おい待て。グラシアス・ヒル・コーポレーションの炎上がデマってどういうことや。

 思わず脳内で関西弁がよぎる。

 嫌な予感。動悸がする。老人か。いや、違う。激しく動揺しているだけだ。

 俺たちが必死こいて暴露してきた「真実」が、よりにもよってデマだと?

 見たくない。が、気になってまとめサイトを見てしまう。

【悲報】グラシアス・ヒル・コーポレーションの炎上、全部デマだった件【訴訟】

 現在ネットを騒がせているグラシアス・ヒル・コーポレーションのスキャンダルですが、被害者とされている人たちが続々と「バイトと言われて協力した」と自首しました。

 全体的に「軽い気持ちでやったイタズラだったが、あんなに大ごとになるとは思わなかったとのこと。

 ――記事自体はそれだけで終わっていた。添付された写真にはグラシアス・ヒル・コーポレーションの広報部だか法務部だかの真面目そうな男が二人。どちらかと言えば検察庁にでも務めていそうな雰囲気だった。

 記事にはいくつもの匿名コメントが添えられている。

「これ、明らかに人為的に作った炎上だよな?」
「これって今までにないくらいの逮捕者が出る案件なんじゃないの?」
「燃やした奴ら、今さらツイ消ししても遅いぞwwwwww」
「スクショも色々取ってるし、晒しとくかwwwwwwwwwww」

 似たようなコメントが延々と続いていた。

 炎上した者を追い込んでいた人々が追い込まれる側に。嫌な日本むかしばなしを見せられている気分だった。

 いや、呑気にしている場合じゃないぞ。どうすんだ、これ?

 どこからどこまでが捏造だったのか、俺自身もよく分かっていない。世界で一番有名な動画サイトに会見の模様が動画で上げられていたので、それを見ることにした。

 皮肉なことに、今度は「公式」のマークがちゃんと付いているのかを確認していた。非常に残念だが、会見そのものは実際にあったらしい。

 まとめサイトでも見た真面目そうな社員二人が会見を始める。寝ていないのか、目にクマのようなものが出来ていた。

 会見が始まると、現在ネットで「祭り」騒ぎになっている不祥事はすべて事実無根であり、それを反証するための調査と資料集めを行っていたとのことだった。その割にはえらく対応が早かった気がしないでもないが、あれだけ株価が急落していたことからも、上から相当な圧があったと思われる。

 はじめに反証されたのは芸能部門の不祥事であった。

 たしかにグラシアス・ヒル・コーポレーションが主宰している芸能スクールは実際にあったものの、そこでモノにならなかった者はさっさと辞めていくだけか、芸能界へ残るにしても裏方の仕事に就く場合がほとんどであり、実際にそのようになった人々の聞き取り調査を行っていた。

 連絡のつかない者もいくらかは存在するものの、だからといって成功を掴むために海外まで売春に行く者などただの一人も確認が出来ず、渡航費や病気をもらうリスクを考えると、とてもではないが見合わないというものだった。

 たしかに、言われてみれば海外へと行くにはそれなりに費用が発生する。費用が回収出来るためには派遣先の国もただアメリカに行けばいいという単純なものではないだろう。向こうで悪徳のポン引きに一杯食わされる可能性だってあるし、蛇の道は蛇というように、誰でもホイホイ上手くいくとは限らない。

 それに今は円安がひどい。向こうでの稼ぎは増えるかもしれないが、生活費が以前とは比べ物にならないほどの重圧になる。そうなると別の国でとなるが、レートの差や生活費などの費用対効果を考えるとどう見てもリスクの方が大きい。発覚のリスクを抱えながらそれを会社ぐるみでやって何のメリットがあるのかという、まさかのド正論をかまされた。

 しかも、管理売春を内部でやっているのであれば実地の証拠を掴んだ者が出てくるはずだが、そのような人物は一人として出てきていない。すべてはまことしやかに話されている噂の領域を出ていない。

 すでにグラシアス・ヒル・コーポレーション側での聞き取り調査はすべて終了しており、なんなら他のメディアに全員のインタビューをしてもらっても構わないという話だった。そこで捏造が発覚した場合、容赦なく法的な措置を取ることも併せて発表された。

 ダウン――強烈なパンチを喰らって、マットを這いずる。

 すがるようにロープをお掴みながら、なんとか8カウントで立ち上がる。

「いけるか?」

 妄想のレフリーが訊く。いや、もう無理じゃね。

 そうは思うものの、勝手に「ファイト!」と試合を続行される。おい待て。

 動画の男がさらに続ける。

 成分の偽装表示が暴露されたグラシアス・セルだが、成分の偽装に関する暴露そのものが偽装であると発表した。

 実際の成分は厚生労働省の認可を得る際に精査をされており、こちらも公的機関の捜査が入ったところでいつでも無実を証明出来ると強気の発表を行った。

 後は含有成分やら化学式、その他法的な色々が流れたが正直なところ、文系高校生の頭では理解不能だった。

 なんや、一体なにが起こっているんや……?

 動揺が激し過ぎて、ワイが謎の関西人になっている。

 はっきりしていることはただ一つ、俺たちは煉獄のスケキヨにハメられたということ。

 ふと株価の差額で巨額の利益を得ようとしていたのではないかという推測を思い出す。

 たしかに、あいつなら自分が儲けるために他の奴を陥れるなんてことは余裕でやりそうだ。一杯食わされた。いや、そんなことを言っている場合ではない。とびきりの毒杯を喰わされた。

 視界がグラつく。セコンドがいたらタオルを投げているだろう。

 動画が続く。

「なお、今回の調査において膨大な費用が発生しました。当社としてはネットでのデマを積極的に発信した者や、デマを拡散した者たちに対して断固たる法的措置を取ろうと考えております」

 薄れかけていた意識が戻る。

 断固たる法的措置、だと……?

 まて、おい。話せば、分かる……。

 正義の鉄槌を下していたはずの俺の方が、いつの間にか命乞いをする悪党みたいな口調に変わっている。

 なんでだ。なんでこうなった……?

 全身から力が抜ける。その姿はまさにorz。

 動画では拡散を行った者も訴訟の対象であると明言していた。つまり、俺は高みの見物とはいかず紛れもない当事者であることを意味する。

 最近では誹謗中傷に関する処罰も厳格化されてきていると聞く。民事裁判で数百万円の賠償金を取られるケースも……。それだけならまだ親の力でどうにかするとして、俺の社会的な評価が地の底を這うことになる。

 いや、俺だって承認願望で満ちているわけではない。実際問題、俺に誇れるものはさしてない。だが、それと犯罪者の烙印を押されるのは別物だ。

 曲がりなりにも真面目には生きてきた。それがこんな書き込み程度で人生オワタ状態になるというのか。

 クソ、俺だってこんなことはしたくなかった。だって、グラシアス・ヒル・コーポレーションの創業者は岡莉奈の祖父なんだから。自分の惚れた女に弓を引きたがる奴なんていないだろう。

 もとはと言えば、煉獄のスケキヨなる男が俺を脅してきたせいだ。あいつはまさに味方の仮面をつけて俺に接触してきた。それも最初から利用して捨てる駒ぐらいにしか思っていなかったのだと思うと心底腹が立つ。

 クソ! クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ!

 なんで俺がこんな目に遭っている。一瞬だけ叫んで、すぐ我に返ってやめた。

 そうだ、家には親がいる。深夜に自分の部屋で息子が発狂していたらおかしなことになる。

 冗談じゃねえぞ。これからどうやって生きていけばいいんだよ?

 動悸、息切れがすさまじい。救心で治せる気がしない。いや、バカ野郎。そんなことを言っている場合か。

 どうする? どうする? どうすればいい?

 何をしていいのか分からなくなって、とりあえずSNSを見た。理由は分からない。ただ、本能がそうしろと命じていた。もしかしたら身バレでも起こっているのか。

 俺の身バレは起こっていないものの、タイムラインはグラシアス・ヒル・コーポレーションの炎上と会見動画で持ち切りだった。そりゃそうだろう。あんなに面白い話題は他にないだろう。もっともそれは、他人事である場合に限るが。

 はっきりと明言こそしないものの、グラシアス・ヒル・コーポレーションに対して攻撃を行っていた者が誰なのか、そしてそういった人々がどのような社会的な制裁を受けるのかに専らの興味が集中していた。たしかに、他人の不幸は蜜の味。それも、自分にまったく関係のない他人の場合限定となるが。

 最悪だ。正義の鉄槌を下すはずが、逆に断罪される側に回っている。世の中で言われる炎上事件はアホだけが起こす遠くの出来事だと思っていた。

 だが、現実は違う。

 炎上は誰にでも起こりえて、今俺はその渦中にいる。それがただの他人事ではないと知るのは、取り返しがつかなくなった後の話なのだ。

 今までに築き上げてきたものがジェンガのように崩れ去る。きっとその累は家族にも及ぶ。莫大な賠償金に、社会的なリンチ。それらを一身に受けることになる。

 何よりも、岡さんに――岡莉奈に嫌われる。

 嫌だ、本当に嫌だ。彼女に嫌われるのだけは耐えられない。

 名誉を失おうが、一生蔑まれようが、作家としての道が塞がれようが構わない、ただ、彼女に嫌われるのだけは本当に嫌だ。生きる意味がなくなるようにすら感じる。

 煉獄のスケキヨにメッセージを送りまくる。小説サイト内部だけで使えるメールとしては異常な件数を送っている。運営もこのやり取りを見つけたらドン引きするのではないか。

 スケキヨの野郎からは返信が来ない。当然と言えば当然か。ハメて用無しになった相手とわざわざコミュニケーションを取りたいとは思わないだろう。俺があいつならアカウントごと削除してさよならをする。

 クソ! クソクソ!

 なんでこんな目に遭っているんだ。意味が分からねえ。

 少し前まではネットの晒し行為の被害に遭っていた側だったというのに、気付けば自分が加害者側になっている。

 ――おまいらがバカを見つめる時、そのバカもおまいらを見つめているのだ。

 ニーチェの地口が某有名掲示板風にアレンジされて脳裏によぎる。最悪や。ふざけんなよ。

 いや、しかし、本当にヤバいぞ。俺の人生は半分ぐらい終わったようなものだし、岡莉奈からも嫌われてしまう。どうしてこうなった。スケキヨ、説明しろ!

 メンタルが崩壊しかけているのか、どんどん錯乱気味の思考になってくる。今までにこんな経験はしたことがない。本格的に俺はどうしたらいいのか。

 ネットを見ると、さらなる地獄絵図が繰り広げられている。

 組織的な管理売春を暴露した際にMe Tooよろしく被害を訴えた芸能人が多数出てきていたが、今回の会見で逆に叩かれる側に変わり、何人かが相次いで命を断っている。

 いくらデマであったとしても、彼ら彼女らは本当に被害があったのかもしれない。それがたった一つの事実を投下されただけで、頭のてっぺんからつま先まで嘘つきと罵られる。極端で短絡過ぎる世界の渦に呑まれた彼らは、失意とともにこの世界に別れを告げて去っていく。

 薬害の被害者にしても同じことだった。実際に障害が残っているにも関わらず嘘つきや守銭奴のように扱われ、世界中から総攻撃を喰らっている人々もいる。

 負の連鎖。まだ俺になっていない俺たちが、憎しみの輪を世界中へと広げていく。皮肉なことに、その連鎖の多くは正義感で燃え上がっているのだ。

 万策、尽きたか。

 膝から力が抜ける。歩行が出来なくなったみたいに、床を這いずる。

 助けてくれ。誰でもいいから助けてくれ。神でもスケキヨでもいい。とにかく誰か助けてくれ。今ならキリストだろうがアラーだろうが信じるから。

 そんな時、視界の端でパソコンの画面がかすかに動いた。

 目を遣ると、小説サイトに通知が来ている。メッセージボックスに一件の通知があります。

 小説サイト内のメール。差出人を見て息を呑んだ。

 ――メールの差出人は煉獄のスケキヨだった。