身体中を精密検査をしたが私の体に切迫した状況は見つからなかったようだ。

「えっと、難病で手術しても生存確率が4%しかないと言われたんですが⋯⋯」

「もう一度精密検査をしてみましょう。今日とったポリープは病理にまわします。検査結果は1週間後に出るので、また来てください」

 医師の落ち着いた雰囲気からも、緊急な状況でないことは明らかだ。
(私はもう自分は終わりだと思っていたのに、何なの!)

「大丈夫そうだな。本当に良かった」
 緋色さんが私をキツく抱きしめてくる。

「医師に詐病させた疑惑が出てきたな。そうすることで君に仕事を辞めさせたかったか、君を絶望させたかったか目的は分からないが」
 緋色さんが耳打ちしてくる言葉にゾッとした。

 確かに私は余命がないと聞き、仕事を辞めた。
 私が病気になったかもと聞いて、勇も私との結婚することを考え直して陽子の元に行った。

 私は緋色さんが現れなかったら絶望していただろう。
(私の気持ちを弄んだの? それとも絶望して自殺することを期待した?)

「小笠原夫人の仕業でしょうか。でも、私、彼女が出すものを食べたたり飲んだりしてしまってました。もしかしたら毒とか盛られているかも知れません。発癌性物資とか頻繁に接種させられているかも知れません。何だか嫌な感じですね。本当に死ぬかも、殺されるかもと思いながら過ごすのは。でも、とりあえず生存確率4%の難病は嘘っぽいですね。色々なものが信じられなくなりそうです」

 私は国内の大手の航空会社で働いていた。
 そこの検診をする医師でさえ小笠原の息がかかっていたということだ。
(本当に不可解なことばかりだわ。どうして自分の仕事に誇りを持たず権力に屈する人間ばかりなのかしら)

 私の産みの母も殺されたというし、私が殺されても簡単に事故として片付けられてしまうのだろう。

「日陰には俺がいるから大丈夫だ。それに、言いたくないが君を守るために自分の命を捧げる覚悟まである川瀬勇もいる。君のことが大好きなひなたもいる。だから、君は絶対に死なない」

 緋色さんが抱きしめながら言ってくれた言葉が、私の心に染みていった。

 もしかしたら、先ほどの医師には発見できないような毒が私の体を蝕んでいるかもしれない。

 それでも、今の私は昨日までの1年後死ぬのは既定路線だと考えていた自分とは違う気がした。

「緋色さん。私、生きてひなたの母親としての人生と、あなたの妻としての人生を送りたいです」

「急に殺し文句を言ってくるな。抑えがきかなくなりそうだ」
「抑えてください。病院ですよ。そういうのは家でしてくださいね」

 また、私に迫ろうとしてくる緋色さんを制する。
 生きられるかもしれないと思うと私の男性にときめく気持ちも完全に戻って来たようだ。
(こんな気持ちは初恋の綾野先輩にときめいた以来かも知れない⋯⋯ひなたのお母さんになれる上に、緋色さんを好きになれたら本当に幸せだわ)

「じゃあ、今から北海道に行くぞ。初めての家族旅行だな」

 望月加奈は札幌にいる。
 でも、彼女が私と会ってくれると言ったのは余命1年しかないと聞いて私に同情したからだ。

 彼女が本当に私に会いたい訳じゃない。
 おそらく彼女が本当に会いたいのは夫の望月健太だろう。

「緋色さん、そのことなんですが望月加奈さんには父に会いに行って貰おうと思います。私は加奈さんが私に会いに来てくれるまで待ちます」

 彼女が会いたいのは私ではなく、父のような気がするのは私の勘違いかもしれない。
 どのような経緯で望月夫妻が小笠原社長の愛人の子である私を育てることになったのかは分からない。

 そもそも、私の父親は望月健太ではないと考えるのが普通だろう。
 だとしたら、望月夫妻は実の子でもない私を迎えたせいで仲違いした可能性が高い。

 私は小笠原社長と美人秘書の須藤玲香が寄り添っていた光景を思い出した。
 そして、それを鬼のような形相で睨みつける小笠原夫人の姿を。

 小笠原製薬の下請けの町工場に勤めている父が、小笠原社長の愛人に手を出しているとは考えにくい。

「今から、実家に行っても良いですか?」
「もちろんだ。入籍したというのに正式に挨拶にも伺えていなかったしな」
「ひなたも連れて行きたいですが、聞かせたくない話をしてしまうかもしれません」
「お爺ちゃんに、ひなたを見せに行く機会はこれからいくらでもあるよ」
 緋色さんが頭をポンポンしてくれてホッとする。

「緋色さん、私と結婚したことを後悔していませんか?」
 勇が陽子に私の家庭事情が複雑だから二の足を踏んでいたと言っていたのを思い出した。

(私と結婚したことで、緋色さんがしなくて良い苦労をしたのは明らかだわ」

「後悔どころか、あの時プロポーズして本当に良かったと思っているぞ。日陰は思っていた以上にひなたにとって良い母親だ。あとは、俺のことを好きになってくれればこれ以上にない程嬉しい」

 緋色さんが微笑みながら言ってくれる言葉に安心した。
 私はもう好きになりかけていると言いたいけれど、何だか怖い。

 私は両思いになった途端に、陽子に綾野先輩を奪われた初恋の傷がまだ癒えていない。
(緋色さんと綾野先輩は全く違うと分かっていているのに⋯⋯)