「せんぱーい! せんぱぁぁい! 部活の時間ですよぉ!」
三年生の校舎に響く声。しかしその声は三年生ではない。
「先輩の、先輩だけの可愛い後輩、佐久間トモがやって来ましたよぉお!」
大きな耳をパタパタさせて、大きな尻尾もぶんぶん振って。
だが彼は犬ではない。放課後、三年A組に必ず現れる二年生だ。
犬のような耳と尻尾は、その言動により周囲の者がそう錯覚するだけ。
「ナツせんぱぁい! 部活という名の愛の巣に帰りましょー!」
彼の挙動が、周囲のスルースキルの限度を超えた頃、その攻撃は飛んでくる。
「うるさい!」
だがそのゲンコツは、トモの顔に届かない。だいたい胸のあたりが限度。そこにぺちり、と軽い音を立てるだけ。
「お前は毎日毎日、騒がしいんだよ! でかい図体で叫ぶな、恥ずかしいっ!」
トモより頭ひとつ小さい三年生。黒髪ストレートで眼鏡をかけた『真面目』顔を真っ赤にしていた。
彼こそが、佐久間トモが愛してやまない文芸部部長の今野ナツである。
「ナツ先輩♡ 今日もめっちゃ可愛いですね! 昨日よりもさらに可愛いですよ!」
「何度言えばわかるんだ、男に可愛いとか言うんじゃない!」
「ええー、kawaii♡に男も女もないでしょ? ジェンダー差別ですよ、表現の自由を重んじる文芸部がそんなこと言っていいんですかぁ?」
「ぐぬぬ……」
絵に描いたような文学少年・今野ナツの弱点をついた的確な返答であった。
三年A組の級友達はそんな二人のやり取りをすでに見慣れてしまって、冷やかすのも飽きた程だ。
大型犬が迎えに来る。
クラスイチ大人しい文学少年が、放課後だけ言動が粗暴になる。
なんだかんだ犬がじゃれついて、部活に連れて行く。
そういうパッケージが出来てしまっていた。
◇ ◇ ◇
文芸部の在籍は現在二人。
部室棟で割り当てられた小さな一部屋だけが、トモとナツの城である。
向かい合わせに机が二つあるだけの部室。部活が弱小なので、ノートパソコンも一台しかない。
トモが入る前はナツが使っていたが、今はそれをトモに譲り、ナツは自前のタブレットで作品を制作している。
部室に来るまでの行動からして、チャラい見た目のトモはナツを愛でるか漫画でも読んでいるのだろうと思われている。
意外にもトモまでちゃんと執筆をしていることは周囲には知られていない。
「先輩、今は何書いてるんですか?」
自分より三倍は早いタイプ音が鳴り続けている。ナツが快調に書いているものについてトモは聞いてみた。
「うん、先月秋田川賞が出ただろ。昨日読み終わったから内容をまとめているんだ」
「ああ。感想文ですか」
トモが軽くそう言うと、ナツは急に顔を上げて睨みながら訂正した。
「書評、だ!」
「……怒る先輩も可愛いですねえ」
だが、目の前の後輩は頬を緩ませてそんなことを言う。
ナツは大きく息を吐いて、また視線を画面に戻した。
「お前はどうなんだ、最近真面目にやってるようだが、何を書いてる?」
画面を見ながらナツが聞くと、トモはやっと聞いてくれたと、喜んで答える。
「へへへー! ズバリ、タイトルは『ナツ物語』って言います! あ、サマーとナツをかけたダブルミーニングでしてね」
「おい、そのナツ、って言うのはまさか……」
ナツは恐る恐るまた顔を上げてトモに聞く。
するとトモはぽっと頬を赤らめて答えた。
「ナツ先輩のことですよぉ! オレから見た先輩の素晴らしさ、そして可愛さを詰め込んだ、エッセイと言うか観察日記です!」
「やっぱり……お前はブレないな……」
誇らしげに言ってのけるトモに、深い溜息を吐いた後、ナツはまた視線を画面に戻した。
「あれ? 恥ずかしいから止めろ! とか言わないんですか?」
トモが聞くと、ナツは自分の原稿をタイプしながら言った。
「言わないよ。お前の表現の自由はお前のものだ。モチーフが俺なのは部長だからだろ」
「……それだけじゃないですけど。続けていいんですか?」
「完成させるなら構わない。何でも書き上げることが大切だ」
「……はい!」
トモは嬉しかった。
当然怒って止められると思ったからだ。それはそれでお仕置きが美味しいからいいと思っていた。
ナツはトモの想像をいつも超えてくる。とても良い方向に。
だから、トモはナツが大好きだ。
「ただし、検閲はするからな。恥ずかし過ぎるエピソードは容赦なくボツにするから覚悟しておけ」
「了解でありますっ!」
トモはビシッと手で敬礼のポーズを作って応えた。
自然とノートパソコンを叩く指にリズムが生まれていた。
しばらくして、ナツが少し難しい顔をしながら画面を見続けているので、トモは気分転換になればと声をかけた。
「先輩は文化祭に向けて、書評の薄い本を作るんですか?」
トモの質問に、ナツはまた顔を上げて凄んだ。
「薄い本じゃない! 本来の意味での同人誌だ!」
「本来もなにも、今、同人誌って言ったらパロディの薄い本のことですよぉ。トレンドはしょうがないですよね」
「お前、随分詳しくなったな。まさかその手の本屋に行ったんじゃないだろうな?」
ナツがジト目で聞くと、トモはケロッとして答えた。
「行きましたよ、そんで買いました」
すると、ナツは顔を赤らめてどもる。
「おま、おまえ、まさか……」
「エッチなのはね、年齢制限厳しくて買えませんでした。あ、二次じゃなくて買ったのは一次です、先輩はパロディ嫌いですもんね」
「な、何、買った……?」
「あれえ? 先輩気になるんですか?」
トモがニヤニヤして聞くと、ナツはまだ顔を赤くしたまま言いにくそうにしていた。
「そりゃ、後輩がどんなものに触れたのか、知っておく必要が……あるだろ」
ごにょごにょと呟くように言うナツが可愛くて、トモは思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、なんとか耐えた。
抱きしめるのはもうちょっと揶揄ってからにしよう。
「DKの後輩×先輩ものです! 今んとこそれしか興味ないんで」
「……」
ナツは口を開けて固まっていた。
「5冊買いました! どれもめっちゃキュンキュンしました!」
「お前……それはどう聞いてもBLなのでは?」
「そうですよ。純文学なんて置いてないですよ、アニメショップの隣の本屋ですよ?」
あっけらかんと答えるトモを置いて、ナツはがっくり項垂れた。
「何故、よりにもよってソレに辿り着いてしまうんだ、お前は……」
「だって、参考になるかと思ってえ」
「何の参考だ!」
ナツが狼狽えながら叫んだ。顔が真っ赤になっている。
今だ、と思った。
「先輩を、オとす参考ですよ」
「!」
トモは立ち上がって向かい合う机の上から、ナツを見据えた。
「何が書いてあったか気になります? 実践してあげましょうか」
「な……」
トモに囚われてしまったナツの大きな瞳が揺らいでいた。
「攻めの後輩は、まず受けの先輩の眼鏡を外すんです」
言いながらトモは手を伸ばし、ナツの眼鏡を取り上げた。
他の生徒には見せたことのない素顔が現れる。少し幼い、無垢で可愛らしい瞳が。
トモは、今それを自分だけが見ていることにゾクゾクした。
「ちょっ……!」
眼鏡を外されたナツは慌ててその行方を追うように立ち上がる。
「すると、先輩は慌てて立ち上がる。そこを後輩がまんまと引き寄せるんです」
「あ……っ」
トモはすぐ目の前に来たナツの顔を左手で引き寄せて、そのまま口付けた。
「んっ……!」
初めてしたキスは、とても柔らかくて甘かった。
ナツの熱が伝わる。トモは自分が昂っていくのを感じていた。
「──っていう感じです」
惜しみながら唇を離し、トモはにっこり笑って言った。
「お前……ずるいぞ……」
ナツは恥じらいながら唇をきゅっと結んでいた。
あ。ヤバい。
オレ、煽られた。
トモはナツの眼鏡を、自分の机にコトリと置いて席を立つと、ナツにゆっくり近づいた。
もう一度、唇に触れたい。
出来るなら、唇以外も触れたい。
「眼鏡、返せ……」
ずっと真っ赤な顔でおねだりしたら、どうなるのか教えてあげる。
「眼鏡ないと、見えない?」
「うん……」
素直に頷いたナツの顔を、トモは両手で包んだ。
「いいじゃん、すぐ側のオレだけ見えれば」
「あ……」
親指で唇に触れる。柔らかくて、熱かった。
トモはナツの唇を少し開いて、そのまま深く口付けた。
三年生の校舎に響く声。しかしその声は三年生ではない。
「先輩の、先輩だけの可愛い後輩、佐久間トモがやって来ましたよぉお!」
大きな耳をパタパタさせて、大きな尻尾もぶんぶん振って。
だが彼は犬ではない。放課後、三年A組に必ず現れる二年生だ。
犬のような耳と尻尾は、その言動により周囲の者がそう錯覚するだけ。
「ナツせんぱぁい! 部活という名の愛の巣に帰りましょー!」
彼の挙動が、周囲のスルースキルの限度を超えた頃、その攻撃は飛んでくる。
「うるさい!」
だがそのゲンコツは、トモの顔に届かない。だいたい胸のあたりが限度。そこにぺちり、と軽い音を立てるだけ。
「お前は毎日毎日、騒がしいんだよ! でかい図体で叫ぶな、恥ずかしいっ!」
トモより頭ひとつ小さい三年生。黒髪ストレートで眼鏡をかけた『真面目』顔を真っ赤にしていた。
彼こそが、佐久間トモが愛してやまない文芸部部長の今野ナツである。
「ナツ先輩♡ 今日もめっちゃ可愛いですね! 昨日よりもさらに可愛いですよ!」
「何度言えばわかるんだ、男に可愛いとか言うんじゃない!」
「ええー、kawaii♡に男も女もないでしょ? ジェンダー差別ですよ、表現の自由を重んじる文芸部がそんなこと言っていいんですかぁ?」
「ぐぬぬ……」
絵に描いたような文学少年・今野ナツの弱点をついた的確な返答であった。
三年A組の級友達はそんな二人のやり取りをすでに見慣れてしまって、冷やかすのも飽きた程だ。
大型犬が迎えに来る。
クラスイチ大人しい文学少年が、放課後だけ言動が粗暴になる。
なんだかんだ犬がじゃれついて、部活に連れて行く。
そういうパッケージが出来てしまっていた。
◇ ◇ ◇
文芸部の在籍は現在二人。
部室棟で割り当てられた小さな一部屋だけが、トモとナツの城である。
向かい合わせに机が二つあるだけの部室。部活が弱小なので、ノートパソコンも一台しかない。
トモが入る前はナツが使っていたが、今はそれをトモに譲り、ナツは自前のタブレットで作品を制作している。
部室に来るまでの行動からして、チャラい見た目のトモはナツを愛でるか漫画でも読んでいるのだろうと思われている。
意外にもトモまでちゃんと執筆をしていることは周囲には知られていない。
「先輩、今は何書いてるんですか?」
自分より三倍は早いタイプ音が鳴り続けている。ナツが快調に書いているものについてトモは聞いてみた。
「うん、先月秋田川賞が出ただろ。昨日読み終わったから内容をまとめているんだ」
「ああ。感想文ですか」
トモが軽くそう言うと、ナツは急に顔を上げて睨みながら訂正した。
「書評、だ!」
「……怒る先輩も可愛いですねえ」
だが、目の前の後輩は頬を緩ませてそんなことを言う。
ナツは大きく息を吐いて、また視線を画面に戻した。
「お前はどうなんだ、最近真面目にやってるようだが、何を書いてる?」
画面を見ながらナツが聞くと、トモはやっと聞いてくれたと、喜んで答える。
「へへへー! ズバリ、タイトルは『ナツ物語』って言います! あ、サマーとナツをかけたダブルミーニングでしてね」
「おい、そのナツ、って言うのはまさか……」
ナツは恐る恐るまた顔を上げてトモに聞く。
するとトモはぽっと頬を赤らめて答えた。
「ナツ先輩のことですよぉ! オレから見た先輩の素晴らしさ、そして可愛さを詰め込んだ、エッセイと言うか観察日記です!」
「やっぱり……お前はブレないな……」
誇らしげに言ってのけるトモに、深い溜息を吐いた後、ナツはまた視線を画面に戻した。
「あれ? 恥ずかしいから止めろ! とか言わないんですか?」
トモが聞くと、ナツは自分の原稿をタイプしながら言った。
「言わないよ。お前の表現の自由はお前のものだ。モチーフが俺なのは部長だからだろ」
「……それだけじゃないですけど。続けていいんですか?」
「完成させるなら構わない。何でも書き上げることが大切だ」
「……はい!」
トモは嬉しかった。
当然怒って止められると思ったからだ。それはそれでお仕置きが美味しいからいいと思っていた。
ナツはトモの想像をいつも超えてくる。とても良い方向に。
だから、トモはナツが大好きだ。
「ただし、検閲はするからな。恥ずかし過ぎるエピソードは容赦なくボツにするから覚悟しておけ」
「了解でありますっ!」
トモはビシッと手で敬礼のポーズを作って応えた。
自然とノートパソコンを叩く指にリズムが生まれていた。
しばらくして、ナツが少し難しい顔をしながら画面を見続けているので、トモは気分転換になればと声をかけた。
「先輩は文化祭に向けて、書評の薄い本を作るんですか?」
トモの質問に、ナツはまた顔を上げて凄んだ。
「薄い本じゃない! 本来の意味での同人誌だ!」
「本来もなにも、今、同人誌って言ったらパロディの薄い本のことですよぉ。トレンドはしょうがないですよね」
「お前、随分詳しくなったな。まさかその手の本屋に行ったんじゃないだろうな?」
ナツがジト目で聞くと、トモはケロッとして答えた。
「行きましたよ、そんで買いました」
すると、ナツは顔を赤らめてどもる。
「おま、おまえ、まさか……」
「エッチなのはね、年齢制限厳しくて買えませんでした。あ、二次じゃなくて買ったのは一次です、先輩はパロディ嫌いですもんね」
「な、何、買った……?」
「あれえ? 先輩気になるんですか?」
トモがニヤニヤして聞くと、ナツはまだ顔を赤くしたまま言いにくそうにしていた。
「そりゃ、後輩がどんなものに触れたのか、知っておく必要が……あるだろ」
ごにょごにょと呟くように言うナツが可愛くて、トモは思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、なんとか耐えた。
抱きしめるのはもうちょっと揶揄ってからにしよう。
「DKの後輩×先輩ものです! 今んとこそれしか興味ないんで」
「……」
ナツは口を開けて固まっていた。
「5冊買いました! どれもめっちゃキュンキュンしました!」
「お前……それはどう聞いてもBLなのでは?」
「そうですよ。純文学なんて置いてないですよ、アニメショップの隣の本屋ですよ?」
あっけらかんと答えるトモを置いて、ナツはがっくり項垂れた。
「何故、よりにもよってソレに辿り着いてしまうんだ、お前は……」
「だって、参考になるかと思ってえ」
「何の参考だ!」
ナツが狼狽えながら叫んだ。顔が真っ赤になっている。
今だ、と思った。
「先輩を、オとす参考ですよ」
「!」
トモは立ち上がって向かい合う机の上から、ナツを見据えた。
「何が書いてあったか気になります? 実践してあげましょうか」
「な……」
トモに囚われてしまったナツの大きな瞳が揺らいでいた。
「攻めの後輩は、まず受けの先輩の眼鏡を外すんです」
言いながらトモは手を伸ばし、ナツの眼鏡を取り上げた。
他の生徒には見せたことのない素顔が現れる。少し幼い、無垢で可愛らしい瞳が。
トモは、今それを自分だけが見ていることにゾクゾクした。
「ちょっ……!」
眼鏡を外されたナツは慌ててその行方を追うように立ち上がる。
「すると、先輩は慌てて立ち上がる。そこを後輩がまんまと引き寄せるんです」
「あ……っ」
トモはすぐ目の前に来たナツの顔を左手で引き寄せて、そのまま口付けた。
「んっ……!」
初めてしたキスは、とても柔らかくて甘かった。
ナツの熱が伝わる。トモは自分が昂っていくのを感じていた。
「──っていう感じです」
惜しみながら唇を離し、トモはにっこり笑って言った。
「お前……ずるいぞ……」
ナツは恥じらいながら唇をきゅっと結んでいた。
あ。ヤバい。
オレ、煽られた。
トモはナツの眼鏡を、自分の机にコトリと置いて席を立つと、ナツにゆっくり近づいた。
もう一度、唇に触れたい。
出来るなら、唇以外も触れたい。
「眼鏡、返せ……」
ずっと真っ赤な顔でおねだりしたら、どうなるのか教えてあげる。
「眼鏡ないと、見えない?」
「うん……」
素直に頷いたナツの顔を、トモは両手で包んだ。
「いいじゃん、すぐ側のオレだけ見えれば」
「あ……」
親指で唇に触れる。柔らかくて、熱かった。
トモはナツの唇を少し開いて、そのまま深く口付けた。