シャドウの放火作戦から数週間ほどが経ち、とても後味の悪い出来事が起きた。

 大炎上ですべてを失い、連日誹謗中傷に晒されていたシャドウが自殺した。自宅で首を吊って亡くなっていたらしい。

 遺書はなかったそうだが、理由は誰が見ても明らかだった。俺の放った火種が、人の命を奪うに至った。

 これをどうとらえればいいのか。とにかく現実感がない。まるで他人事のようだ。そうでないと俺のメンタルが持たないからだろう。

 なぜだ。シャドウは自分で「鋼のメンタルだから誹謗中傷は効かない」と言っていたじゃないか。だからこそ安心して攻撃出来たのに。

 それでも閾値を超えてしまったのか、今では確かめる術がない。

 俺がやったことはせいぜいスキャンダルを拡散したぐらいだが、チームとして彼を攻撃していたのも事実だ。法的に有罪ということはないだろうが、自分で率先して火を点けたことには変わりない。そういう意味では直接的な言葉で彼を叩いた人間と大差はないだろう。

 これは罪悪感なのだろうか。たしかに人から怨まれるようなことはしていたが、別に死んでほしかったわけじゃない。単に懲らしめたかっただけだ。死んだら償えないじゃないか。複雑な形態の怒りが沸いてくる。

 ネットの反応を見てみる。叩いていた奴らがどんな発言をしているのか気になった。もっと言えば俺の抱いている感情が何なのかを客観的なデータから分析したかった。

 だが、ネットの反応を見た俺はさらに困惑を深める。

 叩いた奴ほど罪悪感で苦しんでいるのかと思っていたら、「ざまあみろ」だの「因果応報」だのひどい言葉を並べていた。そこに悔恨の情など存在せず、罪人を断罪したことへのドヤ顔しか見えなかった。そして、ネット上でシャドウの死について言及している奴らはそんな発言をしている人間ばかりだった。

 ――俺は一体、何を見せられているのだろう?

 こいつらはそこらへんにも住んでいるのだろうか。まるで異世界の住人を見せられているような気分になった。彼らの感覚で言うと、シャドウは断罪されて当たり前。死んで当然といった結論に至るようだった。

 信じられない。俺はこいつらと一緒にシャドウを攻撃したというのか。

 鮫島ならまだしも、シャドウはそれほど俺の人生に関係がない。鮫島とは友人だったようだが、それだけの話だ。その程度の相手をここまで追い込む必要があったのか。そう思うと胃に変な違和感が襲ってくる。

 トイレへ行く。軽い下痢。自分で思っているよりもメンタルへの負荷が強いのかもしれない。

 ネットを見る。シャドウを失ったファンの悲しみや怒り。それはもしかしたら俺にも向けられたものかもしれない。加害者側の人間を見ると、いまだに誹謗中傷はやまない。まるで自分の正しさを証明しようとしているかのようだった。

 シャドウ、本当に死んでしまったのか。彼の呟きをチェックする。謝罪を表明した日から無言を貫いている。何かの間違いで、また毒でも吐かないかと期待してしまう。だが、彼が何かを呟く日は来ないだろう。彼が生きていれば全てが赦されるような気がした。

 分かっている。シャドウはキリストじゃない。彼が生き返ることはない。俺たちのやったことが赦されることもない。

 やめておけばいいのに、シャドウがどんな想いをしてこの世を去ったのか思いを馳せる。彼も自身のキャリアのために色々なものを犠牲にしたはずだ。常人には想像もつかないほどの労力を払って対価としての名声を手に入れているはずだ。

 そうやって築き上げたものを一晩にして瓦解させられた気分はどんなものなんだろう。それこそ悪い夢でも見ている気分にしかならないのではないか。

 俺のやったこと自体は炎上案件を拡散したに過ぎない。だが、そこから燎原の火の如く炎上が広がっていったのも事実だ。彼の燃え方は、俺の比ではなかった。もし、あれだけ炎上がひどくなると知っていたら……。

 いや、俺は本当に手を止めただろうか。どちらにしても煉獄のスケキヨに弱みを握られたままだった。何かが出来たとは考えにくい。

 それでも、もう少しやり方があったのではないかと思う。

 どんな罪だって、死んでしまえば償うことなど出来ないのだから。