「たっくん……! 大変! 大変です……! 海斗くんが……! 海斗くんが……!」
今日あんな会話をしたばかりですから、たっくんがまともに会話してくれるか不安でしたが、恐怖を押し殺して、たっくんの部屋に駆け込みました。
わたしのただならぬ様子を感じたのか、PCに向かって絵の作業をしていたらしいたっくんは、すぐに振り向いて真剣な様子で、
「……いったいどうした?」
と聞いてくれました。
その雰囲気に安心したわたしは、少しでも急いで伝えようとして、言葉が上手く出ずに焦りながら、それでも発言を紡いでいきます。
「海斗くん、なんか獣化病……っていう難病にかかってて……! あと2ヶ月しか余命がないって! 2ヶ月ですよ!?」
途端、たっくんは手にもっていたペンタブレット用のペン型端末を取り落としました。そのペンを気にする様子も見せず、たっくんは呆然とした様子でただ聞き返します。
「……本当……なのか?」
「だって今海斗くんに会ってた時、海斗くんがそう言ってたんですもん! わたし、あんまりにもびっくりしたものですから、海斗くんの目の前から逃げて、ここまで走ってきちゃいました!」
たっくんは、衝撃の大きさを示すように真剣な表情を青白く染めて、それでいてどこか興奮したように頬は赤く染まっている表情で、わたしの話を聞いて考え込みます。
そうしてから、何かに気づいたように、怒りを見せるような興奮の仕方で、わたしに叫ぶように話し始めました。
「……五花! 海斗のやつは! そんな様子、僕にも一切見せてなかった! だとするなら! だとするなら! 馬鹿だと思うけど、海斗は、本当に、本当にお前の事が大事なのかもしれない! これ以上ないくらいに! 悔しいし、本当に馬鹿だなと思うけど、海斗の奴は、何かお前に伝えたい事があったんじゃないか……!?」
その言葉に、ハッとさせられたのはわたしでした。
そうなのです。
海斗くんは、海斗くんは、たっくんにすら余命の話をしていなかったのです。
それがどれだけ重大な事か、わたしにだって分かります。
そして思い出したのは、衝撃で吹き飛んでいた、この話をする前の海斗くんの話でした。
「……あの、こんな時に何を言うかって思うかもしれないんですけど……わたし、昔絵描いてたの、知ってますか?」
「え……? 五花が、絵を……?」
たっくんは、思いもよらなかった、と言った様子で、ぽかんとしていました。
「はい。それも天才少女、なんて言われてて、コンクールでいくつも賞を取っていました」
「そう、なのか……」
「で、海斗くん、まだ幼い頃に、わたしの絵を見て、感動して、わたしの名前を憶えていたらしいんです。わたしの絵を見て、もっと絵を頑張ろうと思って、必死に努力して、結果全国的なコンクールで入賞できたって、話してました」
たっくんは、わたしが思っていたよりこの話に驚いていたようで、衝撃を隠せない様子で、
「そう、か……」
とだけ言葉を返しました。
「でも、わたし、絵って、ほとんど母親に好きになってもらうために描いてただけで、なのに絵について母親に酷い事をいっぱい言われ続けてきてて、限界が来て、ある日、彫刻刀で今まで描いた絵を全部切り裂いちゃったんですよ。手も傷ついて、血とか散乱して、父親がそれを見つけて、母親と喧嘩して、そのまま離婚しちゃいました」
「そうか……」
「……どうやら海斗くんは、そんなわたしにまた絵を描いてほしいみたいなんです。合作で一緒に絵を描いてほしいと言われました。それでわたしは絵を描くのが怖くて断ったら、余命2ヶ月らしいから、最後に一緒に書きたかったんだけどな、って言われて、それでわたしは余命の話を知りました」
「……!」
「わたしはどうしたらいいでしょうか? たっくん……海斗くんは、あんなにもわたしの事が好きで、あんなにもわたしの絵が好きで、なのに、わたしにはそれに応えるものがないんです。海斗くんは格好いいと思いますし、人として惹かれるところもありますけど……今のわたしが一番好きなのは……その……たっくん、ですから……」
最後は、図らずも告白のようになってしまって、消え入りそうな声で、恥ずかしそうにわたしは話し終えた。
たっくんもそれには気づいたようで、なんだか顔を赤くして、不意打ちを受けて照れているような様子を見せてくれていました。やっぱり脈無しというわけでもないのかな、とこんな場にそぐわない事を思ってしまうのは、きっとわたしの罪深いところなのでしょう。
「……その、五花の本当の気持ちは、僕なんかには分からない事だし、前言ったように、今の僕がお前の言葉を言葉通り信じるのは、難しい」
たっくんの言葉は、やはりそんなわたしを突き放すような内容でした。
「でも、僕は僕なりに真剣にこの問題に向き合いたいと思っている。海斗のやつが、人生の最期をどう迎えるかっていう問題でもあるし、五花、お前がこれからの人生をどう過ごすかって問題でもあると思う」
ですが、続く言葉に、私はこれ以上ないくらいハッとさせられました。
わたしが、これからの人生をどう過ごすかって問題でもある。
そうなのだ。
わたしは海斗くんにどう対応するかで頭が一杯でしたが。
わたしに見えていないものが見えているたっくんにとって、これはわたしの人生の問題でもあるのだ。
そうか。
「たっくんは、わたしにやっぱり絵を描いてほしいと、そう思いますか……?」
わたしは、なんだか不安になって、涙目になりながら、たっくんにそう問いかけます。
たっくんは、椅子から立ち上がると、そっとわたしに近づいてきて、それから言葉を紡いでくれました。
「五花が絵を描くかどうかは、五花自身が決めないといけない事だ。僕は何も言えない。だけど……」
たっくんは、そう言いながら、わたしをギュッと抱き締められそうな距離まで近づいて、でも抱き締める事は当然せずに、ただわたしを真っ直ぐに暖かく見つめてくれます。
「……五花が絵を描くのが怖いって気持ちを、海斗に向き合うのが怖いって気持ちを、僕は心から、なんとかしてあげたいなと思ってる。僕だって、あんなにお前の事を憎く想って、酷い事を言っていたのにさ……僕はお前に泣きそうになって縋られただけで、ただ、何とかしてあげたい、救ってあげたいって、それだけになっちまった……僕はなんだかんだで、お前の事が好きみたいだ」
わたしは、たっくんのその言葉が、その暖かい雰囲気が、なんだか計り知れないほどあったかくて、包み込むように感じられて、ああ、わたしがずっと欲しくて欲しくて得られなかったものはこれだったんだ、って思い、そうして感極まりました。
わたしは衝動のまま、目の前のたっくんのわたしより大きな身体に縋りつき、泣き喚くように叫びます。
「……ひっぐ……うええ……! うえええええええっ……! うれじい……! うれじいです……! わたしなんがの事を……! たっくんがそんな風に真っ直ぐに想っでくれて……! すごい言葉をかけてぐれて……! 嬉しい……! 嬉しいです……! 嬉しいよぉ……! ありがとうたっぐん! わたしなんがの事を好ぎになってくれで! うわあああああああああああああああっ……!」
不思議な事に、わたしは、たっくんが好きだと言ってくれて、恋が叶ったという、そんな単純な喜びはほとんど感じていませんでした。
わたしが感じていたのは、もっと深い、たっくんがわたしを心から思いやってくれているという、深い深い純粋な愛でした。
その愛という太陽の光が、わたしの心を長い間凍り付かせていた氷河を、ゆっくりと、それでいて圧倒的に、暖かく融かしてくれていたのです。
それは神秘的といってもいいくらい劇的な体験で、わたしはわけがわからないまま、たっくんの胸の中で泣き続けました。
「うええええ……! ひっぐ……うえええええええええええ……!」
わたしはただ、泣き続けます。
今まで心に溜まり続けていた毒素を、すべて、洗い流しきるかのような勢いで……
「うわあああああああああああああああああああああ……!」
*****
それからしばらくが経って、わたしが落ち着いてきたころ、たっくんはこう言いました。
「五花。海斗とお前の問題は、とっても深刻で、たぶん、全てが万事丸く収まるって事はないだろうと僕も思う。でも、それでも、僕と、僕が信じるお前と、僕が信じる海斗なら、きっと、みんなが幸せを感じられる形で、この問題を乗り越えられるはずだ」
わたしはその言葉に、心臓のあたりがじんわりと温かくなるような、心強くなるような、そんな確かなエネルギーを感じました。
「なんとか、向き合ってみてほしい。今度は、逃げずに、勇気を出して」
「はい!」
わたしの心は、困難を前にして緊張しながらも、どこか晴れやかでした。
真剣に海斗くんと向き合ってあげよう。
そう、素直な心で思えていたのです。
今日あんな会話をしたばかりですから、たっくんがまともに会話してくれるか不安でしたが、恐怖を押し殺して、たっくんの部屋に駆け込みました。
わたしのただならぬ様子を感じたのか、PCに向かって絵の作業をしていたらしいたっくんは、すぐに振り向いて真剣な様子で、
「……いったいどうした?」
と聞いてくれました。
その雰囲気に安心したわたしは、少しでも急いで伝えようとして、言葉が上手く出ずに焦りながら、それでも発言を紡いでいきます。
「海斗くん、なんか獣化病……っていう難病にかかってて……! あと2ヶ月しか余命がないって! 2ヶ月ですよ!?」
途端、たっくんは手にもっていたペンタブレット用のペン型端末を取り落としました。そのペンを気にする様子も見せず、たっくんは呆然とした様子でただ聞き返します。
「……本当……なのか?」
「だって今海斗くんに会ってた時、海斗くんがそう言ってたんですもん! わたし、あんまりにもびっくりしたものですから、海斗くんの目の前から逃げて、ここまで走ってきちゃいました!」
たっくんは、衝撃の大きさを示すように真剣な表情を青白く染めて、それでいてどこか興奮したように頬は赤く染まっている表情で、わたしの話を聞いて考え込みます。
そうしてから、何かに気づいたように、怒りを見せるような興奮の仕方で、わたしに叫ぶように話し始めました。
「……五花! 海斗のやつは! そんな様子、僕にも一切見せてなかった! だとするなら! だとするなら! 馬鹿だと思うけど、海斗は、本当に、本当にお前の事が大事なのかもしれない! これ以上ないくらいに! 悔しいし、本当に馬鹿だなと思うけど、海斗の奴は、何かお前に伝えたい事があったんじゃないか……!?」
その言葉に、ハッとさせられたのはわたしでした。
そうなのです。
海斗くんは、海斗くんは、たっくんにすら余命の話をしていなかったのです。
それがどれだけ重大な事か、わたしにだって分かります。
そして思い出したのは、衝撃で吹き飛んでいた、この話をする前の海斗くんの話でした。
「……あの、こんな時に何を言うかって思うかもしれないんですけど……わたし、昔絵描いてたの、知ってますか?」
「え……? 五花が、絵を……?」
たっくんは、思いもよらなかった、と言った様子で、ぽかんとしていました。
「はい。それも天才少女、なんて言われてて、コンクールでいくつも賞を取っていました」
「そう、なのか……」
「で、海斗くん、まだ幼い頃に、わたしの絵を見て、感動して、わたしの名前を憶えていたらしいんです。わたしの絵を見て、もっと絵を頑張ろうと思って、必死に努力して、結果全国的なコンクールで入賞できたって、話してました」
たっくんは、わたしが思っていたよりこの話に驚いていたようで、衝撃を隠せない様子で、
「そう、か……」
とだけ言葉を返しました。
「でも、わたし、絵って、ほとんど母親に好きになってもらうために描いてただけで、なのに絵について母親に酷い事をいっぱい言われ続けてきてて、限界が来て、ある日、彫刻刀で今まで描いた絵を全部切り裂いちゃったんですよ。手も傷ついて、血とか散乱して、父親がそれを見つけて、母親と喧嘩して、そのまま離婚しちゃいました」
「そうか……」
「……どうやら海斗くんは、そんなわたしにまた絵を描いてほしいみたいなんです。合作で一緒に絵を描いてほしいと言われました。それでわたしは絵を描くのが怖くて断ったら、余命2ヶ月らしいから、最後に一緒に書きたかったんだけどな、って言われて、それでわたしは余命の話を知りました」
「……!」
「わたしはどうしたらいいでしょうか? たっくん……海斗くんは、あんなにもわたしの事が好きで、あんなにもわたしの絵が好きで、なのに、わたしにはそれに応えるものがないんです。海斗くんは格好いいと思いますし、人として惹かれるところもありますけど……今のわたしが一番好きなのは……その……たっくん、ですから……」
最後は、図らずも告白のようになってしまって、消え入りそうな声で、恥ずかしそうにわたしは話し終えた。
たっくんもそれには気づいたようで、なんだか顔を赤くして、不意打ちを受けて照れているような様子を見せてくれていました。やっぱり脈無しというわけでもないのかな、とこんな場にそぐわない事を思ってしまうのは、きっとわたしの罪深いところなのでしょう。
「……その、五花の本当の気持ちは、僕なんかには分からない事だし、前言ったように、今の僕がお前の言葉を言葉通り信じるのは、難しい」
たっくんの言葉は、やはりそんなわたしを突き放すような内容でした。
「でも、僕は僕なりに真剣にこの問題に向き合いたいと思っている。海斗のやつが、人生の最期をどう迎えるかっていう問題でもあるし、五花、お前がこれからの人生をどう過ごすかって問題でもあると思う」
ですが、続く言葉に、私はこれ以上ないくらいハッとさせられました。
わたしが、これからの人生をどう過ごすかって問題でもある。
そうなのだ。
わたしは海斗くんにどう対応するかで頭が一杯でしたが。
わたしに見えていないものが見えているたっくんにとって、これはわたしの人生の問題でもあるのだ。
そうか。
「たっくんは、わたしにやっぱり絵を描いてほしいと、そう思いますか……?」
わたしは、なんだか不安になって、涙目になりながら、たっくんにそう問いかけます。
たっくんは、椅子から立ち上がると、そっとわたしに近づいてきて、それから言葉を紡いでくれました。
「五花が絵を描くかどうかは、五花自身が決めないといけない事だ。僕は何も言えない。だけど……」
たっくんは、そう言いながら、わたしをギュッと抱き締められそうな距離まで近づいて、でも抱き締める事は当然せずに、ただわたしを真っ直ぐに暖かく見つめてくれます。
「……五花が絵を描くのが怖いって気持ちを、海斗に向き合うのが怖いって気持ちを、僕は心から、なんとかしてあげたいなと思ってる。僕だって、あんなにお前の事を憎く想って、酷い事を言っていたのにさ……僕はお前に泣きそうになって縋られただけで、ただ、何とかしてあげたい、救ってあげたいって、それだけになっちまった……僕はなんだかんだで、お前の事が好きみたいだ」
わたしは、たっくんのその言葉が、その暖かい雰囲気が、なんだか計り知れないほどあったかくて、包み込むように感じられて、ああ、わたしがずっと欲しくて欲しくて得られなかったものはこれだったんだ、って思い、そうして感極まりました。
わたしは衝動のまま、目の前のたっくんのわたしより大きな身体に縋りつき、泣き喚くように叫びます。
「……ひっぐ……うええ……! うえええええええっ……! うれじい……! うれじいです……! わたしなんがの事を……! たっくんがそんな風に真っ直ぐに想っでくれて……! すごい言葉をかけてぐれて……! 嬉しい……! 嬉しいです……! 嬉しいよぉ……! ありがとうたっぐん! わたしなんがの事を好ぎになってくれで! うわあああああああああああああああっ……!」
不思議な事に、わたしは、たっくんが好きだと言ってくれて、恋が叶ったという、そんな単純な喜びはほとんど感じていませんでした。
わたしが感じていたのは、もっと深い、たっくんがわたしを心から思いやってくれているという、深い深い純粋な愛でした。
その愛という太陽の光が、わたしの心を長い間凍り付かせていた氷河を、ゆっくりと、それでいて圧倒的に、暖かく融かしてくれていたのです。
それは神秘的といってもいいくらい劇的な体験で、わたしはわけがわからないまま、たっくんの胸の中で泣き続けました。
「うええええ……! ひっぐ……うえええええええええええ……!」
わたしはただ、泣き続けます。
今まで心に溜まり続けていた毒素を、すべて、洗い流しきるかのような勢いで……
「うわあああああああああああああああああああああ……!」
*****
それからしばらくが経って、わたしが落ち着いてきたころ、たっくんはこう言いました。
「五花。海斗とお前の問題は、とっても深刻で、たぶん、全てが万事丸く収まるって事はないだろうと僕も思う。でも、それでも、僕と、僕が信じるお前と、僕が信じる海斗なら、きっと、みんなが幸せを感じられる形で、この問題を乗り越えられるはずだ」
わたしはその言葉に、心臓のあたりがじんわりと温かくなるような、心強くなるような、そんな確かなエネルギーを感じました。
「なんとか、向き合ってみてほしい。今度は、逃げずに、勇気を出して」
「はい!」
わたしの心は、困難を前にして緊張しながらも、どこか晴れやかでした。
真剣に海斗くんと向き合ってあげよう。
そう、素直な心で思えていたのです。