「陽子のお古に用はありません。恥ずかしくないんですか? 言われるままに女を口説いて、娼夫と変わらないじゃない」

 私がキスをしようと迫ってくる森田蓮の口を手で塞ぐと、彼は手のひらにキスをしてきた。

(簡単に揺らぐ女みたいに扱われているようで気分が悪いわ、本当に不快な男⋯⋯)

「小笠原社長から君と結婚するように言われたけれど、君に一目惚れしたのは本当だ。婚約パーティーで、君を見かけた時から君のことばかりを考えていた」

「私は白川緋色の妻ですよ。冗談でもそんなこと言わないでください。ちなみにこの会話は録音しています。録音データを緋色さんに聞かれても良いんですか?」

 実際は録音していないが、勇のお陰で音声データの持つ力を知った。

 彼の録音癖があったからこそ、絶対に暴かれることのない悪事が暴かれたのだ。

「ふふっ、もちろん良いよ。俺への嫉妬心で燃え上がった白川社長に、今晩は激しく求められるんじゃない?」

 森田蓮の下品な言葉に、私は余計に不快になった。

「森田さん、はっきり言って不愉快です。私と緋色さんは、そんな爛れた関係ではありません。もう、幼稚園のお迎えの時間なので失礼致します」

 時計を見ると11時を過ぎそうだった。

 11時半にはプレ幼稚園が終わる。
(早くひなたに会いたい)

「幼稚園まで送るよ。車じゃないと間に合わないでしょ」

 悔しいけれど森田蓮の言う通りだった。
 小笠原社長に連れてこられて、ここはどこだか分からない。

 スマホのGPSで位置を確認すると、随分遠くまで来てしまっているようだった。
 車で急いでも、お迎えの時間に間に合わないかもしれない。

 私は保育園のお迎えに父がなかなか来なくて、いつも最後まで待たされていたことを思い出した。
(お迎えには1番に待っていたかったのに、何でこうなっちゃったの!)

「大丈夫だよ。間に合うよ。早く乗って日陰さん」

 私は相当真っ青な顔をしていたのかもしれない、先程の粗野で強引な雰囲気とは違う紳士的な森田蓮が私を車にエスコートした。

「ひなたが園舎から出た時、私を直ぐに見つけられるように私は待っていたいんです」

「大丈夫だから⋯⋯」
 先程の口説きモードはなく、私を安心させるように言ってくる彼にホッとする。

「自分の子じゃないのに、そんな大切にしているのは何で?」

「確かに、ひなたは私が産んだ子ではありません。でも、目に入れても痛くないくらい大切な子です」

「自分も本当の親に育てられた訳じゃないから、そんなこと思うの? 冴えない工場の夫婦の子じゃなくて、小笠原社長と才女の須藤玲香の子で良かったね」

「私は自分は望月夫妻の子だと思っています。エロ親父とボインのお姉さんの子ではありません」
「ボインって昭和かよ」

 森田蓮が私の言葉に爆笑している。

 「昭和」の親父扱いするなって、緋色さんに言われたことを思い出して思わず私も笑みが漏れた。

 すると森田蓮の顔が近づいてきてキスをしようとしてきたのがわかり、思わず突き飛ばす。

「え、何なの? 思わせぶりだな。今、そういう流れだったでしょう」
「全然、そんな流れではないです」

 遊び人というのは、常にキスをする機会を伺うものなのだろうか。
 油断も隙もないと思って、私はそれから幼稚園に着くまでひたすら無視を決め込み下を向いた。

「まだ、出てきてないようですね。お送り頂いてありがとうございます」
 森田蓮と噂になることは避けたいので、彼には早く帰って欲しかった。

 しかし、彼は私の隣で一緒にひなたを待つつもりのようだった。
(送ってもらっただけに、無理に追い払えないわ⋯⋯)

「ママー!」
「ひなた君、今日もいい子にしてましたよ。トイレもバッチリです」
「本当ですか? すごいじゃない、ひなた」

 謙遜したように照れているが、ひなたは本当に凄い子だ。
 この1週間で、トイレの失敗が1度もない。

 このままオムツが取れてしまうかもしれない。
 私は感動のひなたとの再会に、森田蓮がいたことを一瞬忘れていた。

「ママじゃないでしょ。お姉さんでしょ。ひなた君のママはもう死んでいるんだから」

 森田蓮が悪気なく言った言葉に心が一瞬にして凍る。
 私は気がつくと森田蓮を引っ叩いて、ひなたを連れて家に帰っていた。

「ママは死んでるの? ママはお姉さんなの?」
 ひなたが言う言葉に、何とこたえて良いか分からない。

 気がつくと私は家に戻っていた。

「ひなた⋯⋯一緒にブロックで街を作ろっか⋯⋯」
 ひなたの問いにこたえるべきなのに、こたえられない。

 緋色さんが絶対に守りたかった秘密だ。

 彼は母親がひなたの出産で死んだことを隠したいと言っていた。

(私と結婚したのもそれが理由だって、最初は言っていたわ)

 いつの間にか、私は緋色さんとひなたと家族3人で生きる未来を想像していた。

 「余命1年だから結婚したい」って緋色さんも最初から言っていた。
 「一目惚れしてた」とかもリップサービスかもしれない。

♢♢♢

「すごい街だな⋯⋯」

 気が付くと緋色さんが帰宅していた。
 超大作のブロックの街がいつの間にか完成している。

「お帰りなさい。緋色さん」

 彼が着替えをしている間に軽く食事を作って、作り置きしていた食事を並べる。
 毎日手の込んだ食事を作ってたのに、今日は手抜きになってしまった。
(しっかりしなきゃ、残された時間は少ないかもしれないんだから⋯⋯)

 余命が1年しかない難病ではない可能性が高いと分かったはずなのに、この幸せが長くは続かない不安に包まれている。

 実は長い間、毒を盛られていて検診の結果で病気が新たに見つかるかもしれない。
 それに、私を拉致した日の陽子の尋常ではない目つきを見ると、私を殺すことを諦めていない気がする。

(小笠原夫人だって私を恨んでいるだろうし、小笠原社長も私をどうするつもりか分からない)

 食事をして、ひなたを寝かしつけて気が付くと緋色さんとリビングで2人きりになっていた。

「日陰、何かあったのか? 泣きそうな顔をしている」
 緋色さんが私の頬にそっと触れてくる。

「小笠原社長が森田蓮を連れてきて、彼がひなたに私がママじゃない。ママは死んだと言っちゃったんです」

 言い終えると共に胸が詰まる。
 何でこんなミスをしてしまったんだろう。

 緋色さんがひなたの心の為に守ってきた秘密が、あっさりと明かされてしまった。

「日陰、大丈夫だから」
 緋色さんが私を抱きしめてくれて、その体温が温かくて思わず抱きしめ返した。

「ひなたが私のことお姉さんなの?って⋯⋯」
 ひなたの質問にこたえず話を逸らしたが、ひなたは私が偽の母親だと気がついたかもしれない。

 ひなたが母親の死に気がついたことだけが嫌なんじゃない。

 勝手だけれど、私がもうひなたの「お母さん」をやれないことが悲しい。

「今日は思いっきり抱っこする約束だったよな」
 緋色さんが突然会話を切って、私に深い口づけをしてくる。
(こんな深い口づけは初めて⋯⋯何だか頭がボーッとしてくる)

 私は必死に彼の大人のキスにこたえながら、しがみついた。
 ひなたのこと考えなきゃいけないのに、今は緋色さんに溺れたい。

 私の膝裏に緋色さんが手を入れてくる。
 私は彼にお姫様抱っこされて、寝室に連れて行かれた。