「プロポーズしてくれたんです。私のこと大好きだって、一生一緒にいたいって」

 山田真希23歳、信じられないことが起こった。
 商社の事務職として入社してすぐ、私は同じ部署の先輩の原裕司と意気投合した。
 彼と付き合い始めて1ヶ月でプロポーズされた。

 半年後に彼がスペインに駐在する予定で、仕事を辞めて準備に専念して欲しいと言われて退職した。

 彼が渡西前に結婚式を挙げたいと言うので、私は結婚式の準備とスペイン語の勉強で忙しくしてきた。

 しかし、今、私は『別れさせ屋』の事務所を訪ねている。

「よく聞いて、真希ちゃん。浮気相手に子供ができたの」

 私を宥めている事務所の社長である岩崎聡は、誰もが見惚れるようなイイ男だ。

 私の彼氏、原裕司が私と別れるために彼を200万円で雇ったらしい。

 この2週間、私はこの『別れさせ屋』の岩崎聡からロミオトラップを仕掛けられたりした。

 彼がいくら絶世の美男子でも引っかかるはずはない。

 私は婚約者がいる身で他の男に心が揺れるような軽い女じゃない。
(この私が引っ掛かる訳ないじゃない。バカにして⋯⋯)

 こちらは仕事も辞めて結婚式と新生活に向けて必死に準備してたのだ。

「その子を私の子として一緒に育てたいって裕司にも伝えましたけど?」

 ちなみに裕司の浮気相手の妊娠は嘘だ。
 その事実を知っているからこど、私はこのセリフが言える。

 裕司は超音波画像も妊娠検査薬もネットで入手でき、「マタニティーマーク」が駅で妊婦だと言えば誰でも貰えることを知らない。

 私は彼に浮気相手がエア妊娠であることを教えてあげなかった。

(浮気相手の子まで受け入れる器の大きい女を演出しようと思ったのに失敗したわ)
 私は彼を運命の相手だと思っていて、彼にも私をもっと大事にして欲しかった。

「真希ちゃん、ぶっ飛んでいるね。なんで、そんなに原裕司に拘るの? 君と別れる為に200万円も使うような男だよ」

 岩崎聡の言葉はごもっともだ。
 世の中には2週類の男がいる。

 浮気する男と、浮気しない男だ。
 私が求めていたのは後者だが、裕司は残念ながら前者だった。

 本当は世界で一番浮気する男が憎い。

「裕司は私のソウルメイトなんです」

 自分でも彼に拘りすぎていて愚かだと思う。
 でも原裕司は私が誰にも明かせなかった秘密を明かして受け入れてくれた貴重な存在だ。

「言いづらいんだけど、どうして結婚するまではヤらせないなんてこと言ったの? だから、浮気されるんだよ」

 岩崎聡の言葉に、裕司が私のプライベートなことをペラペラ喋っていることが分かり腹が立った。

(どこまで私の話をしたんだろう、私は裕司だから誰にも知られたくない秘密を明かしたのに⋯⋯)

「性行為って初めは痛いんですよね? 私は痛いのが嫌なので後回しにしただけです」

 半分キレ気味になってしまった。
 癒し系と評判の私らしくない。

 私は皮膚感覚が敏感なようで痛みに異常に弱い。
 予防接種の注射の痛みで失神したこともある。

 彼氏にもそのことを相談してあった。
(裕司も初夜まで待ってって言ったら、最初は奥ゆかしくて良いって言ってくれた癖に)

 しかし、本当の理由は「痛いのが怖い」とかそんなレベルの話じゃない。

 裕司にも最初は「痛いのが嫌」という仮の理由を言ったが、彼がプロポーズまでしてくれたので私は言いたくない本当の理由を彼には話した。

 引かれるかもしれない私のトラウマと過去を知っている唯一の人間が原裕司だ。

「はあ、ともかく。原さんは君とは結婚する気はないの。正直、子供ができたから別れてくれと言っても別れようとしない君の執着にはうんざりしたらしいよ。それに、君って眠る時も化粧取らないんでしょ。一緒にいて疲れるんだって。女の子の綺麗でいたいと思う努力をそんな風に言う奴だよ、個人的に彼はやめておいた方が良いと思うけどね」

 私にロミオトラップを仕掛けてきた時も、彼から私への申し訳なさと思いやりを感じた。

 岩崎聡は、基本優しい人間だと思う。

 誰もが惚れそうな男に落ちなかったのは、私が優しい男を求めているのではないからだ。
(私が求めているのは、私を受け入れて家族になってくれる人⋯⋯)

 私が敏感なのは、皮膚感覚だけではない。
 私は心も繊細過ぎるくらい敏感だ。

 誰から見ても不遇な環境下で過ごして来ても、私の心は鍛えられることはなかった。
 明るく大らかな性格を装っても、心はいつも些細な言葉に傷つきズタズタだ。

 まだ、化粧も知らない高校生の頃すれ違いざまに男に「ブス」と言われた。

 その一言で私はスッピンを他人に晒せなくなった。

「私はスッピンが人を不快にさせるレベルのブスなんです。疲れるってなんですか? スッピンなら、スッピンで手を抜いているとか言って来そうですね」

 私は別人のように変われるメイクも、化粧をしてないように見せるメイクも習得している。

 彼が寝ている時や風呂に入っている間にメイク直しをしたりした。

 裕司は、私が疲れる相手だから浮気をしたとでも言いたいのだろうか。

「真希ちゃん、分かっているじゃない。男は気持ちが離れたら相手の何もかもに文句をつけたくなるものなの。どうして、そこまで原さんに執着するかね」

「専業主婦になって欲しいって言われたからです。今時珍しいですよね、私も将来は専業主婦かパートの主婦になりたいと思ってたから将来が描きやすかったし、彼とは相性も良かったから」

 私はまた本当の理由とは違う理由を岩崎さんに伝えた。

 浮気する男というのは、すぐに人のせいにする。
 裕司も例外ではなかったらしく、彼に対して嫌悪感も芽生えていて彼から離れたい気持ちもある。

 それでも私の過去を受け入れてくれる貴重な原裕司と、温かく迎え入れてくれた彼の家族を諦められていない。

 裕司も裕司の家族とも一緒にいて幸せを感じたから私は彼といたかった。

(裕司も私と同じように考えてくれていると思ったんだけどな⋯⋯)

 正直、私の過去を知って受け入れてくれる人なんていないと思っていた。

 だからこそ、浮気する男はみんな死ねば良いと思っていても、裕司の浮気だけは血の涙を流しながら目を瞑ろうとした。

「ふふ、男には体の相性も確かめさせてあげないとダメよ。それに商社マンは浮気性の人が多いから結婚はおすすめしないわ」

 横からお色気お姉さんが話しかけて来た。

「お色気お姉さん。この2週間、私はあなたを13回見ましたよ。私と裕司を別れさせる為に工作員として参加してましたか? お姉さんのいう通り、浮気の合間に仕事をするのが商社マンです。散々遊んでも、最後に自分のところに戻ってくれば構わないってくらいの女じゃないと結婚はしない方が良いと思います。私も入社してから商社マンがそう言う人種だと知りました。就職先は区役所にすれば良かったと後悔しました」

 私の両親はデキ婚だったらしく、お互いをわかり合ってからの結婚ではなかった。
 だから、私はしっかりと相手の人となりが分かる職場結婚に憧れていた。

(きっと、分かりあってから結婚となれば捨てられないはずだと思ったのに)

「よく私の顔覚えているわね。直接、私と接触したわけじゃないのに⋯⋯人の顔覚えるのが得意なのも才能よ。真希ちゃんは専業主婦になりたくて商社に入社したのね。あなたの学歴とか見ても専業主婦になるのは勿体無いと思うけれど」

 お姉さんはそういうが、学歴がないと就職活動さえキツイ。
 職場恋愛の末に結婚するのを希望している私にも学歴は必要だ。

 実際、商社マンと社内結婚した女子社員は皆んなそれなりの学歴があった。

 そして、社内結婚したら、寿退社して専業主婦になるのが通常コースだ。

 そのまま仕事を続けている女子社員もいたが、売れ残った女子社員のイジメのターゲットになっていた。

 メンタルの強くない私は元からの専業主婦希望ということもあり、裕司から仕事を辞めて渡西と結婚式の準備をして欲しいと言われすぐに退職した。

 幼少期に両親がW不倫の末、私を保育園に置き去りにした。
 私は両親がW不倫して家を出てってしまた後は、祖父に育てられた。

 祖父は私にとても良くしてくれたが、母親がいつも付き添っているような子に憧れた。

 5歳児まで両親共働きの保育園児だった私から見ると、親の目が子供に集中していて専業主婦家庭は理想的に見えた。

 年収300万時代に専業主婦をさせてくれる夫を見つけようと思い、就職先は年収ランキングで選んだ。

 親に捨てられて以来、経済的に困窮する生活をしてきたという理由もある。

 商社に入った後、男性社員の軽さと不誠実さに失望し結婚相手を選べる場所ではないと思った。
(裕司だけは違うと思ったんだけどな⋯⋯)

「真希ちゃん、原さんは婚約破棄の慰謝料として200万円払うって言ってたよ。そして、そのハイブランドの婚約指輪も200万円はするやつよ。400万円儲けたと思って、もう別れた方が良いよ」

 お色気お姉さんが優しく語りかけてくる。
 彼女は私を傷つけないように気を付けてくれているが、私はこれ以上なく傷ついていた。

「彼はこの事務所にも200万円払っているんですよね。私と別れる為だけに、そんな大金を使うんですね」

 裕司は私とそこまでの大金を払っても別れたいということだ。
 私は捨てられるのが一番怖い、認めたくないけれど私は裕司に捨てられたのだろう。

「400万円あったら、整形もできるわよ。年中、化粧をしていたらお肌に毒よ」
 お色気お姉さんは本当に優しい方なんだろう。
 出会ったばかりの私のお肌のことまで気にしてくれている。

 しかし、心配は無用だ。
 私はブスだが、肌だけは強い。

「整形なんて痛いことは絶対嫌です。顔にナイフを刺すようなもんですよね。死んでも嫌です」
「あ、痛いのダメな子だったわね」

「岩崎所長、私が公務員試験に受かるまでここで雇ってください」
私は意を決して岩崎さんに言った。
 はっきりって仕事も辞めてしまってお金がない。

「ダメだ。ターゲットを雇うなんてありえない。それに真希ちゃんにこの仕事は向いてないよ」
 岩崎さんは即答してくるが、こちらは仕事がなければ生きていけない。

 そして、新卒で入社して早々仕事を辞めた私は再就職がキツイ。
 裕司の支払った額から見ても、『別れさせ屋』の見入りは良さそうだ。

「この事務所違法なことも沢山してますよね。私を雇わなければ、色々困ることになりますよ」

 私は脅してでも彼らの仲間に加わろうと思った。