さて、どこから話せばいいんだろうね。
時間もあることだし、順を追って説明していこうか。
あなたも知っている通り、わたしこそネット上で「煉獄のスケキヨ」と名乗って炎上を指揮していたコンダクター。
あなたが関与している炎上事件も、大方わたしの仕業であそこまでの騒ぎになった。あなたは聞きたくないでしょうけど、これから小説で言う解決編というところに入っていくね。
はじめに鬼頭君がイジメに遭っていた時、わたしは傍観者を決め込みながらも、この自意識をこじらせた人たちが目障りになっていた。
鬼頭君、あなたと過ごした時間が楽しかったのは本当だよ。高校生の本好きってそういるものじゃないし、好みの読む本は全然違うタイプだったけど、それでも同じクラスに一緒に本を読んで語り合うことが出来る相手がいるのは嬉しかった。
鮫島はわたしと寝ることしか頭にないサルだったし、真田は「いいね」さえもらえるなら裸で踊りだすようなピエロだった。明智もイケてるグループにひっついて名声のおこぼれをもらいたいだけのハイエナだったし、あいつらと過ごしていても楽しい時間なんて少しも無かった。
どうして彼らと付き合ってたって?
そんなの簡単だよ。昔からカーストの上位にいる人間は、そういう人たちと集まるように出来ているものなの。
親や祖父から散々教え込まれてきた。どこのグループに所属するにしても、そこの上位グループにいる人たちと仲良くしなさいってね。彼らと付き合っていた理由なんて本当にそれだけだよ。
彼らはたしかにクラスカーストの上位にはいたし、影響力も持っていた。だけど、一緒にいて得るものがあるかと言われたら特に思いつかない。
鮫島については勉強も運動も出来たかもしれないけど、日本のトップではない。小さな世界で頂点に立った気分になっていい気になっていただけ。後はチヤホヤされることしか頭にない。彼ぐらいのレベルだったらいくらでも代わりはいる。
それだけ空っぽな人たちの集まりだったから。あんなのが変に自信を付けて社会で有名企業を引っ張っていくんだと思うと先が思いやられた。出来たら消えてくれればいいのになって思いながら付き合っていた。
それもあって、鬼頭君と図書館で過ごす時間は特別なものになった。たかだか一緒に本んを読んで、好きな作家について語り合う程度のものだったけど、それでも趣味の時間を過ごせるっていう意味では鮫島たちなんかと過ごしているよりはずっと楽しかった。
鬼頭君、あなたにはリアリティがないかもしれないけど、グラシアス・ヒル・コーポレーションの跡継ぎとして育つことって、本当に大変なことなの。
こんなに恵まれた環境に生まれておいてなんだけど、わたしには兄や弟がいなかった。グラシアス・ヒル・コーポレーションの社長は男。公言こそされないものの、それが不文律でもあった。
だからもし兄弟がいれば、わたしは会社を継ぐなんていう前時代的なことはせずに済んだはずなの。だけど、わたしの他に男の兄弟は生まれなかった。自動的に一人娘のわたしが次期社長候補として育てられることになった。そんなこと、少しも望んでなかったのに。
親たちは経営に関しては素晴らしい頭脳を持っていたかもしれないけど、子育てという点ではそれほどでもなかった。むしろ愚かだったと言えるかもしれない。
勉強でも習い事でも、わたしはいつも「出来て当たり前」という育てられ方をした。何か与えられた課題を達成出来ても褒められることはなく、失敗すれば死ぬほど怒られたしよく叩かれていた。
わたしね、自分がそれほど賢いとは思っていないの。ただ、先に塾へ行った子が他の生徒よりも勉強が出来る仕組みを知っていただけ。それだけで勉強では上位にいくことが出来た。
運動についても変なコーチを付けられて、嫌になるぐらい練習をさせられたのを憶えている。家族が「この子は出来て当たり前だから褒めないで下さい」ってバカみたいな指示を与えて、それが守れないコーチはすぐにクビになった。
ねえ、そういう風に育てられた人って、どんな風に成長していくか知ってる?
とにかくね、歪んでいるの。何かが、致命的に。それは心かもしれないし、根性かもしれない。とにかく、人として持っていないといけない何かが欠落していると自分でも分かるの。
誰かが悲しんでいても感情を共有出来なかったり、人々の感じる苦しみや負の感情といったものに現実性が持てなかった。だって、それを感じるのは禁じられていたから。そんな感情は経営者にとって邪魔なだけだから。
その代わり、悲しくないことに涙を流し、嬉しくもないことを喜ぶことは求められた。理由は、そうすれば人間らしく見えるから。それでも心の中は無でいなさいと叩き込まれてきた。まるで、高性能の知能を搭載されたお人形みたいに。
わたしはどんな時でも冷静で、動揺せずに目の前の問題を解決しないといけなかった。それは、周囲にそう求められていたから。
だからわたしは悲しくもないことに涙を流し、微塵も怒りを感じていない社会問題に怒りを表明した。それが人間らしい反応だから。
わたしにとって、本とは人間が何かを教えてくれる教科書だった。だから読書が好きだったのかもしれない。それはわたしがとっくに殺したはずの感情を思い出させてくれるから。
鬼頭君、そこに現れたのが君なんだよ。君は陰キャの人だったかもしれないけど、わたしは君みたいに素直に物語へ感動出来る人間になりたかった。
君と一緒にいれば、わたしはもっと人間らしくなるんじゃないか。失った人間性を取り戻せるんじゃないか。そう思ったの。
加えて君は小説を書いていた。感情というものを失ったわたしにとって、人間が笑ったり泣いたりする物語を作れること自体が神に与えられた才能に他ならなかった。それだけすごいことをしていたんだよ、君は。
それなのに、嫉妬に駆られた鮫島は君をボコボコにして、なんなら自殺にでも追い込む勢いで辱めた。あれはさすがに、わたしの中で消えたはずの怒りが再び芽を出したほどだった。そういう意味ではわたしもまだ人間だったのかもね。
鬼頭君を失いたくなかった。君は鮫島たちなんかよりもずっと価値のある人間だった。
だからね、あいつらには消えてもらおうって思ったの。そうすれば君は戻って来れるでしょう?
それはね、君がボコボコにされている最中に決めたの。わたしがあの時にやたら大人しかったのはそのせいだね。
あんなカス、叩けばいくらでも埃が出てくる。
だけど、普通に潰すだけじゃ面白くないなって思ったの。もっと二度と立ち上がれなくなるような、強烈なトラウマを植え付けて闇に葬らないといけないって思ったの。
決まったら後は早かったよ。鬼頭君にもやられっぱなしで終わってほしくなかったしね。何よりもトラウマを植え付けられたままだと、戻って来れたところで前のようには戻れない。
だから、あくまで君自身に鮫島へやり返してもらう必要があったの。
わたしは煉獄のスケキヨを名乗って、君に協力を持ちかけた。まるで映画の登場人物になったみたいで、結構楽しかったよ。
正直ね、誰かを炎上に追い込む方法はある程度知っていたの。ネットでもその手法は公表されていたし、教育係からネットでの炎上を避けるレクチャーを受けた時にも、ある程度「こうすれば放火出来るな」っていうのは分かっていた。まあ、その時の講師もまさかわたしが学んだ知識や技術を悪用するとまでは思っていなかったようだけど。
後は君が知っている通り、爆弾となるようなネタをいくつか持っておいて、タイミングを見ながら匿名のプラットフォームに投下していく。海外のサーバーをいくつも経由してね。
後は君をはじめとした「放火班」が火種をあちこちに拡散してくれる。人は怒りを覚えると冷静さを失うからね。少しぐらい嘘が混ざっていても、大して確認もしないで拡散のボタンを押す。だって、そっちの方が楽だもんね。
結果としてわたしの投下した爆弾はネットの中で燎原の火の如く燃え広がり、ターゲット本人が気付く頃には収拾がつかないほどの大火になっている。そういう仕組み。
単純だけど、今のネット社会でこの放火を防ぐ完全な方法は、厳密に言えば存在しないの。強いて言えば一人一人が拡散の前に少しだけ考えたら防げる事象なんだけど、そこは期待を裏切らないバカ発見機だよね。みんなこのSNSを使うと、どんなに頭のいい人でも信じられないほど愚かになっちゃうの。そういうツール。
だからねえ、燃えたくなければSNSそのものをやらないのが一番なんだよね。それでも不祥事を掴まれたらネット上では燃やされるんだけど、とりあえず誹謗中傷のコメントは届かないからね。
だけど、鮫島みたいな奴らは承認願望の権化みたいな人たちばかりだから、事実上無理だよね。太陽に近づき過ぎたイカロスみたいに、翼が溶けて堕ちていきましたとさ、と。
ところで鬼頭君。君以外にネット上で放火を行っていた人たちって、どんな人だと思う?
フフ……ごめんね。思い出したらちょっとおかしくなってしまって。
それはねえ、君のクラスメイト全員だよ。あ、鮫島たちを除いての話ね。
……ああ、ポカーンとしているね。そうだよね。いきなりそんなことを言われたらそういう顔になるよね。
ほら、アガサ・クリスティの作品で「オリエント急行殺人事件」ってあるじゃない?
あれのオチをふと思い出して、そこから「こうしたら面白いんじゃないか」って思ったの。
ほら、鮫島のグループにいると色んな人の弱みを握れるっていうか、グループLINEにそういう写真とか情報が流れてくるのね。わたしは読むだけの人だったけど。
それで、大体の生徒が誰にも言いたくない秘密とかを抱えていて、それが上位カーストの間で共有情報として飛んでくる。わたしは無言で一つ一つを保存していたから、クラス全員の弱みを握るのも大した苦労はなかったかな。あったとしても、仲のいい友人経由で雑談を通してさりげなく情報を収集していたこともあるし。
だからね、煉獄のスケキヨに弱みを握られていたのは鬼頭君だけじゃないんだよ。人によっては「カイザー・ゾゼ」って名乗っていたこともあったし、「ともだち」とか「漆黒のルフィ」って名乗っていたこともある。後は各自が利用しているネットのサービスを調べて、謎の協力者として近付いていくだけ。
管理は簡単だったよ。エクセルで弱みとか指示内容とか全員管理出来ていたからね。だから君がネットにいる誰かと思って協力していたのは、他ならぬクラスメイトたちがほとんどだよ。だから作戦開始が放課後より後だったの。
なんだか笑えるでしょう。みんなが放課後になるまで真面目に勉強して、終わったら何食わぬ顔でさっさと帰宅して作戦に参加しているなんて。種明かしすればそんな理由だったんだよ。もちろんみんながみんな、個別にやり取りしているから、まさか各自の役割以外をクラスメイトが担っているなんて夢にも見ていないだろうね。
嫌々とはいえ、鮫島の作戦からみんな想像以上に頑張ってくれたよね。きっとみんな鮫島が嫌いだったんじゃないかな。他の生徒を下僕程度にしか思っていなかったみたいだからね。それと群れていた真田や明智も、わたしが思っている以上に嫌われていたかもしれないね。
ちなみに、鮫島たちを葬ったスキャンダルは大体が本当だよ。
もちろん君をボコボコにして辱めたのもそうだし、真田がウリをやらせていたのも本当。情報源は明智だね。彼が面白がって証拠映像やら音声をグループLINEに流してくれるの。お陰でわたしはそれを保存するだけで良かった。
明智もご機嫌取りに流した映像やら音声が流れたものだからさぞ焦ったでしょうね。そのデータを元にAIで別の音声を作られて、高校生の彼にはどうしようもなかったんじゃない?
だから鮫島と真田は屈辱に耐えきれなくて辞めたけど、明智も学校に残れば自分の身が危ないってどこかで分かっていたんじゃないかな。どっちにしてもいつか破滅するような人が若いうちに下手を打っただけの話だけどね。まだやり直せるだけマシなんじゃない?
それで彼らを完膚なきまでに潰した後、わたしはあることに気付いたの。
――このやり方を使えば、わたしのクソみたいな人生も丸ごと壊せるかもしれないって。
きっかけは鮫島を潰す時にお遊びでAIの音声を使った時かな。「本人っぽい」というだけで、誰も声紋とか科学的なアプローチでそれの精査をせず、ただ怒りに任せて拡散していったの。それこそ、世間で有名な教授や芸能人までもが似たようなことをしたの。
まあ、ご本人も知らないことで似たようなことは言っているんでしょうけど、本当に言ったことと「いかにも彼が言いそうなセリフ」を捏造したものはまったく別物だからね。どんな気持ちだったかは知らない。彼はもっとひどいことをいくらでもしているから。
話は逸れたけど、その件ではっきりしたのは、ネットユーザーっていうのは基本的に与えられた情報を一歩立ち止まって吟味することはなく、脊椎反射のように感情的な反応を見せることが多いっていうデータなの。これはいわゆる有識者でもそれほど変わらない傾向があるように思えた。
そう、人を殺すのに真実は必ずしも必要ではない。
それを知った時に、わたしはフェイクニュースでも一つの大企業を破壊し尽くせるんじゃないかっていう仮説を得た。あとはそれをやるかやらないかだけの問題だよ。だからわたしはやってみた。理由は単純。レールに乗せられたまま、行き先の完全に分かり切った道なんて歩みたくないってことだよ。
わたしの人生は他の誰かのものじゃない。それを他者が許さないなんて言うんであれば、わたし自らの手ですべてを破壊するだけ。
今までの人生は、何もかもが誰かの意図通りに生きることを期待されていたし、わたしも仕方がないからそのようにしていた。だけどそれも限界なの。
こんなに退屈でくだらない人生なら、いっそすべて終わってしまえばいい。心からそう思う。
後は簡単だよ。いくらか本当のデータを集めておいて、いかにもありそうなスキャンダルを捏造する。調査する側も慎重にならざるを得なくなるほどのリアルなフェイクニュースを作るの。
例えば今回のスキャンダルで芸能スクールの関係者一人一人に調査を行ったっていう話があったでしょう?
あれは本当の話で、実際に枕営業やら管理売春に関わった人がいないか精査がなされたの。そういう監査を行う部門にね。
結果としてそんな事実はないって分かるわけだけど、それを調べている間にみんながボタン一つで情報を拡散していくものだから、誤った情報は怒りと付け足しによってどんどん尾ひれがついて世界中へと拡散されていく。
これまでに有名なアイドルの性被害問題もあったからね。それも相まってみんなが「これは事実に違いない」って義憤に駆られてしまったんだろうね。その正義感が無辜の人を傷付けるかもしれないなんて考えもせずに。
魔女の証明って知っているかな?
簡単に言えば「やっていないことを証明するのは難しい」っていうものなんだけど、ネットの世界だとこの理論が異常に強いの。あるでっちあげ情報を多数の人が信じてしまうと、たとえ反証出来る証拠を持っていても有罪にされてしまう。それがネット社会の怖いところ、かな。
だからわたしはこの理論を躊躇なく使ったの。なるべくリアルで、真偽の判断が難しい嘘を、数字や論理のリアリティで武装して「真実」として発信する。後は自意識をこじらせた声の大きいバカが世界中へとそれを広めてくれる。
そういうデマっていうのはね、邪悪な意図じゃなくて正義感で拡散されるんだよ。わたしはその正義感にほんの少し油を注いだだけ。結果として世界中を巻き込む地獄絵図が出来上がった。わたし自身も驚いたよ。世の中にはこんなにバカがひしめいているんだって。
ああ、傷付いたような顔をしているね。だけど、君に傷付く資格なんてあるのかな?
君の拡散した情報が多くの人を傷付け、最終的には誰かを死へと追いやっている。たしかに君の拡散が直接の原因ではないのかもしれない。だけど、犠牲者を飲み込んだ津波を辿っていくと、そこには君の発した波紋も必ず存在しているんだよ。
それなのに、誰かが死んでも、どれだけ犠牲が出ても、誰一人として責任なんか取ろうとしないじゃない。
わたしはそんな世界に嫌気が差したの。そんな世界なら壊れてしまえ――それが嘘偽りのないわたしの本心だよ。
話は長くなったけど、以上がわたしの「解決編」だよ。
わたしはあなたが思っているような純粋無垢な存在なんかじゃない。人知れず闇を抱えて、この世界に復讐をする機会を待っていた。
それも今日でおしまい。わたしは、すべてを終わらせる。
時間もあることだし、順を追って説明していこうか。
あなたも知っている通り、わたしこそネット上で「煉獄のスケキヨ」と名乗って炎上を指揮していたコンダクター。
あなたが関与している炎上事件も、大方わたしの仕業であそこまでの騒ぎになった。あなたは聞きたくないでしょうけど、これから小説で言う解決編というところに入っていくね。
はじめに鬼頭君がイジメに遭っていた時、わたしは傍観者を決め込みながらも、この自意識をこじらせた人たちが目障りになっていた。
鬼頭君、あなたと過ごした時間が楽しかったのは本当だよ。高校生の本好きってそういるものじゃないし、好みの読む本は全然違うタイプだったけど、それでも同じクラスに一緒に本を読んで語り合うことが出来る相手がいるのは嬉しかった。
鮫島はわたしと寝ることしか頭にないサルだったし、真田は「いいね」さえもらえるなら裸で踊りだすようなピエロだった。明智もイケてるグループにひっついて名声のおこぼれをもらいたいだけのハイエナだったし、あいつらと過ごしていても楽しい時間なんて少しも無かった。
どうして彼らと付き合ってたって?
そんなの簡単だよ。昔からカーストの上位にいる人間は、そういう人たちと集まるように出来ているものなの。
親や祖父から散々教え込まれてきた。どこのグループに所属するにしても、そこの上位グループにいる人たちと仲良くしなさいってね。彼らと付き合っていた理由なんて本当にそれだけだよ。
彼らはたしかにクラスカーストの上位にはいたし、影響力も持っていた。だけど、一緒にいて得るものがあるかと言われたら特に思いつかない。
鮫島については勉強も運動も出来たかもしれないけど、日本のトップではない。小さな世界で頂点に立った気分になっていい気になっていただけ。後はチヤホヤされることしか頭にない。彼ぐらいのレベルだったらいくらでも代わりはいる。
それだけ空っぽな人たちの集まりだったから。あんなのが変に自信を付けて社会で有名企業を引っ張っていくんだと思うと先が思いやられた。出来たら消えてくれればいいのになって思いながら付き合っていた。
それもあって、鬼頭君と図書館で過ごす時間は特別なものになった。たかだか一緒に本んを読んで、好きな作家について語り合う程度のものだったけど、それでも趣味の時間を過ごせるっていう意味では鮫島たちなんかと過ごしているよりはずっと楽しかった。
鬼頭君、あなたにはリアリティがないかもしれないけど、グラシアス・ヒル・コーポレーションの跡継ぎとして育つことって、本当に大変なことなの。
こんなに恵まれた環境に生まれておいてなんだけど、わたしには兄や弟がいなかった。グラシアス・ヒル・コーポレーションの社長は男。公言こそされないものの、それが不文律でもあった。
だからもし兄弟がいれば、わたしは会社を継ぐなんていう前時代的なことはせずに済んだはずなの。だけど、わたしの他に男の兄弟は生まれなかった。自動的に一人娘のわたしが次期社長候補として育てられることになった。そんなこと、少しも望んでなかったのに。
親たちは経営に関しては素晴らしい頭脳を持っていたかもしれないけど、子育てという点ではそれほどでもなかった。むしろ愚かだったと言えるかもしれない。
勉強でも習い事でも、わたしはいつも「出来て当たり前」という育てられ方をした。何か与えられた課題を達成出来ても褒められることはなく、失敗すれば死ぬほど怒られたしよく叩かれていた。
わたしね、自分がそれほど賢いとは思っていないの。ただ、先に塾へ行った子が他の生徒よりも勉強が出来る仕組みを知っていただけ。それだけで勉強では上位にいくことが出来た。
運動についても変なコーチを付けられて、嫌になるぐらい練習をさせられたのを憶えている。家族が「この子は出来て当たり前だから褒めないで下さい」ってバカみたいな指示を与えて、それが守れないコーチはすぐにクビになった。
ねえ、そういう風に育てられた人って、どんな風に成長していくか知ってる?
とにかくね、歪んでいるの。何かが、致命的に。それは心かもしれないし、根性かもしれない。とにかく、人として持っていないといけない何かが欠落していると自分でも分かるの。
誰かが悲しんでいても感情を共有出来なかったり、人々の感じる苦しみや負の感情といったものに現実性が持てなかった。だって、それを感じるのは禁じられていたから。そんな感情は経営者にとって邪魔なだけだから。
その代わり、悲しくないことに涙を流し、嬉しくもないことを喜ぶことは求められた。理由は、そうすれば人間らしく見えるから。それでも心の中は無でいなさいと叩き込まれてきた。まるで、高性能の知能を搭載されたお人形みたいに。
わたしはどんな時でも冷静で、動揺せずに目の前の問題を解決しないといけなかった。それは、周囲にそう求められていたから。
だからわたしは悲しくもないことに涙を流し、微塵も怒りを感じていない社会問題に怒りを表明した。それが人間らしい反応だから。
わたしにとって、本とは人間が何かを教えてくれる教科書だった。だから読書が好きだったのかもしれない。それはわたしがとっくに殺したはずの感情を思い出させてくれるから。
鬼頭君、そこに現れたのが君なんだよ。君は陰キャの人だったかもしれないけど、わたしは君みたいに素直に物語へ感動出来る人間になりたかった。
君と一緒にいれば、わたしはもっと人間らしくなるんじゃないか。失った人間性を取り戻せるんじゃないか。そう思ったの。
加えて君は小説を書いていた。感情というものを失ったわたしにとって、人間が笑ったり泣いたりする物語を作れること自体が神に与えられた才能に他ならなかった。それだけすごいことをしていたんだよ、君は。
それなのに、嫉妬に駆られた鮫島は君をボコボコにして、なんなら自殺にでも追い込む勢いで辱めた。あれはさすがに、わたしの中で消えたはずの怒りが再び芽を出したほどだった。そういう意味ではわたしもまだ人間だったのかもね。
鬼頭君を失いたくなかった。君は鮫島たちなんかよりもずっと価値のある人間だった。
だからね、あいつらには消えてもらおうって思ったの。そうすれば君は戻って来れるでしょう?
それはね、君がボコボコにされている最中に決めたの。わたしがあの時にやたら大人しかったのはそのせいだね。
あんなカス、叩けばいくらでも埃が出てくる。
だけど、普通に潰すだけじゃ面白くないなって思ったの。もっと二度と立ち上がれなくなるような、強烈なトラウマを植え付けて闇に葬らないといけないって思ったの。
決まったら後は早かったよ。鬼頭君にもやられっぱなしで終わってほしくなかったしね。何よりもトラウマを植え付けられたままだと、戻って来れたところで前のようには戻れない。
だから、あくまで君自身に鮫島へやり返してもらう必要があったの。
わたしは煉獄のスケキヨを名乗って、君に協力を持ちかけた。まるで映画の登場人物になったみたいで、結構楽しかったよ。
正直ね、誰かを炎上に追い込む方法はある程度知っていたの。ネットでもその手法は公表されていたし、教育係からネットでの炎上を避けるレクチャーを受けた時にも、ある程度「こうすれば放火出来るな」っていうのは分かっていた。まあ、その時の講師もまさかわたしが学んだ知識や技術を悪用するとまでは思っていなかったようだけど。
後は君が知っている通り、爆弾となるようなネタをいくつか持っておいて、タイミングを見ながら匿名のプラットフォームに投下していく。海外のサーバーをいくつも経由してね。
後は君をはじめとした「放火班」が火種をあちこちに拡散してくれる。人は怒りを覚えると冷静さを失うからね。少しぐらい嘘が混ざっていても、大して確認もしないで拡散のボタンを押す。だって、そっちの方が楽だもんね。
結果としてわたしの投下した爆弾はネットの中で燎原の火の如く燃え広がり、ターゲット本人が気付く頃には収拾がつかないほどの大火になっている。そういう仕組み。
単純だけど、今のネット社会でこの放火を防ぐ完全な方法は、厳密に言えば存在しないの。強いて言えば一人一人が拡散の前に少しだけ考えたら防げる事象なんだけど、そこは期待を裏切らないバカ発見機だよね。みんなこのSNSを使うと、どんなに頭のいい人でも信じられないほど愚かになっちゃうの。そういうツール。
だからねえ、燃えたくなければSNSそのものをやらないのが一番なんだよね。それでも不祥事を掴まれたらネット上では燃やされるんだけど、とりあえず誹謗中傷のコメントは届かないからね。
だけど、鮫島みたいな奴らは承認願望の権化みたいな人たちばかりだから、事実上無理だよね。太陽に近づき過ぎたイカロスみたいに、翼が溶けて堕ちていきましたとさ、と。
ところで鬼頭君。君以外にネット上で放火を行っていた人たちって、どんな人だと思う?
フフ……ごめんね。思い出したらちょっとおかしくなってしまって。
それはねえ、君のクラスメイト全員だよ。あ、鮫島たちを除いての話ね。
……ああ、ポカーンとしているね。そうだよね。いきなりそんなことを言われたらそういう顔になるよね。
ほら、アガサ・クリスティの作品で「オリエント急行殺人事件」ってあるじゃない?
あれのオチをふと思い出して、そこから「こうしたら面白いんじゃないか」って思ったの。
ほら、鮫島のグループにいると色んな人の弱みを握れるっていうか、グループLINEにそういう写真とか情報が流れてくるのね。わたしは読むだけの人だったけど。
それで、大体の生徒が誰にも言いたくない秘密とかを抱えていて、それが上位カーストの間で共有情報として飛んでくる。わたしは無言で一つ一つを保存していたから、クラス全員の弱みを握るのも大した苦労はなかったかな。あったとしても、仲のいい友人経由で雑談を通してさりげなく情報を収集していたこともあるし。
だからね、煉獄のスケキヨに弱みを握られていたのは鬼頭君だけじゃないんだよ。人によっては「カイザー・ゾゼ」って名乗っていたこともあったし、「ともだち」とか「漆黒のルフィ」って名乗っていたこともある。後は各自が利用しているネットのサービスを調べて、謎の協力者として近付いていくだけ。
管理は簡単だったよ。エクセルで弱みとか指示内容とか全員管理出来ていたからね。だから君がネットにいる誰かと思って協力していたのは、他ならぬクラスメイトたちがほとんどだよ。だから作戦開始が放課後より後だったの。
なんだか笑えるでしょう。みんなが放課後になるまで真面目に勉強して、終わったら何食わぬ顔でさっさと帰宅して作戦に参加しているなんて。種明かしすればそんな理由だったんだよ。もちろんみんながみんな、個別にやり取りしているから、まさか各自の役割以外をクラスメイトが担っているなんて夢にも見ていないだろうね。
嫌々とはいえ、鮫島の作戦からみんな想像以上に頑張ってくれたよね。きっとみんな鮫島が嫌いだったんじゃないかな。他の生徒を下僕程度にしか思っていなかったみたいだからね。それと群れていた真田や明智も、わたしが思っている以上に嫌われていたかもしれないね。
ちなみに、鮫島たちを葬ったスキャンダルは大体が本当だよ。
もちろん君をボコボコにして辱めたのもそうだし、真田がウリをやらせていたのも本当。情報源は明智だね。彼が面白がって証拠映像やら音声をグループLINEに流してくれるの。お陰でわたしはそれを保存するだけで良かった。
明智もご機嫌取りに流した映像やら音声が流れたものだからさぞ焦ったでしょうね。そのデータを元にAIで別の音声を作られて、高校生の彼にはどうしようもなかったんじゃない?
だから鮫島と真田は屈辱に耐えきれなくて辞めたけど、明智も学校に残れば自分の身が危ないってどこかで分かっていたんじゃないかな。どっちにしてもいつか破滅するような人が若いうちに下手を打っただけの話だけどね。まだやり直せるだけマシなんじゃない?
それで彼らを完膚なきまでに潰した後、わたしはあることに気付いたの。
――このやり方を使えば、わたしのクソみたいな人生も丸ごと壊せるかもしれないって。
きっかけは鮫島を潰す時にお遊びでAIの音声を使った時かな。「本人っぽい」というだけで、誰も声紋とか科学的なアプローチでそれの精査をせず、ただ怒りに任せて拡散していったの。それこそ、世間で有名な教授や芸能人までもが似たようなことをしたの。
まあ、ご本人も知らないことで似たようなことは言っているんでしょうけど、本当に言ったことと「いかにも彼が言いそうなセリフ」を捏造したものはまったく別物だからね。どんな気持ちだったかは知らない。彼はもっとひどいことをいくらでもしているから。
話は逸れたけど、その件ではっきりしたのは、ネットユーザーっていうのは基本的に与えられた情報を一歩立ち止まって吟味することはなく、脊椎反射のように感情的な反応を見せることが多いっていうデータなの。これはいわゆる有識者でもそれほど変わらない傾向があるように思えた。
そう、人を殺すのに真実は必ずしも必要ではない。
それを知った時に、わたしはフェイクニュースでも一つの大企業を破壊し尽くせるんじゃないかっていう仮説を得た。あとはそれをやるかやらないかだけの問題だよ。だからわたしはやってみた。理由は単純。レールに乗せられたまま、行き先の完全に分かり切った道なんて歩みたくないってことだよ。
わたしの人生は他の誰かのものじゃない。それを他者が許さないなんて言うんであれば、わたし自らの手ですべてを破壊するだけ。
今までの人生は、何もかもが誰かの意図通りに生きることを期待されていたし、わたしも仕方がないからそのようにしていた。だけどそれも限界なの。
こんなに退屈でくだらない人生なら、いっそすべて終わってしまえばいい。心からそう思う。
後は簡単だよ。いくらか本当のデータを集めておいて、いかにもありそうなスキャンダルを捏造する。調査する側も慎重にならざるを得なくなるほどのリアルなフェイクニュースを作るの。
例えば今回のスキャンダルで芸能スクールの関係者一人一人に調査を行ったっていう話があったでしょう?
あれは本当の話で、実際に枕営業やら管理売春に関わった人がいないか精査がなされたの。そういう監査を行う部門にね。
結果としてそんな事実はないって分かるわけだけど、それを調べている間にみんながボタン一つで情報を拡散していくものだから、誤った情報は怒りと付け足しによってどんどん尾ひれがついて世界中へと拡散されていく。
これまでに有名なアイドルの性被害問題もあったからね。それも相まってみんなが「これは事実に違いない」って義憤に駆られてしまったんだろうね。その正義感が無辜の人を傷付けるかもしれないなんて考えもせずに。
魔女の証明って知っているかな?
簡単に言えば「やっていないことを証明するのは難しい」っていうものなんだけど、ネットの世界だとこの理論が異常に強いの。あるでっちあげ情報を多数の人が信じてしまうと、たとえ反証出来る証拠を持っていても有罪にされてしまう。それがネット社会の怖いところ、かな。
だからわたしはこの理論を躊躇なく使ったの。なるべくリアルで、真偽の判断が難しい嘘を、数字や論理のリアリティで武装して「真実」として発信する。後は自意識をこじらせた声の大きいバカが世界中へとそれを広めてくれる。
そういうデマっていうのはね、邪悪な意図じゃなくて正義感で拡散されるんだよ。わたしはその正義感にほんの少し油を注いだだけ。結果として世界中を巻き込む地獄絵図が出来上がった。わたし自身も驚いたよ。世の中にはこんなにバカがひしめいているんだって。
ああ、傷付いたような顔をしているね。だけど、君に傷付く資格なんてあるのかな?
君の拡散した情報が多くの人を傷付け、最終的には誰かを死へと追いやっている。たしかに君の拡散が直接の原因ではないのかもしれない。だけど、犠牲者を飲み込んだ津波を辿っていくと、そこには君の発した波紋も必ず存在しているんだよ。
それなのに、誰かが死んでも、どれだけ犠牲が出ても、誰一人として責任なんか取ろうとしないじゃない。
わたしはそんな世界に嫌気が差したの。そんな世界なら壊れてしまえ――それが嘘偽りのないわたしの本心だよ。
話は長くなったけど、以上がわたしの「解決編」だよ。
わたしはあなたが思っているような純粋無垢な存在なんかじゃない。人知れず闇を抱えて、この世界に復讐をする機会を待っていた。
それも今日でおしまい。わたしは、すべてを終わらせる。