ベッドに寝かされ、顔中にキスの雨が降ってくる。

 先程のキスも私が知っているものとは、かなり違っていた。
(何だか、すごくドキドキして緊張する⋯⋯ちょっと、怖いかも)

「日陰、愛している」

 息を切らしながら私に告げてくる色っぽい緋色さんに胸が高鳴る。

「緋色さん、私も⋯⋯」
 そう言いかけた時に遠くで声がした。

「ママー! トイレ」
「緋色さん、ひなたがトイレみたいなので失礼します。とうとう、ひなたは夜にトイレと言って起きられるようになったんですね」

 ひなたは夜は1回も起きない。

 今日はトイレに行きたくて起きたのだろう。
(なんて、素晴らしい成長なんだろう。あっという間に夜のオムツも取れたわ)

「そうだな。めちゃくちゃ間が悪いが、トイレみたいだな」

「何を言っているんですか。ひなたが夜に尿意を感じて自分で起きて、トイレに行こうとしているんです。これ以上素晴らしいことはありません」
 私はひなたがトイレに起きたこと以上に、私をママと呼んでくれたのが嬉しかった。

「よくできたね。すごいよ、ひなた。緋色さん、ひなたはもうトイレが完璧ですよ」

「うん。そうだな。ひなたは凄いな⋯⋯」

 緋色さんが棒読みのように褒める。
(夜に自分でトイレ行けるようになるって、凄い成長なんだけどな⋯⋯)

「ママと一緒に寝る」

 ひなたが私をママと呼んで、一緒に寝たいと言ってくれて嬉しい気持ちが溢れ出した。

「そうだね。今日も3人で寝ようか」
 緋色さんが少し不満そうだったけれど、こんな可愛い申し出を断れるはずがない。

 私達は、また3人で川の字でベッドで寝た。

♢♢♢

「ん、なんだか冷たい⋯⋯」
 朝方、なんだか腰のあたりが冷たくて目を覚ます。
 隣を見るとひなたがスヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。

 ひなたの寝顔がめちゃくちゃ可愛いけれど、ほっこりしている場合じゃない。
(ひなたが、おねしょしている。どうしよう、ベッドのマットレス駄目にしちゃったかも⋯⋯)

「緋色さん、起きてください」

 私は緋色さんを起こそうと、肩を揺らすが起きそうもない。
(何でこの冷たさで起きないの? 不快感とか感じないわけ? 感覚神経までお休み中?)

「お姫様のキスで起きるようです」

 目を瞑ったまま緋色さんが言う言葉にため息をついた。

「起きているじゃないですか。本当に申し訳ございません。ひなたがおねしょしちゃったみたいです。子供用の布団で寝かせるべきでしたね」

 子供用の布団にはしっかりと防水シーツをつけている。
 だからおねしょをしても、マットレスまでダメになることはない。

 緋色さんが起きてきて、私に軽くキスをしてくる。
(何なの? 私がしなかったから自分からキスしたってこと? 非常事態に余裕過ぎない?)

「今日から、ひなたは子供用の布団で寝かせないとな。俺はしばらくは日陰の部屋で一緒に寝ようかな」

 緋色さんは怒ってなさそうで、微笑みながら私の頭を撫でてくる。
(高そうなマットレスをダメにしちゃったんだけど、怒ってないのかな?)

「そうですね。今日からはひなたには子供用の布団で寝るように言います。私の認識が甘かったようです。緋色さんシャワー浴びますよね。それともお風呂にしますか?」

「じゃあ、日陰と一緒にシャワーを浴びようかな」
 緋色さんが私を引き寄せながら、擦り寄ってきた。

「ちょっと、こんな非常時にふざけないでください。私がひなたをお風呂に入れるので、緋色さんはご自分でシャワー浴びてくださいね」

 私は、ひなたを起こして一緒にお風呂に入った。

「朝から、バタバタしてすみませんでした。今日はひなたをプレ幼稚園に連れて行った後は検診の結果を聞きに行って来ようと思います」

 朝からお風呂に入り、朝食を食べ終えて緋色さんをお見送りする。
 カバンを手渡そうとすると、緋色さんに手首を掴まれた。

「日陰、大丈夫か? 不安だよな。俺もすぐに帰宅するようにするけど、今日は家にいた方が良いんじゃないのか」

「ひなたはプレ幼稚園もありますし、検診の結果も聞きに行かなければなりません。知らない人にも、知っている人にもついて行かないようにするので大丈夫です」

「検診の結果は今日じゃなくても大丈夫だ。健康状態に問題があったら先に連絡をするように言ってあったが、特に連絡がなかった。ひなたの送り迎えはシッターに頼めば良い」

「緋色さん、私は逃げたくないです。どうして、私が怯えて逃げなきゃいけないんですか? 私が怯えた表情を見せてしまったのなら謝ります。でも、自分でも気を付けるようにするので信じてください」

 緋色さんが心配しているのは、陽子が保釈金を払って保釈されたからだ。

 そのニュースを見て、また彼女が私を執拗に狙ってくるんじゃないかと怯えたのは事実だ。

「スマホ貸して。位置情報共有アプリを入れよう」

 緋色さんに私のスマホを渡す、彼が何か操作している。

「これで、お互いどこにいるか分かる。日陰も俺が恋しくなったら、俺の場所を検索してみて会いに来てくれても良いぞ」

「凄い、そんなものがあるんですね。スマホを無くした時にも便利そうですね」

「無くしたら日陰の居場所がわからなくなるだろ。胸の谷間にでも入れておけ」

 緋色さんが、私の胸の谷間にスマホを入れてきてびっくりしてしまった。

「何をするんですか? 変態ですね。お姉さん方のこのような場所にお札とか入れて楽しんでたりする方だったんですね」

「そんなことしないよ。一体どこの世界の話だよ。まあ、なんか元気になったようでよかったわ。じゃあ、行ってきます」

 緋色さんが怒っている私をみて、笑いながら出勤して行った。
(私に元気を出させるためにやった冗談ってこと? 他に方法あるでしょ。イケメンだから許されてるけど、やってることは変態だわ)

 ひなたのプレ幼稚園の準備をして幼稚園に到着すると、もう会うことはないと思っていた人がいた。

(森田蓮⋯⋯なんで、こんなところにいるの? もしかして彼も綾野先輩のように陽子の命令で私を拉致しようとしている?)
 森田蓮の存在を無視して、幼稚園にひなたを預ける。

「行ってきます。ママ」
「ひなた行ってらっしゃい」

 このままダッシュで駅まで行って、病院に向かおうと思い私は蹄を返した。
(もう、拉致されたり怖い目にあうのは嫌)

 森田蓮の横を走って通り過ぎようとした時、思いっきり腰に手を回され米俵のように担がれた。

「やめてください」
 誘拐されそうだと叫ぼうとした時、彼が口を手で塞いできて車に乗せられる。
(私、身長があるから結構重いのに、この人⋯⋯力があり過ぎる)

 私が車に乗せられて、すぐに車が発車した。
 口を塞いでいた彼の手に思いっきり噛み付いたら、拘束が外されたので抗議した。

「何で、私を誘拐するんですか? 今、目撃者もいましたし、すぐに捕まりますからね」
(それに位置情報共有アプリがあるから、緋色さんも気がついてくれるはずだわ)

「誘拐をしたつもりはないよ。ただ、昨日のことを謝りたかっただけだ。それにしても昨日は引っ叩いてくるし、今日は噛みつくし見かけによらず凶暴なんだな」

 森田が私の噛み付いた手を撫でながら言う。
 よく見ると、噛み跡がしっかりついてて痛々しい。

「謝るだけなのに、車に乗せる必要ありますか?」
「無視して通り過ぎようとした癖によく言うよ」
「私、病院に行かなきゃならないんです」
「じゃあ、そこまで送ってあげる」

 微笑みながら私の手を撫でて来たので、思いっきり振り払ってやった。
 遊び人で有名だという彼は、やはり女の扱いに慣れている気がする。

「私を拉致するように陽子から言われたんじゃないですか?」
「何で、俺があの頭おかしい女の言うことを聞かなきゃいけないの?」
「でも、陽子と結婚しようとしてましたよね」
「親から彼女と結婚するように言われていたからね」

「それで、今度は私を離婚させて私と結婚するように言われているんですね。私、意思のない人って嫌いなんです。森田さん以外の男性が絶滅しても、あなたに見向きもしない自信があります。ここで降ろしてください。はっきり言って、あなたと関わりたくないんです」

 陽子と関係のあった男と関わるのが怖くて、キツイ言葉をかけすぎたかもしれない。

 まさか、軽薄な印象の彼が泣くとは思わなかった。