煉獄のスケキヨが送ってきた資料を読み込む。その内容に驚く。

 ――たしかに、この計画を使えば鮫島一味を終わらせることが出来るかもしれない。

 計画には繰り返し「この計画書と違うことをやらないこと」といった内容の注意書きがしてあった。少しでもズレると計算していた仕掛けがダメになるらしい。

 計画の実行には協力者が必要だった。その協力者たちはすでに用意してあるとのこと。準備が良すぎるような気もするが、細かいことを気にしている場合ではない。なにせ鮫島たちの動向によっては俺が社会的に殺されるからだ。

 どうしてそこまで怨まれたのか。岡莉奈と親密になったせいだろうか?

 いや、あいつらにとっては暇つぶしに虫けらを殺す程度の感覚でしかないんだろう。あいつらにとって目下の関心はどれだけ「いいね」を獲得出来るかであり、どれだけ社会から承認されるかなのだから。

 冗談じゃない。お前らの「いいね」欲しさで殺されてたまるか。

 計画書を読み終わる。分かりやすい内容でよくまとめられていた。悪用すればどんな人間でもハメることが出来そうな内容にも見えたが、それは単に悪用しなければいいだけの話だ。

 作戦をイメージしながら眠りに就く。起きたら両親には体調が悪いと言って学校を休んだ。昨日の動画を知っている者たちは、誰一人として俺が登校してくるなんて思っていないだろう。お陰で動きやすい。

 共働きの両親が家を出た。後は作戦を実行するのみ。病気だったはずの俺は、ここ最近で一番元気よくベッドを飛び出す。作戦開始だ。

 はじめに呟き用のSNSで捨てアカウントを作成する。名前なんてテキトーだ。何ならオカマになったっていい。

 アカウントは複数作る。その内で連絡用のアカウントと作戦を実行用のアカウントをいくつも作ると、煉獄のスケキヨが用意した協力者たちと連絡を取る。ここではスケキヨの割り振った数字や記号の組み合わせで互いを呼び、個人的な話は禁止されている。

 マニュアルによると、仲間は同じ目的で集められた奴ららしい。俺のために彼らが一肌脱いだかというと、それは違うだろう。何か事情はあるはずだが、あいにく個人的な会話が禁止されているため聞き出すわけにはいかない。こっそりと相手の情報を引き出そうとすると、それを受けた者は煉獄のスケキヨに報告するシステムになっている。

 裏切り者はその時点で離脱。何らかの制裁があるそうだった。どんな制裁を受けるのか気になるところだが、ロクな目に遭わないのは間違いないだろう。

 こうして当事者ですら何人いるか分からないチームを組んで、作戦決行の下準備をする。

 一通り準備が終わると、別の「マジックミラー」と呼ばれるプラットフォームへと移動する。

 このプラットフォームは匿名同士のやり取りで悩みや愚痴を聞きあってコミュニケーションを取る目的で設立されたものだ。

 ここでは固定のアカウントが存在せず、匿名で書きこんだメッセージに匿名のユーザーが答えるシステムになっている。匿名でなくてもいいよという人が悩みを相談出来るように、各種SNSとの連携も実装されている。某掲示板をもっと人生相談寄りにした感じと言ったら分かりやすいだろうか。

 ここに鮫島一味のスキャンダルをぶち込む。後は仲間たちで一気に拡散するという戦法だ。成功すれば鮫島は火ダルマになるだろう。

「そうは言ってもな、イジメの証拠を掴むのに失敗してるもんな……」

 昨日に証拠を掴もうとした俺は、盗撮の盗撮でネットに晒されている。これがどんどん拡散されていけば、俺の家が突き止められて実害を被る可能性も少なくない。

 文章だけで被害を発信しても訴求力が弱いというのをつい最近思い知った。それは偉大なるインフルエンサー様の発する鶴の一声で揉み消される。

 どうすればいいか悩んでいたその時、仲間の一人がネタをマジックミラーに投稿した。

「え?」

 思わず俺はフリーズする。投稿された動画は、俺が鮫島賢司にボコられている映像だった。

「ちょ……どういうこと?」

 俺は困惑する。自分の屈辱的な姿が世界中へと発信されているとか、そんなことじゃない。それなら盗撮野郎の汚名を着せられたことの方がよっぽど屈辱的だ。

「なんでこの映像を持ってるのさ?」

 当然のごとく湧き上がる疑問。誰が撮影していたにしても、あの魔女裁判を撮影しているということは、映像を撮った奴が教室にいたということだ。

 煉獄のスケキヨに入手経路を訊きたいところだが、どうせ教えてくれないだろう。一番順当なのは、鮫島一味の誰かが自分だけが面白いと思ってこれを動画サイトに上げた可能性だろうか。

 たしかにいくらか切れ者の鮫島以外は単なる承認欲求モンスターで、頭はそれほど良くない連中でもある。作戦遂行中に他のサイトでこの動画が上がっていないか確認してみたが、消されたのか見つからなかった。

 まあ、この際動画の入手経路はどうでもいい。この映像こそ俺が喉から手が出るほど欲しかった動画でもある。

 明智が撮っていたのは憶えているので、あの腰巾着が動画サイトに面白がってアップしたら鮫島に怒られて引っ込めたというところだろうか。それならありえる気がする。

 作戦をさらに進めていく。

 動画にはコメントを付けることが出来る。動画を投稿した担当者は次のようなコメントを付け加えた。

『これはわたしの学校で行われたイジメの映像です。こんなにひどいことがこの学校で起こっています。これはイジメの領域を遥かに超えています。なんでこんなことが許されるんでしょうか。見ていて涙が出ました』

「そのコメントに俺が泣いたわ」

 思わず画面に向かって返事をする。今までどれだけひどい目に遭っても「大変だったね」と言ってくれる人はいなかった。もしかしたら岡莉奈がそんな人になれたかもしれないけど、それすらも鮫島一味に目をつけられたことで無くなった。

 思い出したら腹が立ってきた。日本で一番かわいいJKと付き合えるかもと思っていたのに、その希望を根元からへし折られた。陰キャの童貞が持つ怨みは深い。それを教えてやる。

 自分の役割を遂行する。動画とコメントに返信を付ける。

『これはひどいですね。こんなに残酷なことをやって動画でさらに貶めるとか、人としての性根が腐っているとしか思えません。この人たちは罰せられるべきです』

 他の仲間も批判的なコメントを追加していく。マジックミラーのプラットフーム内だけであれば軽い炎上だろう。

 だが、この程度で終わるはずがない。このプラットフォームには他のSNSでシェア出来る機能が付いている。これでボヤを大火事にまで発展させる。

 俺は呟きでその動画を拡散して、同時に他の仲間もそれを拡散していく。

 仲間の呟きには「いいね」を押してからさらに拡散する。こうしてアカウントのないプラットフォームの動画は瞬く間に広がっていく。

 画面を見ていて恐ろしくなる。自分の呟きに付与される「いいね」と拡散の数がすさまじい勢いで増していく。スカウターの数字を見て「まだ上がっていくというのか……」と絶望していたドラゴンボールの敵キャラの気持ちが少し分かった。

 燃え広がる中、他の仲間がふと呟く。

『こいつ、KJじゃね?』

 添付画像にKJこと鮫島賢司のキメ顔写真が出てくる。ゲゲっと一瞬思ったけど、これも作戦の計画書に書いてあったのと同じだ。

 ちなみに動画もKJの写真も俺のアカウントからは投下していない。おそらくいざ調査が始まった時に、俺から鮫島への攻撃があったと認められる痕跡を残すのはまずいと判断したのだろう。煉獄のスケキヨが。

 ――炎上作戦その弐、拡散した動画の特定を装ってイジメの主犯を暴露。

 ネットの正義マンは陰キャが多いせいか、こういったイジメの動画については反応的になる傾向がある。まあ、誰だってイジメの現場を見せられたら気分がいいはずなどないのだが。

 少なくとも日本ではポジティブな内容の情報よりもネガティブな発信の方がシェアされやすい。マッチ一本ほどの火種だった投稿は、瞬く間にネットの大海へと火勢を強めていった。

 もうボヤでは済まないレベルになっている。KJこと鮫島賢司が学校にいるだろうが、まさか自分が授業を受けている間に大炎上しているなどとは思わないだろう。

 炎は瞬く間に燃え広がり、収拾がつかなくなった。

 ここで俺は火元に近い呟きを削除する。これで当初から観察していた者以外はどこから出火したのかを辿れない。遅れて炎上を見に来た人からすれば、マジックミラーに投稿された動画が炎上した事実しか見えないだろう。

 人々は主に正義感から、それが人為的に作られた炎上とも知らずに動画を拡散していく。これが俺の望んでいたことではあるんだが、いざそれが目の前で起こると少し怖くなった。

 鮫島のアカウントを見ると、すさまじい勢いでクソリプを投げつけられている。軍隊アリに襲われた野生動物のようだった。

 休み時間にでも入ったのか、鮫島が呟きはじめる。だが、いきなりここまで状況に追い込まれるとは思っていなかったのか、その対応はしどろもどろだった。

 いくらフォロワーが3万人いるとは言っても、一般的に芸能人をきどりのクソガキを知っている人は日本でもほとんどいないだろう。だが、ここはネット社会。フォロワーの数が多ければ多いほど、下手を打った時にその力が自分へ向かって跳ね返ってくる。

 当初こそ「あれは俺じゃない」と否定していたが、「現場にいました」と言う者が出はじめるとその発言は二転三転した。おそらく現場にいた者はでっちあげなんだろうが、当事者以外にそれを確かめる術はない。

 クラスの帝王であった暴君は、ピラニアに喰われるようにボロボロにされていく。やめておけばいいのに、匿名のアカウントに言い返して、さらに失言を重ねる。ネット炎上の悪手でそのまま教科書に掲載出来そうなほど最悪な対応をしていた。

 彼らに話し合いは通用しない。彼らの目的は専ら悪人を罰することだ。その悪人に選ばれてしまったことを鮫島は認識しないといけない。話し合いは通用しない。そこにあるのはただの魔女裁判だ。一番いいのは何も発さずに炎上が落ち着くまでじっとしていることなのだが、彼にそんなこらえ性があるはずがない。

 ダチョウ倶楽部が熱湯風呂へと落ちる芸を披露するように、鮫島賢司はクソリプに罵声を返してスクリーンショットを撮られる。そして拡散した失言でさらに炎上を悪化させるという悪手を繰り返した。正義の味方たちは高校生が相手だろうと容赦しない。

 炎上はKJの関係者にも波及した。KJの所属する芸能事務所には苦情電話とメールが殺到。大きな事務所ではなかったので、まともな活動が出来ないほどの混乱に叩き落とされる。

 さらにはKJの家が突き止められる。特定班と呼ばれる人々が、過去の投稿から情報を割り出して鮫島の家を見つけ出した。

 ネットに上げた写真には想像以上に多くの情報が載っている。

 たとえば位置情報を消し忘れて撮影した写真には、文字通り詳細な位置情報がデータ中に記録されている。これが原因で家がバレた人も実際には存在している。

 それ以外にも街並みや電柱に書かれた番地などが映っていれば、その人がどこにいるのかを特定するのがいくらか可能となっている。

 鮫島は今までにそんなことを気にしたことなど無かったのだろう。鮫島の家とされるマンションの写真が投稿された。それが実物かどうかは分からない。だが、間違いなくネットには家まで突撃してくる奴が現れる。何も知らない鮫島の両親は何が起こったのかと戸惑うしかないだろう。

 後はそのさまを眺めているだけでいい。ブロックされると呟きが見られなくなるので、攻撃的なメッセージは送らずに鮫島のアカウントを眺めていた。

 しばらく様子を見ていると、鮫島のアカウントが消えた。おそらく誹謗中傷に耐えかねた本人が削除したのだろう。自分をボコった悪人とはいえ、長い時間をかけて育てたアカウントを削除する羽目に遭った鮫島がいくらか気の毒になった。いや、いい気味か。因果応報と思い知れ。

 3万人ほどいたフォロワーの人々も鮫島のことを見損なっただろう。SNSとは恐ろしい。見方であれば頼もしい奴らも、敵に回すと最悪な相手になるのだから。

 ネットニュースやまとめサイトを見ると、早くもこのネタが紹介されていた。さすがに俺がボコボコにされる動画は添付されていなかった。転載でも名誉棄損が成立すると聞いたことはあるので、俺から訴えられるのを恐れたのだろう。

 ちなみに、まとめサイトの記事には俺が書いたコメントもいくらか混ざっている。号外記事を出す前に書くような感じで、暴露された真実とそこから予想される周囲の反応をあらかじめ書いておき、後は仲間にダイレクトメッセージで小分けに送る。仲間は実情に合わせてちょっとだけ文章を加工し、あとはネットの大海に放つだけだ。

 俺の書いた記事は特に評判が良かったが、単に当事者だったのだからリアルな記事になって当たり前の話だった。

 記事のリアルさにいくらか「ここまで詳細だと身内の人間が書いたのでは?」という指摘もあったが、まさか被害者本人が書いているとは思うまい。いずれにしてもそんなものは放っておけば流れて消える。

 一生懸命こさえた記事を仲間が少し手直しして、ネットで影響力の大きい人が拡散するように仕向けていく。

 記事には捏造こそないものの、鮫島にとって敵対的な内容の記事がこれでもかと拡散されていく。捏造や歪曲も混ざった記事も出てきては拡散されるので、もはやどれが真実なのかさえ分からなくなる。

 無名のモデルは一夜にして「時の人」となった。承認願望モンスターの鮫島は「有名になりたい」ということは言っていたので、夢は叶ったのだと思う。まさかこんな形で有名人になるとは思わなかっただろうが。

 これだけ問題が大きくなると、芸能事務所も黙っているわけにはいかなくなる。きっと俺の知らないところで今も苦情のメールや電話が殺到している。いちいちそれを確認する気にはならない。見ても嫌な気分になるだけだろう。鮫島と近しい者たちもとばっちりで非難に晒されていた。

 鮫島の事務所も今回の炎上について公式の声明を出していた。曰く、今回の騒動を重く受け止めており、本人と相談の上で無期限活動停止の処分にするとのことだった。

 平たく言えばクビだろう。会社の看板に泥を塗った奴を使いたい芸能事務所なんて存在しない。鮫島程度の代わりはいくらでもいる。

 かくして、鮫島のキャリアは一日も持たずに終焉を迎えた。奴がネットの知識を持っていなかったとはいえ、炎上とは恐ろしい。あんな目に遭ったらどんな気分なんだろう。生きる気力をまるごとそぎ落とされそうだ。

 どういうわけか、そこまで達成感もなかった。自分の役割が限定的だったせいなのだろうか。「ざまあ」で素晴らしい気分のはずだが、どこか気持ちは冴えなかった。

 喩えるなら、目の前で嫌いな奴がピラニアに喰い殺されるのを眺めていた感じだろうか。マイナーなタレントごときがここまで派手に炎上するとは思いもしなかった。

 どこかスッキリしないとはいえ、これで明日から学校にも行ける。まだ真田と明智、その他鮫島一味の奴らが残って入るものの、首領を倒された奴らはこんな陰キャのザコを構っているヒマはないだろう。願望込みで。

 煉獄のスケキヨに助けを頼んで良かった。彼の助けが無ければ、俺の方が数の暴力で社会的に殺されていただろう。

「これで明日からは平和に暮らせる……よな?」

 自分に問いかける。

 いくらか懇願めいた希望が叶うことはなかった。

 そう、俺はとんでもない奴を自分の側に引き入れてしまったのだ。

 この頃の俺は、まだそれに気付いていなかった。