岡莉奈の話が終わる。
俺は完全にキャパオーバーで固まっていた。
意味が、分からない……。
社長である父がロリコンだった。これはまだ良しとしよう。少しも良くないが。
それでもロリコンの性欲を抑えられないから、娘が捧げものになったというのは……正直、出来の悪いエロ小説でも読まされている気分になる。
無表情の片目から涙がこぼれ落ちていた。本人ですら気付いていないのだろう。それだけ何もかも麻痺させてしまうようなトラウマが彼女の心に刻まれていたのだ、きっと。
周囲の人々は本当に見て見ぬフリをしたのだろう。異常性癖は治そうとして治せるものではない。一族の不祥事を隠蔽すべく、彼女の周囲が「空気を読んだ」可能性が大いにある。皮肉なことに、その過程一つ一つが無垢な美少女をとんでもないモンスターに変えてしまった。
今の話を聞いていて、俺はどうしたらいいのか分からなくなった。
やり方は極端とはいえ、彼女がこの世界を壊してしまいたくなった理由が分からなくもない。
幸せとは何なんだろうか。彼女は世界的な企業の令嬢で、お金にはまったく困らないはずだ。だが、その裏で変態の肉親から性被害を受けているという実態がある。この生き地獄はいつまでも続く。そういった人生が待っていると知った場合、果たして裕福さはその暗黒面を上回ることが出来るのだろうか?
俺だったら耐えられない気がする。きっと彼女だってそうだったんだ。それでも耐え続けるしかなかった。
だからこそ、この一連の事件は彼女が必死に上げていたSOSなのかもしれない。
「岡さん」
自分でも驚くほど勝手に言葉が出てきた。彼女が驚いたように目を見開く。きっと見たことのない俺の姿だったんだろう。
俺は陰キャだし、思っていることもまともに言うことは出来なかった。だけど、今回に限ってはそんな自分を捨てる。
「話してくれてありがとう。君がとてもつらい思いをしていたのはよく分かった」
彼女の片目から零れ続ける涙。神妙に俺の話を聞いている。
「はっきり言って、俺には君の苦しみがどれだけのものかは分からない。それだけの目に遭ったわけでもないから、分かるはずもない」
「うん」
「だけど、君がどれだけつらかったのか、それを類推することは出来る。俺もそれなりの目には遭った。だから君の痛みを想像することは出来る。なにより、それを他人事にしたくない」
「うん」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
「もうとっくにバレているかもしれないけど、俺は君のことが好きだった。浮かれて君をモデルにした小説まで書いて、結果として鮫島一味に目をつけられたわけだけどさ」
俺は自虐的に笑い、そして続けた。
「今回の件で君が煉獄のスケキヨだって分かった時は正直なところ、ショックだった。君の言う通り、俺は君に対して過剰な幻想を抱いていたんだと思う。それに、君もかなりの闇を抱えていることが分かった」
「そうだね」
岡さんが涙を拭いながら苦笑する。少しだけ、俺といた頃の無垢な表情に見えた。
俺は「ふう」とひと息ついてから言葉を繋ぐ。これから先を言うのは度胸が要る。
「色々驚く要素もあったし、君が物語に出てくるような完全無欠の美少女でもないことも分かった」
「うん」
「それでも、俺にとって君は大事な人だ。たとえ、どんな過去があったにしても」
岡さんの両目に涙が溢れる。
「君のことが好きだ。とりわけ、笑っている時の顔が」
彼女に歩み寄る。なんだか不思議なもので、ここで死んじゃってもいいやという心境になっていた。
震える体をそっと抱きしめる。
「君の笑顔をずっと見ていたい。だから、世界へ復讐するのはもうやめにしないか?」
刹那、深夜の学校に子供みたいに泣く声が響いた。あの美少女が、想像だに出来ない姿で泣きじゃくっている。
「大丈夫だ、大丈夫だから」
自分にも言い聞かせるように彼女を抱きしめた。何かのタガが外れたのか、声を上げて泣いている。
――ああ、彼女はこうやって泣くことも許されなかったんだな。
彼女の温かさを感じながら、そんなことを思った。
自身への破壊願望云々の話はあれど、結局彼女は誰からも受け止めてもらえなかったのだ。だからこそ、世界を道連れにしてでも自分の想いを届けようとしていただけなのかもしれない。
正直、面倒くさい女という領域を遥かに超えている。だけど、彼女の気持ちが痛いほど分かる気がした。俺だって屈辱的なイジメを受けた後にそれを世界中へと拡散された時は心が殺されたみたいになったから。
「わたしも……」
「ん?」
「わたしも、鬼頭君が好き」
唇に柔らかい感触。一度じゃ足りなくて、何度も互いの唇を重ねる。
こんな形でファーストキスを迎えるとは……。彼女は多分違うけど。
それでも、これから幸せな思い出で上書きしていけばいい。
その前に地獄を挟むことになるだろうけど。
岡さんが落ち着いたのを見計らって、スマホを確認した。あと少しで早朝とも言える時間になるけど、海外では岡さんの投下したネタで大騒ぎになっていた。向こうは昼間だからな。
今度のネタは本物だ。フェイクニュースなどではなく、途轍もない爪痕をグラシアス・ヒル・コーポレーションに残すだろう。下手をすればそれで会社が終わるほどの。
情報の出どころは疑いようもなく岡莉奈になる。彼女は被害者とはいえ、これからかなり苦しい立場になるだろう。誹謗中傷もスコールのように降り注ぐに違いない。
だけど――
彼女の手を強く握りしめる。泣きはらした目。驚いた表情で俺を見る。
「俺は、君を見捨てたりはしないから」
彼女はきっとこの言葉だけが欲しかったんだ。
夜の闇に包まれた世界。空の向こう側では、前代未聞の炎上が広がっている。それは間もなくこちらにもやってくる。
それでも俺は、彼女の傍にいようと思った。
だって、彼女は俺を助けてくれたんだから。
【了】
俺は完全にキャパオーバーで固まっていた。
意味が、分からない……。
社長である父がロリコンだった。これはまだ良しとしよう。少しも良くないが。
それでもロリコンの性欲を抑えられないから、娘が捧げものになったというのは……正直、出来の悪いエロ小説でも読まされている気分になる。
無表情の片目から涙がこぼれ落ちていた。本人ですら気付いていないのだろう。それだけ何もかも麻痺させてしまうようなトラウマが彼女の心に刻まれていたのだ、きっと。
周囲の人々は本当に見て見ぬフリをしたのだろう。異常性癖は治そうとして治せるものではない。一族の不祥事を隠蔽すべく、彼女の周囲が「空気を読んだ」可能性が大いにある。皮肉なことに、その過程一つ一つが無垢な美少女をとんでもないモンスターに変えてしまった。
今の話を聞いていて、俺はどうしたらいいのか分からなくなった。
やり方は極端とはいえ、彼女がこの世界を壊してしまいたくなった理由が分からなくもない。
幸せとは何なんだろうか。彼女は世界的な企業の令嬢で、お金にはまったく困らないはずだ。だが、その裏で変態の肉親から性被害を受けているという実態がある。この生き地獄はいつまでも続く。そういった人生が待っていると知った場合、果たして裕福さはその暗黒面を上回ることが出来るのだろうか?
俺だったら耐えられない気がする。きっと彼女だってそうだったんだ。それでも耐え続けるしかなかった。
だからこそ、この一連の事件は彼女が必死に上げていたSOSなのかもしれない。
「岡さん」
自分でも驚くほど勝手に言葉が出てきた。彼女が驚いたように目を見開く。きっと見たことのない俺の姿だったんだろう。
俺は陰キャだし、思っていることもまともに言うことは出来なかった。だけど、今回に限ってはそんな自分を捨てる。
「話してくれてありがとう。君がとてもつらい思いをしていたのはよく分かった」
彼女の片目から零れ続ける涙。神妙に俺の話を聞いている。
「はっきり言って、俺には君の苦しみがどれだけのものかは分からない。それだけの目に遭ったわけでもないから、分かるはずもない」
「うん」
「だけど、君がどれだけつらかったのか、それを類推することは出来る。俺もそれなりの目には遭った。だから君の痛みを想像することは出来る。なにより、それを他人事にしたくない」
「うん」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
「もうとっくにバレているかもしれないけど、俺は君のことが好きだった。浮かれて君をモデルにした小説まで書いて、結果として鮫島一味に目をつけられたわけだけどさ」
俺は自虐的に笑い、そして続けた。
「今回の件で君が煉獄のスケキヨだって分かった時は正直なところ、ショックだった。君の言う通り、俺は君に対して過剰な幻想を抱いていたんだと思う。それに、君もかなりの闇を抱えていることが分かった」
「そうだね」
岡さんが涙を拭いながら苦笑する。少しだけ、俺といた頃の無垢な表情に見えた。
俺は「ふう」とひと息ついてから言葉を繋ぐ。これから先を言うのは度胸が要る。
「色々驚く要素もあったし、君が物語に出てくるような完全無欠の美少女でもないことも分かった」
「うん」
「それでも、俺にとって君は大事な人だ。たとえ、どんな過去があったにしても」
岡さんの両目に涙が溢れる。
「君のことが好きだ。とりわけ、笑っている時の顔が」
彼女に歩み寄る。なんだか不思議なもので、ここで死んじゃってもいいやという心境になっていた。
震える体をそっと抱きしめる。
「君の笑顔をずっと見ていたい。だから、世界へ復讐するのはもうやめにしないか?」
刹那、深夜の学校に子供みたいに泣く声が響いた。あの美少女が、想像だに出来ない姿で泣きじゃくっている。
「大丈夫だ、大丈夫だから」
自分にも言い聞かせるように彼女を抱きしめた。何かのタガが外れたのか、声を上げて泣いている。
――ああ、彼女はこうやって泣くことも許されなかったんだな。
彼女の温かさを感じながら、そんなことを思った。
自身への破壊願望云々の話はあれど、結局彼女は誰からも受け止めてもらえなかったのだ。だからこそ、世界を道連れにしてでも自分の想いを届けようとしていただけなのかもしれない。
正直、面倒くさい女という領域を遥かに超えている。だけど、彼女の気持ちが痛いほど分かる気がした。俺だって屈辱的なイジメを受けた後にそれを世界中へと拡散された時は心が殺されたみたいになったから。
「わたしも……」
「ん?」
「わたしも、鬼頭君が好き」
唇に柔らかい感触。一度じゃ足りなくて、何度も互いの唇を重ねる。
こんな形でファーストキスを迎えるとは……。彼女は多分違うけど。
それでも、これから幸せな思い出で上書きしていけばいい。
その前に地獄を挟むことになるだろうけど。
岡さんが落ち着いたのを見計らって、スマホを確認した。あと少しで早朝とも言える時間になるけど、海外では岡さんの投下したネタで大騒ぎになっていた。向こうは昼間だからな。
今度のネタは本物だ。フェイクニュースなどではなく、途轍もない爪痕をグラシアス・ヒル・コーポレーションに残すだろう。下手をすればそれで会社が終わるほどの。
情報の出どころは疑いようもなく岡莉奈になる。彼女は被害者とはいえ、これからかなり苦しい立場になるだろう。誹謗中傷もスコールのように降り注ぐに違いない。
だけど――
彼女の手を強く握りしめる。泣きはらした目。驚いた表情で俺を見る。
「俺は、君を見捨てたりはしないから」
彼女はきっとこの言葉だけが欲しかったんだ。
夜の闇に包まれた世界。空の向こう側では、前代未聞の炎上が広がっている。それは間もなくこちらにもやってくる。
それでも俺は、彼女の傍にいようと思った。
だって、彼女は俺を助けてくれたんだから。
【了】