「俺だって本当は日陰さんと関わりたくないよ。あの白川緋色から君を寝取れなんてミッション嫌に決まってるだろ。でも、小笠原社長からも親にもそうしろって言われて⋯⋯」

 遊び人で何にも考えてなさそうな森田蓮が震えながら私に訴えてくる。

 私も自分の父である小笠原社長に関しては、底知れぬ怖さを感じていた。

「大丈夫ですよ。よかったら私から森田さんのご両親や小笠原社長に離婚はありえないことを伝えますから」

 彼が安心するようにできるだけ優しい口調で伝えると、彼は戸惑ったような顔をした。

「須藤玲香に似てると思ったけど⋯⋯」

「私の産みの母親のこと知ってるんですか?」
 私自身は彼女のことを、ほとんど知らない。
 私は彼女の娘であるはずなのに、言葉を交わしたこともない。

「めちゃ知ってる。俺の初恋の人だし。よくうちに小笠原社長と一緒にきて食事をしてたよ」
 彼の言葉に虚しい気持ちになった。

 私は父である小笠原社長とも、母である須藤玲香ともろくな会話をしたことがない。
 それなのに彼らは、よその子の森田蓮とは交流を持っていたようだ。

「私は2人とろくに話したことありません。だから、なんの感情も持てませんし、森田さんも小笠原社長の言うことを聞く必要ないと思います」

 私の言葉を聞いた森田蓮は薄く笑うと、私の頬に手を添えてきた。

「初恋の女と似ている事とは関係なく、君にも惹かれてるよ日陰さん」

 彼の顔が近づいてきて、キスをされそうになり私は衝動的に彼の頬を打った。

 先程まで本心を打ち明けてくれていると思ったのに、もう私を落とすビジネスモードに変わっている彼に寒気がした。

「色恋とか本当にくだらない! 演技でも本気でも私に迫ったりしないでください。私は死ぬかも知れなくて、ひなたと少しでも一緒にいたいだけなんです!」

 隠してた本音が漏れた。

 誰になんと言われても私の中で自分の余命が1年しかないんじゃという疑いが消えない。
 そして、最後に一緒にいたいのは愛を語ってくる男じゃない。
 ただ純粋に私を慕ってくれる、ひなた君だ。

「血も繋がってないのに⋯⋯いくら尽くしてもその子からの親孝行はないよ」

 バカにしたように笑って言ってきた言葉は、彼の本質を示しているようだった。

「私はただ勝手にひなたを愛おしく思っているだけです。親孝行とかお返しなんていりません」
 ひなたが盲目的に私を慕ってくる愛しい姿が脳裏に浮かんだ。

 余命いくばくもないと思った時に、欲しかったのは愛してくれる相手ではなく愛せる相手だった。

「全然似てねー! 似てなさすぎ! 本当に見た目は似てるのに須藤玲香とは中身が全然違うんだな」

 森田蓮の言葉は意外だった。

 私は須藤玲香さんを見たことがあるが、彼女の見た目に自分は似ていると思ったことはなかったからだ。
「見た目も似てない⋯⋯と思うんですけど」

「似てるよ。体のラインが」
 舐めるように私の体を見てきた彼にゾッとした。

 どうしてこんな気持ちの悪い男ばかりが存在するのか。
(いやらしい目で私を見るのはやめて! 愛人の娘だからって軽んじてるの?)

「ひなたは私の希望なんです。私、少しでもあの子の母親でいたいと思っています。あとほとんど生きられないかもしれないのに、あなたみたいな男に時間を使いたくありません」

 私は母親である自分に欲情しないで欲しいと思い、カバンから要精密検査と書かれた健康診断書を見せた。

「日陰さん⋯⋯これ、正式な診断書じゃない。本当に才女で切れ者の母親とは別人だな、抜けすぎだよ。これを見てちゃんと疑問を感じようよ」

 私を馬鹿にしたような言葉を吐きながら、彼は私の手元にある診断書を取り上げた。

「正式じゃないって⋯⋯どう言うことですか?」
「診断書の様式もおかしいけど、それよりこれに付随している紹介状が酷すぎる。特定の医師を指定する紹介状なんて存在しないから」
 私は今まで健康診断で引っかかったことはない。
 様式がおかしいって言われても、毎年こんな感じの内容だった気がする。

 要精密検査であることを電話で告げられ、その後紹介状までついている診断書に慌てた。
 紹介状を受け取るなんて初めてで、内容がおかしいなんて気がつけない。

「普通はどうなんですか?」
「いくつか専門医のいる病院を紹介するのが紹介状! 紹介状の宛先が特定の医師なんておかしいよ」

 森田蓮は急に私を口説くモードから鋭い視線になった。
 私は彼のことを女好きの暇人だと思っていた。

 緋色さんが朝から晩まで忙しいのに対して、彼はふらりと私に会いにくるくらい暇に見えたからだ。
(意外と頼りになる人なのかも⋯⋯)

「日陰さん。こんな診断書を信じないで。生きられるから、泣くなよ」
 森田蓮が私の頬に伝った涙を唇で吸いあげながら語る。

 彼は弱った私にさえ取り入ろうとするくらい、小笠原社長からの任務を遂行したいのかと腹がたった。

「やめて! しつこいし、気持ち悪いです。私はひなたと一緒に少しでもいたいだけなんです! 男に寄りかかりたい訳じゃありませんから」
「へっ? 子供目当てなの? 白川緋色じゃなくて⋯⋯それなら、俺と子供作ればいいじゃん」

 私は子供なら誰でも良いと思われているようで苛立った。
 ひなたは私にとって、もう特別な存在になっていたからだ。

「ここで降ります。あなたといるだけで不愉快です」
 私が走ってる車の扉を開けようとすると、運転手が急停車した。

 急ブレーキの振動で、思わず私も森田蓮も浮くような感覚を必死に抑える。

 私は扉のロックを外して外に出た。

「いたー! 日陰! いたー! 死ね! 」
 私はなんと運が悪い女なのだろう。

 多くの監視を潜り抜けるように、私に突進してきたのは陽子だった。
 彼女は自分の髪留めのクリップを手に持って私に突進してくる。
(あれじゃ、刺されても致命傷にはならないはず)

 そう願いながら私は咄嗟に目を瞑り身を屈めた。
 下を向いていると地面が赤く染まっていくのがわかった。

 しかし、痛みはないからきっと私の血ではない。
 私が俯いていた顔をあげると、私を守るように覆い被さる森田蓮がいた。

 地面の血溜まりの正体は、彼の背中から流れる血だった。