「は? あ?」

 湯川大陽の瞳から殺気が消え、代わりに戸惑いが浮かぶ。

「君は犯人のことについて知りたくないの?」

「あ?」

「君は犯人を捜したいんだよね。それなのになんの情報も得ずに捜しに行くのかな?」

 犯人のことをなにも知らなくても捜しに行ける。

 それはよほどの馬鹿であるか、犯人のことを既に知っている人物に限られる。

 ああ、そうだった。

 夜見坂くんは変な言いがかりをつけていたんじゃない。

 確信をもって犯人を煽っていたのだ。

 だって、彼はこう言った。

 宮苗瑠璃に、湯川大陽が浮気している写真を見せた、と。

 そうなれば犯人の最有力候補はふたり。

 湯川大陽か、その浮気相手である中水(なかみず) 美衣奈(みいな)になる。

 彼女はゆるくウェーブのかかった長い髪の毛に、細く整えられた眉毛、流行の最先端どおりに施された薄化粧と、派手な容姿をしているが、上背は平均よりも少し小さめだった。

 つまり、背が高く、宮苗瑠璃を絞め殺せるほどの力があるとすれば……答えはおのずと導き出される。

「僕の話を聞いたほうがいいだろ、ね?」

「…………」

「あはっ」

 でも夜見坂くんの目的は犯人を告発することじゃない。

 殺すことだ。

 出来る限り多く。

 たくさんの人を。

「さって~、それじゃあ……」

「ま、待ちなさいっ」

 襟首を掴んでいる湯川大陽の手をやんわりとほどき、やるぞとばかりに両手をあげて伸びをしたところで警官が待ったをかけた。

「勝手に事件の話をしないように!」

 そんな警官の静止に対し、夜見坂くんは心外だとでも言いたげに、眉をひそめる。

「しませんよ。それは刑事さんと約束しましたから。嘘は良くないですよね、嘘は」

 嘘のかたまりみたいな言動をしておきながらよくも言えたものだなと、私は夜見坂くんの面の皮の厚さに少し感心してしまう。

「これから僕が話すのは推理です。なんなら与太話とか戯言でもいいですよ。僕が教室で見聞きしたことは一切話しませんから」

 しかし、と言いよどむ警官をまあまあと宥めつつ、夜見坂くんは歩き出した。

 教室廊下側の窓辺りにまでやってくると、くるりとみんなの方に向き直る。

「現場が密室だったってことはみんな知ってると思うけど、どうやって作ったと思う?」

 教室は直方体の形をした部屋である。

 校庭側に面している側は中心に2メートル程度の壁があるだけで、他はすべて窓ガラスになっている。

 廊下側は、スチール製のドアが前方と後方にひとつずつあり、中心に明り取り用の窓が設えてあった。

「ほら、そこのいかにもなガリ勉くん」

 唐突に夜見坂くんから指差されたのは、(ひびき) (ゆう)

 切れ長の目をフチのあるメガネで彩る、端正な顔立ちをした男子生徒だ。

 眉目秀麗にして成績優秀、先生たちからの覚えもよく、女子人気も高い。

「はい?」

「教室で密室を作るとしたら、君ならどう作る?」

 まさか自分に振られると思っていなかったのか、響遊は少しの間戸惑っていた。

 しかし我を取り戻すと、形の整っている顎に手を当てて思案し始める。

「……道具を使えば簡単に鍵をかけられそうですが?」

「そうだね~。教室って安っぽいもんね」

 学校は基本的に簡素な造りになっている。

 窓だってクレセント錠と言われる、窓に取り付けられた爪に、レバーと連動して動く丸い板を差し込む方式の物が取り付けられているだけ。

 一般家庭でよく使われる、レバー固定用のつまみすらついていない。

 ガラス切りやドライバーなどで小さな穴を開ければ簡単に密室を作ることができるだろう。

 教室のドアも言うに及ばず、簡単な紐でも使えば外に出てから鍵をかけられるはずだ。

「ただ、そんな道具を犯人が持ち歩いてたと思う? この事件は計画的犯行じゃあないんだよ」

 夜見坂くんの言う通り、この事件は衝動的であり、計画的ではない。

 夜見坂くんが煽ったから起きたことだ。

「なら、どうやったのですか?」

 響遊の問いかけに夜見坂くんはにやりと笑うと、立てた人差し指を左右に動かしながら、ちっちっちっと舌を鳴らす。

「力技」

「はぁ?」

「言ったでしょ、犯人は馬鹿だって。君は勉強が出来るみたいだけど、だからこそ単純なことが分からないみたいだね」

 夜見坂くんは「見てて」と言うと、廊下側の窓の錠を外す。

 そして窓を開けた状態でレバーを回して錠を下ろしてしまった。

「いいかな。こうやって、外に出る前に錠を下ろしておく。そして――」

 言いながら夜見坂くんは足を持ち上げ、窓から廊下側へと移動する。

「外に出てから、錠がついている方の窓を閉めて壁に強く押しつける」

 言葉通り、左手で錠が取り付けられた窓をしっかりと固定し、ツメのついた窓に右手をかける。

「これで準備は完了。あとは――」

 夜見坂くんは自身の説明を遮る様に、ツメの取り付けられた窓を勢いよく閉めた。

 やったことはそれだけ。

 だというのに……。

「あっ」

 響遊が、思わず目を見張って驚きの声をあげる。

 クラスメイトの数人(・・)や先生、そして警察官も同じように驚いていた。

 それもそのはず、夜見坂くんの言う通り、力任せに閉めるだけで、いとも簡単に窓は施錠されてしまったのだ。

 学校の設備は簡素で安っぽい。

 それ故に、単純すぎるやり方が通用するのだった。

「と、いうわけ。こんな誰でも出来るやり方で簡単に密室を作り出せるんだから、そんなものには何の意味もないよね」

 廊下を回って再び教室へと入って来た夜見坂くんが、ぐるりと教室を見回しながらそう告げた。

 確かに、教室は全て同じ造りになっているため、ここで出来たのならば現場になった1年1組の教室でも出来るだろう。

 あの場所は密室では無かった。

 だが、そんなことになんの意味があるのだろう。

 密室に意味がないことは、それこそ夜見坂くん自身が口にしたことだ。

「だからなんだよ! そんなことは俺でも知ってるっ。瑠璃(るり)栄治(えいじ)美衣奈(みいな)もなっ!!」

 湯川大陽の言う通り、夜見坂くんが外から鍵をかけたのを見て驚かなかったクラスメイトは幾人(いくにん)か居た。

 だからこそ、夜見坂くんの言いたいことがようやく私にも理解できた。

 ――あぶり出し、だ。

「そう、知ってるんだよ。この学校に詳しい人は全員」

 すなわち、犯人もこの学校に詳しい人間ということになる。

「そして、部外者はこのことを知らない」

 これらの話を総合すれば、犯人の像がおぼろげながら浮かび上がってくる。

 夜見坂くんの話は推理である。

 トリックを暴くことが目的じゃあない。

 犯人を追い詰めることが目的なのだ。

「だから犯人はこの中に居る。この教室の中に、ね」

 ただ、夜見坂くんは探偵ではない。

 夜見坂 凪は、殺人鬼である。

 犯人を指差して、真実を暴き立てることが目的ではない。

 殺すこと。

 なるべく多く、ひたすらに。

 ここで事件が終わってしまっては、その目的が達成できない。

 だから――。

「今のところはさ、君もそうだけど――」

 夜見坂くんは不気味な笑みを浮かべながら、クラス中のひとりひとりの顔を視線でぬるりと撫で上げていく。

「君も知ってたんだよね」

「ち、違うっ」

 たまらず中水美衣奈が悲鳴をあげる。

 しかし分からないのだろうか。

 今それをするのは悪手だと。

 過剰に反応すれば、なぜ反応したのかと人は疑う。

 自覚があったから反応したのかもしれないという疑惑が生まれる。

「な、なんでみんなこっち見るのよっ! 私はやってない!」

 一斉に視線が集まり、疑念という悪意の刃が少女を切り刻む。

 それを振り払おうと否定に否定を重ねれば重ねるほど、見ているみんなの猜疑心はいや増していく。

 犯人が馬脚を露したと――。

「ここで、お前が犯人だろって言うヤツがいたらそっちの方が怪しいよね~」

――不安の種が撒かれる――。

「で、今一瞬なにか言いかけた人いたよね。そこに」

 夜見坂くんの一言は、頭に冷水がぶちまけられたかと錯覚するほどの効果をもたらした。

 みんながみんな、せわしなく眼球を左右に動かして周囲の顔色を伺う。

 誰が殺人犯なのか確信が持てず、疑心暗鬼になっていた。

「まあ、早まることなく警察の捜査を待とうよ、ね?」

 ただ、疑念の渦の中心には夜見坂くんが居て、そんな夜見坂くんだけはみんなと違う目で周りを見ていた。

 次の獲物を狙う――次の犠牲者を探す目で。



 ごっ。

 ごっ。

 ごっ。

 暗闇の中、何かを打つ音が聞こえる。

 定期的に、ひたすらに、病的なまでに熱心に。

 それに重なるようにして、荒い息遣いだったり、液体が跳ねる音やなにか硬いものが割れるような音、硬いものと金属がぶつかる耳障りな音も聞こえてくる。

「聞いた……ぞっ」

 ごっ。

「お前が悪いんだっ」

 ごっ。

「お前が殺したんだろっ」

 場所は、河川敷だろうか。

 上流に近いのかすぐそばにある川の幅は狭く、地面は波うち、辺りには人家のようなものもほどんど見えない。

 刃の様に尖った雑草や樹木が生い茂り、ひどく見通しが悪かった。

「だいたいお前はいつもっ」

 草陰に隠れるようにして、ひとりの男が棒状のなにかを必死に振り下ろしていた。

「俺の欲しいものをっ」

 金属性のバットが振り下ろされる先には――。

「奪っていくっ」

 ――死体。

「しかもっ」

 それも、顔の辺りが原形をとどめていないくらいぐちゃぐちゃになった。

「これ見よがしにっ」

 それでも男は殴り続ける。

「捨てやがるっ」

 執拗に、ひたすらに、顔ばかり狙って。

「何様のつもりだっ」

 ひき肉がミンチになって、更には脳と脳漿(のうしょう)と血液と砕けた骨と土が混ざり合い、ドロドロの汚泥と化してもなお振り下ろし続ける。

 やがて、男の口から文句と不満が出て来なくなり、ようやくこの暴虐は幕が下りた。

「…………」

 男が荒い息を吐きながら棒を地面に放り、ポケットから何かを取り出す。

 瞬間、パッと明かりが灯り、男の顔を照らし出す。

 黒髪を丸刈り頭にした、やや地味な顔つき。

 歳は青年に手を伸ばし始めたくらいか。

 顔にはぽつぽつと赤黒い血の斑点により化粧が施されており、彼がとてつもなく激しい感情を抱いていたことを物語っていた。

「もうこんな時間か……」

 彼の名前は上良(かみよし)栄治(えいじ)

 湯川大陽との関係は、親友だった。

 もう、親友ではない。

 なぜなら上良栄治はたった今、湯川大陽をその手で殺してしまったのだから。