電話を切ってしばらくすると、日陰が寝室に戻ってきた。

「緋色さん、電話終わりました? ひなたは爆睡してましたよ。天使みたいな可愛い顔で寝てました」

 ひなたの寝顔を思い出したのか、幸せそうに笑っている彼女こそめちゃくちゃ可愛い。

 ベッドに飛び乗って、ずりずりと俺に近づいてくる。
 そのまま抱きついてこないか期待したが、そんなことは起こらなかった。

「日陰、小笠原製薬が森田食品にかなりプライバシーレベルの高い個人情報を提供していることがわかったんだ」
「それってかなりダメですよね、でも、食品会社にその情報ってどれくらい価値があるものなんでしょう」

 彼女が何か考え事をしだした。
 俺は、とりあえず具体的にどんなことが問題になるのか説明することにした。

「例えば、コレステロール値を下げる処方薬を貰っている顧客の情報を掴んだら、高価な定期購入の低コレステロール健康食品の案内を送ったりできるかな」

「つまり、私が余命1年の難病という情報が掴まれたら、定期購入のどんな病気も治る万能薬の案内が届くということですね」
「うーん、万能薬は多分詐欺だと思う⋯⋯」
日陰は結構、天然なところがある。

 彼女は切れ者の両親の血を継いでいるが、天然なところは育ての親に似ている。

 でも確かに余命を告げられるような切迫した状況だと、かなり高価なものでも藁をも縋る思いで購入しそうだ。
(人の不安に漬け込む商売のやり方か⋯⋯)

「これが明らかになれば2社とも追い込まれるだろう」
「社員の方々はどうなるんですか? 経営が傾くとリストラとかにあったりしますよね。それって、おそらく上層部の一部がやっている事で、大多数の社員の方には何の罪もないはずです。森田さんに相談して内部告発という形をとってもらったらどうでしょう。会社に自浄作用があることを示せるのではないでしょうか」

 俺はここにきて彼女が根本的に自分とは違うことに気がついた。

 彼女は自分の心配よりも、まず人の心配をする。
(それにしても、森田?)

「森田蓮は森田食品の次期社長だから、当然そういうコアな事情は知っていると思うが」

「彼は女好きで困った人だとは思いますが、そんな悪い事をする人ではありません。彼は彼の父親とは明らかに違います」
 彼女は身を挺して守られたから、彼のことを信用しているのだろうか。

「緋色さん怒らないで聞いてくれますか?」
 日陰が意を決して尋ねてくる様に息を呑んだ。

「怒られるような事をしたのか? 怒らないから言って」
 俺が彼女を怒るなんて事はありえない、でも、彼女は俺を嫉妬させるようなことを言う気がした。

「実は、小笠原社長から緋色さんと離婚して森田蓮と結婚するように言われたんです。森田さんが小笠原を裏切ることができないようにする為な気がします」
「離婚? そんな事は絶対にしないぞ」
 小笠原社長の考えていることは、常軌を逸していている。

 この間は娘の陽子と森田蓮を結婚させようとして、陽子がダメになったら日陰だ。
 彼はもう日陰を自分の駒として使う気のようだ。

 それにしても、小笠原製薬にはリスクしかない情報提供がなぜなされているのかが引っ掛かる。
 小笠原社長の姉が森田家に嫁入りしているから、両家は一蓮托生なのだろうか。

 俺は思わず日陰を抱きしめると、彼女もそっと俺の背に手を回してくる。
(少しだけ関係が進展したかも⋯⋯)

「私も、ひなたと緋色さんと家族でいたいです」
 彼女は必ず俺の名前より先に、ひなたの名前を出す。

 そんなところに、いつも嫉妬しているのは子供っぽいと分かっている。
 それに家族としてではなく、男として彼女にもっと俺を求めて欲しい。

「日陰、結婚式を挙げよう。父親として小笠原社長でなく望月健太に列席して貰うんだ」

「結婚式ですか? 余命のことで考えられなかったけれど、挙げられるのであれば挙げたいです。父は出席してくれるでしょうか⋯⋯」

 彼女の様子からみるに、望月健太と最後に会ってから特に連絡をとっていないようだ。
(望月加奈も列席した方が日陰も喜ぶだろうし、これは俺が連絡をとった方が良いな)

「日陰のウェディングドレス姿楽しみだな」
 俺が彼女の長い艶やかな黒髪を撫でながらいうと、彼女は嬉しそうな顔になった。

「私のウェディングドレス姿見たいと思ってくれるんですか?」
「当たり前じゃないか!」
 美しい彼女のウェディングドレス姿を見たくない男が存在する訳がない。
(本当は俺だけが、その姿を独占したいけどな⋯⋯)

「勇はそんなことを言ってくれなかったので、男の人ってそういうのはあんまりなのかなって思ってたんです」

 俺の心は一気に嫉妬心に侵食されはじめた。
 今の言葉は、彼女は川瀬勇にウェディングドレス姿を見て欲しかったと言っているように聞こえる。

「そうだ! 緋色さん、改めてお礼を言わせてください。勇をスカーレットホテルに就職させて頂いてありがとうございます。緋色さんがいなかったら、私のせいで彼の人生がめちゃくちゃになる所でした」

 日陰は俺がいつもどれだけ彼女の周りの男に嫉妬しているか分かっていない。
 特に彼女の為には命も捧げそうな川瀬勇の名を、彼女から聞くたびに心が嫉妬の炎で焼き焦げそうだ。

「どうして、日陰が彼のお礼を夫の俺に言うんだ?」
 俺の質問の意図が分からないのか、日陰は小首を傾げている。

 彼女は10年以上付き合った川瀬勇のことを俺よりも身内のように感じてるのが、言葉の端々から出ているのに気がついていない。

「これから、俺のことも緋色と呼び捨てにしてくれないか? 流石に嫉妬で狂いそうだ。今度、俺を嫉妬させたら、君は俺のものだって一晩中分からせるから」

 俺が言った言葉に、日陰は真っ赤になりシーツの中に逃げていってしまった。