俺は咄嗟に日陰さんを守って、背中を刺された。
 刺されどころが悪かったのか、俺はその場で気を失った。

 気がついて目を開けると、目の前には俺を心配そうに見つめる日陰さんの姿があった。
(良かった怪我してない⋯⋯俺は彼女を守れたんだ)

 広めの病室は調度品などから察するに見覚えがある。

 以前に父が入院したことのある病院の特別室だ。

 女を守って重傷を負うという、今にも恋が始まりそうなシチュエーションに俺の心臓は高鳴った。

 咄嗟に他人を身を挺して守るようなことを、自分がする人間だとは思わなかった。

 今もめちゃくちゃ痛くて事切れそうなのに、俺は彼女がこの出来事をきっかけに自分を意識してくれることを期待している。

 切れ者だった須藤玲香と違い、ズレまくりの日陰さん。
 でも初恋の須藤玲香とは異なる、もっと強い感情を俺は彼女に抱き始めていることに気がついていた。

「お背中痛いお兄ちゃん、よくなったみたいだねー」
 その時、俺の気持ちを遮る甲高い子供の声が聞こえた。
 彼女が妙にに大切にしている子、白川ひなたの声だ。

「そうね。お兄ちゃん。お背中痛いの飛んでったみたいね」
 俺は聖母のような笑顔で、白川ひなたの頭を撫でている日陰さんをただ見つめるしかなかった。
(えっと、あなたを庇って気を失う程出血したんですけど⋯⋯)

 はっきり言って味わったことのないような痛みを今も抱えている。

 心配そうな顔で俺を見つめていた日陰さんは、お迎えの時間には最優先のひなた君を迎えに行ったのだろう。
 その後、意識不明の俺に子連れで付き添っていたということだ。

「お兄ちゃん、痛みはどお? 大丈夫?」
日陰さんが俺の顔を覗き込みながら言ってくる。
(唐突な彼女のお兄ちゃん呼びに吹き出しそうになるが、痛みが走った)

「大丈夫に決まってる!」
 ここで大丈夫じゃ無いとは絶対に言えない。

「良かったね。ママ。お背中痛いのお兄ちゃん治ったって」
 白川ひなたが嬉しそうに笑いながら、日陰さんにハイタッチした。

「日陰さん。あの健康診断の紹介状はおかしいから。今度、指定されていた谷村医師に会うときは俺も付き添わせて」

 とにかく彼女を守りたいという気持ちにかられた俺が申し出ると、彼女は困った顔をした。
 遊び人で親の言いなりに彼女を口説いたと思われている俺のことなど、信用できないのかもしれない。

「森田さんに、頼ったりして甘えても良いんですか? 私、生きられるかもしれないんですね」

 彼女が潤んだ瞳で告げてくる様に、俺はたまらなくなった。

 こんな風に彼女に懇願されたら、命も差し出すのも惜しくないと思ってしまう。

「日陰さん、本当に悪い女だな」

 俺は思わず彼女に口づけようと、彼女の頭を押さえて顔を近づけていた。

 いつも女を落とすためにしていた行動を、無意識にしてしまうほど俺は彼女を欲していた。

「森田君! 妻がお世話になったようですね。ありがとうございました」

 まるでこの世に自分と日陰さんだけみたいな気持ちに浸ってきた時に、扉を開けてカットインしてきたのは白川緋色だった。

 彼に頭を鷲掴みされて、彼女から遠ざけられる。
(首がもげそう⋯⋯痛い⋯⋯)

 美しい人が怒るとこれ程に怖いのかと言うほど、白川緋色は俺を睨みつけていた。

「俺は女好きなんで、全ての女を助けなければと体が動いただけですよ」
 咄嗟に自分が発した言葉に、自分でもショックを受けた。

 すでに若きホテル王とも呼ばれる程仕事で成功し、男でも見惚れる程のルックスを持つ彼に自分が勝てるわけがない。

 はなから彼への負けを認めている俺は、日陰さんに惹かれているのを隠した。
(俺程度の男が、彼の女を思って良いわけがない⋯⋯)

 今まで恵まれた自分の環境に、俺の自己肯定感は高い方だったと思う。
 誰にも負ける気はしなかったし、自分に落とせない女などいないんじゃないかとさえ感じていた。

 それでも男として勝ち目のない白川緋色を前にして、俺は情けない姿を晒していた。

「パパー! もう、帰ろう」
 2歳くらいの白川ひなたが、甘えたような声を出す。
 彼が白川緋色に甘える姿に、どことなく死んだ美咲の面影を感じた。

「ああ、そうだな」
 俺は幸せそうな3人家族を見て、自分がこの間に入るのは間違っていると思った。

「緋色さん! ひなたと先に帰っててください。私は森田さんの親御さんがいらっしゃるまで彼に付き添っていたいと思います」

 思ってもなかった日陰さんの言葉に、俺は彼女の恐ろしさを感じた。

(さっき自分が俺にキスされそうになったことに気がついていないのか?)

「わかった。日陰がそうしたいならそうすると良い」
 俺が知っている白川緋色は、そんな簡単に女の言うことを聞くような男ではない。

 しかし、今の彼はまるで惚れた弱みかと言うように彼女の言葉に逆らえないように見えた。

「ママ、バイバイ」
 俺を牽制するような視線を向けた白川緋色と彼の息子が病室を出ていく。

 俺は自分の恋心に気がついてから、初めて日陰さんと2人きりになった。

「森田さん、痛いですよね。大丈夫なんかじゃないですよね。なんで、あんなことしたんですか! 刺された場所、すごく危ない場所だったんですよ」

 日陰さんが堪えていた感情を解放するように、ポロポロ涙を流しながら俺に訴えてきた。

 俺の初恋のお姉さんである須藤玲香は泣いたりしない。

 須藤礼香は自分の魅力を知り尽くしてて、才能と女を使いのしあがってくような強い人だった。

 彼女は好きでもない小笠原社長とも平気で関係を持ち、自分の出世に利用していた。

 俺は勝手に玲香さんの面影がある日陰さんも、強かな女だと決め付けていた。

 でも、日陰さんは彼女とは真逆の人だ。

 血が繋がってさえいない子供を自分の子みたいに可愛がり、権力者に媚びたりもしない。

 そして、明らかに怪しい健康診断書を信じてしまうような危なっかしい人。

 そんな彼女を見ていると、彼女を守る為に動かないと彼女が消えてしまうような錯覚に陥る。

 考えの読めない小笠原社長、彼女の破滅を望む陽子や小笠原夫人。

 俺は初めて人を守りたいと思った。

「日陰さん、本当にごめん」

 俺は彼女を愛おしく感じる思いが我慢ができず、彼女の唇に貪りつこうとした。