「川瀬勇様ですよね。白川から伺っております。どうぞ、こちらへ」

 陽子と森田蓮の婚約パーティーの騒ぎがおさまらぬ間に、俺は白川社長の計らいでインドに飛び立った。

「プライベートジェットって初めて乗るわ。それにしても日陰は大丈夫かな⋯⋯」

 俺は小笠原家の最大の秘密である小笠原夫人の須藤玲香殺しを公の場で明らかにした。

 俺がこの真実に辿り着いたのは陽子が口の軽いバカ女だったことと、長い年月をかけ彼女に俺が自分側の人間だと思い込ませることができたからだ。

「日陰さえ幸せならいいんだ。本当に厄介な恋をしたな⋯⋯」
 長い間の片思いを思うと、泣きそうになる。

 日陰は最初から俺を好きなわけではなかったが、俺は彼女を自分の命を捨てても良いくらい愛していた。

 10年以上、彼女が俺を異性として見ることはなかった。

 ただ、俺といるのが一番安全だと感じてもらえることはできたから日陰も結婚しようと思ってくれたのだろう。

 俺は出会った頃から日陰を一方的に好きだった。

 日陰は1歳の時に母親が男と逃げたと聞いていて、そもそも男女の愛というものを信じていなかった。

 彼女は家族への憧れが人一倍強い女性だった。

 だから、高校に入学して綾野先輩に彼女が惹かれたのは必然だった。
 綾野先輩は家族を支えながらバイトをし、研究職になるために勉学に勤しむ苦学生だった。
(まさに日陰の理想の男だったのにな⋯⋯)

 綾野先輩が日陰に惚れたのも必然だった。
 というより男は一度は日陰に惚れるのではないかと言う程、彼女は美しかった。

 美しく優秀な日陰に恋をされて、綾野先輩も日陰と恋に落ちた。
 優秀で人目を惹く2人は学内で有名なカップルになった。

 日陰はいつも愛想笑いを浮かべているところがあったけれど先輩の前では、心から幸せそうに笑っていた。

 彼女を不幸にすることに執着する陽子が、そんな2人の関係を許容できる訳がなかった。

 陽子は日陰を陥れるために、彼女の悪評を流し嘘ばかり吐く女だ。

 日陰が品行方正であるが故に、陽子の流す噂が薄々嘘だとは周りは分かっていた。

 しかし、陽子に面と向かって「嘘吐き」と言える人間はいなかった。
 陽子には逆らっていけない怖さとヤバさがあったからだ。

 日陰が綾野先輩と幸せそうにしていたのは、たったの1ヶ月だった。
 1ヶ月後には綾野先輩の隣には陽子がいた。

 周囲にどうしたのかと聞かれても、日陰は「振られちゃった」と笑っているだけだった。

「友達の彼氏とるなんてありえない」
 周囲が怒っても、日陰は怒らず傷ついていないふりをしていた。

「陽子は何も悪くないよ。綾野先輩が陽子のこと好きになっちゃたんだって。陽子も私に悪いって悩んだらしいよ」

 笑顔で陽子をフォローする日陰は痛々しかった。
 彼女は昔から必死に周りに好かれようと、ずっと笑っているところがあった。

「そうやって、いつも笑ってなくても好かれると思うよ。日陰、心はずっと泣いてるだろ」
 放課後の教室で一人佇んでいた日陰に声をかけると、彼女は堰を切ったように泣き出した。

「もう、陽子から離れたいよ。どうしたら良いの? もう、陽子が嫌で仕方ないの⋯⋯」

 日陰は本当は相当ダメージを負っていた。
 当然かも知れない。

 彼女は言ってもない悪口を言っていたとか、パパ活をしているとか、友達の彼氏をとったことがあるとか嘘ばかりを広められてきた。

 その度に友人関係が崩壊しかけたり、先生に呼び出しをくらったりした。

 陽子によって、日陰はずっと貶められてきたのだ。

 蓄積してきたものがあって、初恋の人を奪われ彼女は限界まで追い詰められているように見えた。

「綾野先輩のこと、そんなに好きだった?」

「好きだったけれど、幻滅した。もう、誰かを好きになるのは怖いよ。だから今は視界に入らないで欲しいくらい綾野先輩が嫌い。私、男性不信になるかも⋯⋯」

 綾野先輩は陽子から金銭的支援を受けているのか、急に派手な感じになった。

「日陰、俺と付き合おうか。俺でも陽子が奪いにくるか実験してみよう」

「何それ? どういうこと? でも、勇は男って感じがしなくて良いかも。恋する気がしなくて安心だわ」

 試しに言ってみた提案は、ナイフのように俺を傷つける言葉で受け入れられた。

♢♢♢

「ねえ、勇って日陰と付き合いだしたの? まじ、ウケるんだけど」

「そう? 毎日仲良くやってるよ」

 予想通り、日陰と付き合い始めてたら陽子が接触してきた。

「日陰って、どうなの? あの子ってまだ処女?」

 陽子は本当にどうかしている女だ。
 何をしても日陰に勝てなくて、男性経験の数でマウントを取り出している。

 彼女は自分していることがおかしいことにも、誰も指摘してくれないから気が付かない。
 彼女は日陰のことを知りたくて仕方がなくて、日陰の全てを奪いたくて堪らない。

 俺はその執着に必ず理由があるのではないかと思って彼女を徹底的に調べた。
(日陰を守るには、この蛇のような女から引き剥がさないとならない)

 そして、俺は須藤玲香に辿り着いた。
 彼女の容姿は日陰と親子関係があると知らない人が見ても思う程そっくりだった。

 俺は日陰は小笠原社長の愛人の須藤玲香の子だと仮定した。

 また、陽子の口ぶりからあらゆる面で日陰に勝つことを誰からか強いられていると考えた。

 おそらく彼女の母親である小笠原夫人だ。
 愛人の子に自分の子が負けることを許さない狂気が、娘を狂わせた。

 ルックス、能力、全ての面で勝てない相手に勝つことを強いられるストレスが陽子をおかしくしていた。

「俺、本当は日陰にもう興味がないんだわ。綺麗なだけで本当につまらない女なんだよ。そんなだから、未だ処女なんだろうな。俺は陽子お嬢様みたいに奔放な女の方が魅力を感じるな」

「えー! どうしよう。あんた何かと付き合っても自慢にならないんだけど。まあ、相手してあげても良いわよ」

 陽子が何を言えば喜ぶかは手に取るようにわかった。

 彼女は日陰を下げて、彼女を上げるようなことを言えば直ぐに気分を良くする。
(陽子をコントロールできれば、日陰を守れる)

 付き合いが深まる程に、陽子が精神的にかなり危ない女だと思った。

 日陰を陥れるために言う嘘や、自分や小笠原家を大きく魅せる為に言う嘘。

 全ての嘘と真実の境界線が、彼女の中で彼女自身もわからなくなっている。
(こんなイかれた女に付き纏われたら、日陰まで壊れる⋯⋯)

「日陰の母親はパパの愛人だったけど、ママが殺したの。でも、誰も責めないわ。汚い愛人は死んで当然だもの」
 嘘や本当の混じった陽子のする会話は、彼女が俺に気を許す度に過激になっていった。

 俺は陽子との会話を録音するようにし、日陰にもトラブルを避けるのに陽子との会話を録音するようにすすめた。

♢♢♢

「CAになると、空席があれば無料で飛行機に乗られたりするらしいよ。お母さんを探すのには絶好の職業じゃない?」

「飛行機に無料で乗れるの? よし! 日本中の望月加奈を片っ端から当たってみよっと」

 日陰にCAを進めたのは低身長の陽子が絶対になれない職業だと思ったからだ。
 そして、探偵を使うでもなく俺の提案通りにCAになって母親探しをするところが日陰の天然なところだった。

 彼女が完璧な切れ者だったら、俺は白川社長が現れた時点で手を離していただろう。

 でも、日陰は信頼したらとことんその相手の言うことを聞く素直過ぎるところと抜けているところがあった。

 長い付き合いで彼女が信頼を寄せていたのが俺で、美人で抜かりなさそうな彼女がヒヨコのように俺に従っているのが可愛くて仕方がなかった。

 彼女と結婚したかったけれど、同時に結婚した時に陽子がどう動くかが怖かった。

 日陰が会社の検診で引っかかったとの電話で、俺は陽子が毒を盛ったのかと疑った。

 陽子が小笠原薬品の研究所でヤバい薬を作らせていると言っていたのを思い出したのだ。
 それが、虚言かどうかは分からないけれど、真実を突き止めなければならないと思った。

 そうこうしている内に、日陰に陽子との関係がバレたのか日陰の態度が冷たくなり別れを告げられた。
(日陰を裏切ったつもりなんてなくて、俺が思いついた最善の守り方だったんだけどな⋯⋯)

 彼女が白川社長と結婚したと聞いても、不思議と嫉妬心は湧かなかった。

 彼に子供がいると知って、きっと日陰は母親になれると思ってプロポーズを受けたと分かったからだ。

 日陰は「お母さん」になりたい、子供が欲しいとよく言っていた。

 白川社長くらい良い男なら、日陰も好きになるかも知れない。
 それに彼くらいの力があれば、きっと彼女を守れるだろう。
 俺は、そう信じて危険な音声データを白川社長に託した。