「い、五花……ははっ……キミだけには、今の話は聞かれたくなかったな……やられたよ」
海斗くんは、当然わたしがいる可能性がある事を知らなかったため、ずいぶんと驚き、戸惑っている様子です。
今の話は、それくらい海斗くんにとって、わたしには聞かせたくなかったのでしょう。
自分の最も深い恥部だと、海斗くんは思っているのかもしれません。
「海斗くん。海斗くんは、今、わたしの事を、もしかすると怖いと感じているかもしれないですね」
「五花。ああ、そうさ。怖いさ。こんな、誰にも見せてなかった、僕の一番弱いところを、無防備にも全部聞かれてしまって、しかもその子が、僕が一番好きな、しかも僕が一番嫌われる事を怖いと思っている、そんな女の子なんだから。怖くないわけがないだろう? ……ああ、だんだん開き直れてきたな……五花、僕は、キミの事が、ずっと怖かった」
「……そうですか」
海斗くんの告白は、とても真摯で、正直で、なんというか尊いものだと、素直に思えました。
わたしはそんな海斗くんへの尊敬を込めて、勇気を出してこれを告げる事にします。
「わたしは、海斗くんと同じくらい、海斗くんに今向き合っている事が、向き合おうとしている事が、怖いです。なぜだか分かりますか?」
「五花が、怖い……? ははっ、そんな想像をしたことはなかったな。五花は、いつも超然としていて、僕を弄ぶ側で、強者だと、無意識のうちにそう思ってしまっていたのかもしれないね……いったい、どうして怖いんだい? 教えてほしい」
わたしは、もしかすると海斗くんなら分かるかもなと一縷の希望を見ていましたが、残念ながら、不合格のようでした。
わたしは答え合わせをします。
彼にとって、残酷な答え合わせを。
「わたしが、海斗くんの事を心から愛していない、偽りの彼女だった事を告げる事が怖いからです」
海斗くんは、心臓をナイフで突き刺されたような、苦悶の表情を浮かべていました。
しばらく、ずっと黙って、苦しそうにして……
それから、諦めたように笑いました。
「知ってたよ……君はいつも、僕でない何かを求めていた。僕でない何かに縋ろうとしていた。その事に、気付かないフリをしていたのは僕の方だ。僕の、弱さだ。そういう意味では、謝らないといけないのは、僕の方なんだと思う。すまない……」
わたしは、それを、海斗くんが魂を振り絞って出した、真摯な答えだと思いました。
わたしは、この海斗くんなら、ちゃんと尊敬できる、ちゃんと愛せる、と感じました。
だから――
「海斗くん。確かに、わたしは海斗くんのことを、愛してはいなかったです。これからも、恋人として愛する事はできません。ですが、今の海斗くんの答えを見て、わたしは海斗くんの事を、恋人ではなく、一人の対等な人間として、心から尊敬できると、そう感じました。そんな海斗くんが、これから2ヶ月のうちに死に向かっていく事を、わたしなんていう愚かな人間に報われない恋をし、それを無念に思ったまま死ぬ事を、心から悲しいと感じています。これが、今のわたしの正真正銘の本心です。海斗くんは、そんなわたしの事をどう思いますか? 憎いですか? 殺したいほど憎くても、おかしくはないかもしれませんね……本当に、ごめんなさい……馬鹿で、ごめんなさい……うう……うううううっ……!」
話しているうちに、わたしは本当に海斗くんの事を尊敬できるのに、そんな海斗くんに無念の死を与えようとしている事が、途方もなく残酷な事に思えて、許されない事に思えて、海斗くんの事が可哀想でしょうがなくなって、泣いてしまっていました。
本当に身勝手な涙です。
つくづく馬鹿な女です。
ですが、わたしは馬鹿なりに、今ベストを尽くそうと思って、ここにいます。
だから、泣きながら、それでも言葉を絞り出します。
「ううう……! ひっぐ……! 海斗ぐんは……! 弱いところもひっくるめて海斗くんなんだと思いまず……! そこから、逃げてきたのは、わたしも一緒なんでず……! ひっぐ……! わだじは……! 絵を描く事も、母親に愛されでいながっだ事も……! 怖くで、怖くで、怖くで、怖ずぎで……! その怖さを、他の人間の人生を壊す方向に向けてしまいましだ……! わだじは、本当に、罪深すぎて、死んだら間違いなく地獄に堕ちるような、そんな女なんでず……!」
気づけば、海斗くんも泣いてくれていました。
海斗くんは、泣きながら、わたしの顔を真っ直ぐ見つめて、わたしの話を聞いてくれていました。
わたしは、その涙に、こんな女に貰い泣きしてしまう海斗くんのやさしさを、慈愛を感じました。
そんな海斗くんの事を、わたしは心から救ってあげたいと思いました……
海斗くんの、報われない人生に、救いを……
だから……
わたしは、涙をぬぐって、少し落ち着いて、それから、一生懸命この大事な大事な言葉を伝えようと、もう一度必死に叫びます。
「だからわたしは! 海斗くんのために! 海斗くんのためだけに! 一作の絵を描きます……! それをもって、わたしという人間が! 恋人としては海斗くんを愛せなくても! 確かに海斗くんの事を、大切な、尊敬できる友達だと思っていで! その死を心から悼んでいるという、証を立てまず!」
喋っているうちに、また涙がぽろぽろと溢れてきて、きっとわたしの可愛い顔は今大変な事になっていると思いました。
「五花……! 五花は、こんな風に泣くんだね……! こんな風に泣ける女の子だったんだね……! ごめんよ……! 僕の方だった……! 僕が、五花のそういう尊いところを、まったく引き出してあげられなかった! 本当にダメな彼氏だった! 本当にごめん! そしてありがとう……! 本当に、ありがとう……!」
海斗くんは、わたしの左手を両手で握るように手に取って、わんわん泣いていました。
わたしも、その海斗くんの両手に大粒の涙を落としながら、わんわん泣いていました。
たっくんは、そんなわたしたちを、同じく涙目になりながらも微笑んで、見守ってくれているようでした――
*****
それからわたしたちは、さんざんお互いに謝り合って、さんざんお互いに感謝し合ってから、やがてそっと手を離し、静かに向き合いなおしました。
「五花。本当にありがとう。五花が絵を描くと言い切る事は、僕には想像も出来ないくらい途方もない勇気が必要だったと思う。僕は、僕のためにそういう尊い勇気を出してくれる五花の事が、心から好きだ。それだけに、恋人として一生を全うできなかった事には、ちょっとだけ未練を感じるけど……」
「はい。それはわたしの罪だと思います。海斗くんは何も悪くありません」
「……いいんだ。単に恋人でいるだけではきっと普通の人は貰えない、もっとずっと大切な何かを、僕は五花から貰ったから。さらに僕のために、あの五花が絵を描いてくれるんだ。僕の一生に、これ以上望めるものなんてない。これ以上望んだら、それこそ天国に行けなくなっちゃうよ。ははっ……」
「そうですね。どんな絵になるかは、それこそ神のみぞ知るって感じでしょうが、言った事は守りたいです」
「うん。たとえどんな絵でも、僕の人生における最高の宝物になる事は間違いないよ。僕は、今の五花なら、僕も想像できないくらい凄い絵を仕上げてしまうんじゃないかって、なんとなく予想してはいるけどね」
「あんまりプレッシャーをかけるのはダメですよ、わたしだって、ただでさえ怖いんですから。でも、頑張ります」
「うん。卓も、ありがとう。卓が用意してくれたんだろ、この機会は?」
そう話を振られて、それまで黙って見守っていたたっくんが、笑って言いました。
「違うさ。僕は五花に、屋上で海斗と話すつもりだって伝えただけ。勝手にあんなところまで登って、勝手に降りてきて話を始めて、勝手にあんなとんでもなく素晴らしい演説をしでかしたのは、全部、こいつの功績だよ」
そういって、たっくんは、わたしの背中を乱暴に叩きました。
「いった……! ひどいですね! でも今の、なんか友達って感じがして良かったかもしれません。わたしはたっくんとも、本当は親友になりたかったのかもしれませんね」
「そうか、ずいぶんタチの悪そうな親友だね、そいつは」
「ひっど! もうたっくんとは口利きません。いきましょう、海斗くん」
そう言いながら海斗くんを見ると、海斗くんは、笑っていました。
「ははっ! はははっ! おかしいなぁ……! 本当に、おかしい……!」
海斗くんは、そう言ってから、優しく微笑んで、こういいました。
「卓、キミには叶わないよ、やっぱり。五花を、幸せにしてあげてくれ」
海斗くんの知性の前では、わたしたちの事はお見通しのようでした。
わたしはその話題は無意識に避けていたので、気恥ずかしさがありましたが……
「ふふっ、分かってる。大事にするよ。親友の親友でもあるからね」
そうたっくんが笑うのを見て――
わたしは、この二人が大好きだなと、心から思ったのでした――
海斗くんは、当然わたしがいる可能性がある事を知らなかったため、ずいぶんと驚き、戸惑っている様子です。
今の話は、それくらい海斗くんにとって、わたしには聞かせたくなかったのでしょう。
自分の最も深い恥部だと、海斗くんは思っているのかもしれません。
「海斗くん。海斗くんは、今、わたしの事を、もしかすると怖いと感じているかもしれないですね」
「五花。ああ、そうさ。怖いさ。こんな、誰にも見せてなかった、僕の一番弱いところを、無防備にも全部聞かれてしまって、しかもその子が、僕が一番好きな、しかも僕が一番嫌われる事を怖いと思っている、そんな女の子なんだから。怖くないわけがないだろう? ……ああ、だんだん開き直れてきたな……五花、僕は、キミの事が、ずっと怖かった」
「……そうですか」
海斗くんの告白は、とても真摯で、正直で、なんというか尊いものだと、素直に思えました。
わたしはそんな海斗くんへの尊敬を込めて、勇気を出してこれを告げる事にします。
「わたしは、海斗くんと同じくらい、海斗くんに今向き合っている事が、向き合おうとしている事が、怖いです。なぜだか分かりますか?」
「五花が、怖い……? ははっ、そんな想像をしたことはなかったな。五花は、いつも超然としていて、僕を弄ぶ側で、強者だと、無意識のうちにそう思ってしまっていたのかもしれないね……いったい、どうして怖いんだい? 教えてほしい」
わたしは、もしかすると海斗くんなら分かるかもなと一縷の希望を見ていましたが、残念ながら、不合格のようでした。
わたしは答え合わせをします。
彼にとって、残酷な答え合わせを。
「わたしが、海斗くんの事を心から愛していない、偽りの彼女だった事を告げる事が怖いからです」
海斗くんは、心臓をナイフで突き刺されたような、苦悶の表情を浮かべていました。
しばらく、ずっと黙って、苦しそうにして……
それから、諦めたように笑いました。
「知ってたよ……君はいつも、僕でない何かを求めていた。僕でない何かに縋ろうとしていた。その事に、気付かないフリをしていたのは僕の方だ。僕の、弱さだ。そういう意味では、謝らないといけないのは、僕の方なんだと思う。すまない……」
わたしは、それを、海斗くんが魂を振り絞って出した、真摯な答えだと思いました。
わたしは、この海斗くんなら、ちゃんと尊敬できる、ちゃんと愛せる、と感じました。
だから――
「海斗くん。確かに、わたしは海斗くんのことを、愛してはいなかったです。これからも、恋人として愛する事はできません。ですが、今の海斗くんの答えを見て、わたしは海斗くんの事を、恋人ではなく、一人の対等な人間として、心から尊敬できると、そう感じました。そんな海斗くんが、これから2ヶ月のうちに死に向かっていく事を、わたしなんていう愚かな人間に報われない恋をし、それを無念に思ったまま死ぬ事を、心から悲しいと感じています。これが、今のわたしの正真正銘の本心です。海斗くんは、そんなわたしの事をどう思いますか? 憎いですか? 殺したいほど憎くても、おかしくはないかもしれませんね……本当に、ごめんなさい……馬鹿で、ごめんなさい……うう……うううううっ……!」
話しているうちに、わたしは本当に海斗くんの事を尊敬できるのに、そんな海斗くんに無念の死を与えようとしている事が、途方もなく残酷な事に思えて、許されない事に思えて、海斗くんの事が可哀想でしょうがなくなって、泣いてしまっていました。
本当に身勝手な涙です。
つくづく馬鹿な女です。
ですが、わたしは馬鹿なりに、今ベストを尽くそうと思って、ここにいます。
だから、泣きながら、それでも言葉を絞り出します。
「ううう……! ひっぐ……! 海斗ぐんは……! 弱いところもひっくるめて海斗くんなんだと思いまず……! そこから、逃げてきたのは、わたしも一緒なんでず……! ひっぐ……! わだじは……! 絵を描く事も、母親に愛されでいながっだ事も……! 怖くで、怖くで、怖くで、怖ずぎで……! その怖さを、他の人間の人生を壊す方向に向けてしまいましだ……! わだじは、本当に、罪深すぎて、死んだら間違いなく地獄に堕ちるような、そんな女なんでず……!」
気づけば、海斗くんも泣いてくれていました。
海斗くんは、泣きながら、わたしの顔を真っ直ぐ見つめて、わたしの話を聞いてくれていました。
わたしは、その涙に、こんな女に貰い泣きしてしまう海斗くんのやさしさを、慈愛を感じました。
そんな海斗くんの事を、わたしは心から救ってあげたいと思いました……
海斗くんの、報われない人生に、救いを……
だから……
わたしは、涙をぬぐって、少し落ち着いて、それから、一生懸命この大事な大事な言葉を伝えようと、もう一度必死に叫びます。
「だからわたしは! 海斗くんのために! 海斗くんのためだけに! 一作の絵を描きます……! それをもって、わたしという人間が! 恋人としては海斗くんを愛せなくても! 確かに海斗くんの事を、大切な、尊敬できる友達だと思っていで! その死を心から悼んでいるという、証を立てまず!」
喋っているうちに、また涙がぽろぽろと溢れてきて、きっとわたしの可愛い顔は今大変な事になっていると思いました。
「五花……! 五花は、こんな風に泣くんだね……! こんな風に泣ける女の子だったんだね……! ごめんよ……! 僕の方だった……! 僕が、五花のそういう尊いところを、まったく引き出してあげられなかった! 本当にダメな彼氏だった! 本当にごめん! そしてありがとう……! 本当に、ありがとう……!」
海斗くんは、わたしの左手を両手で握るように手に取って、わんわん泣いていました。
わたしも、その海斗くんの両手に大粒の涙を落としながら、わんわん泣いていました。
たっくんは、そんなわたしたちを、同じく涙目になりながらも微笑んで、見守ってくれているようでした――
*****
それからわたしたちは、さんざんお互いに謝り合って、さんざんお互いに感謝し合ってから、やがてそっと手を離し、静かに向き合いなおしました。
「五花。本当にありがとう。五花が絵を描くと言い切る事は、僕には想像も出来ないくらい途方もない勇気が必要だったと思う。僕は、僕のためにそういう尊い勇気を出してくれる五花の事が、心から好きだ。それだけに、恋人として一生を全うできなかった事には、ちょっとだけ未練を感じるけど……」
「はい。それはわたしの罪だと思います。海斗くんは何も悪くありません」
「……いいんだ。単に恋人でいるだけではきっと普通の人は貰えない、もっとずっと大切な何かを、僕は五花から貰ったから。さらに僕のために、あの五花が絵を描いてくれるんだ。僕の一生に、これ以上望めるものなんてない。これ以上望んだら、それこそ天国に行けなくなっちゃうよ。ははっ……」
「そうですね。どんな絵になるかは、それこそ神のみぞ知るって感じでしょうが、言った事は守りたいです」
「うん。たとえどんな絵でも、僕の人生における最高の宝物になる事は間違いないよ。僕は、今の五花なら、僕も想像できないくらい凄い絵を仕上げてしまうんじゃないかって、なんとなく予想してはいるけどね」
「あんまりプレッシャーをかけるのはダメですよ、わたしだって、ただでさえ怖いんですから。でも、頑張ります」
「うん。卓も、ありがとう。卓が用意してくれたんだろ、この機会は?」
そう話を振られて、それまで黙って見守っていたたっくんが、笑って言いました。
「違うさ。僕は五花に、屋上で海斗と話すつもりだって伝えただけ。勝手にあんなところまで登って、勝手に降りてきて話を始めて、勝手にあんなとんでもなく素晴らしい演説をしでかしたのは、全部、こいつの功績だよ」
そういって、たっくんは、わたしの背中を乱暴に叩きました。
「いった……! ひどいですね! でも今の、なんか友達って感じがして良かったかもしれません。わたしはたっくんとも、本当は親友になりたかったのかもしれませんね」
「そうか、ずいぶんタチの悪そうな親友だね、そいつは」
「ひっど! もうたっくんとは口利きません。いきましょう、海斗くん」
そう言いながら海斗くんを見ると、海斗くんは、笑っていました。
「ははっ! はははっ! おかしいなぁ……! 本当に、おかしい……!」
海斗くんは、そう言ってから、優しく微笑んで、こういいました。
「卓、キミには叶わないよ、やっぱり。五花を、幸せにしてあげてくれ」
海斗くんの知性の前では、わたしたちの事はお見通しのようでした。
わたしはその話題は無意識に避けていたので、気恥ずかしさがありましたが……
「ふふっ、分かってる。大事にするよ。親友の親友でもあるからね」
そうたっくんが笑うのを見て――
わたしは、この二人が大好きだなと、心から思ったのでした――