高校に行く。教室はざわついていた。

 何しろクラスのボスだった鮫島が大炎上ののちに芸能事務所を解雇されたのだ。噂にならない方がおかしい。

 クラスメイトたちが声を潜めながら炎上事件について知っているか言葉を交わし、俺と目が合うと声を潜める。それだけで何かを見透かされているようで怖かった。

 ネット上の証拠はきっちりと消しておいた。初動の時に俺の捨てアカを見つけて、なお且つ匿名アカウントを俺と結びつけるだけの推理力を持った奴はこのクラスにはいないはず。仮にそのように訊かれたとしてもシラを切り通せばいい。

 炎上が広がったあたりで火種となった呟きは消した。何も知らない人からすれば無名のアカウントが存在しているだけだろう。後から来た奴が火元を特定するのは事実上不可能だ。

 鮫島一味はまだ登校していないものの、プライドの高いあいつが普通に登校して来るとは思えない。悪手に次ぐ悪手で恥をかいた上に、すっかり社会的な信用を失ったお坊ちゃんはもう立ち直れないだろう。

 騒がしい教室の中で耳を澄ませながら過ごしていると、肩で風を切る真田樹里亜と明智颯太がやって来た。みんながビビって道を開ける。

 真田が俺を睨む。ギャルモデルのメンチ切り。ちょっとだけビビる。

 立場的には睨み返したっていいところだが、あえて怯えたように目を逸らす。このバカギャルは俺のことを心からバカにしているので、目の前の陰キャがまさか鮫島を火ダルマにした犯人だとは思っていないだろう。

 どちらにしても、俺は火を点けただけだ。炎を大きくしたのはあくまで他の奴らでしかない。しかもそいつらは煉獄のスケキヨから紹介された数字と記号の組み合わせの呼称を持つ奴らだけとしか知らない。ここで激詰めされたところで、俺が何を白状しようもないのだ。

 明智も俺を一瞥はしたものの、「この状況でまだ学校には来るのか」という驚きを垣間見せたぐらいで特段俺を警戒している様子はなかった。

 時間差で岡さんも登校してきた。事件を知らないことはないだろうが、俯き気味で表情から情報を読み取ることは出来なかった。嫌々カースト上位に入っていた彼女からすればいい迷惑だろう。

 岡さんは不機嫌な真田と目を合わせると、何も言わずに自分の席へ着いた。

「あんたさあ」

 ふいに真田樹里亜が口を開く。

「賢司があんな感じになっているのに、あたしらには挨拶の一つもないってどういうわけ?」

 クラスの空気が凍り付く。ワガママで、邪悪で、嗜虐的なカリスマギャル。SNSでチヤホヤされているうちに、自分のことを女王様だと勘違いをこじらせた。

「ここでその話はしないよ」

 岡さんは平坦な口調で言う。

「はあ? あんた何偉そうなことを言ってんの?」

 キレ気味で乱暴に立ち上がる真田。鮫島一味で一人だけ冷静な岡さんが許せなかったようだ。

 エセイケメンの明智も「まあまあ」となだめるものの、パワーバランスは真田の方が上なのか抑えきれていない。手で顔を押しのけられて惨めな感じになっている。ざまあ。

 真田は全身から殺気を放って岡さんのもとへ歩いていく。クラスの誰もが固唾を呑んでその様子を眺めていた。

「あんたってさあ、そうやって仲間が大変な目に遭ってるのに一人だけ他人事みたいな顔しててさあ、ガチでムカつくんだよね」

「そんなこと言ったって、騒いでもわたしが何を出来るわけでもないじゃない」

「そのスカした態度がムカつくって言ってるんだよ!」

 真田が岡さんの机をガンと蹴り飛ばす。女子なのに、全クラスが震えあがった。このギャル、凶悪過ぎる。

 真田は蹴り倒した机を踏み台にして、ヤンキーさながらに岡莉奈に睨みをきかせる。カワイイを極めつくすギャルインフルエンサーという設定はやめたらしい。

「実はさあ、あんたが裏で全部糸を引いてたってオチなんじゃないの?」

「やめろよ!」

 気付けば俺は叫んでいた。

 周囲のクラスメイトが目を丸くしている。真田や明智もだ。つい数日前に鮫島からボコられた陰キャが止めるなんてまさか思わなかったのだろう。

 真田は一瞬だけ動揺した顔を見せて、すぐに邪悪な顔つきに変わる。

「お前もさあ、自分のイジメ動画を世界中の誰でも見れるところにバラ撒かれて悔しくないの? あたしだったら恥ずかしくて生きていけないけど」

「つまり、あれはイジメだったと自分で認めるんだな?」

 真田の顔が曇る。すぐに怒りに満ちた表情へと変わっていく。

「うるせーんだよ、童貞風情が! お前なんか永遠にアイドルの動画でシコってればいいんだよ! 部屋から出てくんな、根暗!」

 怒り狂った真田は本性を全開にしていた。真田が鮫島を好きだったのは知っている。それだけあいつの喪失が大きかったのだろう。

 怒り狂った真田は目につく机をすべて蹴り倒してから自分の席に着いた。彼女を制御し切れない明智は口の動きだけで「こわ」と言っていた。

 朝から全員で最悪の気分になった。みんなが「インフルエンサー」の真田樹里亜に迷惑をしている。

 俺は笑いそうになるのを必死にこらえていた。だって、真田は自分から火の中へと飛び込んでくれたのだから。

 岡さんは表情もなく倒れた席を元に戻して自分の席に着く。机を蹴り倒されたクラスメイトも鮫島の支配下にあった時代から出てこられないのか、真田樹里亜に文句の一つも言わずに倒れた机を戻して一限目のチャイムを待つ。これほどまでに授業が始まるのを待ち遠しく感じるのも初めてだろう。それは俺も同じだった。

 その後は特にトラブルもなく一日が終わった。ところどころで真田の強烈な視線を感じた時もあったが、気付かないフリをした。

 授業が終わった後もわざと体をぶつけるような動きをしてきたが、距離を取ってスカした。何かを言おうとすれば背を向けて距離を取った。後ろから悔しそうな舌打ちが聞こえ、悪態をつくような言葉が続く。耳を傾けても意味はない。すべて無視した。ざまあみろ。

「おい、童貞!」

 廊下に真田の声が響く。無視して歩くと、後ろから追い打ちのように罵声が浴びせられる。

「絶対にお前の被っている化けの皮を剥がしてやるからな!」

 校舎に響く恫喝。周囲の生徒が心配そうな視線を投げかける。大丈夫さ、あのギャルは鮫島がいなければ何も出来ないんだから。

 せいぜい今のうちにオラついておけばいい。自分だけが傷付いていると思っているのであれば大間違いだ。

 すぐに他人のことをとやかく言っている場合ではなくなる。

 だって、鮫島を葬っただけで終わるつもりはないんだからな。

 ――真田樹里亜、次はお前だ。