ネット有名人のシャドウを表舞台から消し去ってから一週間が経った。罪悪感で潰されそうとまではいかないまでも、ずっと続く妙な不快感が胃に残っている。

 被害者はシャドウの方がずっと多いのにな。それでも妙な感じがずっと残っている。

 鮫島一味を断罪した時とは異なる感覚。鮫島グループを成敗した時には世に言う「ざまあ」感があった。彼らはそれだけの悪事をしていたし、やられた俺からすれば彼らは断罪されてしかるべき存在だった。

 だけど、シャドウは……どちらかと言えばどうでもいいというか、無関係の悪人だった。

 まあ、たくさんの女性を傷付けてきたのは間違いないんだろう。それでも俺は別に直接的な害を被ったわけでもないし、鮫島を擁護していたのも単に友達だったからだろう。それは人間として理解出来る感情だ。

 だけど、煉獄のスケキヨから半ば脅される形で魔女裁判に等しい制裁に加わった。悪事の証拠は実際にあったが、どこか腑に落ちなかった。あえて喩えるなら、無関係な戦争に参加して憎くもない兵士を殺して回るような感覚だろうか。どうしてもお門違い感が拭えなかった。

 まあ、俺たちの中にシャドウが憎くて仕方のないメンバーもいたのだろう。だからこそ鮫島断罪で協力してもらった恩を返したわけだけど。それでも恩返しって言ったら、もうちょっと爽やかな感覚が残るものなのではないのか。

 ネット上はしばらくシャドウのスキャンダルで盛り上がっていた。他にネタがないだけだろう。ネットの世界ではすることがないと誰かを憎み、顔も知らない仲間同士で叩くのが一つの趣味として認められている。

 明日は我が身だ。心からそう思う。煉獄のスケキヨが脅してきたように、俺がシャドウだけでなくKJやじゅりぴを破滅させる作戦に参加していたと知られれば、たちまちネットでも実生活でも修復不可能な悪評が立つだろう。

 俺の小説は言わば同情票のような形で書籍化にこぎつけただけだ。かわいそうな奴がそこそこいい小説を書いた。世間が俺に商業出版の権利を与えたのはただそれだけの理由だ。他に才能を持った不遇の作家はいくらでもいる。

 俺は大した才能もないくせに、世間から運よく同情してもらっただけで本を出せた幸せ者に過ぎないのだ。そして、そのきっかけを作ったのは他ならぬ煉獄のスケキヨなのだ。彼は俺の人生を輝かせることも出来るし、気分次第で終わらせることだって出来る。生殺与奪を握る彼に逆らう術はない。

 つまり、俺は煉獄のスケキヨの作戦に今後も参加していかなければならない。どこかで自らの罪を告白したとしても、世間やネット社会は俺を赦そうとはしないだろう。誰もが他者を断罪したくて仕方がないからだ。

 そもそも誹謗中傷をしている奴に自分のやっていることが誹謗中傷だという自覚などあるはずがない。彼らは一様に「思ったことを書いただけ」だと考えている。その言葉が刃となり、誰かを傷付けるであろうとはつゆとも考えない。だからこそネットの誹謗中傷はなくならないのだ。

 俺はいくらか自分のやっていることのヤバさには自覚がある。だが、だからと言ってやめるわけにもいかない。ある意味では俺の方が自覚無き正義マンよりもヤバい奴なのかもしれない。

 俺が何よりも恐れているのは、この活動が岡莉奈に知られてしまうことだ。これを知られたら、彼女は間違いなく俺を軽蔑するだろう。それだけは嫌だ。彼女に嫌われたくない。俺の中で彼女の存在はあまりにも大きくなりすぎていた。

 ――彼女のことが、好きだ。

 彼女がいるからこそ、意味のない人生にいくらかの輝きが与えられた。今の俺は自分のためではなく、一人の読者としての彼女のために書いている。

 別に彼女と恋人になれなくたっていい。ただ高校生活の間だけでも、彼女と同じ場所にいたい。それだけでいい。陰キャの俺だってそれぐらいは望んだっていいだろう。

 頼む。俺から彼女を奪わないでくれ。

 この瞬間だけを美しい思い出として取っておけるなら、後の人生はそれだけを養分に生きていくことだって出来るのだから。