ってた彼女の頬には涙がとめどなく伝っている。
 俺は見たこともない彼女の悲痛な表情に言葉を無くしていた。

「原さん、真希には接触しないと約束しましたよね」
 無慈悲な声に現実に引き戻されると、相変わらず男の俺から見ても美しいとしか形容できない岩崎聡がいた。

「はあ、ただの『別れさせ屋』だよね。岩崎さんに真希との接触をを強制される覚えはないんだけど⋯⋯」
よく考えればおかしな話だ。

 金は払ったのに、どうしてその後の接触まで彼にコントロールされないとならないのか。

「申し遅れました。私、五十嵐法律事務所の五十嵐聡と申します。真希さんとは結婚を前提に考えて仲を深めている最中なので、これ以上の接触はお控え頂けますでしょうか」
 突然、岩崎聡から差し出された名刺に俺は震撼した。

「五十嵐って、もしかしてイガラシフーズの⋯⋯」
 俺は商社の食品営業部にいて、イガラシフーズとは付き合いがある。

 社長と息子の専務とはあったことがあるが、専務が弁護士の弟がいると言っていたのを思い出した。

 その時は「ゆくゆくはイガラシフーズの顧問弁護士ですね弟さんは」なんてエリート一家を羨んだ。

「父と兄がお世話になっています」
 真希の表情が五十嵐聡に抱き込まれていて見えない。

 彼女と話したいのに、俺には話し掛ける権利がない。
 俺は真希から「俺と2人で話したい」と言ってくれるよう念じた。

「聡さん、もう行きましょ。裕司とは、もうこれきり会うことはありません」
顔が見えなくても、真希のはっきりとした声は死刑宣告のように聞こえた。

「真希、もう絶対辛い思いはさせないから。母さんもお前に戻ってきて欲しいって。お願いだから」
願うような思いで、情けないと思いつつも縋るような声が漏れた。

「私、裕司とずっと一緒にいたかった。裕司のことを、運命の人だと思ったの。お母さんと一緒に町内の鼓笛隊の子のお世話がしたかったよ。原家の家族になりたかった。浮気されても、その未来を壊したくなくてみっともなく縋った。でも、もう無理。裕司の顔を見ると度、憎らしい父親を思い出すようになった。全部壊したのは裕司だから⋯⋯もう、私の前には現れないで」

 消え入りそうな真希の声を聞き取りながら、俺は自分が取り返しのつかないことをしたことを知った。

「真希、ごめん。本当にごめん」
俺は思わずその場に跪いた。

(誰より幸せにしたかったのに⋯⋯一緒にいたいのに⋯⋯こんなに好きなのに、本当にもう無理なのか?)

「もう、うるせーよ。消えろ」
 どこか育ちの良さを感じるスマートなイケメン五十嵐聡のらしくない殺意のある言葉に、俺はその場を逃げ出した。